越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ジョナサン・フランゼン『コレクションズ』(5)

2011年09月19日 | 小説
 フランゼンもまた五人の視点人物に憑依して、より大きなアメリカ的価値観を問い直す、新しいタイプのメガノヴェルを志向している。

 フランゼンが夫婦の争いを「戦争」のメタファーで描くのは、そうすることによって誇張による滑稽味が出ることもあるが、より重要なことは、アメリカの外の世界で実際に起こっている「戦争」に対して読者の連想を誘うことができるからだ。

 小説の「語りの現在」とされている九〇年代の後半、アメリカは東アジアや南米の経済危機を尻目に、チップに「金儲けをしないことが不可能だ」とまで言わせるほどの経済的な好況を呈していた。

 そのチップは、ソ連から独立を果たすバルト海のリトアニアで、ネット詐欺まがいの事業に手を貸し、旧東欧の急激な資本主義化のなかで、マフィアと手を組んだ新興財閥(ルビ:オルガイヒ)による利権争いに巻き込まれる。

 チップがかかわるのは、ネット情報を武器にしたグローバル時代の経済戦争だ。

 勝ち取るのは領土ではなく、金だ。世界銀行やIMF(国際通貨基金)などが小国の産業を民営化させようとして、融資の条件をつり上げる。

 「世界銀行に融資を申しこむと、彼らは産業を民営化しろと命じた。そこで政府は港を売りだした。航空システムを売りだし、電話網を売りだした。いちばん高い値段をつけたのはたいていアメリカ企業で、たまに西ヨーロッパの企業のこともあった」

 経済危機に陥った小国が資金力のある多国籍企業に乗っ取られてしまう事態が生じる。

 中西部の家族の小さな争いの向こうには、アメリカ的世界観によって引き起こされた軍事的、経済的な戦争がある。

 フランゼンの笑いをもたらす風刺小説には、そんなアクチュアリティが潜んでいる。

(つづく)

 
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