越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

沖縄映画をめぐる講演会(那覇市)11月15日(土)

2008年10月29日 | 映画
つぎのような沖縄映画をめぐる講演会があります。

明治大学人文科学研究所公開文化講座「沖縄映画とは何か?」
講師:大嶺沙和、合田正人、仲里効、四方田犬彦 
場所:沖縄青年会館大ホール(那覇市) 
日時:11月15日 午後12:00-15:50
料金:無料
問い合わせ先:明治大学人文科学研究所 電話:03-3296-4135

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土屋豊監督の講演会

2008年10月15日 | 映画
10月24日(金)18時半より20時半まで、明治大学(お茶の水)リバティタワーの一階「リバティホール」で、『あなたは
天皇の戦争責任についてどうおもいますか?』や、ミニスカ右翼をやっていた雨宮処凛をフィーチャーした『新しい神様』などで知られ、今年の北海道での反サミット(反グローバリゼーション)活動などを行なっている土屋豊監督の講演会があります。

「映画と社会のつなぎ方」というタイトルで、ビデオアクティビスとしての立場から、インデペンデントビデオ(映画)が日本社会に対して果たす役割や意義について、話していただきます。予約不要、入場無料。
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映画『ボーダータウン 報道されない殺人者』

2008年10月10日 | 映画
国境地帯の女性殺人事件を告発する
グレゴリー・ナヴァ監督『ボーダータウン 報道されない殺人者』
越川芳明

 映画は、一九九四年一月に発効した「北米貿易協定」とほぼ同時に始まり、それ以降、長期にわたり五百件以上も起こり続けているメキシコ北部での連続女性殺人事件を題材にしているが、米国とメキシコ両国のマスコミの限界を突いている。

 主人公の新聞記者ローレン(ジェニファー・ロペス)は、この事件をめぐる特ダネを握りつぶされる。彼女の勤めるシカゴの大新聞社は、親会社によって牛耳られていて、親会社の不利益になるような報道は内部で差し止められてしまうのだ。一方、メキシコでは、地元の財界人やマフィアによって買収された警察の力で、マスコミは報道を制限される。編集長ディアス(A・バンデラス)の勤める地元の新聞社は、街頭での販売を妨害されたり、検閲を受けたりする。

 ポルティージョ監督によるドキュメンタリー『セニョリタ・エクトラビアダ(失踪少女)』(二〇〇二年)のおかげもあり、事件を問題視したアムネスティ人権委員会は、二〇〇三年以降、証拠の再調査をメキシコ政府に要請し続けている。だが、調査はまったく進展を見せていない。

 この事件は、いわゆるグローバリズムの時代の途上国メキシコの暗部を浮き彫りにするものだ。アメリカ合衆国の経済「植民地」と化した、国境地帯におけるマキラドーラ(保税工場群)と、そこで搾取されている若い非熟練の女工たちの存在。彼女たちの賃金は一日八時間働いて八百円たらずである。

 アフリカや中南米など、世界の周縁部に見られる、そうした経済グローバリズムの歪みに、メキシコ国内の階級・経済格差、ジェンダー問題、民族問題などが複雑に絡み合い、そうした劣悪な労働条件のみならず、経済力のない先住民の女性をターゲットにした性犯罪がはびこる。

 そのことを象徴的に物語るのは、事件の犠牲になっているのが、他の地方からやってきて、スラムに住む貧しい先住民や混血の少女たちであることだ。

 この映画で、犠牲者となる女工のエバはメキシコ中部オアハカの出身である。テレビ製造工場での仕事を終え、帰宅途中にバスの運転手と、もう一人の富裕層の男に襲われる。エバは辛うじて生き延びて母のもとに舞い戻り、クランデーラ(呪術師)によって悪魔払いをしてもらう。このシーンを見れば分かるように、霊の存在を信じる先住民である。クリオーリョ(スペイン系)からなるメキシコの上流階級は、そうした先住民の信仰を前近代的として唾棄する。エバを匿う人権団体の代表者テレサですら、エバの恐怖を妄想として切りすてる。

 二〇〇六年に、僕は少女たちの死体が遺棄されている現場の一つロテ・ブラボーと、エバのような難民たちが住むコロニア・アナプラを訪れた。難民たちが住むのが、フアレスの西はずれのスラムであるとすれば、東部地区のゲート付きの家に住むのが富裕層やマフィアであるというように、街は完全に二分されている。この事件は、ボーダーで剥き出しになったメキシコの階級・経済格差を背景にしてはじめて起りえた社会構造的な事件だ。

 さて犯人像だが、この映画では、すでに警察に捕まっているとされるエジプト人(アル=アワール)や、深夜バスの運転手(ドミンゴ・エスパルサ)や、地元の富裕層(アリス・ロドリゲス)が主たる実行犯として描かれ、背後にアメリカの有力政治家(ローリング上院議員)や、地元の経済界の実力者(サラマンカ家の御曹司マルコ)に、地元警察などが絡み合っているという構図が提示されている。

 サイモン・ホワイトチャペルの『クロッシング・トゥ・キル』(二〇〇〇年)によれば、エジプト人(シャリフ・シャリフ)が主犯であり、一九九五年に逮捕されたが、拘留所に街の不良グループ「謀反人(ルビ:ロス・レベルデス)」を呼びこみ、かれら少女たちの誘拐殺人を依頼し、自分の犯罪を擬装。また、シャリフ・シャリフはバスの運転手も買収し、五名からなるグループ「おかかえ運転手(ルビ:ロス・ショフェロス)」は九九年に捕まっている。それでも事件は沈静化の兆しを見せない。

 政治家や財界人や地元警察も含めた、複数の集団が関わっている「組織的な犯罪」という見方が有力だが、その構図を解き明かすのは容易ではない。というのも、アムネスティ人権委員会の推奨するこの映画ですらも踏み込めなかった領域があるからだ。それは南米コロンビアのコカインの密輸に関与する麻薬マフィアの存在だ。

 フアレスには、九三年から実権を握ったとされるアマド・カリージョ・フエンテスに率いられたメキシコ一の麻薬マフィアが存在する。アマドは自家用ジェット機を二十七台以上も所有し、コロンビアの麻薬をメキシコに運びいれ、それをフアレス経由で米国へと密輸して、絶頂期の九〇年代には、二五〇億ドルという莫大な収益を挙げたといわれる。

 メキシコの各都市はマネーロンダリングの基地となり、結果的に、ドラッグ密輸が地元の経済を潤すことになった。そんな「勝ち組」を前にして、政界も財界も弱腰にならざるを得ない。この事件にマフィアが絡んでいることは明らかであり、メキシコの当局がこのタブーに踏み込まないかぎり、事件は解決を見ないだろう。
(『すばる』2008年10月号) 318-319頁)

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