ユーモアをこめた大人の「童話」
クーヴァー『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る』
越川芳明
アメリカ社会で崇(あが)められている思想や偶像を過激なユーモアによって笑いとばすことにかけて、
クーヴァーほど優れた作家はいない。
本書で笑いの対象にされるのは、一世紀も前にイタリアで生まれたピノッキオだ。
彼はいまや美術史家として数々の著書を世に問い、ノーベル賞も獲得し、アメリカの大学の名誉教授となっている。
老教授ピノッキオは、中世イタリアの文豪の一人ペトラルカを師と仰ぐ。
ペトラルカといえば、本書でも名前を挙げられている『わが秘密』の中で、
あるべき人間の姿について、聖アウグスティヌスに「自分の欲望を理性にのみ従属させ、
心の動きを理性の手綱で制御している」ことだと言わしめる。
しかし、老ピノッキオは自叙伝の最終章を書くために故郷ヴェネツィアに帰ってくるが、
当地で元教え子であるアメリカ娘に遭遇し、彼女の性的な魅力に欲情を覚えてしまう。
老ピノッキオは、それまで押し殺してきたもう一人の自分に目覚め、自分の「欠陥」を受け入れる。
老教授が自らの欲望に暴走する後半のシーンは、折しもカーニバルの最中で、
聖母への冒涜的な描写をはじめ、
エロティシズムとスカトロジー(ふん尿趣味)があいまったクーヴァー一流のお下劣な笑いが最高潮に達する。
二十世紀は「アメリカの世紀」と呼ばれた。
頭でっかちの理屈をこねて「長く輝かしい人生」を送ってきた老ピノッキオに、アメリカ国家の姿が重なる。
九十年代初頭に刊行された本書は、心身ともにガタがきたピノッキオを描くことで、
同時多発テロ事件に端を発する今世紀のアメリカの衰退を予想していたのだ。
さらに興味深いのは、老ピノッキオの最後の決断だ。
彼は母である青い髪の妖精に、元の木偶の棒の人形を生き返らせてほしいと頼む。
世界の「非の打ち所のない模範」であることをやめ、たとえ愚かでも他の木の人形たちと仲良くやっていく道を選びたいと言う。
「大国アメリカ」へのそうした政治的なメッセージを隠し持った大人の「童話」だ。
(『日経新聞』2012年11月4日(日)朝刊)