越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

『世界政府(その2)』(第七回) 

2011年02月13日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

ダニエル・エスチューリン
 最後に、著者は8ページ半を自分の祖父の思い出に費やす。
 
 それは、最後に私が見た生きた祖父の姿だった。

 ごく当たり前の顔つきで、96歳で、ぼろぼろに古びたソファに腰をおろし、大げさな眼鏡をかけて、私の視線を射貫くように見据えていたが、私が誰なのかほとんど分からない様子だった。

 祖父は生きていた。

 彼の意識の深奥に書き込まれた活字を順序立てようと、人間とは思えないような努力をしていたからである。

 だが、活字たちは意味ある一貫した字列をなすことを拒んでいた。 
 
 長い寿命を刻んだ人生の最期の数ヶ月、それまで明晰に自己表現し、ユーモアと弁舌にたけていた祖父は、文字通り、言葉を失った。弱り目に祟り目というべきか、癌が彼から言葉を奪い、命を奪った。
 
 私は片手にスペインに戻る航空券を持って、祖父に別れを告げるために祖父の家に立ち寄った。

 最後の訪問では、お互いにほとんど何も言えなかった。

 適切な言葉が思いつかなった。

 祖父は息をつくことができなかった。

 おかげで、私にとっては、息つくことだけで一仕事だった。

 生きた祖父を見るのは、これが最後だと分かっていたからだ。

 「アディオス(さよなら)」は、あまりに単純すぎる、あまりにむごい言葉だった。
 
 リビングルームのテーブルの上には、私の祖父母の写真が壁に立てかけて飾ってあった。
 
 1983年にカナダにやってきた直後の撮られたものだ。

 私の祖母は、一年以上前に亡くなっていた。

 祖父はそのとき重病に陥り、40年以上も深く愛し合ってきた人を喪った悲しみから立ち直れなかった。
 
 絶対に泣き崩れまいと思い、私は自分自身に言い続ける。

 ここでの文章は残酷さやチャンスを犠牲にして、正直さを擁護することにしよう、と。

 主なテーマは、政治でも、全体主義への批判でもなく、むしろ、一人の人間の心臓の鼓動である。

 それゆえに、私は祖父に本書を捧げる。そうした理由でこそ、この本は読まれねばならない。

 祖父の臨終は、1995年4月18日とされている。

 詩人オーデンがアイルランドの詩人イェーツの亡くなった日について「彼は彼自身の礼賛者になった」と言ったように、祖父自身としては、それが最後の午後になったようだ。

 祖父は思い出になった。

 名前の深奥の中に消え去ったのだ。

 それが死というものの謎の一つである。

 死は、誰にとっても、少なくとも故人の近親者にとっては、微少な差異を有しているのだ。

 私たちと同様、人々は少なくとも二度死ぬ。身体的に、そして概念的に。

 心臓が鼓動するのをやめたときに、そして忘却が始まったときに。

 最も幸運な者、最も偉大な者は、後者の死がかなりの期間、おそらく無期限に引き延ばされる者である。

 (中略)この地球のあらゆる国々、思いつく隅っこから弔いの電話がかかってきた。

 それはいわば、私の祖父、すなわちKGB(旧ソ連国家保安委員会)のカウンタースパイ活動の元工作員が、その人生に影響を与えた人々に捧げた限りない賞賛に対する彼らからの感謝のしるしだった。

 私の祖父の祖父は、兵士の中の兵士だった。

 ロシア帝国を、アレキサンダー2世と3世を護るために25年間戦った。

 私の祖父も一家の軍事的伝統を守った。

 ロシア革命、内戦、二つの大戦に参加した。

 第二次大戦の最初の数週間、ミンスク[現在、ベラルーシ共和国の首都。第二次大戦では、ナチス・ドイツによる激しい空爆を受けた]の防衛に参加していたとき、十一人の兄弟姉妹、彼の父と母、104歳の祖母がクリミア半島のカラシー・バザールの収容所でナチスによって毒殺された。

 祖父は真に人生を生きた人だった。ただ単に生存だけに人生を限った訳ではなかった。
 
 私の祖父は、1930年に一度結婚したことがある。

 子供は三人もうけた。

 それから、戦争になり、ベラルーシで戦い、ブレスト防衛に尽くした。

 だが、ドイツ軍の進軍により、残りの赤軍の兵と共に撤退を余儀なくされた。

 ある地点で、混乱の中で、家族とはぐれてしまった。

 母と8歳、5歳、3歳の三人の子供は、赤軍やナチスの兵隊のようには、すばやく移動できなかった。

 強制収容所に送られて、毒殺されたのだ。
 
 この本で証明し、ビルダーバーグ倶楽部をめぐる最初の本でも大々的に暴露したように、第二次大戦は、ロックフェラー家、ローブ家、ウォーバーグ家)によって抜け目なく資金提供を受けたのである。
 
 ビルダーバーグ倶楽部の創設メンバーの一人であるベルンハルト[オランダ王国]王子も関わり合いがあった。

 彼はナチだった。

 英国の王家の大半は、ナチスに共感を抱いていた。

 アメリカ合衆国の東海岸の「リベラル」派の連中の大半も同様だった。

 その国の経済的、政治的、社会的生活を支配する大富豪のネットワークである。

 獣としてのヒットラーは、こんにち、ビルダーバーグ倶楽部の会合に密かに参加する人々、外交問題評議会)や三極委員会によって生み出されたのである。

 これらの人々にとって、歴史とは何も書かれていないチョークボードであり、そこで他者の苦痛に向かって排便するのである。

 ビルダーバーグ倶楽部とその仲間に対してこれほどの軽蔑を投げかけたことで、私は責めを負わねばならないだろうか。

 私の場合、祖父が礎(いしずえ)になってくれている。

 死後もずっと、旅の道連れである。存在していると同時に不在でもある。

 時間と空間、いたるところで挫折した世界の罠、私たちが歴史と呼ぶゴミの山、それらもまた祖父の成功を意味していた。それらは祖父の成功の証だった。時と同じように、それらは、彼を消す魔法を含んでいた。

 私は、とりわけ彼の誕生日が近づいてきたときに、祖父を思い出す。

 だが、私にとって、今年は違う。

 年齢は生命の積み重ねであり、喪失の積み重ねである。

 大人になるというのは、線という線をことごとく打ち消されることに他ならない。

 私は敷居を跨いだ。いまからは、一人ぼっちなのだ・・・。


 
 このコラムの第二部では、この本の最後の部分をたくさん引用した。それらがビルダーバーグ倶楽部という忌まわしい組織への著者の軽蔑を物語っているからだ。

 アメリカ合衆国の青年子女たちの知性や感情がそんな風に台無しにされるのは、考えるだけで耐えられない。

 こんにち、私たちは核兵器によるホロコーストに突入するのを避けるべく戦わねばならない。

 心身共にできる限り健康を保持するために、また人類がそうしたひどい運命から解放される方法を考えだすために、戦わなければならない。
2010年8月18日 午後5時54分
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「世界政府(その2)」(第六回)

2011年02月09日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

イベリア航空
 
 一方、イベリア半島では、スペインの主要航空会社が乗客に関する個人情報をアメリカ合衆国政府に流したとして告発された。(中略)
 
 「合衆国は各航空会社に旅行者に関する詳細な情報を手渡すように義務づけている」と、ロイターのアンディ・サリヴァンは、2004年3月17日に報じた。

 同様に、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ノースウェスト航空に、似たようなデータマイニングの研究のために何百万人もの乗客の個人情報――氏名、住所、旅程、クレジットカードの番号などを要求し、受け取ったという。

(中略)こうした出来事で、数十の訴訟が引き起こされた。

 これは、航空会社自身の契約条項の違反でもある。
 
 「ノースウェスト航空はNASAに何百万人の乗客の個人情報を渡した。

 この譲与は、プライバシーに関する契約条項を侵害している」と、2004年1月18日、エレクトロニック・プライバシー情報センターが声明を発表した。

 「ノースウェスト航空、乗客情報を政府に渡す」と、『USA トゥディ』紙(2004年1月19日付け)で、ジョン・シュワルツが報じた。
 
 エスチューリンは、次のような小見出しを掲げている。

誰にも公開中の個人情報

 「欧州委員会委員[ホアキン・] アルムニア、スペイン大統領の[ジョセップ・]ボレル・ジェスフォンテ」、欧州委員会委員長でビルダーバーグ倶楽部の常連のジョゼ・マヌエル・バローゾ[ポルトガル元首相]は、欧州憲法に明記されている基本的権利の承認のために、大々的なキャンペーンを張った。

(中略)ボレル、アルムニア、バゾーゾらが誰一人として、よき欧州市民に向かって言わなかったことは、第五十一項が、市民の権利は、欧州連合の利益がそれを必要とするならば、どれも停止することができるということだった。

 しかしながら、欧州委員会による欧州市民への裏切りに関する恥ずべきすっぱ抜きに関して、もっと言うべきことがある。

 それは電気通信の支配である。

 すなわち、治安部門によるデータ保有や監視を欧州議会が支持したことだ。
 
 2002年5月30日の、データの保有に関する投票(前欧州立法府において、PPE(欧州人民党) とPSE(欧州議会社会主義グループ)の票は、合計626票のうち、526の欧州代議員の票を集めた)
 
 「国境なき国家監視・報道」は、何億人もの欧州市民に影響を与える票決に至った経緯について報道した唯一の組織である。
 
 基本的に、国家法および国際法の問題に関する社会主義者たちの大言壮語や抵抗は、お笑い草である。

 欧州議会におけるPPEとPSEの共闘は、彼らが人々の命を守ったり、プライバシーや個人の自由といった「市民の人権」を守ったりするのではなく、欧州連合の政府の要求を支持するということを示している。
 
 ハビエール・ソラナ・マダリアガ[マドリード出身の政治家]は、ビルダーバーグ倶楽部の重要なメンバーで、北大西洋条約機構の事務総長、欧州連合理事会の事務総長、欧州連合の共通外交・安全保障政策上級代表であるが、国際ジャーナリスト連合が、「夏のクーデター」とだけ称した決定事項に関与した。

 読者諸賢よ、忘れないでほしい。

 ハビエール・ソラナのような人物は、あなた方の利益もスペインの利益も守ることなどしないということを」
 
 その後、著者のエスチューリンは16ページにわたって、すべてを詳述する。
 
 彼の本は「私の終わり」と小見出しのついた部分を含んでいる。
 
 創造的な記憶とは、歴史家たちの最もやっかいな敵である。

 忘却の口実が、私たちが公に記録しようと決心するすべての事柄を統御し、ゆがめる。

 存在と世界は、審美的現象としてのみ、それ自体を正当化するように見える。

 審美的現象のみというのは、「人生のための人生」ではなく、存在と世界にまつわる倫理的な解釈との鋭い対比を意味する。

 アモス・オズは、おそらく最も有名なイスラエルの作家であるが、こうした考察を行なっている。

 「そこは戦争が平和と呼ばれる場所。そこは抑圧と迫害が安全保障と呼ばれ、殺人が自由と呼ばれ、言語の汚染が生命と威厳の汚染に先立ち、それを準備する場所。結局、国家、体制、階級、思想は無傷でも、人の命が破壊される」

 もし民主主義が人民の政府の本質であるならば、政府やあくどい圧力団体の密かな目的は民主主義とは相容れない。

 人類に敵対する秘密キャンペーン繰り広げる政府内の密かな影響勢力は、自由という概念とかけ離れたものである。

 遠くない過去の致命的な過ちを繰り返したいと思わない限り、断固たる決意を持ってそれと戦わねばならない。

 分断された社会においてはとりわけ、私たちが共有し、分かち合っているものを劇的かつ直截なやり方で際立たせるいくつかの要素がある。

 人間としての威厳や自由への真の人間としての尊厳や自由への真の希求は、世界中のどこでも直ちに理解され、わざわざ翻訳する必要もない、普遍的で最も価値のあるものである。

 それは支持するだけの価値がある。
 
 最後に、もし全体主義的社会の傲慢で無思考の悪弊によって、ときに人々があなたを軽蔑したり、「反対者」というラベルを貼ったりするとすれば、あなたはそれを名誉ある称号と見なさねばならない。
 
 グレアム・グリーン [英国の小説家] が「作家はいつ何時でも敵味方の立場を変える心の準備ができていないといけない。作家の使命は、犠牲者の側を弁護することであり、犠牲者は変わるものだから」と述べたことばあるが、的を射た表現と言える。
 
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「世界政府(その2)」(第五回)

2011年02月08日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第4章のエピローグ

 「ビルダーバーグ倶楽部のメンバーによって準備された1973年の「実験」は、石油が支配のための武器として使用されるということを明確に証明した。

 1973年に起こった出来事は、アメリカの国民への警告になり、いかに外国の政府や多国籍企業が自分たちの国に影響を及ぼすかを知らしめた」と、デイヴィッド・A・リヴェラは、その著書『最後の警告――新しい政界秩序の歴史』の中で述べている。

第5章 マトリックス――データベースと完全情報認知プログラム(TIA)

 一般的に言って、聞き手がいなければ、同意にこぎつけるのはずっと簡単である。

 機密性の問題ではなく、もっと効果的に行動できるかどうかの問題である」
 
 これは、欧州委員会委員でビルダーバーグ倶楽部のメンバー、ニール・キノック[英国労働党元党首]の言葉だ。
 
 ペンタゴンの完全情報認知プログラム(TIA)は、暗号化された語句に基づくシステムであり、それは合衆国の憲法によって守られている、個人の自由の漸進的な崩壊を意味している。

 この巨大な諜報システムの詳細は謎のままだ。

 2001年9月11日の攻撃の直後から、TIAは監視ネットワークとなり、それは「アメリカ合衆国やヨーロッパで見られることになる、ある大きな傾向を象徴していた。すなわち、監視社会への確固たる流れである」

 全面的な情報ネットワークの中心となるのは、データ発掘としては新しく途方もない手法である。

 それは、データベースに基づき、隠蔽された怪しい情報を自動的に検出することを可能にする方法に他ならない。

 アクリント社は、一秒に何十億もの項目を処理するとてつもない能力を発揮しながら、世界中のアクセス可能なデータの巨大な項目を集積した。

 アクリント社は、最近の住所変更から、30年以上もさかのぼって旧住所まで、200億以上の項目を検索する。

 (中略)さらなる情報を求められて、アクリント社の重役はデータ資料の性質に関する詳細を開示することを拒んだ。

 アメリカ自由人権協会におけるプライバシーの問題に関する法定相談役、クリストファー・カラブリーズによれば、「コンピュータ・マトリックスがすべてのアメリカ人を容疑者に変えてしまう」という。

  AP通信社は、フロリダ州知事ジェブ・ブッシュが、2003年1月に、ディック・チェイニー副大統領や、新しく創設された国土安全保障省のトム・リッジや、FBI(連邦捜査局)ロバート・ミューラー長官に、「テロリスト」を捕まえるために、いかに安全保障を担う部局がコンピュータプログラムを使うかについての秘密計画を通告したことをすっぱ抜いた。
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『世界政府(その2)』(第四回)

2011年02月07日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

 もう一度、ある暴力事件が事態の流れを変えた。

 ナイロビとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件 (オサマ・ビン・ラディンの命令によると見なされているが、フランスの情報筋によれば、イスラエルの情報機関モッサドの仕業だという) に対応して、ビル・クリントン大統領は、1998年8月20日、アフガニスタンとスーダンの空っぽのテントに向かって巡航ミサイルを撃ち込んだ。

 それによって、クリントン政権はタリバーンと外交関係を断ち切り、国連の経済制裁が始まった。

 クリントンの残りの在位中には、合衆国と国連によるアフガニスタンへの公的な承認はあり得なかった。パイプラインの進展もなかった。
 
 その後、ジョージ・ウォーカー・ブッシュがホワイトハウス入りを果たした。

 クリントン政権の最後の数ヶ月に、タリバーンは公的にテロリスト集団と化した。

 ほとんど10年にもおよんで、合衆国のサポートを受けたユノカル・セントガス・コンソーシアムと、アルゼンチンのブリダス社とのあいだで激しい競争が繰り広げられたが、その後は、どちらもアフガニスタンに石油パイプラインを建設する協定を結べなかった。
 
(中略)ジョージ・W・ブッシュがタリバーンとの関係を再構築した。

 1998年と2000年に父親のジョージ・H・W・ブッシュ大統領がカーライル・グループ [米国国防省と契約している11番目に大きい会社] のためにサウジアラビアに飛び、そこで、『ウォールストリート・ジャーナル』(2001年9月27日付け)によれば、サウジの王室の家族やオサマ・ビン・ラディンの家族と個人的な会合を持ったという。

 9・11以前の出来事の中で最もシュールリアリスティックでカフカ風のエピソードの中で、『ワシントン・ポスト』紙は、アフガンのムジャーヒディーン(アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒドの複数形。イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す)の形成に手を貸したCIA(中央情報局)工作員、ミルト・バーデンの言葉を引いている。

 彼は合衆国がタリバーンを理解するだけの時間を割かなかった事実を嘆いて、こう語ったという。

 「われわれは彼らが伝えようとしている言葉を決して聞かなかった。(中略)両者には共通の言語がなかった。われわれの言葉は「ビン・ラデンを諦めろ」だったし、タリバの言葉は「ビン・ラデンを諦める手助けを何かしてくれ」だった。

 だが、実際、交わされた言葉はもっとあったはずだ。
 
 事実、ブッシュ政権とアルカイダの「テロリスト」や指導者オサマ・ビン・ラディンの関係は、これ以上はないほど良好だった。

 アフガニスタン紛争――多国籍企業の強欲さが大石油会社(BP、シェル、エクソン、モービル、シェヴロンなど)の強欲さや残忍さと混ざり合った――の証拠は確固たるものだ。

 テロリスト集団の支配下ある、神の手が見捨てたような世界の隅っこが、ブッシュ政権、ブリダス社、ユノカル社、CIA(中央情報局)、タリバーン、エンロン社 [テキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスの企業]、サウジアラビア、パキスタン、イラン、ロシア、インドなどの利害がすべて集中した一角に変わる、そう考えるだけでとても衝撃的だ。
 
 「ホワイトハウスのカウボーイ」の小見出しのついた箇所で、エスチューリンはこう述べている。

 ブッシュは中央アジアと太いパイプのあるエネルギー企業から閣僚を選んだ。ハリバートン社 [ヒューストンに本拠を置く多国籍企業。湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得た] のディック・チェイニー [91年1月の湾岸戦争をシュワルツコフ、パウエルらと主導。ハリバートン社の最大の個人株主]、ユノカル社のリチャード・アーミテージ(元国務副長官)、シェヴロン社の*コンドリーザ・ライス[元国務長官]などだ。

ブッシュは、この中央アジアの地域で獲得した権利を持つエンロン社のような企業の気前のよさのおかげで、権力の座につけた。
 
中東や中央アジアの石油政治へのブッシュ・ファミリーの関与や、サウジアラビアの王家やビン・ラデンの家族との深いつながりは、何世代にもわたって続いてきている。
 

どのようにビルダーバーグ倶楽部は、石油を国際化するという目的で、ヨム・キッパー戦争[1973 年10月のイスラエルの祝日「ヨム・キッパーの日」に始まった第4次中東戦争]を作りだしたのか
 
 (中略)ビルダーバーグ倶楽部のメンバーは、無計画ではない。

  5カ年計画で動いたりしない。

 もっと長期の計画を練っている。

  70年代の初め、プランBを用意した。
 
  あるメカニズムを作りだすことで、アメリカ合衆国とその他の11の主要産業国を石油をシェアしようという計画である。

  アレンは、次のようにそれを要約した。

 「さらに中東の石油輸出禁止があれば、アメリカ史上初めて、合衆国国内で産出される石油がシェアされ、割り当てられることになる」
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『世界政府(その2)』(第三回)

2011年02月06日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第4章 ビルダーバーグ倶楽部とアフガニスタンにおける秘密戦争

 戦争が行なわれる理由は、学校で教わる教科書に書かれている通り、イデオロギーに根ざしている。

第一次世界大戦や20世紀のあらゆる紛争に見られるように、国家は虚偽(うそ)をの口実を根拠にして、恐ろしく長期間、戦争にかかわる。

 著名な歴史学者エドマンド・モーガンは次のように書く。

 「歴史は決して繰り返さない。細部を知らない者にとって、そうは見えないかもしれないが・・・」。

 カスピ海の海盆や中央アジアは、21世紀のエネルギーにとって重要な場所だ。

石油資源の3分の2は、この地域にある。

「アメリカ合衆国は、この地域を自国の完全な支配下に置きたがっている」と、ジェイムズ・ドナンは、商業雑誌『石油とガス・ジャーナル』(2001年10月9日号)の記事で述べている。

 『タイム』誌(1998年5月号)によれば、マデレーン・オルブライト[当時、クリントン政権の国務長官で、コソヴォ戦争に関与した]は、その地域の未来を決するために働くことは、私たちにできる最もわくわくすることの一つだ、と結論づけている。

 湾岸戦争によって、ペンタゴン(米国防総省)はサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)やその他の国々に、数多くの軍事基地を作ることができた。

 ミシェル・チョスドスキー教授 [『アメリカの謀略戦争―9-11の真相とイラク戦争』ほかの著作があるオタワ大学の経済学者]がドキュメンタリー映画『戦争とグローバリゼーション』の中で述べているように、 1999年にNATOによって結成されたGUUAM同盟(グルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、モルドバ)は、カスピ海の石油やガスの豊かな埋蔵地の中心に位置する。

 GUUAMの欠くべからざる構成員はグルジア――アメリカ合衆国の顧客――だが、ミヘイル・サカシュヴィリ[2003年の無血革命で指導者的役割を果たした元グルジア大統領]が、アメリカ人によってお膳立てされ、市民による自然発生的な反乱として偽装されたクーデターによって、前ソ連外相のエドゥアルド・シェワルナゼ[元グルジア大統領]に取って代わって大統領になった。

 「地下計画(アンダーグラウンド・プロジェクト)」[世界の石油会社による破壊活動に反対する米国の草の根のネットワーク]によれば、「主にジョージ(H.W.)ブッシュ政権にかかわった冷戦時代の重要人物たち」と共に、旧ソ連のKGBや政治局(ポリトブロ)のメンバーたちも、石油の富を食い物にしている。

レーガン、ブッシュ、クリントンのアドバイザーだった者たち、たとえばジェイムズ・ベイカー[父親ブッシュ政権の国務長官]とか、デック・チェイニー[副大統領]とか、ジョン・H・サヌヌ[ホワイトハウス前首席補佐官]などだ。

 ピーター・サザーランド[BP社]やエリザベス女王2世[BPの大株主で、「300人委員会」の会長]は、石油資源や、カスピ海から通じる石油パイプラインを支配しようと戦っている。

 1998年、スコットランドでのビルダーバーグ倶楽部の秘密会議の後、私は独立メディアに記事を寄せた。

「それを創設したビルダーバーグ倶楽部の命令に従って、北大西洋条約機構はチチェン共和国爆撃のための白紙委任状をロシアに渡した。

互いの憎悪の起源が300年以上もさかのぼるこの二国間の対立を増長させることになるからである」と。

  アフガニスタンの石油パイプラインは、ただのビジネスではない。もっと大きな地政学的な計画の重要な一部なのだ。

すなわち、ユーラシア大陸(中東と旧ソ連の中央アジア)の軍事的、経済的支配を目指しているのだ。

 ジョージ・モンビットは、『ガーディアン』紙(2001年10月23日付け)で、断言している。

 「だが、石油やガスはそこにある限り価値はない。政治的かつ経済的な意味を持つ唯一の輸送ルートは、アフガニスタンを通るルートである・・・」と。

  ソ連邦の崩壊以降、アルゼンチンのブリダス石油会社は、野心的な*カルロス・ブルゲローニ社長[1993年ブリダス石油会社社長就任]の指揮のもと、トルクメニスタンの石油資源を開発する最初の会社になったが、世界で最大の天然ガスがそこで発見されることになるのである。

 (中略)アフガニスタンは中央アジア北部や中央アジア西部から、トルクメニスタンやウズベキスタンのガス資源を湾岸へ輸送する最短ルートである。

  ブリダス社の驚いたことに、ユノカル(UNOCAL)[1898年創設のアメリカの石油会社]は、地域の指導者のもとに直接、提案を持っていった。

ユノカルは、合衆国政府の指導のもと、経済支援を受けてコンソーシアムを形成していた。

その中には、サウジアラビアのデルタ石油が含まれ、サウジのアブダラー王子やファード王も関与していた・・・。

  アハメド ラシッド[パキスタン人ジャーナリスト]によれば、「ユノカル社のタリバーンに対する本当の影響力は、彼らの計画によって、合衆国政府がタリバーンを承認できるかどうかにかかっており、それこそタリバーンが何としても確保したいものだった」

 (中略)1996年春、ユノカルの幹部たちは、北部同盟の北部総司令官アブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍[2001年12月のダシト・レイリ砂漠の大虐殺の責任者。何百人ものタリバーンの囚人が、アメリカ兵と北部同盟兵によって、アフガニスタンのクンドゥズ刑務所へ輸送用コンテナーで運ばれる途中、窒息死させられた]のもとへ飛んだが、北部同盟の支配する領土のどこに石油パイプラインを通すかを議論するためだった。

 アハメド・ラシッドの記述によれば、ユノカル社とブリダス社の競合は「サウジの王室の内部対立を反映していた」。1997年、タリバーンの上層部は、二度にわたってワシントンDCとブエノスアイレスに飛んで、ユノカル社やブリダス社の人たちと食事をしている。
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『世界政府(その2)』(第二回)

2011年02月05日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

トラヴィスの亡霊

 1999年11月の第一週に、私は、地中海沿岸のローマ市ラツィオの近くの小村ラディスポリから投函された絵はがき(と、当初思えたもの)を受け取った。

 1980年3月30日は、私たちが公式にソ連を離れた日である。

 イタリア滞在中に、私たちはラディスポリに落ち着いた。

 その小さな村が、翌年、私たちの故郷になったのだった。
 
 私は街に出た。

 小雨が降っていた。

 幼児が二人楽しそうに水たまりを跳ねまわっていて、歩道に足跡を残していた。

 私は嵐雲を見あげながら、おしゃれな道路を渡って、家の近くにあるパブのドアを開けた。

 1999年11月29日のことである。

 あれは何を意味するのだろうか? 

 私はあの言葉を再び思い出した。「私は大丈夫。君がここにいると嬉しいんだが」。

 その下にファショダという署名。いったいこの男は何者なのか?
 
 「ファショダというのは人の名前じゃなく、場所の名前だ!」 

 私は心臓の鼓動が高まるのを感じた。

 1999年11月29日。(中略)ふと私は椅子に座ったまま背筋を伸ばした。

 「ファショダ。トラヴィス・リードだ!!!」
 
 トラヴィスというのは、1996年にキングズ・シティで開催されたビルダーバーグ倶楽部の会議で私が出会った犯罪人だった。

 ケチで素人ぽく、嫌われ者の盗人だった。(中略)

 トラヴィスは、逮捕されやすいタイプだったが、ほとんど同じスピードで、簡単に釈放されるのだった。

 後で分かったことだが、トラヴィス・リードは、犯罪者たちと働くために犯罪者になったらしい。

 彼はアメリカのCIA(中央情報局)やカナダのRCMP(王立カナダ騎馬警察)の両方に仕えていた工作員によってスーダンに送られた。(中略)

 このスーダンへの旅の詳細は明らかになっていないが、1989年のときと同様、この荒廃した土地は最も適切な理由によって、最も非適切なあらゆる犯罪者たちを惹きつけたのだった。

 「もしトラヴィスが私に会いたがっているならば、きっととんでもない事態になのだろう」と、私は独り言をいった。

 私は正直に認めなければならないが、事態が悪化した場合、私がつねに頼りにするのは昔のソ連の士官たちだった。

 何か内的な動機によって、彼らは西側に不信を抱いており、簡単に身売りしたりしない。

 それは、主要な新聞やマスコミ報道が人々に信じたがらせていることとは、まったく逆のことだ。
 
 彼らは、あなたが裏切りたくない階級の人々だ。

 私は、彼らと一緒だと自分が安全だと知っていた。

 私の祖父は1950年代初めにこうしたKGB(ソ連国家保安委員会)工作員の父親たちを救うために、身の危険を冒したことがあった。

 11月27日の深夜、私の携帯電話が鳴った。

 トラヴィスだった。

 いま、ローマの郊外のアジトにいるとのことだった。
 
 ――ピッツァ・デラ・レプブリカに午後5時半――そこで私は口を挟んだ。
 
 ――俺がルールを決める――トラヴィスが叫んだ。
 
 ――情報が欲しくないのか、ええ?――トラヴィスが訊いた。
 
 ――殺されるほどは、いらない――私は冷静に答えた。
 
 トラヴィスは会いにこなかった。

 午後8時半に私たちは銃を片手に、彼の家――もしそう呼んでもかまわなければの話だが――を急襲した。

 ワンルームのアジトは、完璧に散らかっていた。
 
 だが、争った跡はなく、トラヴィス・リードの血痕も死体もなかった。

 それ以来、私の知る限り、彼の消息は分からない。
 
 ときどき、トラヴィスの亡霊が私の脳裏の奥深くに出没する。

 それは、脆弱で過ちを犯しやすい人間精神をめぐる病的な思い出である。
 
 そうエスチューリンは第3章を締めくくる。
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カストロ「世界政府(その2)」(第一回)

2011年02月01日 | 翻訳
(訳注:ひきつづき、エスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

 ドラッグ・トラフィッキング(麻薬取引)のABC

アヘンは、世界各地で栽培されている。

南米、ラオス・ミャンマー・タイの「黄金の三角地帯」、そして「黄金の三日月」として知られているアフガニスタン・パキスタン・中央アジアなどで。

 アヘンのもとになる芥子(けし)の大半は、南アジアから、パキスタンやラオスを経由して、トルコまで伸びる約六千キロの狭い山岳地帯で栽培されている。

 ビルダーバーグ倶楽部はこの高地で直接ドラッグを運んだり、ドラッグからあがる収益をマネーローンダリングしたりすることはない。CIA(中央情報局)がそれにかかわっている・・・。

 ニール・クラークが次のように述べている。

 「ジョージ・ソロス [ハンガリー生まれの著名な投機家。2004年ブッシュの再選に反対する陣営に寄付行為をおこなう]は、怒っている。

 ブッシュの目的――パックス・アメリカーナを拡大し、世界を彼のような資本家にとって安全な場所にするという――に対してではなく、その目的を達成するためにブッシュが使っている杜撰(ずさん)で、見え透いたやり方に対して、である」

 バルカン半島のために提案されたマーシャル計画は、一種の幻想である。

 (中略)それは世界銀行と欧州復興開発銀行[ベルリンの壁崩壊以降、中東欧諸国における民主主義、市場経済への移行を支援する]、さらに個人投機家から資金提供を受け、主として鉱業、石油業、建築業を儲けさせるものである。

 それによって、ゆうに来世紀まで対外債務が膨張しつづけることになるだろう。
 
NATO(北大西洋条約機構)の軍事介入
 
 南ヨーロッパや地中海におけるNATO軍の強化は、バルカン半島を越えて、カスピ海や中央アジア、西アジアへと伸びるビルダーバーグの地政学的な影響力拡大の第一歩である。
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「世界政府(その1)」第九回目

2011年01月26日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

麻薬取引における合衆国の関与の歴史

 歴史書が長年私たちに教えてきたことに反し、破滅的な麻薬取引だけが、犯罪階層の独占領域ではない。

 少なくとも、犯罪階層が、合衆国の歴史において、「東海岸のリベラル」として知られている最も重要な家族を指すかぎりにおいては。

 その家族のメンバーが、ビルダーバーグ倶楽部として知られる疑似政府を通して、少数の政治支配によって合衆国を仕切っている。

コソヴォとヘロイン
 
 1999年3月24日付けのロンドンの『タイムズ』紙に載った記事で、ロジャー・ボイヤーとエスク・ライトの二人のジャーナリストは断言している。 

 「アルバニア[バルカン半島南西部の共和国(コソヴォ人に金を渡すのに重要な役割を果たしている)は、ヨーロッパの麻薬取引の中心である・・・。
 
 アルバニアは、ヨーロッパの犯罪の都と化した。この国で最も有力なグループは、組織犯罪者であり、非合法のドラッグの大半を西ヨーロッパ向けに栽培し加工し貯蔵するために、アルバニアを使っている」


 私は明日もこの続きを書くことにする。
(2010年8月17日午後6時20分)






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「世界政府(その1)」第八回目

2011年01月20日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

「口実をさがして ウィリアム・ウォーカー登場」

 ジョン・ラフランドは、「クーデターのテクニック」という記事の中で説明する。
 
 「米外交問題評議会のメンバーであり、エル・サルバドル(その政府は合衆国のサポートを受けていた)駐在の前米大使であるウィリアム・ウォーカーこそ、死の部隊を作ったのである」

 1985年、ウォーカーは中米担当の国務次官補で、ニカラグア政府の転覆をはかったレーガン政権のキーパーソンだった。

 オリヴァー・ノース中佐は、1986年11月25日に国家安全保障委員会のメンバーに任命され、86年11月25日に除名されたが、レーガン政権の高官として、イランへの武器売却の利益を用いたニカラグラの反政府組織(コントラ)への秘密援助にかかわった。

 公式記録によれば、ウォーカーはエル・サルバドルのイロパンゴの空軍基地での偽りの人道的作戦を立てた。

 それは、ニカラグラを攻撃しようとしているコントラの傭兵に武器やコカイン、弾薬、食糧を密かに提供するものだった。
 
 ウォーカーは、ニカラグラでコントラに武器を手渡していたのに、こんどは平和主義者に変身して、世界のマスコミに向かって、自分はセルビアの警察による「これ以上ないほどおぞましい虐殺」を見たのであり、セルビアの警察は非難されるべきだ、と大げさに述べた。

 セルビアは、そのときまで、北大西洋条約機構とビルダーバーグの挑発を巧みにかわしていたが、ついに屈服した。「大虐殺」と申し立てられた事件が介入の口実となった。

 1月30日に、北大西洋条約機構理事会は、爆撃を承認した。

 ビルダーバーグは事務総長ハビエル・ソラナに、「セルビアの代表とアルバニア民族の代表とをフランスでの「和平」交渉の座につかせ、コソヴォの「自治」の枠組みについて話し合うために、軍隊を使うこと」を命じた。

 8月4日付け『ワシントン・ポスト』紙の記事は、たった一つのことが政策の転換を促すことがある、と述べた合衆国国防省の上級士官の言葉を引いている。

 「私が思うに、もしあるレベルの耐え難い残虐行為にまで手が届くことになったら、それが起爆装置になるだろう」

 有益な歴史的な参照点として、セルビア人が最悪の民族浄化の犠牲者であったことを思い起こすべきだろう。

 1995年、合衆国による援護を受けた*『嵐(ストーム)作戦』[ボスニア・ヘルツェゴビナ軍と共に、クロアチア軍によって展開された]の最中、20万人以上のセルビア人がクロアチアのクラジナ地方で抹殺されたり、北大西洋条約機構による爆撃後、10万人以上のセルビア人が「コソヴォ解放軍」によってコソヴォで抹殺されたりした。
 
 言うまでもなく、新世界秩序におけ正義の機関である国際裁判所が、そうした残虐行為の張本人たちを裁判にかけることなど、一切ない。

 「彼らは知っていたに違いない。

 他に、どうして英国王室をわざわざ誘いだして、儲かるアヘン貿易以外に何の価値もないその地域で軍隊を維持させることなどあるだろうか。
 
 そんなに遠い国で軍人たちを維持するのは、高くついた。
 
 きっと女王陛下は、なぜ軍隊がそこにいるのか、と尋ねたに違いない」
 
 そう疑問を投げかけるのは、『三〇〇人委員会――陰謀者たちの権力構造』の著者、ジョン・コールマン博士だ。


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「世界政府(その1)」第七回目

2011年01月19日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第3章 どうして、そしてなぜビルダーバーグ倶楽部はコソヴォの戦争を作り上げたのか?

 こんどは、バルカン半島の番だ。

 マスター・プランは、カナダのトロント市から二十キロ離れた小さな豪華リゾート、キングシティで開かれたビルダーバーグ倶楽部の1996年の会合の最中に作られた。

 (中略)ビルダーバーグ倶楽部のメンバーによるコソヴォとバルカン半島での戦争には、具体的な目的があった。

 すなわち、ドラッグ、石油、鉱物資源、『世界(グローバル)政府』という大義の提示だ。
 
 旧ソ連の共産主義が崩壊してから、ユーゴスラビア連邦共和国が西側勢力圏に統合されることを拒むと、合衆国とドイツはユーゴスラビアの分離独立派を支持し始めた。

 オーストラリアの著名なジャーナリスト、ジョン・ピルガーは『ニュー・ステイツマン』誌に、こう書いている。

 「ミロシェヴィッチ[元ユーゴスラビア大統領]は、無責任な男だった。

 彼は銀行家でもあり、国際通貨基金や世界銀行や欧州連合の要求に沿って「経済改革」を実行しようとしていたので、西側の同盟者と見なされていた。

 不幸なことに、彼は主権を譲渡することを拒んだ。アメリカ帝国もそれぐらいは予想していた」
 
 中東やバルカン事情に詳しいジャーナリスト、ニール・クラークの書いた記事によれば、「そのとき、ユーゴスラビアの70万以上の会社が公有のままであり、その大半はいまだに所長と労働者との共同委員会によって運営されていて、私企業の資本は五パーセントにすぎなかった」

 サラ・フランダース[「国際行動センター」の共同議長]は、国際的な平和運動を行なう「労働者世界党」に所属している活動家でありジャーナリストだが、このように書いている。

 「国際通貨基金と世界銀行の貸与条件によれば、すべての公的企業の解体が必須だった。

 コーカサスとカスピ海の石油や天然ガスがそれにあたり、シベリアのダイアモンド鉱山も同様だった。

 そこで支配的な権益を獲得することは、コソヴォで始まったばかりの武闘闘争で勝利することを意味する。

 この土地を北大西洋条約機構が統治することで、合衆国の企業はそこの自然資源を所有する上で優位な位置に立つことになるだろう』
 
 当初、ビルダーバーグのメンバーは、セルビア人が匿(かくま)っている戦争犯罪人を追いかけ、新しい国際裁判所で裁判にかけることで、セルビア人の「怒りに火を」つけようとした。

 一方、セルビア人は誇り高く百戦錬磨で、最下級の容疑者を説得して自首させ、こうした挑発には乗らなかった。

 しかし、それだけでは十分でなかった。

 合衆国に牛耳られているハーグの国際裁判所は、セルビア人を激怒させ、戦争を誘発するために非合法的な誘拐という手に出た。
 
 これによって、同様に、なぜリチャード・ホルブルック(1999年から2001年まで米国の国連大使を勤め、ビルダーバーグと米外交問題評議会のメンバーで、六度ノーベル平和賞の候補に挙がった)が、コソヴォをめぐる最終協定にある条項をさし挟んだか、説明がつくだろう。

 コソヴォはボスニアとどんな関係があるのか? 

 何もない。

 だが、ホルブルックの考えは、ビルダーバーグ倶楽部によるバルカン半島への領土拡大を見据えて、ボスニアを実験場とすることだった。


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「世界政府(その1)」第六回目

2011年01月18日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

 アン・カプランはこう言う。

「MTVは、心理操作の方法論をめぐって絶えず増大する知識により構想された」

 テレビの平均視聴時間は、テレビが出現して以来、絶えず上昇した。

 1970年代半ばまでには、それが毎日の行事になり、睡眠と労働をのぞくほとんどすべての時間、一日につきほぼ6時間が費やされるようになった。

 それ以来、ビデオデッキの出現と共に、視聴時間はうなぎ昇りである。就学児童がテレビの視聴に費やしている時間は、睡眠時間とほぼ同じである。

 エメリーはこう述べる。

 「フロイト心理学の洗脳用語によれば、ミュージック・ビデオの視聴者は睡眠状態に似た誘発された状態に置かれているという。

 視聴者は、みずからの目を圧倒する鮮やかな色彩やイメージの繰り返しに助けられて、あるいは誘導されてそうした状態に置かれる。

 一方、ロックンロールの脈打つ激しいリズムが耳に対して似たような効果をもたらす」

 私たちはテレビの時代に生きているだけでなく、テレビによって条件付けられる時代に生きている。

 しかも、テレビが神のごとく偏在する環境では当たり前のことであるように、それはどこにも向けようのない、あるいは一度にそこら中に向けられる不平不満やフラストレーションの蓄積した時代である。

 邪悪な集団ビルダーバーグのロビイストによる密かな感性と意識の領域、規律化された習慣の知的操作は、自ら以外にはなんら説明責任がなく、際限ない世界政府を導入するために徹底的に操作された最新のキャンペーンである。

 (中略)主たるヒット曲は、誰に対しても応じる必要のない、絶対的な権力を求める一握りの人たちの原理主義的な熱狂のために、混乱した国民に意図的に売られる。

 ビルダーバーグ+外交問題評議会+タヴィストック研究所や、それらに属して新たなローマ帝国を建国しようと決心した科学者や心理学者、社会学者、ニューサイエンス(ニューエイジ、神秘主義など)の学者、文化人類学者、ファシストからなるチームの操作装置や洗脳によって、現代人は名誉を汚され、屈辱を与えられ、軽蔑されて・・・。

 まず、エドワード・バーネイズとウォルター・リップマンが始めた。

 それから、ギャラップ[世論調査会社]とヤンケロヴィッチ研究所[1958年より消費者の動向を調査]が登場する。

 さらに、 [ジョン・ローリングズ・]リーズ[タヴィストックの重要人物]とアドルノ、オルダス・ハックスリーとH・G・ウェルズ、[フレデリック・エドマンド・]エメリー[オーストラリアの心理学者。タヴィストックに所属]と[エリック・]トリスト[タヴィストックの創設者の一人]がつづき、ドラッグ文化と「水瓶座の陰謀」が後を追いかけ、本物の自由の代わりにひと欠らの自由をまぶした、古い文化のための一見「人道主義的な」理想が掲げられた。

 それは、人々をただの農場動物に変え、人間意識のオリジナリティを否定することで人々を堕落させる知的な方法である。人々がわざわざ解説する必要もなく、どこでも直ちに理解される可能性を持つ。

 ニューエイジは、新たな暗黒時代になるだろう。

 それは、人口の半数以上の早すぎる死や、人類の最も偉大な成果の意図的な忘却を意味する。

 これは、たとえそれが私たちの死体の上を覆うことになったとしても、世界を支配することを決意した新世界秩序を唱道する、全体主義的イデオロギーである。

 (中略)なぜ私たちの文明を守ることに価値があるのか? 

 なぜ自由に基づく体制のほうが、現在、人類の大半を抑圧している独裁政治よりも良いのか? 

 少数のある者にとって、こうした疑問に対する答えは自明のことであるが、多くの者にとってはそうでない。
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「世界政府(その1)」第五回目

2011年01月07日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)


第2章 完璧な洗脳マシーン――MTVの登場
 MTV(ミュージック・テレビション)、すなわち、ロバート・ピットマンによって十代の若者向けに製作され運営されているポピュラー音楽と音楽ビデオのマーケティング放送は、1981年8月1日に創設された。

 現在は、*ヴァイアコム帝国(CBSテレビ局として知られている)[巨大メディアグループ]の一部である。社会がそのまやかしに気づくことなく、若者の心に到達するためには、「対抗組織が社会の支配的な価値観と対立する価値観を説くこと」が必要である。

 MTVがおこなっているのは、まさにそのことである。

「だが、そうした努力が成果を生むためには、両親や学校の影響が中和されるか、少なくとも薄められる必要がある」と、L・ウルフは言う。

 「このMTVのモデルになったのは、ナチの支持者リシャルト・ワーグナーが上演してみせた劇場ショーだった。観客は恍惚状態になり、それをナチスは、たとえばニュルンベルクの会議のような、彼ら自身の象徴的な祝典を作りだすために意識的に用いたのだった」
 
 MTVを作った洗脳の専門家たちは、その効果を十二分に意識していた。

 MTVに関する著書『ロッキング・アランウンド・ザ・クロック』で、M・アン・カプランはこう述べる。

 「MTVはどのチャンネルよりも催眠効果がある。一連の短いテクストからなり、私たちを絶えず感情の高まりと期待の中に置いておくからだ。

(中略)私たちは、次のビデオがついに私たちを満足させてくれるだろうという妄想に囚われつづける。

 目の前の豊かさに魅了されて、私たちはそうした短いテクストを果てしなく消費しつづけるのだ」

 一つのミュージック・ビデオが映る四分間に(四分間が番組に含まれるメッセージを被験者が把握できる最大の長さであるとの決定を下したのは、タヴィストックの科学者たちである)「「対位法」の形式による人工的なリアリティが意識の中に挿入されて、それが認知リアリティに取って代わるのである・・・」

 ウォルター・リップマンはこう書いている。

「人々が番組のこうしたからくりを知りさえすれば、すべてが終わるはずだが、文盲で、精神薄弱で、ひどいノイローゼで、栄養失調で、いらだちを募らされた個人がかなりいるので、概して自分が信じている以上のことを信じるようになってしまうのである。

 そこで、こうした番組が精神的に子供か野蛮人同然の人々の手の届く範囲に置かれると、生活が混乱の極みであるために、彼らは非常に人気のある単純な内容に飛びついてしまう」

 『世論を具体化する』という著書の中で、エドワード・バーネイズ[広告・政治宣伝活動のパイオニア]はこう述べている。

 「平均的な市民は、世界で最も有能なセンサーである。おのれの精神が市民自身を諸事実から遠ざけさせる最大の障害物となる」

 洗脳を受けた視聴者は、自分には選択能力があるという幻想を抱く。

 ちょうどドラッグ中毒者が、薬によってコントロールされているのではなく、自分が中毒をコントロールできていると信じるように。
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「世界政府(その1)」第三回目

2010年12月29日 | 翻訳
(訳注:ひきつづき、エスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

カウンターカルチャーの創造

 合衆国の若者に対する、宣戦布告なしのオープンな文化「戦争」は、1967年に始まった。

 ビルダーバーグのメンバーが彼らの目的を確実なものにするために、野外コンサートを組織し始めたのである。
 
 この秘密武器によって、400万人以上の若者をいわゆる「フェスティバル」に引きつけることに成功した。

 それと知らずに、若者たちは完璧に計画された薬物実験の犠牲者になった。

 ビートルズによってその消費が促進された幻覚ドラッグは・・・そうしたコンサートで自由に配られた。

 まもなくコンサートに参加した5千万以上の者(当時、10歳から25歳)が帰宅して、新しいドラッグ・カルチャーというか、やがて「ニューエイジ」として知られることになるもののメッセンジャーや奨励者に改宗した。

 史上の最大のコンサート、野外での「ウッドストック音楽・芸術フェア」は、『タイム』誌によって「水瓶座のフェスティバル」とか「史上最大のショー」などと称された。

 ウッドストックは、若者世代の「文化用語集」の語彙の一つとなった。
 
 ジャーナリストのドナルド・フォーによれば、「ウッドストックでは、50万近く若者がある農場に引き寄せられるように集まり、洗脳された。

 犠牲者たちは、孤立させられ、汚物まみれになり、サイケなドラッグを詰め込まれ、3日間連続で眠ることを禁じられ、そのすべてがFBI(連邦捜査局)と政府高官の完全な共謀によるものだった」。

 コンサートの警備は、LSDの大量配布にたけたヒッピーのコミューンによって提供された。
 
 ここでも再び、唱道者は英国の軍情報網であったが、CIA前長官ウィリアム・ケイシー[CIA長官1981年~87年]と、MI6のセフトン・デルマーとのCIAコンタクトを経由したCIAの後援があった。

 CIAコンタクトと関係していたのは、ブルース・ロックハード [ジャーナリスト]、ブルシェビキ革命時代のレーニンとトロツキーのMI6側の工作員だった。
 
 カウンターカルチャーが合衆国の用語集の中に組み込まれるためには、さらに10年が必要だった。

 しかし、合衆国の文化的価値観を一転させる巨大な秘密計画の種は、そのとき蒔かれたのである。
 
 セックス、ドラッグ、ロックンロール、国中の大きなデモ、ヒッピー、学校をドロップアウトしたドラッグ中毒者、ニクソン政権、ヴェトナム戦争は、アメリカ社会の「精神」をずたずたに引き裂いた。
 
古いものと新しいものが正面衝突したが、誰も、そうした対立が世界で最も賢明で非道な国民の中の少数の者によって構想された秘密の社会計画の一部であるという事実に気づくことはなかった。
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「世界政府(その2)」第二回目

2010年12月27日 | 翻訳
(訳注:エスチューリン『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用のつづきです)

オルダス・ハックスリー登場

 「英国のアヘン戦争の最高司祭は、オルダス・ハックスリー[英国の小説家]だった。

 彼の祖父は、トマス・H・ハックスリーといい、「ローズ円卓」グループの創設者であり、進化論を展開するチャールズ・ダーウィンを手助けした著名な生物学者でもあった。

 オックスフォード大学出身の[経済学者、アーノルド]・トインビー(英国の経済学者)は、1919年にパリで開かれた平和会議の英国代表だった。

 『トインビーのオックスフォード大学でのチューター(個人教授)は、H・G・ウェルズ[英国の小説家]であり、ウェルズは第一次世界大戦時の英国情報局の局長であり、<水瓶座の陰謀> を生んだ、いわば「精神な父親」だった。

 オルダス・ハックリーは英国の円卓エリートの子女たちが作ったディオニオス的なカルトである<太陽の子供たち>の新入会員だった。

 ハックスリーの最も著名な小説『素晴らしい新世界』は、唯一の政府のもとで営まれる正当な社会主義的世界の(数名の世界評議員によって命じられた)青写真である。

 あるいは、「ファビアン協会」[1884年創設。革命によらない、斬新的な社会主義を唱える]の恩師H・G・ウェルズの言葉を借りれば、ウェルズ自身の人気のある小説の一つに使われたタイトルを借りれば、「新世界秩序」(1940年刊)の青写真だった。

 『素晴らしい新世界』で、ハックスリーは、すべての国民をほぼ永遠の服従の状態におき、少数のエリートの外側で隷属を愛する科学的方法論に焦点を当てている。

 こうした状態を作りだす主な道具は、脳機能を変えるワクチンであり、国家が国民に対して飲むことを強要する薬物である。

 ウェルズに言わせれば、これは陰謀ではなく、むしろ『精神警察として機能する世界頭脳』なのだ。
 
 1937年に、ハックスリーはカリフォルニアに移住してロサンジェルスの縁故(こね)の一人ジェイコブ・ザイトリンのおかげで、ハリウッド(MGM、ワーナー・ブラザーズ、ウォルト・ディズニー社など)で脚本家として働いた。(中略)

 「メイヤー・ランスキー[<ギャンブル帝国>の創始者]によるマフィア組織の米西海岸におけるボス、バッグズビー・シーゲルは、ワーナー・ブラザーズやMGM社と長期にわたる絆を築いていた」。

 事実、ショービジネス(製作、配給、マーケティング、広告)などは、組織犯罪の連合やウォールストリートの高級詐欺師たちからなるマフィアの支配下にある。

 もっとも、それも、究極的には、全能のビルダーバーグの支配下におかれているのだが。

 ショービジネスは、ビルダーバーグとその手下によるその他の『商売』と同じように営まれる


ハックスリーの仕事

 ハックスリーは、1954年に『近くの扉』と題された、幻覚剤メスカリンを用いた意識拡張について影響力のある研究書を発表した。

 サイケデリックなドラッグ文化の最初のマニフェストだ。

 1958年に、ハックスリーは『ニューズデイ』に書き続けていたエッセイを、『素晴らしい新世界再訪記』というタイトルのもとにまとめた。

 その中で、彼は「支配層の主たる目的が、被支配層が問題を作りだすことを何としても回避することである」社会を描き出している。

 ハックスリーは、民主主義がその本質を変えるだろうと予告した。

 旧弊な奇妙な伝統――選挙、国会、最高裁判所などは残るが、その下の基層は、非暴力の全体主義になるだろう。

 すなわち、少数の独裁政治家と熟練のエリート兵士や警察、思想形成者、精神操縦者などが思いのままに世界を冷静に統率するというのだ。

 実際、このハックスリーの描いた構図は、現在の状況に完璧にマッチしている。

 1960年9月、ハックスリーは、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)の創立百周年カーネギー招聘教授に任命された。

 彼は一学期だけ教えただけで、その後、解雇された。

 「ボストンにいるあいだに、ハックスリーはハーヴァード大学でサークルを作った」

 そのサークルというかセミナーの公開トピックは、宗教とその現代世界における意義というものだった。

 (中略)1974年4月発行の『キャンペイナー(運動家)』誌で、マイケル・ミニチーノはこう述べている。

 「ハーヴァード大学にいたころ、ハックスリーはサンドズ社の社長と接触したが、この社長はCIAの依頼を受けて大量のLSDや、MKウルトラ計画のためのサイロサイビン(メキシコのキノコから作られた幻覚剤)を作った。

 MKウルトラ計画とは、化学兵器をめぐるCIAの公開実験だった」。

 それはLSDを使用したしばしば死にいたる実験であり、人類をモルモットとして使っていた。

(中略)さらには、ビルダーバーグと結びついた高等教育機関カナダのモントリオール市のマッギル大学も、タヴィストック出身の退廃的なファシスト、ジョン・リーズが発起したMKウルトラ計画の中で、国立孤児院の子供たちを被験者として使って、拷問をおこなったり、LSDを服用させていた。

(中略)「情報の自由」法案のおかげで、最近CIAが機密種別からはずした文書によれば、アレン・ダレス(当時CIA長官だった)は、1億錠ものLSDを購入していたという。

 ミニチーノの上記の記事によれば、

「その多くが1960年末に、合衆国の街中に流れたという。

(中略)何千人もの大学生がモルモットになった。学生たちは直ちに自分たちの「アシッド」を合成し始めた。

 ヴェトナム戦争の状況に怒りを覚えて戦争反対のデモを行なった大多数の者は、SDS[民主的な社会をもとめる学生]の組織に入った。

 だが、若者たちがひとたびタヴィストック研究所の心理戦争専門家によって作りだされた環境に囚われ、享楽主義と国防が「非道徳な」戦争の正当な代替物であるというメッセージが巷にあふれると、若者たちの価値観と創造力は、ハシシの煙の中に消え散った」

 そう著者ミニチーノは述べる。
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フィデル・カストロ「世界政府」(その1)第一回目

2010年12月25日 | 翻訳
フィデル・カストロのコラム集『カストロは語る』(青土社)を翻訳刊行しました。同書に収録できなかったコラムを何回かに分けて、ここに収録します。世界を自分たちの思いのままにコントロールする集団(ビルダーバーグ倶楽部)をめぐる「陰謀説」を展開する著書の引用からなりますが、SF小説を読んだように、世界の見方が変わること請け合いです。 それでは

世界政府(その1)

  二日前、すなわち[2010年]8月15日のこのコラムで、私はキューバ人ジャーナリストで、国営放送の『円卓(メサ・レドンダ)』という番組のホストをしているランディ・アロンソの書いた記事について触れながら、彼が「世界政府」と言い表すものに関してバルセロナのドルチェ・ホテルで開かれた会議について書いた。

 コラムを引用すると

 「彼のように正直な作家たちが一様にそのような奇妙な会議から漏れてくるニュースをフォローしている。彼らよりずっと情報通で、この出来事を何年も追いかけている者がいる」

 私は、ダニエル・エスチューリンという作家に触れた。

 この著者による1ページ20行からなる合計475ページの著書が私の批評を待っている。
 
 たとえその会議の参加者の誰かが会議への参加を否定したり、その著書の中で述べられた出来事への関与を否定したとしても、素晴らしい本であることは変わらない。

 このコラムで引用できる大半は、私はそれを二つに分けるので、長すぎることにはならないはずだが、

 『ビルダーバーグ倶楽部』というタイトルの、この見事な著書がどんな感じか示すために私が選んだ数多くのものを含んでいる。

 その著書の中で、エスチューリンは大立て者たちをずたずたに切り裂いている。

 すなわち、ヘンリー・キッシンジャー[ニクソン政権やフォード政権の大統領補佐官、国務長官]、

 ジョージ・オズボーン[英国のキャメロン政権の財務相]、

 ゴールドマン・サックス証券の重役たち、

 ロバート・ゼーリック[ブッシュ政権の国務次官]、

 ドミニーク・シュトラウス=カーン[国際通貨基金の理事長]、

 パスカル・ラミー[世界貿易機関事務局長]、

 ジャン・クロード・トリチェット[欧州中央銀行総裁]、

 アナ・パトリシア・ボティン[スペイン、バネスト銀行会長]、

 コカコーラのCEOたち、

 フランス・テレコム、

 テレフォニカ・デ・エスパーニャ、

 スエス[パリに本社をおき、水道事業や電力事業、ガス事業を手がける]、シーメンズ[ミュンヘンに本社を置く多国籍企業]、

 シェル[米国のエネルギー関連事業]、

 BP([国のエネルギー関連企業]、その他の似たような政済界の大物。
 
 
 エスチューリンは、その起源から説明を始める。
 
  ドナルド・ポーの『ロックの悪魔的ルーツ』で語られたように、前例のない二つの日曜日をまたにか
  
  けたエド・サリバン・ショーでは、7500万人のアメリカ人が、ビートルズが顔を振り、体を揺らす仕草

  を見た。すぐにそれは未来の何百ものロックグループが真似するところとなった。
 

  アメリカの大衆にビートルズを『気に入らせる』ように仕掛けたのは、ウォルター・リップマン[政治ジャーナリスト]という男だった。

  音楽史上最も真似をされ最も演奏されたビートルズは、アメリカの大衆の前に、あたかも発見されるように、差し出されたのである。
 
『テオ・アドルノの登場』というのは、最初に出てくる小見出しの一つだ。
 
  ロックンロールの社会理論を考案した責任は、ドイツの社会学者であり音楽学者で作曲家であるテオドール・アドルノにある。

  フランクフルト社会研究所の指導的哲学者であるアドルノは、1939年にプリンストン大学ラジオ放送研究プロジェクトを指揮するために合衆国に派遣された。

  それは、大衆操作を目的にしたタヴィストック研究所とフランクフルト研究所との共同研究だった。

  資金はロックフェラー財団[石油王ジョン・ロックフェラーの遺志で1913年に設立]から提供され、創設はデイヴィッド・ロックフェラーの右腕   
  の一人、ハドリー・カントリル[プリンストン大学心理学教室主任]によるものだった。
 
  事実、ナチスはラジオ放送による集中的な宣伝活動を大衆洗脳の道具として使い、ファシスト国家の欠くべからざる一部に組み込んでいた。

  この事実はタヴィストック研究所のテレビ網によって真剣に研究され、みずからの番組で幅広く実験された。

  このプロジェクトの目的は、アドルノの『音楽社会学序説』によれば、「大衆の『音楽の』文化を社会的な大衆操作の一形式としてプログラミングすること」だった。
 
  「ラジオの放送網は、一日24時間トップ40の人気曲を繰り返し流すマシーンに変えられた」。
 
  ビートルズが1964年2月にアメリカ合衆国にやってきたとき、市民権運動はピークに達していた。
 
  この国は、ジョン・F・ケネディー大統領の残虐な暗殺による深い国民的なトラウマに陥っていたが、ようやく回復しようとしていた。

 (中略)首都の街中では、マーティン・ルーサー・キング牧師に導かれた市民権運動がデモを組織して、50万以上の人々がそれに参加した。

  1964年から1966年までに、いわゆる『英国侵略』で、次々と英国のロック歌手やロックグループがアメリカ合衆国に到来し、彼らはことごとく人気者になり、アメリカ文化を包囲した。

 (中略)1964年の暮れにかけて、この『英国侵略』が巧みに仕組まれたものであったことが判明する。
 
  このような最近作られたグループや彼らのライフスタイルは、(中略)新しい可視的な「タイプ」[タヴィストック研究所の用語]となった。

  ほどなくしてその新しいスタイル(服装、髪型、言葉づかい)は、何百万ものアメリカの若者をのみ込み、一気に新しいカルトになった。

  合衆国の若者たちはそれに気づかずにラディカルな内的革命を経験し、(中略)そうした危機に対して間違った対処をした。

  すなわち、あらゆるドラッグ――最初はマリファナ、つづいて、人の意識を変える強力なドラッグLSDを用いたのである。

 (中略)英国の諜報機関やその手先や、アメリカ合衆国の国家戦略機関がかつて人間の行動を操作する秘密調査に直接関与していたというのは、ロンドンのMI6[英国情報局秘密情報部の旧称]本部やヴァージニア州ラングリーのCIA(中央情報局)本部で事実として受けとめられている。

  CIAがMKウルトラ計画[CIAの科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム]に着手したとき、アレン・ダレスCIA長官[長官期は1953年~1961年]は、医療会社サンドズ社の調査を開始したばかりの、スイス・ベルンにあったOSS[CIAの前身「戦略事務局」]の局長を勤めていた。
 
  (中略)合衆国とヨーロッパでは、国民の募る不満を抑えるために、自由な雰囲気を感じさせる野外ロックコンサートが用いられた。

   ビルダーバーグ=タヴィストック連合が開始した攻撃は、若者世代全体をLSDとマリファナからなる黄色い舗装道路へと導ことになった」
(つづく)
 
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