越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 宮田恭子『ルチア・ジョイスを求めて』(1)

2011年10月31日 | 書評

大作家の娘の創造的な仕事

宮田恭子『ルチア・ジョイスを求めて』

  けっして読みやすい本ではない。だが、さまざまな支流が合流してやがて大河となるように、最後に読者は大いなる知的満足を得ることになる。

 二〇世紀最大の作家といわれるジェイムズ・ジョイスには、二人の子供がいた。

 一人は息子のジョルジオ、もう一人が本書のタイトルにもなっている娘のルチアである。

 ルチアは二十代で心の病に陥った。

 彼女に治療をほどこした心理学者ユングは、天才肌の父娘をこう称した。

「二人は川底に向かっていった。一人は足から落ちていき、もう一人は頭から突っ込んだ」と。

 狂気と正気の狭間をさまよったルチアは、小説家や伝記作家の興味をそそり、アメリカ作家のジョイス・キャロル・オーツも彼女をモデルにした短編を書いている。

(つづく)

 

 

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サルバドール・プラセンシア『紙の民』(6)

2011年10月17日 | 書評

 

 確かにページを三つ四つの柱(コラム)に区切って、複数の登場人物の物語を共時的に展開するような形式の小説は、そう多くない。

 だが、「作者の死」を宣言するメタフィクションの仕掛けや、本の中に真っ黒な部分が出てくるようなタイポグラフィカルな試みによって過剰に彩られた反秩序のバロック小説は、十八世紀末のローレンス・スターン『トルストラム・シャンディ』を嚆矢として、現代アメリカ文学でも、フェーダマンの『嫌ならやめとけ』からダニエレブスキーの『紙葉の家』に至るまで、これまでにもあった。

 だが、単に作者の権威だけでなく、バチカンの権威や男のマチスモもこなごなにする、エルモンテの「神話」を創造したという点でユニークであり、作者は僕の心地よい既視感を吹き飛ばしてくれたのだ。

 本書がデビュー作であるこの小説家の真価は、第二作で試されるだろう。(了)

(『文学界』2011年11月号308 -309頁)


 

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サルバドール・プラセンシア『紙の民』(5)

2011年10月16日 | 書評

 

 土星との戦いを始めるメキシコ移民のフェデリコ・デ・ラ・フェは、グアダラハラ時代、夜尿症のせいで妻メルセドに逃げられる。

 ストリートギャングのフロッギーは、恋人サンドラの父をそれと知らずに殺してしまって逃げられる。

 男女のあいだで繰り広げられるそうした三角関係に、サムソン王の首を切る妻デリラの役をリタ・ヘイワースが演じるという映画(『サムソン』)のエピソードが接続されて「悪女(マリンチェ)」の伝説が重層性を帯びる。

 この小説は一つには、女に逃げられた情けない男たちがどうやってその恨みや悲しみを癒すか語ったものだ。

 フェデリコは、火の棒を自分の体に押しつけ、火傷による痛みによって、悲しみ(と夜尿症)を癒す方法を編みだす。

 一躍スターダムにのしあがったリタ・ヘイワースに対して、かつてつきあっていたレタス収穫労働者は、銀幕にレタスをぶちまけて「売女め」と叫ぶ。

 恋人に逃げられたフロッギーは、ひとり家に閉じこもる。

(つづく)

 


 

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サルバドール・プラセンシア『紙の民』(4)

2011年10月15日 | 書評

 

 「悪女」にまつわるメキシコの伝説がある。

 「マリンチェ」の伝説だ。

 十六世紀のはじめ、エルナン・コルテスがアステカを滅ぼしたとき、敵将の通訳となったタバスコ族の女性だ。

 それ以来、メキシコの男たちは自分を裏切った女を「マリンチェ」と呼ぶ。

 自分自身の過ちや女遊びは棚に上げて。

 荒唐無稽なエピソードを積み重ねているように思えるこの小説で、メキシコ系の容貌の(背が小さく、名前からしてラティーノっぽい)作者を捨てて、別の白人男のもとに走ったガールフレンドを彷彿とさせる登場人物たち(ジプシーの血のまざったエリザベス、黒人の血のまざったカメルーン)が作者に対して批判の言葉を浴びせる。

 まさに「マリンチェ」の逆襲だ。

(つづく) 


 

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サルバドール・プラセンシア『紙の民』(3)

2011年10月14日 | 書評

 そんなロサンジェルスの臍からまっすぐ東に走るハイウェイ一〇号線(愛称・バーナディーノ・ハイウェイ)を十五キロほどいったエルモンテという町がこの小説の舞台だ。

 一般には、メキシコ系のストリートギャングが縄張り争いに明け暮れる暗いステレオタイプなイメージしか持たれていない。

 というか、全米の他の地域の人々には無名で、ありきたりな住宅地とモールだけのイメージしか浮かばない郊外の町を、作者は言葉の魔力だけで「神話」の町に変えてみせた。

 カーネーションの花摘みに汗をながすEMF(エルモンテ・フロレス)の刺青をいれたチョロ(ギャングの若者)や父の目を盗んでライムをかじってばかりいる娘、畑仕事が終わるとウジ虫のはいったメスカル酒を飲みながらドミノに興じる農場労働者、あるいは日曜日の朝にオアハカ出身のおじいさんの経営するメヌード(モツ肉のスープ)の屋台やグアダルーペの聖母教会に通うメキシコ人住民など、血の通った人々が登場する。

 とりわけ、僕にはクランデロ(民間療法師)のアポロニオが印象深い。

 薬草の知識だけでなく、ハイチのヴードゥ、キューバのサンテリアにも詳しく、死んだリトル・メルセドを調合薬で生き返らせる。

 のちにバチカンから使者がやってきて商品は押収され、彼は破門される。

(つづく)


 

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唐十郎さんと蜷川幸雄さんによる無料トーク

2011年10月13日 | シンポジウム・講義・講演

本日夕方、明治大学(お茶の水)で、無料のトークがおこなわれる。一般の方も入場オーケーですが、満員になることが予想されるので、どうぞ早めに。

唐十郎&蜷川幸雄 劇場都市東京の行方 リーディング実験劇場

日時:2011年10月13日(木)18:00~
場所:明治大学駿河台校舎 リバティタワー1F リバティホール
料金:無料 ※一般の方も含め予約の必要はありません

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サルバドール・プラセンシア『紙の民』(2)

2011年10月13日 | 書評

 とはいえ、物語の舞台は、誰もが自らの歴史の重みを逃れてやってくる西海岸のロサンジェルス。

「ロサンジェルスは、メキシコ国の最北端の都市である」と言ったのは、メキシコシティ生まれの前衛パフォーミングアーティスト、ギジェルモ・ゴメス=ペーニャ(『ボーダーの呪術師』)だ。

 ゴメス=ペーニャの名言は、この都市に住む六割以上の人たちがラティーノ(スペイン語を喋る南アメリカからの移民とその子孫)であるという統計的事実のみならず、サンタナの音楽(『ブラック・マジック・ウーマン』)からギルベルト・エルナンデスのコミック(『ラヴ・アンド・ロケッツ』)に至まで、あるいはタコスショップからローライダーに至るまで、そこに息づいているメキシコ文化をみごとに反映している。

 歴史的に見て、ユニオン鉄道駅のすぐ近くオリヴェラ通りにある小さな広場こそ、一七八一年にメキシコ人の数世帯によってスタートしたこの大都市の臍だ。

 だから、自らの歴史の重みを忘れようとして歴史性の薄いロサンジェルスにやってきて、なんだここはメキシコじゃないか!と感じてもそれは不思議ではない。

 十九世紀半ばの米国による侵略戦争以前には、ここはまさにメキシコの最北端の村だったのだ。

(つづく)



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トーマス・トランストロンメル

2011年10月12日 | 音楽、踊り、祭り

今年のノーベル賞を受賞した詩人の日本語で読める

唯一の詩集が思潮社から出ている。

『悲しみのゴンドラ』という。

「毎日新聞」の佐藤由紀さんがきのう(10月11日)の夕刊で、

地元ジャーナリスの寄稿エッセイを翻訳し、詩人を紹介している。

エッセイでは、こんな感じで親しみが沸いてくる。

「すべてが夢のようだった。興奮の渦の中に立ちながら、ストックホルムで同じ高校に通ったトーマスを思い出していた。私たちは60年来の友人なのだ」

一方、佐藤さんの紹介記事に引用されている詩の一部が心に残った。

ある埋葬式だった

そして わたしは その死者がわたしの想いを

読みとっている気がしたのだ

わたし自身にもまして

(「1990年7月より」)

 

 

 

 

 

 

 

 

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書評 サルバドール・プラセンシア『紙の民』(1)

2011年10月11日 | 書評

さまざまな「権威」をこなごなにする

 サルバドール・プラセンシア『紙の民』(白水社、2011年)

越川芳明

 僕はこの小説を読みながら、何重もの既視感にとらわれていた。

 のっけから紙で猫や人間の臓器や血管を作る、折り紙外科医アントニオにまつわる突拍子もないエピソードが出てくる。

 そこに、かつてのハイウッドの大女優リタ・ヘイワースがメキシコの国境の町ティファナからやってきて「魔性の女」よろしく「アメリカン・ドリーム」を成し遂げるという「偽書」が絡み、さらにメキシコで絶大なる人気を誇る覆面レスラー「サントス」と「タイガーマスク」(サトル・サヤマ)との友情の物語という「脱線」が追い打ちをかける。

 そういうポップな装いをまとった「実験小説」の顔を持ちながら、小説を貫くテーマのひとつは、愛の喪失の悲しみという、とてもメローなものだ。

 そう、僕は高橋源一郎の『さよならギャングたち』を連想していた。きっとこの作家は、『さよならギャングたち』の英語版を読んでいるに違いない。

(つづく)


 

 

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ノーベル文学賞(2011年)

2011年10月07日 | 音楽、踊り、祭り

今年のノーベル文学賞は、スウェーデンの詩人、トマス・トランストロンメル(80歳)に決まった。

どんな詩人なのか。読んだことがないのでわからない。

一説によると、俳句みたいな詩を書く人だとも。

イギリスの賭け会社のオッズでは、12対1だった。1000円賭けて、1万2000円。

悪くない配当だった。

 

 

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ノーベル文学賞(2011年)の賭け

2011年10月06日 | 音楽、踊り、祭り

今年も秋のお祭りがやってきた。

イギリスのブックメーカー(Ladbrokes)が2011年のノーベル文学賞の賭けオッズを公表している。

日本をふくむ世界中から(米国をのぞく)、ネットでギャンブルできるようになっている。

密かに、カナダのマーガレット・アトウッドだと思っているのだが、オッズは40−1と低い。だが、去年も、あっと驚く40ー1のバルガス=リョサだった。

ちなみに、噂では、シリアの詩人アドニスが有力らしい。

オッズは以下のとおり。10月6日現在。発表は日本時間で、きょうの夜8時。

Bob Dylan 5-1

Haruki Murakami 6-1

Adonis 7-1

Peter Nadas 10-1

Assia Djebar 10-1

Tomas Transtromer 12-1

Ko Un 16-1

Les Murray 16-1

Philip Roth 16-1

Nuruddin Farah 16-1

Thomas Pynchon 20-1

Cormac McCarthy 20-1

Amos Oz 25-1

以下省略。








 

 

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スポーツコラム(11)東京六大学野球 エース野村に広島カープのユニフォームを着させたい

2011年10月05日 | スポーツ

明治・慶応の試合は、投手・主要選手の出身地からみると、広陵高校(野村/上本)対中京大中京(竹内/伊藤)の対決というか、

広島カープ対中日ドラゴンズの対決だったともいえる。この2年間は、ずっと江藤監督率いる強い「中日ドラゴンズ」に負けてばかりだった。

エース野村は、第1戦で完封をした敵の左腕・竹内大を見ならって、緩急とコントロールで勝負。

圧巻は、第1戦で痛打を浴びた3番・山崎錬(慶応・4年)と4番伊藤(中京大中京、4年)から、それぞれ3つと2つ奪った三振だった。(写真は、試合後の野村と伊藤=「産経ニュース」川口良介氏の撮影

仕留めたのは、すべて130キロ前半のカットボールかチェンジアップだった。

9回を108球で完投し、9奪三振、5安打、0四球、失点0点。

マックスは、4番伊藤との3度目の対戦のときの145キロで、ストレートにこだわらない姿勢が良い結果を生んだといえる。

善波監督は、7回裏、野村が4番伊藤と真っ向勝負して当たりそこねの内野安打を喫したあと、5対0と大量リードしているにもかかわらず、マウンドに行って一呼吸おいた。

野村が突然打ち込まれた対法政・第1回戦のことが頭をよぎったかもしれない。

深謀遠慮の采配だった。

今週末の立教戦に向けて、監督の唯一の気がかりは、前半戦好調だった3番島内(星陵、4年)の打撃が湿り始めていることだろう。

 

 

 

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スポーツコラム(10)東京六大学野球 監督の開き直り

2011年10月04日 | スポーツ

きのう(10月3日)、明治・慶応の第3戦があった(写真は、明治の1番打者・中村将)。

土曜日の第1戦は、エース野村で負けて、明治は崖ぷちに陥った。

しかも、第2戦は、先発・難波(春日部共栄、4年)が2回にツーランを浴びて、チームは崖ぷちから両足が落ちて、手でつかまっているような状態だった。

善波監督は、そこで開き直って、ほとんど実績のない岡大海(倉敷商、2年)をつぎ込む。

そんな岡が投打に大活躍をして、明治はからくも3対2で第2戦をものにした。

第3戦では、打線がしぶとい繋がりを見せた。

とりわけ、序盤2回に、下位打線がツーアウトからヒットでつなぐ。

9番小林要(日大三、4年)が押し出しの四球を選んだあと、なおもツーアウト満塁で、このところ不振だった1番中村将(関西、4年)が左対左の対決にもかかわらず、三遊間に流し打って、2者を迎え入れた。

1点だけだったら、どっちに転ぶか分からないぎりぎりの勝負で、この一打が大きかった。

主砲・竹田(報徳学園、文学部4年)は、6番にさがった。

左中間二塁打のタイムリーをふくむ2安打と気を吐いた。

一塁の守備でも、再三ファインプレーを見せて、野村を助け、主将としての面目を保った。

とはいえ、竹田の打率はまだ2割台。まだ君のやるべきことはある。

(つづく)

 

 

 

 

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スポーツコラム(9)東京六大学野球 打てない主砲をどうするか?

2011年10月02日 | スポーツ

 東京六大学野球2011年度の秋リーグが4週目を迎えている。

 きのう(10月1日)は、明治・慶応の1回戦があった。

 明治の完敗である。

 得点は、2ー0であったが。

 慶応の主戦・左腕竹内大(中京大中京)の、

 110キロ台のゆるいカーブと130キロ台後半の直球にタイミングを崩されて、みすみす完封を喫した。

 とりわけ、四番の主将・竹田が重傷。打率1割台で低迷中。

 きのうも4打数0安打。

 責任感がつよすぎるのかもしれない。

 チームの要ということもあり、先発は外せない。

 ただ、四番をこのまま打たせていていいのかどうか。

 六、七番ぐらいにさげて、リッラクスさせてやったらどうか。

 守りも、1点は完璧な取られ方をしたが、もう1点はエラーがらみ。

 キャッチャーの川辺が、バッターインターフェアと暴投の二つのエラーをした。

 打つ方では4打数3安打と気を吐いていたのに、守りで野村の足を引っ張った。

 あとがなくなった明治は、なりふり構わずやるしかない

 もちろん監督の采配も、同じだろう。

 

 

 

 

 

 

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