越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

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映画評 アリス・ディオップ監督『サントメール ある被告』

2023年09月14日 | 映画
いくつもの「壁」を越えて、母と娘の物語を語る   
アリス・ディオップ監督『サントメール ある被告』 
越川芳明
 
ラマという名の、パリで生まれ育った黒人女性が主人公。
セネガルからの移民の二世で、主な職業はフリーランスの作家だ。

周知のように、西アフリカのセネガルは一九六〇年に独立するまでフランス領だった。
いまでも公用語はフランス語である。
ラマも職業柄、フランス語は堪能だ。

フランス社会では、人種にまつわる紋切り型の物の見方、というか肌の色に対する先入観があり、黒人(とりわけ女性)は知的ではない、とみられがちだ。
黒人女性がフランス語を流暢に喋ったりすると、白人に驚かれる。
ラマのような知的な女性にとって、日々の暮らしのなかで、目に見えない人種の壁(先入観・偏見・差別)が立ちはだかる。
だが、その壁は白人には見えない。

ラマは、フランスの地方都市ベルク・シュル・メールで開かれる裁判に興味をもち、出版社に新作の企画を持ち込む。
そして、裁判の傍聴に出かける。

なぜラマはこの裁判に興味を抱いたのだろうか?

裁判は、ラマとほぼ同年代の三十代半ばの黒人女性による赤児殺し事件を扱っていた。
黒人女性は自分の子を殺した罪に問われているのだった。

被告の黒人女性はロランス・コリーといい、セネガルの首都ダカールで生まれ育ったらしい。
セネガルの高校を卒業してから、フランスにやってきていた。
裁判での本人の証言によれば、幼い頃は経済的に恵まれていて、広い家に住んでいたという。
しかし、父は生まれてすぐに愛人のもとへ去り、ロランスは母と祖母と暮らした。
祖母には大切に育てられたらしい。ロランスはひとりっ子で、本が好きの文学少女だった。

イスラム教徒の多い環境で、あえて娘にカトリック系の学校へ通わせているというあたりに、親の意図が見える。
特に、母は教育には厳しく、ロランスに母語のウォロフ語を喋ることを禁じたという。
「母はわたしのフランス語を完璧にして、わたしを出世させたがった」と、ロランスは証言する。

一般的に、ヨーロッパによる植民地では人種にまつわる差別が歴然としていた。
思想家エメ・セゼールも、植民地の「差別構造」をこう指摘している。
「(植民地の黒人が)劣等意識を抱くことは、ヨーロッパ人が優越意識を抱くことの土着的相関物である」と。

黒人は白人による差別を内面化してしまいやすく、劣等感を克服しようとして、自分たちの子供を白色化(教育によって、あるいは結婚によって)しようとする。

ロランスの両親は、娘に社会の階梯を登らせようとした。
ロランスは、黒い肌のフランス人になるべく訓練されたのだった。

映画では、ロランスの実際の証言をそのまま使用したらしいが、彼女が法廷で流暢なフランス語で抗弁すればするほど、彼女の悲劇性が高まる。

そういう意味では、被告ロランスは、ラマの「分身(ドッペルゲンガー)」のような存在である。
ともに、ヨーロッパの白人社会を生きぬくために、母から厳しい躾とフランス語教育を施された優秀な女性だった。
だが、ロランスの場合は、どこかで歯車が狂ってしまい、いま裁判の被告になっていた。
ラマは裁判を傍聴するあいだに、次第に精神が不安定になってゆく。

ロランスは妻子のいる三十歳以上年上の白人老人と同棲し、その老人の子を出産していた。
ラマも白人ミュージシャンの恋人がいて、その恋人の子を妊娠しているようだ。
ラマにとって、ロランスの証言はおそろしかった。自分の未来を予想させるからだった。

『ヒロシマ・モナムール』へのオマージュ
冒頭、ラマがどこかの大学で講義しているシーンが出てくる。
ラマが教室で使っている教材が注目に値する。
それは映画のモノクロ映像で、何人もの女性が群衆の前で、無理やりハサミで剃髪(ていはつ)され、さらし者にされている。
背後に、ナチスの占領から解放されて、市民たちが歌うフランス国家「ラ・マルセイエーズ」が流れている。
おそらく、髪を切られた女性たちは、戦時中に犯した行為によって、「非国民」として糾弾されているのだろう。

講師のラマが説明する。
これは作家のマルグリット・デユラスによる『ヒロシマ・モナムール』で描かれたものと同じだ、と。

デュラスの原作『ヒロシマ・モナムール』を基にアラン・レネ監督が作ったモノクロ映画『二十四時間の情事』(一九五九年)がある。
主人公のフランス人女優が反戦映画を撮るために、戦後、広島を訪れ、いきずりの恋で日本人の建築家と一夜を共にする。
そのなかで、女優の少女時代のトラウマが明らかにされてゆく。

女優は、少女時代に彼女の田舎の町を占領していたドイツ兵と恋仲になったらしい。
戦後、それが発覚して、恋人から引き離されるだけでなく、彼女自身、髪を丸刈りにされ、「非国民」扱いを受け、精神に異常をきたした。
そのため、しばらく社会から隔離され、文字通り「地下生活」を送ったことがあった。

このトラウマを抱えた白人女優と、いま裁判にかけられているロレンスという黒人女性との共通点はどこにあるのだろうか。

一見したところ、時代も違うし人種も違う。共通点などなさそうだ。

だが、よく見ていくと、一方は「非国民」として、他方は「赤児殺し」として、ともに社会から「恥ずべき烙印」を押された女性であるという点は共通している。

そこで注目すべきは、ラマの職業である。
それはマルグリット・デュラスと同じ作家だ。
ラマもドゥラスと同様、対象になっている女性を安易に「狂人」扱いするのではなく、ひとりの個性のある人間として見て、描こうとする。
言葉を紡ぐことで、ロランスのために、マスコミや世間から押される「恥ずべき烙印」をはぎ取ろうとする。

被告席で終始仏頂面ロランスがたった一度だけ微笑むシーンが出てくる。その視線は、誰あろう、ラマに向けられていた。

そういう意味では、ロランスを担当する女性弁護士もまた、紋切り型の発想を避ける「作家」としての役割を担っていると言える。
女性弁護士が最後に雄弁に語る。母の遺伝子の一部は娘に受け継がれる。

それと同じように、娘の遺伝子の一部も母に影響する。
母と娘は相互影響関係にあり、その影響は相手が生きていようが死んでいようが、変わらないのだ、と。

『思想運動』(小川町企画)No.1092. 2023.9.1発行

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