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越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 オルハン・パムク『無垢の博物館』(その1)

2011年04月24日 | 書評
失われた瞬間(とき)を求めて
――オルハン・パムク『無垢の博物館』(早川書房)
越川芳明 
 
 トルコのノーベル賞作家オルハン・パムク(一九五二年生まれ)の受賞後第一作(原作は二〇〇八年刊)の待望の翻訳が出た。

 トルコ辺境の少数民族クルド人問題やイスラム民族主義の問題を絡めた前作の『雪』(二〇〇二年)とはうって代わって、表立ったテーマは恋愛だ。
 
 ケマル・バスマジュという、アメリカで教育を受けた三十歳の繊維業の財閥の子息と、彼の遠縁にあたる没落した家系の、十二歳年下の娘フュスン・カスキンとの禁断の恋が語られる(と思いきや、最後に、あっと驚くポストモダンな小説の仕掛けがあるのだが、それはいま触れないでおこう)。

 禁断の恋というのは、ケマルにはフランスで教育を受けたスィベルという名の上品な許嫁(いいなずけ)がいるからである。
 
 一人称の「わたし」の語りで語られるこの長編小説の翻訳書は二巻に分けられているが、正直なところ、上巻の四分の三ほどまでは退屈の極みであった。

 上流階級に属する婚約者の女性と別れることなく、貧しい美少女を妾として囲いたい、といった金持ちのぼんぼんの脳天気で、独りよがりな論理(しかし、それはケマルの父のような、前の世代の権力者や金持ちには自然な感覚だった)が見え隠れするだからだ。

 ケマルの手前勝手な思いを敢えて一人称の語りに託して語るパムクの意図はどこにあるのだろうか。
 
 しかし、婚約が破綻するあたりで、にわかに小説は面白くなる。

 禁断の恋が新たな局面を迎えるにつれて、ケマルの素朴な語りも翳りを帯びてくるからだ。

 家族ごとの失踪のあと、思いを寄せるフュスンが別の貧しい若者と結婚してしまっているという知らせがケマルに届く。

 しかし、ケマルは遠縁であることを口実にして頻繁にフュスンの家を訪れ、映画監督になる夢を抱くフュスンの若い夫に援助を申し出る。

 フュスンとの関係は、妄想といたわりのあいだを行き来するものとなり、手を触れることすらできない。
(つづく)
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書評 イグナシオ・ラモネ『フィデル・カストロ みずから語る革命人生』

2011年04月23日 | 書評
対話形式によるカリスマ政治家の「伝記」
イグナシオ・ラモネ『フィデル・カストロ みずから語る革命人生』
越川芳明

 南アフリカのマンデラと並んで、二十世紀を代表するキューバのカリスマ政治家カストロに対するインタビューである。

 著者はスペイン生まれだが、フランスで活躍する国際的なジャーナリスト。

 二〇〇三年から三年近い歳月にわたってカストロにインタビューを行った。

 だが、本書はインタビューをそのまま本にしたものではなく、「文学作品」のように時系列にそって章立てがなされている。
 
 伊高浩昭の見事な訳業もあり、平易なカストロの伝記として読める。

 キューバ辺境での生い立ちから始まり、失敗に終わったモンカダ兵営襲撃、マエストラ山脈から始めたゲリラ戦、革命政府初期の混乱(表現の抑制と同性愛の抑圧をめぐって)、チェ・ゲバラとの出会いなど、青少年時代のプライベートな体験と内面が語られている点が、本書のユニークなところだと言える。

 とりわけ、カストロは「人は革命家として生まれるのではない、革命家になるのだ」といったことを述べているが、少年時代、裕福な地主の息子でありながら、まわりにはハイチ移民(黒人)をはじめ最貧層の子供たちしかいない環境で育ち、社会にねざす貧富の格差、人種差別を目の当たりにした。

 そのことが、後に階級意識に目覚め、大土地所有制などの社会体制を変革しなければならないと考える端緒になったようだ。
 
 本書は、キューバの近現代史のテクストとしても一級のものだ。

 カストロの側近の歴史家の関与もあり、記憶違いや史実の誤りが正されているだけでなく、おびただしい原註や年表が施され、また日本人の読者のために丁寧な訳註までついている。
 
 本書が翻訳の典拠としている版は、カストロによる「偏執狂的」なまでの点検作業を経て補強されているという。

 第三世界への医師団の派遣などに見られる気高い「国際主義」の理想の陰に隠された「政治犯」の逮捕や国内経済の逼迫など、権力者カストロの意見をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

 だが、私たちはひとまず「思想は武器よりも強し」をモットーに、強大国相手に権謀術数を尽くして小国の舵取りをしてきた偉人の言葉に耳を傾けてみたい。
(『東京新聞』2011年3月27日)
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旦敬介『ライティング・マシーン──ウィリアム・S・バロウズ』(インスクリプト)

2011年04月20日 | 小説
旦敬介『ライティング・マシーン──ウィリアム・S・バロウズ』
 
 これはただの作家論ではない。

 小説のように簡潔で読みやすい文体、奇人の評伝のようにぶっ飛んだエピソードの数々、文学研究としての精緻な分析が相まって、酒で言えば超レアな吟醸酒の味わいと言えばいいのだろうか。

 一見淡々と語られているようだが、実は完成までに十年以上の時を要したという熟成された文章は、僕の知的好奇心をくすぐらずにはおかなかった。

 バロウズの「逃亡」の旅(ニューヨーク、米南部、メキシコ、ペルー、タンジール、コペンハーゲンなど)が「ジャンキー」で「クィア」な異形の「作家」を誕生させる。

 その誕生のプロセスを丹念にたどりながら、旦敬介自身の個人的な世界放浪が差し挟まれる「一種同時進行的な私小説」(「あとがき」より)である。

 面白くないはずがない。
 
 とりわけ、同じようにドラッグと旅を肯定したケルアックとバロウズの創作観の違いに対する鮮やかな分析が光る。
 
 なぜ僕がバロウズに比べて、ケルアックにあまり魅力を感じないのかが分かった。

 後期バロウズに関する執筆が予告されている。

 楽しみだ。
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死者のいる風景第三回(その2)

2011年04月20日 | 音楽、踊り、祭り
 僕は、正月のとても寒い時期に、愛知県と長野県の県境、天龍川沿いの山間の村で見た「花祭り」を思い出した。

 真夜中に、神社で神楽を披露し、いろいろと鬼が出てきて厄払いをする、とても古い行事だ。

 ロドリゴが言葉を続けた。

 「一六世紀にバスコ・デ・キロガというフラシスコ会派の司祭がやってきて、この地のタラスコ族の先住民人に、ごとに異なる工芸を教えて、彼らの想像力に火をつけたんだ。

 たとえば、ギターの得意なパラチョ、陶器の得意なツィンツィンツァン、銅製品や毛織物の得意なサンタ・クララ。

 仮面の製作は、パッツクアロから湖沿いに一二キロほどいったトクアロというが有名だよ。

 メキシコの仮面というのは、個人的な考えだけど、先住民たちによる多神教の世界観を表現する手立てじゃないか。

 ヨーロッパ人のカトリック教会は、善と悪をきっちり分けて考えていたけど、先住民はそうでなかった。

 <悪魔>の仮面でも、どこか憎めない。

 完全なる<悪>じゃない。

 難しいことを言えば、両義的だ」
 
 夜明け前の三時頃、僕はパッツクアロから十数キロほど離れた小雨の煙るツィンツィンツァンの墓地にいた。

 ロウソクや色鮮やかな花や供え物が豪勢に飾られた墓地は、真っ暗闇にそこだけ煌(きら)びやかに浮き上がる優美な御殿みたいだった。

 僕は、先祖の霊を迎えるために墓の前で酒を飲んで寝ずの晩をしていた陽気な若者に勧められて、寒さしのぎに酒をがぶ飲みした。

 翌朝、起きてびっくりした。

 靴は泥だらけだった。外に出てみると、レンタカーの前輪の一つがパンクしているではないか。

 タイヤのホイールもなくなっている。
 
 ひょっとして、あの世から帰ってきた死者に悪戯(いたずら)されたのだろうか。
 
 ロドリゴは人を信用するな、と僕に言った。

 人の中にまさか死者も入っているとは思わなかった。

(『Spectator』vol.23,Spring & Summer 2011, p.198)
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死者のいる風景第三回(その1)

2011年04月18日 | 音楽、踊り、祭り
死者のいる風景(第三話)メキシコ・パッツクアロ
越川芳明

 ミチョアカン州パッツクアロに着いた日は、あいにくと雲行きが悪く、まるで雨神トラロックが機嫌を損(そこ)ねているみたいだった。

 いや、トラロックはメキシコの大地に恵みの雨をもたらす神様だから、むしろ僕を雨で歓迎しようとしていたのかもしれない。

 「死者の日」の祭りには、観光客がメキシコ国内だけでなく外国からもやってくる。

 ホテル探しが大変だ。

 あらかじめ宿を取っていない者は、まるでメキシコの牧童(チャロ)に追い立てられた馬みたいに、あちこち振りまわされることになる。

 僕は州都モレーリアで借りたレンタカーで、あらかじめ目星をつけておいたホテルをめざす。

 幸運なことに、とりあえず二泊分だけは確保できた。

 やはり雨神トラックは僕を歓迎してくれたのだ。

 翌日、僕がそう言うと、観光ガイドのロドリゴが応じた。

 「でも、『不信は安心の母(デ・ラ・デスコンフィアンサ・ナセ・ラ・セグリダー)』というメキシコの諺があるよ。

 いつも安心していたければ人を信用するな、という意味だ。

 でも、君はそういうタイプじゃなさそうだね」

 夕方、僕はロドリゴに連れられて、パッツクアロ湖の艀(はしけ)の近くまで行き、そこに設置された舞台で「老人の踊り(ダンサ・デ・ロス・ビエヒトス)」を見た。

 舞台に小学校の中学年ぐらいの男の子たちが五、六人登った。

 トウモロコシの穂先で作った頭髪や髭をつけて老人を装っている。

 一人だけ若い娘がいて、こちらは正真正銘のハイティーンの女の子だ。

 あでやかなビロードのロングスカートを両手でつまみ、まるですれっからしの娼婦が挑発するかのようにひらひらと揺らす。

 それを見た「老人たち」は、まるで奇種の蝶を追いかける老鱗翅(りんし)学者のように、その布の羽に誑(たぶら)かされて、身体をぎこちなく動かし娘を追いかける。

 そして、まるでメスの気を引こうと一気に羽を広げるオスのクジャクよろしく、虚勢を張って下駄で床を踏みならす。

 これ見よがしに「わしゃまだ若いぞ、どうだ」といわんばかりに、一種のタップダンスを踊る。

 老人を演じる少年たちはその身にはち切れんばかりのエネルギーを極力抑えている。

 それでも、女の子をナンパしようとして、空(から)元気の一つでも見せようとする。

 こういう芸能の中で、老いと死を意識せざるを得ない老人のエロティシズムを子供に演じさせるのは、なんとすぐれた先住民の知恵なのだろう。

 そういえば、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるがメキシコの仮面の収集に凝っているという話を読んだことがある。(『幸福になるメキシコ』祥伝社、一九九九年)

 わざわざオアハカ、ゲレーロ、ミチョアカンなど先住民の多い州まで出向いて、大量の仮面を購入している。

 それらの仮面は、メキシコ特有の鮮やかな原色による色使いもさることながら、人間の顔にウジ虫やバッタや蛇などが巧みに配置されて意表をつく。

 どこか間抜けでコミカルな表情をたたえている悪魔(ディアブロ)の仮面もあれば、ジャガー、山羊、フクロウなどの動物の仮面もあるし、賢そうな老人の仮面もある。

 メキシコ人はどうして仮面が好きなのだろうか。

 ルチャ・リブレと呼ばれるプロレスでも、みな仮面(マスカラ)をつけている。

 そのことをロドリゴに訊いてみると――

 「仮面はメキシコ人にかぎらず、だれでも好きだろ」と、前置きをして。

 「仮面というのは、自分の素性を隠すためもあるけど、その一方、自分以外の何者かになるための道具でもある。

 たとえば、君の言う<悪魔>の仮面でもそう。

 <悪魔>っていっても、普段は目に見えないけど、お祭りの儀式で仮面をかぶった人に<悪魔>がとり憑(つ)いて、私たちはその目の前の<悪魔>を相手に、災いが起こらないように、厄払いをおこなうってわけさ」

(つづく)


 
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