越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

『ギターを抱いた渡り鳥』の書評

2007年10月31日 | 小説
10月28日の『日経新聞』<日曜読書>欄に、『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』の書評が載りました。ウェブ上でも見られます。 http://www.4mo4.com/biz/063/index.php?page=all

評者いわく「経済のグローバル化に後押しされるようにして、世界レベルで文化の混交が急速に進んでいる。メキシコから遠く離れた島国に住む私たちもまた、「静的かつ固定的な主体ではなく、たえず意味を付け加え、意味を変えていくボーダーの人」たらざるをえないのだと、本書を読んで気づかされた」と。

『現代詩手帖』(思潮社)の11月号でも、管啓次郎さん長い書評を書いてくださった。人の情けが身にしみる。「運動感にみちた各章は、散文(紀行、物語)と訳詩連作の交替によって進行する。ロベルトのつぶやきめいたナレーションを聞きながら、詩の背景をなす土地に案内され、さあどうぞ、と詩という危険なお茶をふるまれているみたいだ」

管さん、よくいってくださった。そうなのだ、この本は免疫のない人には毒なのです。


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鰐と文学全集

2007年10月30日 | 小説
鰐と文学全集 
越川芳明 

いかに歴史が浅いとはいえ、アメリカ文学にも古典(大家、大物と持ち上げ方はいろいろあるが)と呼ばれる作家や詩人はいる。だから、たとえば、ノースウェスタン大学出版の『メルヴィル全集』とか、フィンカ・ビヒア版の『ヘミングウェイ全短編集』など、しかるべき編者が校閲した立派なハードカヴァーの全集もいろいろ出ている。

しかし、日本で現代アメリカ文学、それも戦後作家の研究というか、その真似事みたいなことをしていると、海の向こうで刊行されたそうした全集に触れる機会はそう多くない。せいぜい執筆の必要に駆られて、つまみ食いするぐらいで--

ふと、わが書斎を見まわしてみると、昔ニューヨークを初め、各都市の書店や古本屋で買いあさった現代作家のペーパーバックが山積みだ。まるで地震がおこればひとたまりもないディスカウントショップのように、床から天井まで本が棚にぎゅう詰めになっている。だが、めざとい消費者のように、目を凝らしてみると、格安商品ばかりの中に、箱に入った(つまり高級そうな)作家全集がずらっと並んでいるではないか。新潮社版『ドストエフスキー全集』全二七巻だ。

この作家の全集としては、ほかに米川正夫の個人訳(河出書房新社)や、小沼文彦個人訳(筑摩書房)があるようだが、この新潮社版は江川卓を初めとする、十一人の訳者による分担制だ。僕は個人的に小沼文彦の訳が好きで、『罪と罰』は小沼訳で読んでいたのに、ほとんど例外的ともいうべき全集の購入には新潮社版を選んでいる。新潮社は二七巻もの全集を七〇年代の後半の二年間で一気に発売していて、僕の購入はものの弾みというしかない。

その頃、僕は大学院生で、ジョン・バースというアメリカ作家に凝っていた。バースは、ブラックユーモアをまぶした偽史小説(歴史改変小説とも呼ばれる)を得意にしていた。新潮社版『ドストエフスキー全集』の中の第6巻に「鰐」という短編小説が原卓也訳で載っていて、これがバースみたいにブラックユーモアの炸裂した、抜群に面白い寓話だった。

舞台は、十九世紀の半ば、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルク。語り手は、窓際族と思われる独身の役人で、街で見せ物になっている鰐に呑み込まれた同僚の顛末を語る。怪物に人間が呑み込まれる物語といえば、すぐにクジラに呑み込まれる聖書のヨナの物語を思い出すが、こちらのヨナは、自らの囚われの身を逆手にとって、「鰐の中からだと、なんだか何もかもがよく見えるみたい」だとのたまい、一躍名士になる夢を見るだけでなく、人類の真理に関する空疎な講釈をあれこれ垂れもする。

ドストエフスキーが黒い笑いのターゲットにするのは、ヨーロッパに対するロシア人の田舎者コンプレックス、社会主義や外国資本導入を論じる進歩主義者のおごり、同僚の失態を喜ぶ役人根性、硬直した官僚制度などだが、語り手の屁理屈や詭弁すらもその例外ではない。

というのも、語り手の役人は職場の先輩に相談にいき、鰐に呑み込まれた同僚が「職務中」と見なされる方法はないか、「出張」という形で俸給を出してもらえないだろうか、と訊くのだから。職場の先輩が「どんな出張で、どこへ?」と質問する。すると--
 
「腹の中へ、鰐の腹の中へです・・・言うなれば、調査のため、現地での事実研究のためにです・・・」

そんなわけで、文学全集というと、僕はただちにこの鰐の物語を思いだす。フロリダのオキチョビー湖に生息しているアリゲーターや、コスタ・リカの熱帯雨林のカイマンとちがって、この鰐は寒冷地ロシアに連れてこられた、いわば難民化した鰐だ。しかし、そんな「難民」も、そもそもドイツ人母子によってロシアに持ち込まれた商売道具(海外資本)であり、官僚制や階級制に守られて生きている帝政ロシアの小役人はみずから「外国資本」に食われながら、愚かにもそのことを好ましくさえ思っている。

ドストエフスキーの笑いは、一九世紀の帝政ロシアだけでなく、まるでソ連の崩壊以降の今にも波及するパワーを備えていまいか。(『図書新聞』2007年11月3日) 
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チェ・ゲバラ没後40年記念のイヴェント

2007年10月28日 | 小説
27日(土)夜7時から、台風のなか、原宿の東京ヒップスタークラブで、若手詩人のポエトリーリーディングと、トークイヴェントがあった。若手詩人とは、田口犬男、水無田気流、杉本真維子、キキダダマママキキ、蜂飼耳の五氏。それぞれが個性を活かした朗読を行なった。まるで舞台で繰り広げられるいろいろな話芸を見ているようであった。

つづいて、伊藤比呂美さんとわたしがトークを行なった。伊藤さんが『ギターを抱いた渡り鳥』の中から、いくつか訳詩を朗読してくださったので、わたしとしては楽チンだった。朗読なんて、下手だから。おしゃべりだけで済んでよかった。

その後、11時すぎまで打ち上げをやった。揚げたトルティージャチップスと、肉入りのケサディージャが美味しかった。比呂美さんは萩原朔太郎賞の関係で、高崎にいくという慌ただしさで、飲まずにすぐに上野に向かった。

原宿までの帰り道で、編集者のKNDさんが明治通りで、面白い道路表示を見つけた。電気点滅式で、車の運転手に警告していた。<前方注意 歩行者寝込みあり>と。この場合、歩行者とはホームレスの比喩か? 

そういう風にクールに書いて知らん振りをするなよ、と思う。トークのときに、比呂美さんがサンディエゴの州間ハイウェイ5号線にある道路標識<ハイウェイを渡る難民に注意>について触れていたが、日本にも同じようなものがあるとのKNDさんの指摘、するどい。


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房総と熊野、そして朝鮮半島

2007年10月25日 | 小説
20日(土)に、内房の袖ヶ浦まで出かけて、郷土博物館で展示されている<房総と熊野>展を見てきた。もとより、黒潮に乗って、紀州の人たちが房総に押し寄せ、房総の地に鰹節作り、醤油作り、網をつかった業法などを伝えたことはわかっていたが、今回の展示は熊野信仰という切り口で紀州と房総をつないでみせた。日本に鉄道ができるまで、海の道が重要であった。

午後には、市民会館でシンポジウムが行なわれ、熊野信仰に関しては、紀州から房総を経て、さらに東北へと繋がる黒潮ルートを、今回の展示会を切り盛りした学芸員(桐村久美子さん)が指摘されていた。

そのときふと思ったが、いまでも銚子に海女がいて岩牡蠣をとっているが、それなども、黒潮ルートで、遠く朝鮮の済州島から伝わってきた漁法なのだろう。ちなみに、和歌森太郎が羽原又吉の『日本古代漁業経済史』を引用しながら指摘しているように(宮本常一『なつかしい話 歴史と風土の民俗学』河出書房新社、2007年)、日本の漁法には、潜水漁業と、銛などで魚を突く突漁の二種類あるらしく、前者は済州島が起源だという。

これまで、銚子の名物である醤油や漁業のルーツとして紀州が考えられていたが、さらに遠く朝鮮半島の影響を考える必要があるように思われる。
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中原中也の朗読劇「子守唄よ」

2007年10月24日 | 小説
21日(日)の夜、サントリーホール(小)で、中原中也の朗読劇があった。音楽と朗読のコラボレーション。中原中也の母の役を小口ゆいさんという女優が演じ、最初から最後まで、山口弁で独白をした。独白の合間に音楽や唄や他の演技者の台詞がはいり、中原中也の役は盲目の筝奏者で、東京芸大の院生が演じた。詩と独白と音楽がミッスクしたユニークな創作芸術。いわば、ボーダー芸術。

詩人の谷川俊太郎の顔も客席に見えた。前日のトークの後の飲み会で、少々飲み過ぎ疲れていたが、疲労など吹っ飛んだ。ロビーでは、いろいろと中也関係の本を売っていて、佐々木幹郎『中原中也 悲しみからはじまる』(理想の教室シリーズ みすず書房)を買い求める。
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古川日出男の朗読ギグ

2007年10月15日 | 小説
13日(土)の日経新聞に、干場達矢記者の署名入り記事が載っていた。向井秀徳(アコースティックギター)に合わせて、古川日出男が自作の小説を絶叫するというもので、ギグの熱気をそのままに写し取ったようなこの記事にとても興味が惹かれた。

詩人の朗読はよくあるけど、小説家のそれはめずらしい。ユーチューブで、古川さんの朗読が見られる。
http://jp.youtube.com/watch?v=GvPFAGdKlLU
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八丁堀の「鮨まさ」

2007年10月13日 | 小説
八丁堀の「鮨まさ」は、カウンターだけの立ち飲み。先日、久しぶりに出かけていって、鮨と〆サバをツマミに、焼酎のお茶割りを飲んだ。いろいろな業界の人たち、といってもサラリーマンが多いが、一人でやってきて、何のしがらみもなく飲んでいる。一本気の主人(森田さん)と奥さんの人柄で、部長級も平級も、分け隔てがない。鮨職人の腕は一級、値段は安いので、毎日のように、顔を出す客がいる(ようだ)。わたしはクオータリーぐらい(年間4回)なので、いい客ではない。

きのうは、和風のツマミにまじって、ビーフと野菜のデミグラソース味、ポテトのクリームソース味というツマミがあった。それを頼んだ客がけっこう美味しいといった。だれかが、この店、ビストロにしちゃえば、と大将に冗談をいった。馬鹿やろう、てめー、トロが喰いてーって、ピストロで撃っちまうぞ、と下手なだシャレで、大将がいい返した。



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今年のノーベル文学賞はだれに?

2007年10月05日 | 小説
知り合いのジャーナリストSさんから、ある英文記事を送っていただいた。それによると、2007年のノーベル文学賞の有力候補は、シリアの詩人Adonisと、韓国の詩人Ko Unらしい。両方とも、知らないのでコメントができない。

毎年、連想ゲームが行なわれ、あたったりはずれたり。去年のトルコの小説家オルハム・パムクは、本命中の本命だったらしくイギリスのブックメイカーの掛け率でもダントツの低さで、番狂わせもなかったわけだが、今年は対抗馬に、イスラエルの小説家アモス・オズの名が挙っているようだ。またアメリカ大陸からも、北からは、ドン・デリーロやコーマック・マカーシーが、南からはマリオ・バルガス・リョサやカルロス・フエンテスが挙っている(らしい)。全部憶測であるところがミソ。さて、どうなることやら。個人的には、マッカーシーにとらせたい。発表は今月の10日(日本時間)。

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浅草のうなぎ屋「色川」

2007年10月03日 | 小説
先週、来日中のサンディエゴ州立大学のジェリー・グリスウォルドと浅草に行き、昼飯を食べた。やっぱりウナギかな、と思い、「色川」に連れていった。

暑い日で喉が渇いたので、カウンターでビールを飲みながら待っていると、ジェリーがおやじが団扇で火を熾すところを写真に撮りたいというので、おやじに叱られるのを覚悟で訊いてみたら、ああ、いいよ、と簡単に応じてもらった。そこから、ジェリーはデジタルカメラのヴィデオカメラ機能を使って、15秒くらいヴィデオを撮った。あとで見せてもらったら、滅法いい画像がとれていた。あとで、ユーチューブに載っけてもらいたいものだ。

それはともかく、後ろのテーブル席にすわった比較的若いカップルが「ビール1本、並ひとつ、上ひとつ」と、注文すると、おやじが「だれが並を食うんだ」と怒ったようにいった。男のほうが「彼女です」と、応えると、「女性に<並>なんか、食わせるか?」と訊いた。すると、男は素直に「上ふたつにしてください」と、いった。それを聞いたおやじが「そうこなくっちゃ。将来嫁さんになる人に<並>なんか食わせたバチがあたるよな」というと、男は「でも、結婚してます」と小声でちょっとだけ反論した。おやじは「母ちゃんだったら、なおさらじゃないか」と、お説教をした。完全におやじの勝ちであった。

もしこのカップルが初めてここにやってきた一見の客だとすれば、マクドナルドの接客とはまったく正反対の、この<注文の多い料理屋>に、もう二度と足を運ばないか、それとも常連になってなんども通うかのどちらかだろう。わたしは、こんな嫌みのない頑固おやじが好きで、なんども通っています。

調子に乗って、あとで講演があるのにもかかわらず、ビールを二本飲んでしまった。だが、講演でのグリスウォルド教授の舌は、得意のジョークが炸裂し、じつに滑らかであった。みなさんも、「色川」で叱られてください。ほかにも、下町の雰囲気の味わえる店を知りたいものだ。
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