越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

29日(木)のテレビ「スペイン語講座」

2008年05月28日 | 音楽、踊り、祭り
あす29日(木)NHK教育テレビ「スペイン語講座」にゲスト出演します。

番組の時間は、午後11時半からですが、ゲストが出演するコーナーは11時50分頃。

ロサンジェルスのチカーノ文化と事情について、映像をまじえて5分で話します(ムリや!)。
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一度結んだ縁は切れない!

2008年05月27日 | 小説
一度結んだ縁は切れない。
書評 瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』
越川芳明

 『日経新聞』の人気連載エッセイ「奇縁まんだら」は、著者と文豪たちとの交流がユーモアのある落ち着いた口調で語られていて、週一回の掲載を待ち焦がれていた人は僕以外にも多いはずだ。

 今回の本は最初の一年分、二十一名の作家たちとの出逢いをまとめたもの。横尾忠則による作家たちのシュールな肖像画も数多く収録され贅沢な作りになっている。

 著者の生まれたのは、関東大震災の一年前、大正十一(一九二二)年。この本に取りあげられた作家は、島崎藤村、正宗白鳥、川端康成をはじめ大半が明治生まれで、遠藤周作と水上勉だけが唯一大正生まれ。すでに全員この世に生はない。

 著者は冒頭でこう言う。

「生きるということは、日々新しい縁を結ぶことだと思う。数々ある縁の中でも人と人との縁ほど、奇なるものはないのではないか」と。

 文豪たちについて、奇縁に彩られた面白いエピソードは枚挙に暇がない。学友に連れていってもらった能楽堂で見かけた藤村の小説家としての美しい素顔、川端康成が試みようとしていた源氏物語の現代語訳、毎月の仕事の重みを実感するために原稿料は振込では駄目だという、舟橋聖一の忠告、稲垣足穂から机を貰う「机授与式」の顛末、北京でみつけた宇野千代の徳島の人形師をめぐる小説によって、小説家としての目を開かされたこと、今東光から法名「寂聴」を貰った経緯、小説家など辞めて、小説家など辞めて天才画家(自分)の弟子になれといった岡本太郎の自信、女流文学者の宴会で、阿波踊りを踊りなさい、と命じた最後の「女文士」の平林たい子の貫禄など。

 とりわけ、錯綜した男女関係を扱った谷崎潤一郎と、佐藤春夫にまつわる逸話が断然面白い。影の主役である妻たちを登場させているからだ。

 著者は若い頃に編集者として、原稿の依頼をしに直接谷崎の家に出かけていき、谷崎が不倫の末に獲得した松子夫人に会っている。「はあ。そらご苦労さんですなあ。でもうちは今、仕事たんとかかえておりまして」と、夫人に体よく断られている。「ああ、この口調が大谷崎の心を射抜いたのだな、と私はうっとりした」と、著者は記す。

 本書は、作家によるただの回想録ではない。著者をこれまで小説家として生きさせてくれた「仏縁」への感謝の心が根底に流れているからだ。

「一度結んだ縁は決して切れることはない。そこが人生の恐ろしさであり、有難さでもある」
『エスクァイア』2008年7月号


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アレイダ・ゲバラさんの講演会

2008年05月20日 | 音楽、踊り、祭り
チェ・ゲバラの娘さん(1960年生まれで、現在47歳)、アレイダさんの講演会が、千代田区番町のセルバンテス文化センターであった。

ゲバラの妻、アレイダ・マルチによる回想録『わが夫、ゲバラ』(朝日新聞出版)の刊行を記念しての企画。

自身、小児科医としてのキャリアを持つアレイダさんは、終始冷静に話していたが、父から母に宛てた手紙のことに触れるところでは、涙を流していた。

司会兼質問者の戸井十月氏が、その本を読んで、どのようなエピソードに衝撃を受けたか?と訊いたのに対して、アレイダさんが、自分の母が、規制のつよい田舎の出身者でありながら、結婚前のチェとの男女関係まで、率直に書いていることにつよい衝撃を受けたと答えたのが印象的だった。

この本には、これまで触れらなかったゲバラの私人としてのエピソードがたくさん書かれているという。

会場で一冊買い求めた。



ナタリー・カルドーネ『Hasta Siempre』


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キューバ学校

2008年05月12日 | 音楽、踊り、祭り
ロス・ロボスの「グアンタナメラ」



現代企画室の太田昌国さんの主催するキューバ学校(第一回)に行ってきた。

場所は、代官山のヒルサイドプラザというところ。

最初から最後まで、断続的に「グアンタナメラ」が会場に流れていた。

今回のテーマは「なぜ、キューバ学校なのか。<グアンタナモの不条理>を通して」だった。

マイケル・ムーアの『シッコ』にも取りあげられたキューバの中の米軍基地<グアンタナモ>。

画家の富山妙子さんが、60年代のミサイル危機のときにキューバを訪れたその経験を話した。

金井桂子さんが岩田宏の詩「グアンタナモ」を朗読した。

最後に、太田昌国さんがキューバの中に米軍基地が存在する不条理、9/11以降、米国がタリバンと無関係のイスラム教徒を多数収容する収容所としてグアンタナモを利用する身勝手さを、大航海の時代からのキューバ史を振り返りながら説いた。

あとは、会場で、キューバのお酒、モヒートがふるまわれた。

会場をあとにして、三省堂のTさんと恵比寿の居酒屋<ジャックポット>へ行って、飲み直した。

Tさんは4月にブラジルに行ってきたばかりで、リオのスラム街ファベイラや売春街など、いろいろと興味深い話を聞かせていただいた。




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小黒昌一『たんぽぽの詩』

2008年05月05日 | 小説
小黒昌一『たんぽぽの詩(うた)』校倉書房、2008年

 立ち込める靄(もや)。暁の兆しもない夜明け前の闇。
 と、浅草は新谷町の一角にある二階家の裏窓辺の闇から小さな影が抜けでた・・・。
猿(ましら)か? 影は、両足でトタン屋根を軽く蹴ったかと思ったら、表通りの電信柱にピョイと跳びつき、スルスルッとすべって大地に下り立ち、首をすくめ腰をかがめ、辺りを見回した。そしてそのままの姿勢で走りだした。速い、速い。風を巻いて走るどころではない。疾風そのものだ。
 浅草から上野まで、アッという間の韋駄天ひとっ走りで、猿は上野駅にいた。暗い構内におかれた長椅子の下に身をひそめ、息をころし、始発電車の改札を待っていた。(以下略)
 

 小黒昌一先生から、できたての著書を送っていただいた。大半は『読売新聞』に連載されていた随筆コラムからなる。随筆は師と仰ぐ小沼丹同様、字句表現に砕身の注意を払いながらもそれと感じさせない飄々とした味わいが特徴。

 なかに表題作の小説が一編があり、異彩を放つ。上に引用したのは、小説の冒頭。のちに古式泳法の師範になるカトリ栄一少年が、戦時中に就職先の東京・浅草から新潟に逃げ帰るシーン。

 新潟で薬剤師としての修行、終戦直前に招集されてシベリアでの抑留生活、戦後、故郷に帰り薬屋を開業、八十歳での隠居。隠居後のたのしみは、厳冬の日本海のテトラポッドの岩のりでつくった自家製「荒海苔」をあぶりながらの燗酒。小説の最後は・・・

 ーーこうして長い年月を生きておりますと、さすがに眠くなることもありますてバ・・・。これまた楽しからずやですて。
 と、栄一翁。「熱い(あちち)、熱い(あちち)」と言いながら、お銚子の酒を愛用の猪口に移し、ゆっくりと口にはこび目を閉じると、たんぽぽの花が見えた。果てしなく広がる空間を黄色い花が埋め尽くして、遠く地平線の果てまでつづいている。風が吹くと、その花々が波のように揺れて、サワサワと、サワサワと、うねりながら囁きながら、荒野の彼方に消えていった。

参考:早稲田大学新聞のHPで、「たんぽぽの詩」の全文が読める。http://grello.net/grello/oguro/tanpopo.htm

THE ALFEE作「タンポポの詩」(『どらエモン』のエンディング・テーマ)






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書評 トム・マシュラー『パブリッシャー 出版に恋した男』

2008年05月04日 | 小説
創意工夫に富む「冒険家」としての出版者
トム・マシュラー(麻生九美訳)『パブリッシャー 出版に恋した男』(晶文社 2006)
越川芳明

 ページをめくるのが惜しいと思われるほど、作家をめぐる面白い逸話やゴシップの詰まった回想録だ。

 それもそのはず、著者は長年イギリスの文芸出版社「ジョナサン・ケープ」のカリスマ編集者としてならし、二〇〇〇年に『ブックセラー』誌から「今世紀の出版界に最も影響を与えた十人の出版人」に選ばれた人だから。

 なるほど英語での出版という有利さはあるにしても、著者が出版にかかわった作家や詩人の中でノーベル賞を受賞した者が十余人! というのがすごい。
 
 著者は、自分の出そうとしている本(特に文芸もの)で、まず売れ行きを念頭においたことはない、と断言する。自分がよいと感じる質の高いものを出版するのだ、と。
 
 それでいて、かつて無名のガルシア=マルケスとは五冊丸ごとの契約を結び、五冊目の『百年の孤独』が大ベストセラーになったとか、ケイプ社で最初に買い付けたジョゼフ・へラーの『キャッチ22』がたったの三カ月で五万部も売れ、アメリカ版すら上回る数字だったとか、すごい裏話がいっぱい出てくる。
 
 どうしてそんなことが可能になるのか。成功の訳を知りたい業界人や、昨今、売れ行きが伸びずに営業サイドから突きあげを食らっている編集者は、本書を読めばよい。
 
 だが、真似をするのは至難のわざだ。というのも、著者の生い立ちからして、非常に特殊だからだ。

 一九三三年、ドイツのユダヤ人家庭に産まれた著者は、父が書籍の販売にかかわり成功を収めていたが、折からナチスの台頭があり、家族は命からがら移住先のオーストリアからニューヨークに逃げようとする。が、船便がなく仕方なくロンドンに移住。トム少年は、イギリスの貴族の家に賄い婦として職を得た母と一緒に、馬小屋のようなところに暮らし辛酸をなめる。

 少年時代に、独立独歩の道を歩むように育てられた。

 フランス語を学ぶために見ず知らずのフランス人の家庭で一夏すごさせられたり、また大学には行かずに、イスラエルのキブツで働いたり、アルバイトをしながらアメリカ大陸の横断を試みたり、その無銭旅行の記事をニューヨークの新聞社に売り込んで、帰りの便の資金にしたりと、すでに創意工夫に富む「冒険家」としての片鱗を見せていたようだ。
 
 本書の中には、百五十人を超える作家が登場する。著者がかかわった作家たちとのエピソードはどれも興味深い。

 ぼくの大好きなブルース・チャトウィンの秘密主義的な行動、カフェのテーブルで無言のベケット、ブッカー賞を逃した席で審査委員長からきみの作品が最高作だったが、最高作が受賞するとはかぎらないと言われて激怒したサルマン・ラシュディ、ゴージャスな避暑地で夏をすごしているウィリアム・スタイロン、『メイソン・アンド・ディクソン』の執筆のために七〇年代にこっそり大英博物館で調査していたトマス・ピンチョンとのランチ、ヴォネガットの妻(写真家のジル)の厚かましい申し出、唯一例外的に儲け優先で「発掘」したジェフリー・アーチャーの不遜な態度など、枚挙に暇がない。

 そんな中でも、ジョン・ファウルズの『フランス軍中尉の女』の映画化にまつわる話がとびきり面白い。というのも、著者は自ら「エージェント」を買ってでて、監督や脚本家の選定にかかわり、映画界で働くという若い頃の夢を果たすばかりでなく、販売促進作戦として通常の書籍でしているように、単に映画資料を五つの新聞社に送りつけるだけでなく、そのうちの二社から稿料をとることまでするからだ。映画会社の宣伝部には思いもつかぬこの戦略も、著者にいわせれば、実に理にかなっている。著者いわく、「無料であげるより売ったほうが本気で受け止めてもらえるからだ」
 
 著者は、フランスのゴンクール賞にならって、イギリスでも書籍の販売戦略として「ブッカー賞」を創設している。そして、候補者をあらかじめ六名発表して、販売に利するようにするという案も考えた。トム・マシュラーというユダヤ人の出版人、アイディアや行動が斬新かつユニークで、ただ者でないということがお分かりいただけただろうか。

(『読書人』2008年5月9日号)

トム・マシュラー 
1933年、ドイツ生まれのユダヤ人。ナチスの手を逃れて、幼くしてイギリスに移住。カリスマ編集者として、英国のジョナサン・ケイプ社を一流の文芸書の出版社にする。



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書評 田中慎弥『切れた鎖』

2008年05月02日 | 小説
「海峡」の街の寓話  
田中慎弥『切れた鎖』(新潮社、2008年)
越川芳明

 本書は3作からなる作品集で、とりわけ読み応えのある表題作は「海峡を西へ出外れた場所にある」街を舞台にしている。

 その街は、わざわざ下関の昔の名前を用いて、「赤間関(ルビ:あかまがせき)」と名づけられている。
 
 そのような架空めいた舞台設定や、丘側(旧住民)と海側(よそ者)に分けられるという住民層の指摘、さらにその土地に見られる朝鮮人差別など、日本にいまなお根強い外国人嫌悪(ルビ:ゼノフォビア)を扱った寓話と呼ぶことができる。
 
 古来、玄界灘や対馬海峡を挟んで、日本と朝鮮半島とは人の交流が盛んであり、とりわけ半島南部と北九州周辺は同じ生活・文化圏であった。

 たった二百キロしか離れておらず、現在も、関釜フェリーの存在に象徴されるように、海峡は往来を妨げる鉄の壁ではなく、むしろ人と人との混じり合いをみちびく通路なのだ。
 
 しかし、この小説の視点人物、梅代という名の六十代の女性の一族(桜井家)は戦後、コンクリート製造と販売で知られ、海側の埋めたて開発にかかわったことで権勢を誇り、取り違えた優越感を抱いている。とりわけ、梅代の実母、梅子は戦前の民族教育のせいか、救いがたいほどの偏見にとらわれている。

「魚でも野菜でも外国産の大きなものが嫌いだった。なんでもほどほどの大きさでないと駄目だ、大きすぎると品がなくなる」と、家族に言いつのり、朝鮮人を「犬」や「偽物」と呼んで侮辱していた。

 だが、よりによって、三十年ほど前にそんな桜井家のすぐ裏手に在日朝鮮人たちの教会が「半島から流れついたようにいつの間にか建った」

 しかも、梅代の夫、重徳がその新興宗教の教徒の女性と浮気をした。その後、教会のほうから赤ん坊の泣き声が聴こえるようになり、どうも重徳と浮気相手の間にできた子のようだった。
 
 桜井一族によって作られたまま、いまその上には何も建っていない「コンクリートの地平」の索漠とした風景に象徴されるように、桜井家の栄華も長くはつづかない。
 
 とはいえ、取っ替え引っ替えいろいろな男と付き合って家に居つかない娘の美佐子の生き様には、頑な差別主義に凝り固まった桜井一族からの離脱が読みとれるし、また、孫娘が教会の青年(重徳の子?)の十字架を路面へ叩きつけて、蹴ろうとしたときに決然とそれを押しとどめる梅代の行為には、桜井家が朝鮮人に行なってきた仕打ちへの贖罪の意識が感じとれる。
 
 桜井一族にとって長く閉ざされていた海峡に船が走りはじめたのだ。
(『すばる』2008年6月号)

田中慎弥
1972年山口県生まれ。2005年「冷たい水の羊」で新潮新人賞受賞。2007年「図書準備室」で芥川賞候補。2008年「切れた鎖」で芥川賞候補。

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