越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

「キューバ映画祭」注目の二作品

2009年09月27日 | 映画
トマス・グティエレス・アレア監督『12の椅子』『ある官僚の死』
越川芳明

 九月下旬から十月上旬にかけて、東京(渋谷ユーロスペース)で開かれるキューバ映画祭。二〇〇六年の傑作『パーソナル・ビロンギングス』(監督/アレハンドロ・ブルゲス)や、ガルシア=マルケスの関わった映画三本など、全部で十二本が上映される(うち一本は短編集)。中でも注目すべきは、『苺とチョコレート』(一九九三)でおなじみのアレア監督の日本初公開作『12の椅子』(一九六二)だ。キューバ革命直後のキューバを描く傑作ブラックコメディだ。

 一九五九年にバチスタ独裁政権を打倒する市民革命が成功すると、白人の富裕層はぞくぞくと米国に向かって脱出する。富裕層の資産は革命政府によって押収され、米国系企業の資産も国有化された。それに対し、米国政府は経済封鎖や軍事攻撃(ピッグズ湾侵攻)によって対抗し、革命政府転覆を画策していた。

 そんな時代を舞台とする本作の主人公は、イポリト・ゴリゴーという大富豪。キューバに居残る財産のない資産家という存在自体に哀愁が漂っている。彼は革命の後、中部のカマグエイの義母の家に身を寄せていたが、義母の死で、ハバナへ戻ってくる。しかし、没収されていた屋敷は、高齢者用の施設になっている。

 ゴリゴー氏がマイアミへの脱出資金として当てにできるのは、義母の残した英国製の十二脚の椅子だけだ。というのも、義母が生前、そのうちのどれかに宝石を隠したらしいのだ。しかし、椅子は革命政府が押収。奪還のため、ゴリゴー氏は遺言の聞き取りをした神父と激しい駆け引きを繰り広げることになる。

 その二人に代表される革命前のキューバの権威――ブルジョワジー階級とカトリック教会――があえなく失墜する様が、ときにチャップリン風のドタバタ調の早回しで描かれる。とりわけ、黒服と白服のコントラストをつけて、ゴリゴー氏と神父が路上で椅子を取り合う様をブラックユーモアたっぷりに撮ったシーンが圧巻だ。結局、二人が座席の布をはがすと、中にはスプリングだけしかなく・・・。

 こうした労多くして益少なしのパターンは最後まで続くなか、ゴリゴー氏のかつての使用人オスカルが登場する。この青年は、「米国の傀儡政府を作るために」といった、詐欺師まがいのハッタリをかまして、キューバに居残るゴリゴー氏の仲間の資産家たちから金を巻き上げるだけでなく、氏の宝石発見の旅に付き合って、かつての主従の関係を逆転させてしまう。最大の笑いを引き起こすシーンは、サーカスに引き取られた椅子を追いかけて、マタンサスへと移動し、そこで気位ばかり高くて何もできない富豪に路上で物乞いをさせる場面だ。

 革命に対して相応の理想を抱いていたはずのアレア監督にとって、革命とは制度上の変革のみならず、人々の中の意識改革、意識革命をも意味していたのだろう。そのことを裏づけるのが、今回の映画祭で初公開されるもう一つの作品『ある官僚の死』(一九六六)だ。

 映画は、ハバナ最大のコロン墓地での埋葬シーンから始まる。故人は「大理石加工会社」の労働者だったらしい。のちの映像で、故人がキューバ独立時の英雄、ホセ・マルティの胸像製造機械の発明者であることが分かる。継ぎはぎだらけのオンボロ機械から、次から次へとマルティの胸像が大量生産される様子が描かれる。まるで、進化しない「革命」の形式主義を揶揄するかのように。

 後日、故人の妻は、甥を伴って役所に行き、年金の申請手続きをしようとする。だが、故人の労働証がないと申請ができないといわれる。労働証は故人と一緒に埋葬してしまったので、コトは複雑に。法学者のナンセンスな長口舌を聞かされた上に、結局、遺体を起こすしかない、といわれる。それにも別の許可書と署名が必要で、叔母を手伝う甥はコロン墓地の管理局をはじめ、役所をあちこちたらい回しにされて、官僚制度の犠牲となる。

 冒頭の埋葬のシーンで弔辞を述べる故人の上司が「常に前線に立ってあらゆる圧政者と戦い、革命的な理想を決して失いませんでした」と、故人を讃えていたことを思い出すと、そうした模範的労働者の家族が官僚たちによって疎外される矛盾は皮肉というしかない。

 アレア監督の風刺のメッセージは、映画の背景にさりげなく映し出される政治的なスローガンやポスターなどと違って直接的ではなく、スラップスティックな笑いや幻想的シーン(たとえば、棺をロープで引っ張りながら砂漠のようなところを進み、崖の上から海中へと棺を投げ込もうとする甥の悪夢)といった映画的な語り(イディオム)によって観客に伝えられる。

 のちに『苺とチョコレート』で、アレア監督はゲイの抑圧という革命政府のかつての過ちを突いたが、すでに革命直後においても社会の「見えない人」を視点に据えて、直裁で都合のよいプロパガンダに堕さない複雑な笑いを、共産主義政権下で作りだしていたのだ。

(『すばる』2009年10月号、308-309頁)

 キューバ映画祭は、9月26日(土)~10月9日(金)渋谷ユーロスペースにて。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=226






コメント (2)
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