越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 ローラン・ビネ『HHhH  プラハ、1942年』

2013年09月24日 | 書評

ナチス高官の暗殺計画を語る、ポストモダンの「歴史小説」

ローラン・ビネ『HHhH  プラハ、1942年』

越川芳明

 

 ナチス高官ハイドリヒの暗殺計画をめぐって、ポストモダンの語りの趣向を施した「歴史小説」だ。

 ポストモダンの語りというわけは、語り手が自身の語りに対して自意識過剰とも言える言及(寄り道)を行なうからだ。それは、物語の進行をとめて、すでに山ほどもある関連文献(ラングやサークの映画や、クンデラやフローベールなどの文学)に対する語り手自身の評価を差し挟む行為にもつながる。「歴史事件」や「歴史的な人物」を扱う場合、「事実」を積み重ねながら、「捏造」に注意を払わねばならないのだ。だが、小説とは、ある意味「捏造」そのものではないのか。

 一風変わったタイトル「HHhH」は、「ヒムラーの頭脳は、ハイドリヒと呼ばれる」という文章をなす、それぞれの単語の頭文字を並べたものだ。

 語りの前半では、「ヒムラーの頭脳」こと、ハイドリヒの破竹の勢いの昇進が語られる。彼はヒムラーが創設した「国家保安本部」の長官に任命され、「ユダヤ人問題」で大量のユダヤ人の処刑を実地したのち、強制収容所でのユダヤ人の集団虐殺を提案することになる。

 とはいえ、語り手がめざすのは、ホロコーストやナチス高官たちの行状をめぐる物語ではない。後半では、チェコ軍人による秘密計画に比重が移るからだ。チェコスロヴァキア亡命政府によって密かに<類人猿作戦>と呼ばれたこの計画は、首都プラハに保護領総督代理として就任していたハイドリヒを暗殺するというものだった。ほとんど自殺行為に近いこの秘密計画に携わったのは、亡命軍の兵士ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュという二人の青年だった。かれらを側面で支援し、歴史の暗部に消えていったチェコ市民に対する記述にも語り手の深い共感が感じられる。

 短い断章を変則的に積み重ねるこの物語は、過去の時代を反映するというより、ネオナチが台頭する現代を反映させるべく書かれている。それが、歴史の「捏造」というディレンマを越えて、これが読者の心と記憶に訴える優れた小説になっているゆえんだ。

 時事通信 2013.7

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書評 リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』

2013年09月24日 | 書評

遺伝子のベンチャー

リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』

越川芳明

 

 つい先頃、米連邦最高裁判所は、さるベンチャー企業が保有する乳がんや卵巣がんのリスクを高める遺伝子の特許を無効とする判決を下した。だが、合成DNAの特許まで否認されたわけではなく、遺伝子診断ビジネスは留まるところを知らない。

 『幸福の遺伝子』は、そんな最先端の生命工学とベンチャービジネスの絡んだ、実に現代的なトピックを扱う長編小説だ。

 あたかも生まれつき特別な「幸福の遺伝子」を持っているのではないか、と思わせるタッサという二十代の女性が登場する。いつも幸せそうにしているだけでなく、彼女はまわりの人々にも陽気な気分を「伝染」させる。だが、アルジェリア生まれの彼女の人生は激烈そのもので、内戦で父親は暗殺され、母や弟とパリに亡命。母は病死し、弟と一緒にカナダに逃げ、いまはシカゴにある芸術大学で学ぶ。

 彼女は、あるときデートレイプ事件に巻き込まれる。彼女に関して、関係者の一人がうっかり警察に使った心理学用語がマスコミにリークされ、一躍「時の人」に。さらにネット上のブログや人気のテレビ番組によって、「幸福の遺伝子」を持つ特別な人という「虚像」が膨らみ一人歩きする。やがて彼女の遺伝子を検査したいとか、卵子を買いたいというベンチャー企業が現われる。とりわけ、トマス・カートンというゲノム学者をめぐる物語が、現代のファウスト博士の姿を浮び上がらせる。

 ところで、主人公は芸大生タッサの出席する創作の授業で、ノンフィクションの「日記」の書き方を教えるラッセルという二流の作家だ。だが、フィクションとノンフィクションは、ラッセルの教えるように、はっきりと分けられるわけではない。

 時折顔を出す語り手の「私」はこの小説時代が虚構(作り話)であることを訴えるが、そのような虚構性は、小説の専売特許というわけでない。ネットやテレビ番組を初め、いたるところに紛れ込んでいる。そんなことを示唆する優れた現代小説だ。

(『北海道新聞』2013年6月30日朝刊)

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書評 コラム・マッキャン『世界を回せ』 

2013年09月13日 | 書評

多種多様なニューヨークの市民像 

コラム・マッキャン『世界を回せ』 

越川芳明

  ニューヨークを舞台にした、9/11以降を見据えた小説だ。

 弁護士や医者、サラリーマンやエレベーターボーイ、掃除夫など、さまざまなニューヨーカーが世界貿易センタービルの上空を眺めている。

 だが、それは二〇〇一年に同時多発テロで崩壊するツインタワーではない。ビル完成の翌年(一九七四年)の夏、ある男(綱渡りの大道芸人フィリップ・プティ)が二棟のあいだに鋼鉄ロープを張って綱渡りを行なった、その有様を見ているのだ。

 この冒頭の描写は、小説の基調をなす。生死を賭けたアクロバティックな行為が、9/11以降に荒んでしまった人々の心に、癒しのヒントを与えてくれるからだ。

 作家は失われたタワーを回復するために三十年ほど過去にさかのぼる。だが、それは過去を美化するだけのノスタルジーではない。その証拠に、アメリカ政治の失態とも呼ぶべきものーーニクソン大統領の辞任劇や、ベトナムや中東を舞台にアメリカが関与する戦争への言及があるからだ。

 とりわけ、ベトナム戦争で息子たちを失った母親の会が象徴的だ。メンバーの中の上流階級の白人女性クレアと下層階級の黒人女性グロリア。出自も階級も人種も異なりながら、悲しみを共有する二人が、誤解を乗り越えて心を通わせる。これも、当事者からすれば、一種の危うい綱渡りなのだ。バランスを失いそうになりながらも勇気を奮って行なう心の綱渡り。異なる人間同士のコミュニケーションの綱渡りが各所で見られるのがこの小説の醍醐味だ。

 小説の語りに注目すると、多種多彩な人物が登場して、一人称と三人称の語りが並存する。とりわけ、一人称の語りは、作家の分身とも言えるアイルランド人キアラン以外に、ほとんどが女性だ。

 中西部出身の大金持ちの娘で、ソーホーでのきらびやかな生活に飽き足らない思いを抱く画家のララ。貧困地区サウス・ブロンクスに住む中年の黒人売春婦ティリー。夫を暗殺されてグアテマラから子供を連れて亡命してきた看護師アデリータ、そして前述したグロリアなど。

 ウォールストリートばかりがニューヨークではない。この都市には実にさまざまな人種や階級、思想や信仰を有した人々が住んでいる。紋切り型でない彼ら一人ひとりの「声」を作り出すこと。それこそ、作家が「グラウンドゼロ」という舞台に仕掛けたアクロバティックな言葉の「魔術」でなくて何であろうか。

(『日経新聞』2013年7月28日朝刊)

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