越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

オリンピックの野球(キューバチーム)

2008年08月15日 | スポーツ
2008年の北京オリンピックの野球。日本の初戦は、キューバ戦だった。日本はエースのダルビッシュを先発に立てたものの、気負いすぎたダルが制球をみだし、キューバの打線に狙い打ちされ、結局、4対2で敗れた。

どうしてプロ選手でないキューバチームが強いのか。
キューバの国内リーグは11月から始まるという。野球はキューバではウィンタースポーツなのだ。だから、夏に開かれるオリンピックでは、ベストメンバーが組めるというわけだ。

社会主義国として、エリート選手育成プログラムがすぐれた選手とチームを作りだすのに大いに寄与しているが、観客の目も肥えていて厳しい。口角泡をとばすような、熱い議論がハバナの公園で交わされているらしい。



(ハバナの中央公園)

今年の夏は、オリンピックの野球というより、ハバナッ子の熱い盛り上がりようを見ておこう。
日本みたいに、ファンが外野席で楽しく踊っているだけではだめで、見る者たちの厳しい目と声が選手を鍛えるのだから。


(キューバの球場の応援風景)

次回は、可能であれば、キューバからブログをアップします。
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書評 上野清士『ラス・カサスへの道』

2008年08月10日 | 小説
先住民の「心」で、世界史を考える
上野清士『ラス・カサスへの道』(新泉社)

越川芳明

 歴史が、活字メディアを操る者たちによって記(しる)されるものだとすれば、そうした手段を持たない者には歴史は存在しない。だが、弱者のための歴史を書こうとする「良心」の人もいる。

 ラス・カサスとは、大航海時代のコロンブスと同時代の人であり、そんな反権力の人だった。カトリックの司祭として「新世界」に赴くが、「征服者」たちの残虐非道の行ないを目にして、それを国王やヴァチカンに訴え、先住民の「保護官」に任ぜられた。

 かれは教会の内部にとどまらず、第三世界の都市スラムの貧者と行動を共にする20世紀の「解放の神学」の神父たちの遠い祖先でもあったわけだが、晩年は執筆活動に専念し、インディアス(新大陸)の<発見>の歴史を書いた。

 著者はラス・カサスの残した布教の足跡を生地スペインからたどり、カリブ海のエスパーニャ島、キューバ島、中米地峡(パナマ、ニカラグア、エル・サルバドル、グアテマラ、メキシコ、ホンジュラス)、南米(ベネズエラ、ペルー)へと旅する。

 しかし、これはラス・カサスのテクストに導かれた、ただの歴史探訪の書でもないし、ラス・カサスを聖人扱いする伝記でもない。著者の関心は、現代の被征服者の生き方にある。各章には、これらの国々の政治問題や民族・宗教問題へのスパイスのきいた論評が差しはさまれている。

 とりわけ、後半のグアテマラの章では、カトリック教会とラス・カサスの限界についてきびしい批判をする。メキシコをはじめ中米に十四年暮らし、思考をめぐらしてきた著者の行き着いた地点は、キチェ族をはじめとするグアテマラの先住民やインディオの視点であり「心」だった。

 著者は、グアテマラの各地にあるカトリックの教会で「濃密な異教的気配」を感じ取り、そこにカトリック教会がそっくりそのまま移植されたわけではないことを理解する。

 先住民はこの五百年間に、「『平和的布教』で生じた隙間をたくみに活かして、祖先の霊を彼らの宗教体系のなかで生きながらせた」と、著者はいう。

 本書は、欧米による支配の歴史のみならず、ペルーのフジモリ問題をはじめ、被征服者の視点から民族や宗教の対立をめぐる現代世界の矛盾を考える格好のテクストである。
(『時事通信』による配信原稿に、若干手を加えてあります)
*******************************************************

上野清士(うえの・きよし)1949年埼玉県生まれ。ジャーナリスト。著書に、『フリーダ・カーロ 歌い聴いた音楽』(新泉社、2007年)、『南のポリティカ 誇りと抵抗』(ラティーナ、2004年)など多数。


グアテマラの先住民のミスコン<ラビナ・アハウ>



「アルタ・ベラパス州の州都コバンで毎年七月下旬に行なわれるミス・インディへナ女王コンテスト「ラビナ・アハウ(王の娘)」に三年つづけて通った。このコンテストについて、リゴベルタ・メンチュウは本のなかで、「(民族)衣装を見てきれいだとは言うが、それはお金になるからで、中身の人間にはなんの値打ちもないのだ」・・・と批判していた」(上野清士、上掲書320頁より)


上野清士『ラス・カサスへの道』の関連サイト
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/123e9d2b82c72f1eeeec5539aa116ed7

http://www.amazon.co.jp/ラス・カサスへの道


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書評 今福龍太『ミニマ・グラシア 歴史と希求』

2008年08月04日 | 小説
瓦礫の視点による<反歴史>の書
今福龍太『ミニマ・グラシア 歴史と希求』(岩波書店)
越川芳明

 本書のタイトルはささやかなる恩寵とも、小さな感謝とも受け取れる。

 著者自身が「自分にとってもおそらくもっとも倫理的な態度のもとに書き継がれたテキストを収めた」と断言する本書は、文化人類学者としてのありきたりの領域を越えて、文学や芸術の分野から「政治的な」発言をしようとする意思に貫かれている。

 それは、おそらく9.11以降の超大国アメリカによる独善的な軍事侵攻やメディア戦略によって、われわれの想像力がどんどんやせ細っていくことに対する著者の苛立ちをバネにしているようだ。

 というのも、世界を善と悪、敵と味方で単純に峻別するような政治言語や、衝撃的な映像を何度も繰り返すことでわれわれの視覚を鈍化させるマスメディアのやり方では、痛みや苦しみの感覚すらも鈍化させることになり、「他者」へのまなざしが失われるからだ。

 それらの平板な言説や映像戦略に対して、著者の取る姿勢は「歴史について思いをめぐらすことは死について思いをめぐらすことである」と語るソンタグにならって、死者の側から現実を見やる「反歴史」の姿勢だ。

 著者は、政治ジャーナリズムが絶対に持ち得ない瓦礫の想像力(ベンヤミン)や植物のヴィジョン(ソロー)や砂漠の思想(ジャベスほか)を援用しながら、世界の陰影を読み取っていく。とりわけ、人類の文明が廃墟を内蔵するという論点は重要だ。それは9.11の事件を事象として捉えるジャーナリズムの視点を越えるものだから。

 たとえば、第二部の「戦争とイーリアス ソローからヴェイユ」と題された、スリリングな論考では、勝者も敗者もなく、戦争や破壊の悲惨さを冷徹に描いた芸術家や詩人による公正な視線が示される。『イーリアス』のホメロス、『ウォールデン』で有名な自然観察者のソロー、ナポレオンのスペイン侵攻を描いたゴヤ、スペイン内戦に参加したシモーヌ・ヴェイユを経て、ヴェイユの同時代人で亡命ユダヤ系ウクライナ人のラシェル・ベスパロフへとたどる<暴力芸術>の系譜。

 そうした異例のジャンル横断の方法論は、著者によって、「即興的な時間錯誤と空間錯誤の方法」(291)と呼ばれるが、まさしくボーダーの想像力に導かれた方法論ともいうべきものだ。

  世界のどんな辺鄙な場所で起こった映像を瞬時に世界中に伝えるマスメディアの「世界同時性の強迫観念」や紋切型の現実像に対峙するかのように、著者は写真、絵画、文章、詩などの異なる分野で、みえざる地下水脈に満々たる水をたたえている芸術家たちを掬いとってくる。芸術家とは、自然や現実を変形する自由を用いて、固有の出来事の表層の下にある人間の普遍性をわれわれに伝えるものだから。
 
 本書で何度も特権的に扱われるソンタグやベンヤミンを別格にして、文学の世界では、フアン・フェリーペ・エレーラ、ギーエン、インファンテ、アレーナス、シモーヌ・ヴェイユ、ソロー、カネッティ、ジャベス、アビー、チャトウィン、ドルフマン、ブロツキー、ジョイス、ハックスリー、パス、石牟礼道子、金芝河など、写真では、東松照明、ジェイコブ・リース、レオ・ブランコ、コミックでは、アート・スピーゲルマン、映画では、カサヴェテス、メカス、絵画では、ゴヤ、レオン・ゴラブ、フェルナンド・ボテーロなどが、時代と国を越えて「反歴史」の歴史を構築すべく参照される。
 
 それらの芸術家たちの作品は、著者がわれわれと分有することを希求する歴史の「恩寵」であり、「感謝」の徴にほかならないからだ。
(『すばる』2008年9月号に加筆修正)

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自分自身の独裁者――フィデル・カストロのイメージ

2008年08月02日 | 小説
自分自身の独裁者――フィデル・カストロのイメージ
越川芳明

<アメリカ合衆国の中のキューバ>

 もう四、五年前のこと、ロサンジェルスに住むメキシコ系(バハカリフォルニアのエンセネーダ出身)の友人Sに連れられて、朝飯をとりに近くのキューバ・カフェに行ったことがあった。
 Sのアパートもそのレストランも、ダウンタウンの近くのエコパークという廉価な住宅地にあった。Sの住む二階建ての建物の一階には、Sのやっている「画廊(ワークショップ)」のほかに、エルサルバドル出身の女性のやっているペットショップ、ソノラ(メキシコ)出身の老夫婦のやっているミニスーパー、夫を亡くして二人の子供と住むミチョアカン(メキシコ)出身の女性のタコスの露店などがあり、まわりを見まわしても、北米のラティーノを形成している民族は一様ではなかった。
 キューバ・カフェに入ると、Sはカウンターの老バーテンダーにスペイン語で話しかけた。すると、老人はそんな挑発には乗らないよ、というかのように、首を横に振った。
 Sは僕に英語で、かれらキューバからの移民にキューバの現状やカストロのことを話させると、悪口が止まらないなくなるから面白い、と言った。
 それから数年後、僕はマイアミのリトル・ハバナとして有名な八番通りのキューバ・レストラン<ベルサイユ>に行き、夕食をとろうとした。折から州知事選挙のまっただ中で、最後の日曜日ということもあり、食事をしていると、そのうち外が賑やかになった。すると、共和党の候補者がテレビカメラや運動家たちと一緒に店に入り込んできた。いうまでもなく、亡命キューバ人はカストロとその革命政権を嫌っており、ブッシュ政権の絶大なる支持者であり、その右翼グループ<キューバ系アメリカ人財団 CANF>は、カストロ政権の転覆をはかって、議会に圧力をかけるロビー活動グループである。
 キューバ出身の亡命作家、レイナルド・アレナスはそんなマイアミを『夜になるまえに』の中で、「キューバ島の幽霊」(377)と呼んだ。なぜなら、カストロ政権下でホモセクシュアルを唾棄するマチスモの伝統を逃れて、せっかく異国にやってきたのに、むしろ亡命キューバ人たちの土地は、キューバ以上にマッチョの街で、ゲイ作家には「キューバのカリカチュア」(377)すぎなかったからだ。
 最近は、海外でカストロをめぐる出版物がいろいろと出版されたり、カストロ自身が海外のマスメディアに露出していたりするとはいえ、カストロの「実像」は、依然として不透明だ。
 ここでは、カストロのイメージを形づくるのではなく、作られたさまざまなイメージの差異を紹介してみる。そこから、カストロとその政権の功罪を迫ってみたい。

<「革命の指導者」のイメージ>

 同じキューバ革命の功労者なのに、アメリカ合衆国の中のフィデル・カストロのイメージは、チェ・ゲバラよりはるかに分が悪い。
 七〇年代に、メキシコ系アメリカ人がみずからの公民権運動を自民族中心主義から、先住民や黒人など他の国内の有色マイノリティや、アンゴラやキューバなど「第三世界」との連帯をうたった国際主義へとシフトさせたときに、かれらの運動の傍らに掲げられたのはゲバラのイコンであり、フィデルのではなかった。もちろん、カストロも「国際主義」を掲げて、アンゴラにキューバの兵隊を送っていたにもかかわらずに。
 一九七一年の「パディージャ事件」の影響かもしれない。事件は反体制をめぐるカストロ政権の闇を世界に知らしめた。詩人のパディージャを投獄し、強引に「改心」させた。そのため、サルトル、バルガス=リョサ、イタロ・カルビーノなど、ヨーロッパや南米の文学者が共同でカストロに公開質問状を送りつけた。かれらはカストロ政権下のキューバに対して、微妙なスタンスを取るようになる。革命政府は認めても、カストロ政権のよる文学者への弾圧に反対するという意味で。
 アメリカの映画監督オリヴァー・ストーンが行なった画期的なカストロ・インタビューがある。そのドキュメンタリー映画『コマンダンテ』(二〇〇二年)の中で、カストロは面白いことをいっている。自分のオフィスで働きづめでスポーツしたりや娯楽に割く時間がないことを、ストーンが「まるで囚人のようですね」というと、カストロは「そうだ。私も囚われの身だよ。この部屋は独房のようなものだ」と、応じる。
 しかし、そうした囚人としての革命家の孤独も、カストロ政権によって実際に独房にいれられた側の者、作家のレイナルド・アレナスにいわせれば、自分で好んで選び取ったものだ、ということになるだろう。アレナスはこういっている。
 「フィデル・カストロはこれまでずっとある人物に忠実なのだが、その人物というのはまさしくフィデル・カストロ自身に他ならない」(98)
 チェ・ゲバラは、革命直後の一九六一年にキューバ軍の機関誌に寄せた文章(『革命 ゲバラは語る』に収録)の中で、革命の指導者としてのカストロのことをこう言っている。

「彼は巨大な個性をもった人間なので、どのような運動に参加しても、指導性を発揮したことであろう。・・・(中略)しかし、彼には別の重要な特質がある。たとえば、細部を見失うことなく、全体の情勢を理解するために、知識と経験を集中する能力、未来にたいするかぎりない信念、そして未来を予見し、行動においてそれを先取し、自分の同志たちよりもさらに遠く、そして良く見ることのできる視野の広さ。このような優れた基本的な特質をもって、・・・(中略)カストロは、無からキューバ革命という現在の巨大な建造物をつくりだすために、キャーバにおいて、他のだれよりも多くのことをなしとげたのだ」(30)

 六五年の「アジア・アフリカ人民連帯機構」でのゲバラによるソ連批判に端を発する意見の対立もまだなく、また軍の機関誌という媒体の制約もあり、ゲバラが指導者としてのカストロを高く評価するのは当然だとしても、そこには見られるのは「巨大な個性」や「未来にたいする信念」や「視野の広さ」などといった陳腐な表現であり、ゲバラ特有のユーモアが欠けていて、面白くない。
 カストロ自身は、指導者としての自身の功績をストーンの映画の中で、こう振り返っている。
 
 「私は自分のことを批判しすぎる傾向がある。・・・(中略)我々がやってきたことを誇ろうとは思わないが、他の中南米の国よりは多くのことをしてきた。革命当初、キューバ国民の識字率は実に三割で、六割が読み書きに問題を抱えていた。一割の者にしか一般教養がなかった。そういうと誇張しすぎだと思うだろう。革命が勝利した当時は、悲惨な状況だった。大学での専門職はわずかに三~四万人、今は七〇万人以上が大学を卒業する。革命の偉大な進歩を表す数字だ。売春婦さえ大学を出ている。革命前のキューバには十万人の売春婦がいた。いまは少ない」
 
 カストロやカストロ政権について書かれた本でも、たいていがゲバラのように月並みな賛美に終始していて、ユニークな視点や表現で捉えているとはいいがたい。 
 たとえば、戸井十月は『カストロ 銅像なき権力者』の中で、銅像であれ、写真であれ、文章であれ、自己の偶像化を禁じるカストロを「清廉」と「無私」の人だと讃えている。(57)
 それに対して、もちろん、するどい批評を加える者もいる。元在キューバ英国大使のレイセスター・コルトマンは『カストロ』の中で、カストロの「倒錯的な」能力に着目して、カストロは「敵こそ自分を鍛える味方だ」と考えていた、と指摘する。(328)。むろん、敵とはアメリカ合衆国のCIA(米中央情報局)である。
 その敵側のCIAの元職員ブライアン・ラテルは、カストロの公式の演説を逐一分析する仕事に携わってきた人だが、『フィデル・カストロ後のキューバ』の中で、カストロの長演説は「退屈な凡庸な言葉使い」(230)にすぎず、なぜ人々が魅了されるのか、理解に苦しむという。
 しかし、カストロが一番時間をかけて心を砕くのが演説原稿である。カストロはストーン監督に「詩は書かないのか?」と訊かれて、こう答える。

 「いや詩は書かない。だが、ものを書くときは言葉の調子を大事にする。言葉を組み合わせ、ある種の調子やリズムを持たせる。話すほうが多くを生み出せるだろ。私はどれだけ多くの逸話を語ったんだろう」

 元CIAのブライアン・ラテルは、カストロの自己の偶像化の禁止に関して、戸井とは違う見解に立つ。銅像を建てたり、公共の施設や公園で自分の名前を刻んだりするのを禁じるのは、むしろ、人民の心の中に自己のイメージを刻み付けることだ、と。(214)
 ラテルはそこまで言っていないが、ある意味で、偶像を禁じるキリスト教的な手法を無神論者のカストロが応用している、といえるのではないか。
 カストロはかつて毎日のように演説し、それがテレビ放映されたが、まるで、デザイナーズ・ブランドでもあるかのように、というか、法王がつねに白い法衣をまとうのと同じように、つねに生地のよさそうな光沢のある緑色の戦闘服を身にまとう。
 ブライアン・ラテルの分析によれば、世界中に知られたそうしたカストロのファッションも、人々の中に指導者としてのイメージを定着させ、指導者への熱烈な崇拝を起こさせるイメージ戦略と結びついているという。

 「戦闘靴、オリーブ緑色の戦闘服、戦闘帽、皮ケース入りの拳銃というゲリラの装いは、熱烈な生涯革命家のイメージを醸すべく計算されている。・・・(中略)戦闘服を常時まとうことによって、文民でも伝統的な軍の司令官でもない<民軍混成の革命家>を体現する」(247)
 
 作家のレイナルド・アレナスは、カストロの教条的な服装の強制についてこういっている。

 「男はどんな服装をしないといけないか、フィデル・カストロはそういった面の権威を自認して演説したことがある。ギターを弾きながら通りを歩く長髪の若者たちをも同じように批判したものだった。どんな独裁も政敵に純潔を守り、生の躍動を許さないものである。生のどんな表現もそれ自体、あらゆる教条主義的な体制の敵である。フィデル・カストロがぼくたちを迫害し、自由にセックスさせず、生気を表に出すことを抑圧しようとするのも当然のことだった」(143)

 そうしたファッションと同様、私生活の情報を隠すという情報操作、さらに人々にフィデルと愛称で呼ばせる戦略など、すべてが革命の指導者として偶像化へのベクトルを指向している。
 カストロは私生活を公にしていないし、公邸のありかも秘密だ。八〇年に結婚したといわれる妻ダリアとのあいだに五人の子供がいることはわかっているが、ブライアン・ラテルは、「ダリアと息子たちの存在は数年前まで最高機密だった。CIAの分析者でさえ、存在を知らなかった」(242)という。
 そうした自己の私生活にまつわる秘密主義に関して、カストロはオリヴァー・ストーンにこう弁明している。
 「私は革命家として家族と政治の混同を避けてきた。ファーストレディたちの話はバカげたものに思える。自分の子供に割いた時間はあまり多くない。子供と過ごした時間によって父親のよさが決まるなら、私はよい父親ではない。だが、子供たちを愛している。毎日、子供に会っているわけではないが、一緒にいるときは有効に使おうと思っている」
 私生活を隠す代わりに、自分がキューバ全体の父親役を買って出ているのではないかというのは、戸井十月だ。

 「式典会場では、人々がアイドルの名を呼ぶように、あるいは敬愛する父の名を呼ぶようにカストロの名前を呼んでいた。殆どのキューバ人にとって、カストロが替わりのきかない父親のような存在であることは、キューバを旅すると肌で感じることができる。カストロから見れば、一一〇〇万人のキューバ人たちは、自分の命を賭けて解放し、人生を賭けて守り、育ててきた子供たちのようなものだろう」(143)

カストロにとって、「私生活はない!」というイメージづくりは革命の指導者として重要であった。自分の秘密の公邸にごく一部の信頼している人を除いて招くことはなく、その結果、ブライアン・ラテルのいうように、「人々は、フィデルは革命と結婚したのであり、彼が身を焦がすほどの情熱を注いでいるのは革命だけだ、という印象を抱くようになった」(241)からだ。

<「独裁者」のイメージ>
 
 カストロはストーンのドキュメンタリー映画の中で、誇らしげにこう見栄を切っている。

「私の考えは借り物ではない。生涯、自分自身の仕事をし、任務を遂行してきた。私は自分自身の独裁者であるといえる。私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷だ。それが私だ」

 その少し前に、カストロはこうも言っている。
「独裁者は本当に悪か。アメリカは傑出した独裁者たちと大変親密だったのではないか。マルクスは個人の独裁ではなく、プロレタリア独裁を語った。わたしは重要な問題を説得によって、また道徳的な権限によって解決してきた。この43年間、国民を抑圧する警察官はいなかったはずだ」
「警察国家」としてのカストロ政権を痛罵するのは、レイナルド・アレナスである。パディージャ事件のあった七一年には、そうした言論弾圧に加えて、第一回教育文化会議がひらかれ、同性愛は病気であるとの定義をくだし、ホモセクシャルの抑圧に走った。(198)。
 レイナルド・アレナスにとっては、ホモセクシュアルの芸術家としてのみずからの存在を否定するという意味で、カストロもバチスタと同じだ(357)。アレナス自身の哲学によれば、「美自体が独裁者」であり、美自体は政治的な独裁が課す制限を超えようとするものだ。(135)

 後年、セネル・パスによる原作『狼、森、新しい人間』(邦訳は『苺とチョコレート』)に基づいて、ホモセクシュアルの知識人の目からカストロ政権を見た映画『苺とチョコレート』(1993年)が作られたが、七〇年代後半における検閲や監視をテーマにしているために、カストロ政権の闇が鮮明に浮きあがる。
 ディエゴというホモの知識人が住む建物の壁には、「FIDEL」と、大きな文字のグラフィティが書かれている。なんどか登場人物の動きをキャメラが追いかけるときに、その落書きが映し出される。そのことは何を意味するのだろうか。
 落書きは、公序良俗をみだすアナーキーな行為だから、軍事独裁者は、それを嫌う。ただちにそれは消されるはずだ。なぜディエゴの住む建物の壁のそれは消されないのだろうか。それは、カストロ政権が表現の自由を許す民主政権であることをしめすためだろうか。だが、そういう解釈は、この映画のテーマにそぐわない。 
 というのも、冒頭のシーンにすでに監視社会への風刺が見られるからだ。ダビドが恋人ビビアンを安ホテルに誘うが、ダビドが窓の外を覗くと、向かい側の建物に「革命防衛委員会」の看板が映し出される。他ならない民間の監視体制だ。
 とすれば、先ほどのフィデルのグラフィティは、偏在するフィデルの目、あるいはフィデルによる監視・検閲の圧力の象徴といえないだろうか。
 アメリカのメインストリームの物質主義や消費主義に対してノーを突きつけたビート世代の中でも番の闘士といえるアレン・ギンズバーグは、処女詩集『吠える』(1956年)が猥褻文書として発禁処分になり、裁判闘争で勝利を勝ち取った人だ。その風貌も、無精髭もカストロには負けない。洋服や物にも頓着しないそのアナーキーなスタイルは徹底しており、正真正銘の反物質主義者であった。奇しくも同年生まれのギンズバーグに比して、カストロはその品質のよい服からも窺われるように、結構ブルジョワジー的ではないか。


 一九六五年に、アレン・ギンズバーグを含めた作家代表団はキューバを訪れたが、一行に同伴したトム・マシュラーは、後年、ギンズバーグについて述べた文章(『パブリッシャー』に収録)の中で、次のようにいっている。

 「・・・カストロのとてつもなく長い演説を聞かされた。数時間は続いた演説はスペイン語だったが、ホモセクシュアルを激しく非難する長口舌をはじめ、いくらか内容が理解できた部分もあった。その夜、警察の一存で数百人の男が検挙され、監獄にぶちこまれた。翌日、アレンもリーダーの一人になって抗議行動が行われ、そのあとでホテルの部屋に警察があらわれて、アレンは所持品をまとめた。わたしはそばに立って見ていたが、キューバへの旅行もアレン流で、荷物はごく少なかった。アレンは警察につきそわれて空港へ向かった。本国に送還されるのだ」(373)
 
 

映画『永遠のハバナ』より
 
 キューバの映画監督、フェルナンド・ペレスによる『永遠のハバナ』(二〇〇三年)は、九〇年代以降ひどい経済不況に陥ったキューバを映像に捉えている。ペレス監督は、無名のハバナの住民とその家族を登場人物にして、冴えない月並みな日常を追いかけて、撮られている本人も気づかない輝きを「発見」しようとする。
 この映画で驚かされるのは、すこし知能障害があるフランシスキート少年(十歳)とその家族(もと建築家で、妻亡きあと息子を世話するために左官屋になった父フランシスコ、孫の世話をする元美術教師の祖母ノルマ、元大学教授マルキストの祖父ワルド)をはじめ、ハバナの住民の多彩な顔ぶれだ。
 この映画の内容は「朝六時から次の日の朝六時までの、ハバナの住民たちの二十四時間」にすぎない。だが、すぐれた映画や小説に不可欠な心理的ダイナミズムが見られる。ほとんど者が昼と夜に、ふたつの顔を持ち、いわば夜の顔で夢の実現にむかって生きている。病院で汚れたリネン類を洗濯して生計をたてるイバン、夜は女性用スパンコールに身をつつみクラブの舞台でさっそうと踊る。家の修理で汗をながす貧乏青年エルネスト、夜はバレエダンサーとして国立歌劇場で蝶のように舞う。しがない靴修理屋を営む独身のフリオ老人、夜はバッチリ粋なスーツできめてダンスホールに出向き、若い女性を誘って華麗なステップを踏む。
 カストロ政権に対して、映画は単純で直接的なメッセージを発していない。だが、ヒントとなるのは、映画に出てくるふたりの死者の存在だろう。ジョン・レノンとエルネスト・チェ・ゲバラだ。ハバナの公園に建てられてボランティアの人たちが交代で見守るジョン・レノンの銅像と、バレエダンサーのエルネスト青年の家に飾られたゲバラの額入りの写真。このふたつのイコンがさりげなく何度も登場する。そこに、ペレス監督の「反権力」という政治的なメッセージを読み取るのは難しくない。それは、たんにブッシュの米国に対してだけでなく、カストロのキューバ政権に対しても、だ。映画のフィナーレに登場人物たちのプロフィールと各人の「夢」をつづった短い文章が流れるが、最後の最後にピーナッツ売りの老女アマンダが出てくる。彼女の言葉は「夢はもうない」だった。
 ペレス監督は『ハロー ヘミングウェイ』(一九九〇年)で、革命前夜のキューバの階級問題を貧しい少女の視点から撮っているが、『永遠のハバナ』では、体制が変わっても不幸はなくならないということを一番力の弱い老女の視点から語っている。
 
参考文献
レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』国書刊行会、1997年。
エルネスト・チェ・ゲバラ(佐野健治訳)『革命 ゲバラは語る』合同出版、1968年。
レイセスター・コルトマン(岡部広治監訳)『カストロ』大月書店、2005年。
戸井十月『カストロ 銅像なき権力者』新潮社、2003年。
セネル・パス(野谷文昭訳)『苺とチョコレート』集英社、1994年。
トム・マシュラー(麻生九美訳)『パブリッシャー 出版に恋した男』晶文社、2006年。
ブライアン・ラテル(伊高浩昭訳)『フィデル・カストロ後のキューバ カストロ兄弟の確執と<ラウル政権>の戦略』作品社、2006年。

映像資料
トマス・グティエレス・アレア『苺とチョコレート』1993年。
オリヴァー・ストーン『コマンダンテ』2003年。
――『Looking for Fidel』2003年。
フェルナンド・ペレス、『永遠のハバナ』2003年。
アクセル・ラモネ『カストロ 人生と革命を語る』2003年。

『現代思想』2008年5月臨時増刊号<フィデル・カストロ特集>185-191頁。

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