越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 田中慎弥『夜蜘蛛』

2012年12月10日 | 書評

小説の「歪曲」 田中慎弥『夜蜘蛛』

越川芳明  

田中慎弥にしては、めずらしい書簡体形式の小説である。  

 

しかも、アメリカ作家ジョン・バースの画期的なメタフィクション『やぎ少年ジャイルズ』(一九六六年)のように、

作家である「私」は出版社への仲介者にとどまるという設定だ。

いわゆる「入れ子構造」となっていて、小説家ではない「七十を越えているかどうかの男」(5)が、

小説家の「私」に読んでほしいと書いた(とされる)書簡が作品の中核をなす。

つまり、作家の「私」と書簡の書き手である「私」の、二人の「私」が存在する。  

 

『やぎ少年ジャイルズ』は、アメリカの大学を舞台にしたキャンパス小説で、

その中核は、コンピュータが創作した(とされる)「大学シラバス」。

それが五〇年代から六〇年代にかけての米ソの冷戦構造や学園紛争など、

時代のアクチュアルな実相を比喩的にあぶりだす。  

 

芥川賞を受賞した前作『共喰い』でも、

作家はすでに太平洋戦争のようなアクチュアルな現実と格闘していた。

主人公の母は戦時中の空襲による火事で右手を失い、義手をつけており、

そのことが戦争による「負の遺産」として物語のシルエットをなしている。

だが、そうした歴史の痕跡が、

戦後を生きた一人の女性の生の証として読者の記憶に深く刻まれる逆転劇が用意されており、

不自由な「負の遺産」でしかない義手が血みどろの大立ち回りの主役を演ずるというグロテスクなユーモアが効いていた。

 

『夜蜘蛛』では、昭和の戦争は最初から前景に配置されている。

書簡の書き手である「私」が語るのは、明治四十三(一九一〇)年生まれの父親の生涯であり、

その父親が三度にわたって出征した戦争についてだ。  

 

そうした「歴史小説」への挑戦には、

これまで作家が書きついできた海峡の街「赤間関」を舞台にした寓話から一歩出ようとする気概が見られる。

だが、作家が得意とする濃密な文体と卓抜なグロテスク・ユーモアを犠牲にしなければならないというマイナスの要素もあり、

そうした試みは両刃の剣だ。

その辺のことは後で述べることにする。  

 

書簡の書き手の「私」の父親は、明治三十四(一九〇一)年の生まれの昭和天皇裕仁より九歳年下だが、

日本が軍国主義路線を敷いて中国をはじめアジアに侵略していくなか、

天皇と同じ時代の空気を吸っていたと言えよう。

たとえば、父親は三度も戦争に召集されたという。具体的に見てみると——

1 昭和六(一九三一)年、満州事変のとき。二十一歳。  

2 昭和十二(一九三七)年、盧溝橋事件から日中戦争勃発。二十七歳。  

3 昭和十八(一九四三)年、太平洋戦争のとき。三十三歳。召集されたが終戦になり出征せず。  

 

注目すべきは、戦争について普段は語りたがらない父親が「私」に語ってくれた二度目の出征である。

そのとき父親は部隊が全滅するなか、右足を銃弾で撃ち抜かれ、

同僚兵が折り重なっている場所に寄りかかるようにして死んだ振りをして、中国兵の目を欺いて生き延びたという。  

 

ここで、私たちに突きつけられるのは、語りの「主体」の意識の問題である。

先ほど、この小説には二人の「私」がいると述べた。

しかし、「私」の父親もまたもう一人の語り手として少年時代の「私」に二度目の出征時の体験を話したのである。

私たち読者に届けられるのは、父親の言葉そのものではなく、数多くの語り手が介在する口承伝承の物語のごとく、

語り手の「私」による味付けが加えられた父親の戦争体験だ。  

 

実のところ、『夜蜘蛛』は、作家の十八番であるグロテスク・ユーモアを犠牲にしているわけではない。

書簡の書き手の「私」の意識のなかで、荒唐無稽とも言える妄想がおおいに発揮されている。

ちなみに、書き手の「私」は、太平洋戦争開戦の翌年、昭和十七(一九四二)年の生まれで、戦争は体験したものではない。

むしろ、大人の語るものを聴いたものでしかない。

そこに子どもの空想が入りこむ余地が生じる。  

 

父親は「私」に向かって、自分が中国で命拾いした話だけでなく、

『勧進帳』や『忠臣蔵』のような説話や浪花節も語ったらしい。

そのうち、「私」の中で戦争の話と芝居の筋書きが「ごちゃ混ぜになり・・・、ほどけなくなるありさま」(42)となる。

「父が義経、中国兵が富樫という情景が見えてくることもございまして、この場合も、どこからともなく現れます弁慶が、

日本語中国語の区別つけがたい大音声で白紙を読み上げ、あわやというところを父義経は生き延びるのでございます」(59)

 

極めつきは、昭和七(一九三二)年の関東軍による満州国皇帝溥儀(ルビ:ふぎ)擁立のいきさつが、

「私」の頭の中では、明治十(一八七七)年の「西南戦争」における薩摩と政府の対立と重なってしまうくだりだ。 

「これを見た中国兵、まっこと胆の太かお人でごわす、などと言いながら鄭重に(明治帝を)お連れ申しまして、

溥儀を頂く満州国に対抗し、大薩摩中華人民共和国を、文字通りの旗、すなわち天皇を立てることによってまさに旗揚げする」(62)

 

ここには、二つの歪曲がある。

一つは、西郷隆盛をリーダーとする反乱軍が明治帝を担ぐという点であり、

もう一つは、関東軍による傀儡政府の樹立という作戦に対して、それに抵抗する中華人民共和国のほうに明治天皇が加わるという点。

こうした「私」のとんでもない妄想によって、父親の参加した昭和の戦争がナンセンスなまでに強引に歪曲されている。  

 

バースのメタフィクションは、歴史もまた語られるフィクションにすぎないということを示唆している。

私たちは複雑に絡みあった歴史の事象をまるごと理解することはできずに、

これまでに存在している物語の祖型(ルビ:パターン)を通して理解せざるを得ないからだ。  

 

したがって、いまここで問うべきは、

田中慎弥の『夜蜘蛛』が歴史のアクチュアルな相をあり得ないフィクションの空想で歪めていることの是非ではなく、

むしろ、グロテスク・ユーモアを生じさせるそうした作者の「歪曲」がどれほどの説得力を持って読者に迫ってくるかだ。  

 

だが、そうした「歪曲」が、書簡の書き手の「私」の特殊性に還元されてしまってはいないだろうか。

今後は、田中慎弥にしか書けない濃密かつ執拗な文体で、

周縁者の視座から共同体の“神話”や権力者を笑いのめすようなグロテスク・ユーモアのある「歴史小説」に挑んでほしい。

(『新潮』2013年1月号に、若干手を入れました)


映画評 『東ベルリンから来た女』(監督/クリスティアン・ペッツォルト)

2012年12月08日 | コラム

「踏みとどまる」という「越境」

『東ベルリンから来た女』 監督/クリスティアン・ペッツォルト

 越川芳明  

揺れるバスの中に、一人の女性が立っている。彼女の無表情な顔のアップが映しだされる。やがてバスから降りると、ひとりベンチに腰をおろし、煙草に火をつけて一服する。  

彼女はバルバラという名の医師。西ドイツへの移住申請を却下され、しかも、懲罰として東ベルリンの大病院から、片田舎の病院に左遷させられた。だから、彼女は朝早く病院に着いても、反抗的に始業時間まで仕事を始めない。  

懲罰はそれだけにとどまらず、秘密警察(ルビ:シュタージ)に絶えず見張られ、ときには問答無用の家宅捜索を受け、肛門までさぐられる屈辱的な身体検査を強いられる。  誰もが逃げ出したくなるような警察国家での生活が描かれるなか、興味深いのはバルバラが文学とかかわるシーンが二つ出てくることだ。この映画では文学作品が隠れた機能を果たしている。  

ある日、矯正施設から脱走したステラという少女が、人民警察に捕まり病院に連れて来られる。バルバラは母親のように優しくステラに接し、病院内で唯一彼女の信頼を得ることに。そうした親身な応対の一つが、ステラの枕もとで小説を読んで聞かせることだった。  

バルバラが病院の図書室で選んだ一冊は、マーク・トウェーンの『ハックルベリー・フィンの冒険』である。十九世紀アメリカを舞台にしたこの小説は、孤児のハックが黒人奴隷ジムの逃亡を手助けし、ミシシッピ川を筏で下る場面が有名だが、バルバラがステラに読んできかせるのも、この逃亡にかかわる場面だ。  

朗読シーンの中で、実際にバルバラの声が発せられるのは、次の二つのだ。

「彼ら(町の人々)は僕の死体を探すだろう」(第七章で、ハックが自分自身の逃亡を画策する)と、「森の中で、僕は本を読み、ジムに説明した」(第十四章で、逃亡したハックと黒人奴隷が一緒に過ごすところ)だ。  

なぜこの二つだったのだろうか。プランテーション経営の土台となる奴隷制を敷いたアメリカのミズーリ州と、ベルリンの壁崩壊以前の、秘密警察が目を光らせる監視社会の東ドイツ。時代と場所はまったく異なるが、抑圧的な体制から逃亡したいという願望は、共通している。ハックの手助けが、バルバラの最後に下す決断と遠くつながっていることも、作品を観た人にはわかるだろう。  

文学がかかわるもう一つのシーンは、バルバラが病院の上司アンドレに誘われ、彼の家を訪ねる場面。居間の書棚には小説がびっしり並んでおり、その中の一冊にバルバラが興味をしめす。  アンドレの説明によれば、『郡官医』というその小説は、老医と重体の結核患者の少女のあいだの「恋愛」を題材にしたものだという。少女は、老人とは知らずに自分の担当医を恋い慕い、自分の「恋愛」を成就する。が、やがて病にたおれる。  

恋する人と詩人と狂人は、みな空想の中に生きている――そう言ったのは、シェイクスピアだが、アンドレからこの小説を借りてくるバルバラの心境に引き寄せて考えてみると、空想の中で恋する幸せを得た少女のエピソードは、バルバラにも、空想に生きる「詩人」(周りの人には、「狂人」と映るかもしれないが)の心が宿っていることを我々に伝えるものではないだろうか。  言い換えれば、最終的に自分自身の逃亡よりステラのそれを優先するバルバラには、幸せの尺度は、人間の外部(社会的条件)ではなく、内部(心)にあるということがわかっているのだ。  

その証拠に、バルバラは、東ドイツにやってきて「西に行けば、僕の稼ぎで十分だ。きみは働かなくてもいい」と語る、西ドイツの恋人の言葉に結果的に従わなかった。それでは、何に心の充実を見いだしたのだろうか。  西ドイツへの逃亡を一途に夢見て、体制だけでなく病院の同僚に対しても固く心を閉ざしたバルバラは、ステラをはじめとする患者への治療を通して、「プロの医師とは何か」に目覚めてゆく。バルバラと同じく左遷の憂き目を味わったらしい上司アンドレの存在も見逃せない。たとえ非人道的な国であっても東ドイツに留まり、バルバラが「下衆」と吐き捨てる秘密警察の妻が相手でも「病人なら助ける」と言って、「プロの医師」としての模範をしめすからだ。  

映画はそうしたバルバラの内的変化のプロセスを、余計な説明をいっさい加えずに映像によって語らせる。たとえば、最初のバスのシーンから始まり、アンドレの車に同乗したり、ポンコツの自転車で通勤したり、電車に乗って恋人の調達してくれた逃亡資金を取りに行ったりと、バルバラの移動のシーンが数多く挟まれている。それらは逃亡をめぐって彼女の内部でわき起こる心の揺れ、彼女の内的な葛藤のメタファーになっているのだ。  

とりわけ、強風の吹きすさぶ中、自転車で森の中に逃亡資金を隠しに行ったり、回収しに行ったりするシーンは象徴的だ。バルバラは金を大きな岩の下に埋めるが、その岩の上には、大きな十字架がたっている。それは、人生の岐路に立ってどちらに行くべきか逡巡する彼女の内面のメタファーになっているだろうし、やがて果たされる彼女の犠牲的な行為とその精神をも暗示するものだろう。  

この映画は、西側に行けば幸せになれるといった通念に逆らって、国境(ルビ:ボーダー)の壁を越えない女性を扱う。だが、彼女の精神内部で起こった大きな「移動」を巧妙かつ緻密に描いているという意味で、優れた越境映画なのだ。

(『すばる』2013年1月号、に若干手を加えました)