越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社)

2007年09月27日 | 小説
高齢化社会の中で死に対処する仕方を学ぶ
書評 伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社、2007年)
越川芳明

本書は、宣伝文などで長編詩と銘打たれているが、小説としても読める。もともと伊藤比呂美の詩は口語体で書かれ、音の響きに重きをおいた平易なものだから、詩と小説の境界など、ちょうど淡水と海水がまじり合う河口の水のように、なきに等しい。

テーマは、タイトルの「とげ抜き」に示唆されているように、人間の苦悩や苦痛を取り除くための、あれやこれやの悪あがき。悪あがきが常軌を逸していればいるほど、読み物としては面白い。たとえば、母親はわけのわからないことを口走るようになり、専門家に「見当識障害」と診断され、入院し、一方、胃がんを除去してからめっきり足腰が弱った父親は、一人で家で不自由な生活を強いられる。そんな年老いた両親の介護のために、伊藤は数ヶ月ごとにわざわざ移住先のカリフォルニアから熊本へ子ずれで帰ってくる。

カリフォルニアで生まれた幼な子を少しでも日本語に馴染ませようと日本の学校に短期間通わせようとあくせくする。学校に行くのをぐずる娘を送ったり迎えたりする合間に、父母の世話をする。そのうち、米国に残した老夫が急に手術することになり、頼りなげな電話をかけてくる。

水俣病に文字通り体を張って取り組んだ作家の石牟礼道子が、さる対談の中で、そんな伊藤比呂美の孤軍奮闘を「甲斐性」と称している。母として、娘として、妻として一人三役の大活躍。そんな破れかぶれな著者の苦労を思うと、同じような悩みや苦しみを抱えている本書の読者は、きっとみずからのトゲを抜いてもらった気がするかもしれない。

年々、日本人の寿命が延びて、世の中は高齢化が進んでいる。医療技術の進歩のもたらす最大の逆説は、老人は昔ほど簡単に死ねないということだ。葬儀のやり方を教える本はあっても、ながびく病気を抱えての死に方を教える本はあまりない。妙な言い方だが、伊藤比呂美が死にそうな両親の介護で見せてくれる悪あがきこそ、そうした高齢者の死への対処の仕方を教えてくれる格好のテクストだ。なぜなら、本書でも二度指摘されているように、だれにとっても死は初めての経験なのであるから。
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21世紀のボーダートークのフライヤー

2007年09月27日 | 小説
21世紀のボーダートーク:「あぶない国境の歩き方」

21世紀は、米国主導のグローバリズム経済の時代ですが、それに対抗する周縁からのオールタナティヴな交易も積極的に行なわれています。戦争や経済による難民など、人々の移動も激しいのが特徴です。
『トウガラシのちいさな旅』や『ギターを抱いた渡り鳥』の著者、越川芳明がホストになり、旅の達人でもある作家・詩人をゲストにお呼びし、トークショー(朗読・サイン会付き)を行ないます。国境、民族、国家など、「近代」の概念でではなく、双方向的なボーダーの視座によって、文学者の立場から日本と世界を見ようという試みです。もちろん、「国境」とのいうのは、メタファーでもあり、日本の中にも、東京の中にも「国境」は存在していること、そして、いろいろな人たちを周縁化、難民化していることを示唆するのに有効なキーワードです。

☞ 10月9日(火)19時、ジュンク堂新宿店(新宿三越の8階喫茶店)
ゲスト:作家の島田雅彦氏
中国の辺境ウィグルやモンゴルなどの旅や、世界の国境料理、スピリチュアルな旅を扱った新作「カオスの娘 シャーマン探偵ナルコ」(集英社)などについてお話いただきます。(予約制です。03‐5363‐1300にお願いします。1ドリンク付き1000円)

☞ 10月20日(土)19時、ジュンク堂池袋店(4階喫茶店)
ゲスト:詩人の佐々木幹郎氏
ヒマラヤ、チベットの旅や浅間の山での暮らしと、思索(詩作)について話していただきます。得意な朗読も楽しみです。(予約制です。03‐5956‐6111にお願いします。1ドリンク付き1000円)

☞ 10月27日(土)19時、東京ヒップスタークラブ(原宿)
ゲスト:詩人の伊藤比呂美氏
カリフォルニアと熊本間の渡り鳥人生としんどい介護生活、新作「とげ抜き新巣鴨縁起」(講談社)など、歯に衣を着せぬエログロのお話が出てくるかと。朗読もお楽しみに。これはチェ・ゲバラ没後40年のイヴェントの一部です。(予約制です。03-5778-208か info@tokyohipstersclub.comでお願いします。入場無料)

お問い合わせ
思潮社 編集部 高木真史  〒112?0014 文京区関口1?8?6?203 
電話03?3267?8141 ファックス03-3513-5867
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もうひとつのトークショー 詩人の佐々木幹郎さんと<ボーダーバトル>

2007年09月22日 | 小説
もう一つの<ボーダーバトル>が企画されました。10月20日(土)19時より、ジュンク堂池袋店4階の喫茶店にて。ゲストは、詩人の佐々木幹郎さんです。85年にロバート・クーヴァーの『ユニヴァーサル野球協会』(若林出版)を出したときに、その中の戯れ歌一編を訳していただき、お世話になりました。佐々木さんと一緒に、白山下の豆腐やでクーヴァーと酒を飲んだのもよい想い出。

それ以降、佐々木さんは、ヒマラヤを旅することが多くなったようで、チベットにもいかれているし、読売文学賞を受賞した『アジア海道紀行ー海は都市である』(みすず書房)もあることですから、詩人の目で見たアジアの辺境とその旅を語ってもらうことにします。

佐々木さんは、『佐々木幹郎詩集』(思潮社現代詩文庫)や『蜂蜜採り』(書肆山田・高見順賞)をはじめとする自作の詩集はもちろんのこと、中原中也の研究者としても有名で、『新編中原中也全集』の編集委員でもある。そういえば、きょねんの『現代詩手帖』の中原特集の鼎談(佐々木幹郎、高橋源一郎、伊藤比呂美)は面白かった。あの柔らかい関西弁に隠された鋭い批評とつっこみ。本当は、酒を飲みながらおしゃべりをやりたい。

なお、ジュンク堂のトーク・イヴェントは予約制なので、申し訳ありませんが、予約のお電話をお願いします。03ー5956ー6111です。詳細(日時/場所)は、次のホームページに載っています。http://www.junkudo.co.jp/newevent/talk-ikebukuro.html




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28日の講演会場の変更

2007年09月20日 | 小説
28日の講演の会場が変更になりました。リバティタワー14階の1145教室です。100人以上も入る大教室。パワーポイント用の機材がある部屋にしなければならず、やむを得ず。ほんとうは、小さな教室で秘密結社のようにやりたかったのですが、皆さん、たくさんきてくださいませ。
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『猫のゆりかご』論 カリブ海のヴォネガット

2007年09月20日 | 小説
氷とサトウキビーーカリブ海のヴォネガット
越川芳明

 カート・ヴォネガットは、ヨーロッパ的というか、より正確に言えばドイツ的なコンテクストで語られ易い作家かもしれない。中西部インディアナポリスのドイツ人コミュニティで生まれ育ち、母方の家はビール醸造家として財を築いたが、第一次大戦が勃発すると国内は反ドイツのムードに染まり、禁酒法が母方の家を廃業に追い込む。第二次大戦のときに、ヴォネガットは軍隊に志願入隊しヨーロッパに向かうが、ドイツ軍の捕虜になりドレスデンに送られ、そこで連合国の空軍による空襲に遭遇する。かれ自身は屠畜場の地下室で運よく命拾いするが、地上では13万人ものドイツの民間人が黒焦げになっていた。そうしたヨーロッパでの戦争がヴォネガット家やかれ自身に引き起こした不条理な出来事ゆえに、またかれがそれらを出世作『スローターハウス5』に書いたために、ヴォネガットがドイツ的なコンテクストで語られるのは少しも不思議ではない。

 だが、その後、冷戦時代の朝鮮戦争やヴェトナム戦争、さらに大儀なき戦争であることが次第に判明してきているイラク戦争を推し進めるなど、世界の「裸の王様」になったアメリカ合衆国の現在を考える参照点として、ヴォネガットはいち早く非ヨーロッパ的な地点に到達していたと見なすことはできないだろうか。

 非ヨーロッパ的な地点とは、米国のすぐ南に位置するカリブ海である。カリブ文学の研究者、山本伸がいうように、これが加わることでカリブ文学がそれまで以上のポテンシャルを帯びたという「ディアスポラの視点」(1)をヴォネガットに期待するのは一見無謀に見えるかもしれないが、カイブ海を参照点にすることで、アメリカ作家ヴォネガットが何を成し遂げたか、わたしたちにどのような思考を促すのか、この小論で検討を加えてみたい。

原爆と特殊アイス
『猫のゆりかご』(1963年)は、ヴォネガットにしてはめずらしくカリブ海を舞台にした小説だ。しかも、原爆を開発した科学者のひとりとその子孫に焦点を当てるというフィクショナルな設定によって、この小説は原爆をトピックにした先駆的なアメリカ小説といえるかもしれない。確かに原爆を扱ったポストモダン小説は一例を挙げるだけでも、トマス・ピンチョンの『重力の虹』、ロバート・クーヴァーの『火刑』、ジェラルド・ヴィゼナーの『ヒロシマ・ブギ』、スティーヴ・エリクソンの『真夜中に海がやってくる』、リチャード・パワーズの『囚人のジレンマ』など、枚挙に暇がないが、ヴォネガットのSF的想像力は、原爆にとどまることなく、さらに脅威である化学物質を持ち出てくる。

 原爆より脅威である化学物質とは、実のところ、ヴォネガットの考案によるものではない。ニューヨーク州にあるジェネラル・エレクトリック社の広報部に勤めていたときに、英作家のH・G・ウェルズが会社に訪ねてきて、接待をまかされたノーベル賞受賞学者のアーヴィング・ラングミュアが小説家にこんなSFのネタはいかがかでしょうか、と語ったものであり、当事者のふたりが亡くなったということで自分が拝借することにした、とヴォネガット自身告白している(2)。

 ヴォネガットは、室温で水に混ぜるとたちどころに水を凍らせてしまうという、その致死的な化学物質に<アイス9>という名称を与えた。小説の中で、この物質の発明者の同僚だった老科学者が語り手に打ち明ける。発明者のところにいろいろな軍人が訪ねてきたが、とりわけ海兵隊の将軍が訪ねてきて、泥ぬかるみを解消する物質を発明してほしい、と依頼していたことが印象に残っている、と。

 「エヴァーグレーズに完全装備の師団がはまりこんでも、救出にむかう海兵隊員は一人ですむように」(3)と、将軍は言ったという。

 この化学物質を一滴でも垂らせば、フロリダの湿地帯をたちどころに凍らすことができる。海兵隊の将軍の目は、フロリダの湿地帯の彼方に、文字通り合衆国がはまりこんでいくヴェトナムの湿地帯を幻視していたかもしれないが、それはともかく、ここでヴォネガットは一国の軍隊が最先端の科学の成果を強力な兵器に変えることの脅威についての寓話を語っているのだが、なぜわざわざフロリダの湿地帯を例に挙げたのだろうか。

 周知のように、フロリダの南部の湿地帯エヴァーグレーズthe Evergladesは、北のオキチョビー湖から南のフロリダ湾まで約100マイル、東西に60マイルもつづき、米国の亜熱帯の原野としては最大級のものであり、国立公園としてもイエローストーンに次ぐ規模を誇る。そこは、人間のよって飼いならされない自然の宝庫であり、絶滅の危機にあるアメリカン・クロコダイルやバンドウイルカ、マナティ、シラサギ、禿鷲などの奇種が生息。しかも、そこかしこにアリゲーターが潜んでいることで知られる。

 フロリダに住むセミノール族は1817年より合衆国政府軍と3度の戦争を繰り返すが、政府軍にとって一番厄介なのはまさにその湿地帯だった。また、1898年の米西戦争でフロリダが合衆国の手に渡るまで、深南部の奴隷がフロリダの湿地帯に逃げのび、セミノール族に保護をもとめていた。合衆国の海兵隊にとって地獄と思えるところは、逃亡奴隷やセミノール族にとっては天国だった。そんな湿地帯を干上がらせたいという、小説の海兵隊の将軍の望みは、奇しくも湿地帯を農地に変えるという農業改革によって半ば実現しまった。現在はエヴァーグレーズの周辺にサトウキビ畑が広がり、と同時に運河を通じて畑の農薬がエヴァーグレーズの水を汚染するという公害が発生している。

 1872年頃にエヴァーグレーズに生まれたというセミノール族のサム・ハフは、アメリカ人の人類学者に向かって、すでに1952年にこう語っていた。

「エヴァーグレーズじゃ、蒸気シャベルが運河を作り始めた。蒸気シャベルがフォート・ローダーデイルやディアフィールドからやってきて、オキチョビーのほうへ向かっていった。『蒸気シャベルがオキチョビー湖にたどり着いたら、すぐにエヴァーグレーズの水は干上がるぞ。そしたらプランテーションを始める』??そう白人たちが言った。・・・(中略)わたしはそのことを信じなかった。だが、水は実際に干上がった。オキチョビーでもだ。エヴァーグレーズは小さくなり、木がどんどん大きくなった」(4) 

 この小説を執筆中のヴォネガットの脳裡に、19世紀以降フロリダの湿地帯エヴァーグレーズを舞台にディアスポラ体験をしているセミノール族や逃亡奴隷のことが浮かんでいたとは考えにくい。しかし、ヴォネガットは海兵隊の将軍の目を通して、フロリダの湿地帯の彼方に、やがてアンクル・サムが文字通りはまり込んでいくヴェトナムの泥沼を幻視し、化学兵器の犠牲になるヴェトナムの人民のことに思いを馳せたかもしれない。小説に挟まれた海兵隊の将軍の野望にまつわる些細な一節がわたしたちをそんな奇想へと誘う。

脱走海兵隊員とディアスポラ黒人
 海兵隊といえば、この小説の後半の舞台となっている、カリブ海のサン・ロレンソ共和国は、1922年にハイチに進駐した米海兵隊から脱走したアール・マッケイブ伍長という男が流れついたカリブ海の小島に作った国ということになっている。

 マッケイブ伍長が作りあげた国は、首都の名がボリバールという、南米の植民地独立の英雄の名前にあやかっていながら、悪魔を絞め殺す大蛇ボアの絵が子供っぽいタッチで機体に描かれているプロペラ式戦闘機6機が米国から贈られたと語られるように、合衆国の完全な属国である。

 1898年の米西戦争はカリブ海の覇権がヨーロッパからアメリカ合衆国へと移る象徴的な出来事であった。この年、合衆国は太平洋のグアム島、フィリピン諸島とならんで、カリブ海のプエルト・リコを軍事占領する。これ以降、キューバも1902年にスペインから独立後、アメリカ合衆国によって保護国化を余儀なくされ、ドミニカ共和国は1916年に軍事占領される。このように、二〇世紀の幕開けからカリブ海を軍事・経済戦略のひとつの拠点とするアメリカ合衆国の覇権主義が展開され、その先兵に立ったのが海兵隊だった。

 サン・ロレンソ共和国のもう一人の立役者は、ボコノンという名の、トバーゴ出身でイギリス国籍をもつ黒人だ。二十世紀初頭にロンドンに渡り、高等教育を受けるが、そのとき第一次大戦が勃発して徴兵され、ヨーロッパの戦場で負傷を負う。その後も、ヨーロッパの起こす戦争に翻弄され世界各地を放浪。故郷に戻るもスクーナー船を建造して、気ままに航海していたが、ハリケーンを逃れてポルト・プランスに寄ったさいに、マッケイブ伍長に出会ったという次第。ボコノンこと、洗礼名ライオネル・ボイド・ジョンスンは、このようなイギリス植民地の支配を受けた周縁人でありながら、半分根こそぎのディアスポラの数奇な人生を送った黒人だった。

 サン・ロレンソ共和国を樹立したふたりは、この島の住民の悲惨な状況を見るや、マッケイブは専制君主の<悪の権化>として振る舞い、ボコノンは地元宗教を創始し、人びとの<救世主>となる。

「政治や経済をいくら改革しても、人びとの暮しがすこしも楽にならないとわかってきて、ボコノン教だけが希望をつなぐ手段となった・・・ボコノンが自分とその宗教を追放してくれとマッケイブに頼んだんだ。人びとの宗教生活により熱がでるように、はりが出るように」(118)

 宗教迫害にまつわる逆説を語ったこの一節は、ベネズエラのチャベス大統領のように、どうして中南米やカリブ海の国ぐにに人々によって愛される「独裁者」が誕生するのか、という疑問への小説家の想像力による解答になっているかもしれない。

サトウキビ畑のユダヤ人
 『猫のゆりかご』には、サン・ロレンソのジャングルで肌の色の違う地元の人たちに無料の病院を建設し、ここ20年間人のために尽くしているらしいジュリアン・キャッスル(60歳を越えている)という名のアメリカ人砂糖成金が登場する。

 サトウキビはコロンブスがニューギニアからエスパニョーラ島に導入したことから始まるといわれる。17世紀後半からプランテーション型の砂糖生産がはじまり、イギリス領バルバドスやフランス領マルチニーク、グアドループなどがその主な生産地だった。その後、イギリス領ジャマイカや、フランス領サン=ドマングが加わり、19世紀以降はキューバが最大の生産地となった。もちろん、そうしたプランテーションを支えていたのは奴隷制であった。

 とはいえ、カリブ海は一括りに論じられない。サトウキビのプランテーション制でも島と島のあいだに差異があることを、人類学者のシドニー・W・ミンツは語っている。

「プエルト・リコには、スペイン人の植民者とアフリカ奴隷(多くがプエルト・リコの植民地史の比較的早い時期に自由民となった)の両方が定住したが、プランテーション制はイギリス領のジャマイカ(1655年以降)やフランス領のサン=ドミニーク(1697年以降)のようにプエルト・リコには根づかなかったが、そのことはプエルト・リコの小作人と、他のカリブ海の国のそれを区別する社会的特徴を決定する一助となるかもしれない」(5)

 さらにミンツが別の著書で語るように、「カリブ海域全体にとって、そのほとんど全史を通じて着実な需要に恵まれたのは砂糖であった」(6)とすれば、ここにイベリア半島から追われたマラーノ(キリスト教に改宗した隠れユダヤ人)の商人の関与があっても不思議ではない。はたして十六世紀後半から世界最大の砂糖供給地になったブラジルでマラーノたちが関与していたのである。プランテーションが行われたのは、アフリカ奴隷の輸入先でもある北東部海岸地方のペルナンブーコとバイーア地方だった。オランダがバイーアでは1624年から、ペルナンブーコでは1630年から西インド会社を設立して砂糖の生産に乗り出す。増田義郎はマラーノたちの砂糖生産への関与についてこのように述べている。

 「ペルナンブーコの『新オランダ』における砂糖産業の成功の陰には、ユダヤ系の『新キリスト教徒』の協力があった。ブラジルの有力な商人は、ポルトガルから移住してきた新キリスト教徒であった。彼らは、イベリア本国の宗教的圧迫のゆえにキリスト教に改宗したユダヤ人、またはその子孫であり、経済的実力をたくわえていたが、ユダヤ人ということで、つねに社会的に冷たい目で見られ、活動をはばまれていた。ところが、新教徒のオランダ人がはいってきたので、彼らはかつてない行動の自由を得、新来者に協力して、産業の発展に貢献したのである」(7)

 ヴォネガットはカリブ海サトウキビ農業や砂糖生産において、ディアスポラのユダヤ人の果たした役割について触れてなどいない。だが、この小説には、広島に原爆が落とされた日に合衆国の著名人たちが何をしていたかという本を語り手が書こうとしている、といった設定があり、ヴォネガットは手段を選ばず植民地主義的な世界進出を行なうアンクル・サムや資本家に批判的だった。だから、狂気の慈善家キャッスルには、奴隷制プランテーションに加担したマラーノ商人ではなく、むしろ中南米やカリブ海で先住民の側に立った改宗ユダヤ人の神父ラス・カサスの影がちらつくのである。


(1)山本伸『カリブ文学研究入門』世界思想社、2004年、18頁。
(2)カート・ヴォネガット『ヴォネガット、大いに語る』飛田茂雄訳、ハヤカワ文庫、1988年、150-151頁。
(3)Kurt Vonnegut, Jr., Cat’s Cradle (New York: Dell, 1963), p.73.
(4)Patsy West, The Enduring Seminoles: From Alligator Wrestling to Ecotourism (Gainsville: UP of Florida, 1998), p.7.
(5)Sidney W. Mintz, Caribbean Transformations (Chicago: Aldine Publishing Company, 1974), p.141.
(6)シドニー・W・ミンツ『甘さと権力--砂糖が語る近代史』川北稔・和田光弘訳、平凡社、1988年、14頁。
(7)増田義郎『略奪の海 カリブ--もうひとつのラテン・アメリカ史』岩波新書、1989年、138頁。

(『英語青年』2007年8月号、8-10頁)
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ジェリー・グリスウォルド教授のホームページ

2007年09月18日 | 小説
ジェリー・グリスウォルド教授(サンディエゴ州立大学)のホームページは以下のとおり。http://www-rohan.sdsu.edu/~jgriswol/Calendar.htm
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公開講演

2007年09月18日 | 小説
ジェリー・グリスウォルド教授(サンディエゴ州立大学)による公開講演が28日(金)16時より明治大学リバティタワー20階である。演題は、「児童文学における5つの感情」で最新刊からコアな部分だけを引き出して、やさしく解説してもらう予定。パワーポイントを使って話してくれるということなので、楽しい講演になると思われる。だれでも聴講可能。入場無料。詳細は明治大学の国際交流センターのつぎのホームページに。http://www.meiji.ac.jp/cip/seminar/seminar_staff.html
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書評、東琢磨『ヒロシマ独立論』

2007年09月15日 | 小説
書評 東琢磨『ヒロシマ独立論』(2007年、青土社)
越川芳明
 被爆都市のいまと将来のあり方を、オキナワを参照軸にしてポストコロニアルなワールドミュージック的理念に基づき論じる。著者のふるさとでの積極的な活動(広島平和映画祭実行委員会)と共に、カリブ海のエドゥアール・グリッサン、オキナワの仲里効、詩人の吉増剛造などから学んだと思われる柔軟な思考が最大の魅力である本書は、特定の政治イデオロギーに凝り固まったものではない。現実の広島には、平和への祈念理念と共に、いまなお軍都の顔(旧軍港・呉と米軍基地・岩国を従え、靖国を賛美する怪しい「平和の軸線」が存在するという)と戦争への欲望が窺われるという。思索とは「他者」への奉仕であると語ったのはホセ・マルティだが、東にとっての「他者」とは、被爆で亡くなった人たちの亡霊(日本人だけでなく在日外国人も)にほかならない。故郷を異郷のように歩き、「他者」=亡霊たちの記憶をつづる著者の旅はまだ始まったばかりだ。
(『STUDIO VOICE』2007年10月号)
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ギターを抱いた渡り鳥

2007年09月10日 | 小説
ボーダー文化論第二弾『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』(思潮社)が今月末に出ることに。『トウガラシのちいさな旅』(白水社)が出たのが昨年の12月。二冊の姉妹本の出版にあわせて、いろいろなイヴェント(お祭り)が企画されている。島田雅彦さんをゲストにお招きして、「ボーダー対決トーク」をジュンク堂新宿店で10月9日19時から。また、このたび萩原朔太郎賞を受賞した伊藤比呂美さんをゲストに、「とげ抜き対決」を東京ヒップスタークラブ(原宿)で10月27日(土)19時から。
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マイケル・ムーアの映画『シッコ』

2007年09月06日 | 小説
米国の医療制度を一方的に叩く
映画評 マイケル・ムーア『シッコ』
越川芳明

 マイケル・ムーアのドキュメンタリーは、いつ見ても面白い。その面白さは、監督自身による大物有名人への突撃インタビューや傍若無人な振舞いにもあるだろうが、むしろ、あざといまでに巧みに計算された編集にこそあるのではないか。面白さを引きだす編集の基本は、ハリウッドの「西部劇」のフォーマットだ。

 どのような素材であっても、「正義」対「悪」の対決に仕立て、監督みずから銃ではなくキャメラを武器に諸悪に立ち向かう。

 十七世紀に北米のニューイングランドにやってきたピューリタンは、自分たちの宗教を信じない者を「魔女」とみなした。アングロ白人の作る西部劇の背後には、「他者」を一方的に排除する「魔女狩り」の記憶が宿っている。そういう意味では、ドキュメンタリーというジャンルに入るとはいえ、ムーアの作品も、西部劇と同じで、とてもアメリカ的なのだ。

 『ボウリング・フォア・コロンバイン』では、銃社会を「悪」に仕立てて、銃規制に反対する全米ライフル協会の会長チャールトン・ヘストンを叩く。『華氏911』では、イラク戦争を素材にして、戦争に突入させたブッシュ大統領を悪の権化として吊るしあげる。

 本作が標的にあげるのは米国の医療制度であり、ムーア保安官にやっつけられるのは、保険会社や医師会、医薬品会社、政治家だ。

 米国には国民皆保険制度がなく、特殊な公的医療保険の対象になる低所得者や高齢者や障害者をのぞくと、国民の約七五パーセントが民間の保険会社と契約を結ばねばならない。だが、保険に加入できない無保険の人が四千七百万人(国民の六人に一人)もいるという現実が冒頭でしめされる。一人の男が自宅の居間で、足の傷口を自分で縫っている姿が映し出されたり、旋盤で切り落としてしまった二本の指のうち、一本の指の縫合手術を高すぎる手術費のために、あきらめねばならなかったという男の証言が挟まれたりする。

 しかしながら、この映画が訴えるのは、二億三千万人の保険加入者たちのトラブルのほうだ。加入者でありながら、医療を受けられなかったり、保険金が支払われなかったりという不条理な事態について、ムーアがインターネットを通じて募ったというトラブルの数々がつぎつぎと出てくる。 

 五十代の夫婦は、夫が心臓病、妻が癌の治療で保険の限度額を超えて破産し、自宅を売り遠くに住む娘夫婦の家に居候するはめに。七十代の老人は、高すぎる薬代を保険でカヴァーできるので、スーパーの清掃の仕事を死ぬまでやらざるを得ないと語る。交通事故にあった若い女性は救急車を使ったが、契約にある「事前許可」を取っていないという理由で、救急車利用代の支払いを保険会社に拒まれたと嘆く。

 そうした犠牲者の苦情や証言だけでなく、保険会社からインサイダー情報も寄せられる。保険会社のコールセンター(電話窓口)で働いたことがある女性は、保険加入を拒否できる条件となる既往症の多さを語り、やっかいな人は加入させない保険会社の非情なやり口を涙ながらに吐露する。

 筆者が見つけたウェブ上の論文では、ハーバード大学の医学部助教授・李啓充は、そうしたやり口を「サクランボ摘み」と称している。

「これが一番問題ですが、保険会社がもうけようと思ったら健康な人を集めればいい。有病者を敬遠して、例えば大企業の大口契約を取り、その企業に働いている元気な人だけを集める。これをサクランボ摘みといいます」<http://www.medical-tribune.co.jp/fujitsu/session1.htm>

 一言でいえば、病気がちの人は民間の保険に入れなくなり、結局、世の中に無保険者の数が増大することになるというわけだ。

 映画では、さらに驚くべき証言が保険会社の雇った審査医からなされる。かれらは保険会社の門番として事前審査を行ない、過剰な医療サーヴィスが患者になされないようにチェックをするのだが、問題は、かれらが保険会社に操られているということだ。理由をつけて医療を拒めば(保険会社は利益を生むわけだから)、保険会社からよい医者とみなされ、会社からボーナスが支給されるという。

 ここまで見て、わたしは愕然とした。保険会社への不信に取り憑かれた。これまで海外に行くたびに、安心料と思って米国の高い旅行保険を買っていたが、もし万が一入院や手術などといった怪我や病気に見舞われていたら、果たして保険金は支払われたのだろうか、と疑心暗鬼に捉えられたのだ。

 映画の後半は、カナダ、イギリス、フランス、キューバへ飛び、アメリカの医療制度に比べて外国のそれがバラ色であるかのように描かれる。たとえば、イギリスでは、一九四八年に創設されたNHS(国民健康サーヴィス)により、出産を含む医療費はすべて無料であることがしめされる。国立病院で、医者や患者にインタビューして、いくらかかるのか、と質問するたびに職員に笑われるムーアのバカぶりが強調されるが、これは恐らくムーアの計算ずくの「やらせ」に違いない。イギリスの医療が無料であることはあらかじめわかっているが、その点を米国の観客につよく訴えるために、あえてバカな道化ぶりを発揮しているのだ。

 外国の医療制度に関して、治療までの順番待ちや、医療機関のストなど問題点があっても、それはいっさい指摘されない。一方的に米国の医療制度を「悪」に仕立て、国民の目をシステムに向けさせるのが目的だから。この映画が二元論的な発想に立つ「西部劇」であるゆえんだ。

 では、日本の制度はどうなのだろうか。高齢化社会での医療費の増大を危惧して、国民皆保険制度に、民間の保険を加味した「混合診察」の導入が検討されているという。慶応大学の池上直己教授は、混合治療が米国と同じ医療費高騰につながる可能性を示唆している。(医療制度研究会~21世紀の医療を考える会 講演要旨より <http;//www.iryoseido.com/kouenkai/001.html>)。

 日本が米国のまねをした制度改革の最大のパラドックスは、市場原理を取り入れた「福祉」の分野でコムソンのような会社が利益至上主義に走ったように、「医療」の分野においても、よほど慎重にならないと、儲けしか考えない株式会社の病院が出てきて、患者がないがしろにされてしまうということだ。

(『すばる』2007年10月号)
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