越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ジョナサン・フランゼン『コレクションズ』(6)

2011年09月20日 | 小説
2 <後期資本主義>

 戦争とならんで、この小説が焦点を当てるのは、九〇年代後期資本主義(ハイパー消費主義)の行き過ぎた様相だ。

 ブライアン・キャラハンは、フィラデルフィアでこれまでにないクールなレストランを作ろうと、その主任シェフとしてデニースに白矢を立てる。

 ブライアンは、生来の勝ち組で「生まれたときから有力者たちの世界の内側にいる」男で、温厚な良識人として、「ゴールデン・レトリバーのように世間を渡ってきた」という。

 一方、デニースは、ブライアンの妻ロビンから「人間はなんのために生きるの?」という問いを突きつけられるまで、自分が生きているのは「人に(とりわけ男に)勝つためだ」ということを疑わなかった。

 年上の男たちを踏み台にして、もちろん本人の涙ぐましい努力の成果もあって、地方都市のセレブたちと肩を並べるまで登り詰める。

 出自の違う二人、ブライアンとデニースに共通するのは、ともに「成功」するためであれば、手段を選ばない生き方だ。

 あるいは、ニューヨーク市ソーホーやトライベカに暮らす新興成金(スーパーリッチ族)が行くグランド通りの高級スーパー「消費の悪夢(ナトメア・オブ・コンサンプション)」が登場する。

 消費することが「善」であり、「金がなければ人間とはいえない」とまで感じさせられるハイパー消費主義時代の象徴のような存在だ。

 (つづく)
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