越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』

2008年04月30日 | 映画
『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』
越川芳明

 ヘンリー・ダーガー(1892―1973)は、死後に驚くべき膨大な作品が発見された不遇の物語作者・画家。幼いときに父が亡くなり、修道院に預けられ、その後、知的障害施設に送られ農場で働かされた。

 口答えして体罰を受けて内向的になったらしい。73才で辞めさせられるまでシカゴの病院で掃除夫をして、つましい生活をしていた。仕事を終えると、付き合いを避けて、一人部屋に閉じこもって、もう一つの豊かな人生を送っていた。

 30年代頃から物語を書き始め、死後にアパートの部屋で発見された物語は、シングルスペースのタイプ原稿で1万5000頁におよんだ。

 7人のペニスをもつ裸の少女たち(ヴィヴィアン・ガールズ)に率いられたアビニリアン軍が子供奴隷を解放すべく、反キリスト教のマンレイ将軍に率いられたグランデニアン軍に戦いを挑むという物語。

 そこに、当時のポピュラーカルチャー(雑誌、新聞、塗絵、漫画など)の典型的なイメージを借用した添画が300点以上付いている。
 
 こんどの映画は、ダーガーの伝記と作品を混ぜこぜしながら、この奇人の生きた時代(20世紀に急速に産業文明化する都市シカゴに象徴される、成り上がりのアメリカ)を逆照射する。

 すでに去年の夏に日本でもダーガーの絵の展示会が行なわれており、アメリカの大衆文化をねじ曲げる奇妙な魅力をたたえた芸術家。文学や絵画の分野のみならず、音楽や演劇にも創造のインスピレーションを与えないではおかない。
(『スタジオ・ボイス』2008年5月号)

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続 リラ・ダウンズ

2008年04月13日 | 音楽、踊り、祭り
 リラ・ダウンズは、90年代の後半から頭角をあらわしてきた<ボーダー・シンガー>。グロリア・アンサルドゥアが『ボーダーランズ』で唱えた<混血(メスティサへ)の思想>をポピュラー音楽の分野で実践している歌手といえるかもしれない。

 リラは、スペイン語や英語といったヨーロッパ系の言語だけでなく、メキシコのオアハカ州でいまなお使われているミシュテカ族やサポテカ族の言語もアステカのナワトル語も使いこなす、いわばマルチリンガルのノマド歌手だ。
 
 99年、フォルクローレ色のつよい『ラ・サンドゥンガ』でメジャー・デビューを果たす。その後も立てつづけに『生命の樹』(2000年)、『ボーダー』(2001年)といったCDアルバムを発表した。最近、『一つの血』という四枚目のCDアルバムを出している。
 
 歌手リラ・ダウンズの特徴を一言でいえば、<混血>という出自に自覚的ということだろうか。父はスコットランド系米国人の映画カメラマンであり、母はオアハカ州のミシュテカ族の子孫で、メキシコシティで歌手をしていた。

 リラは少女時代に母の田舎オアハカのシエラ・マドレ山脈と、父の田舎のミネソタで育った。8歳の頃にマリアッチを歌い始め、14歳のときからロサンジェルスで声楽の勉強を始めた。その後、オアハカの芸術院でも声楽を勉強していたが、ミネソタに戻り、ミネソタ大学で声楽と文化人類学を学んだ。

 オペラ歌手を目指していたが、性に合わずドロップアウト。ストリートで装飾品の販売をしたり、ロックグループのグレイトフル・デッドの追っかけをしたりしたのち、母の故郷でインデォオの織物を習った。

 のちに大学に戻り、ツリクィ族の女性たちが織物という<言語>によって歴史を語る、その独自の方法について論文を書いたという。
 
 わたしがリラ・ダウンズを初めて知ったのは、2001年の師走にヒューストンからメキシコシティへ向かう飛行機の中だった。拾い読みしていたスペイン語版『ピープル』誌に、リラの新作CDが紹介されていた。

 『ボーダー』というそのCDを手に入れて聞いてみると、ウッディ・ガスリーの歌と自作の詩をミックスして、米国の農場で土にまみれて働くメキシコ人労働者の立場から<自由>とは何かを問うた「この土地はあなたのもの」をはじめとして、米国のチカーノ文化に自覚的なロック風の作品もあるが、それだけでなく、ジャズ風にアレンジされたり、フォルクローレ風に歌われたり、あるいはカリブのクンビア風やメキシコのボレロ風に演奏される曲もあり、実に多彩だった。
 
 歌のテーマとしても、単にみずからの民族だけのプロパガンダとなるような曲だけを歌う歌手でないのは、米国南西部でよく知られたメキシコ系の伝説「ラ・ジョローナ」を斬新に解釈し直した曲を聞けばよく分かるだろう。
(拙著『ギターを抱いた渡り鳥』第一部より)

リラ・ダウンズの「フェオ」



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リラ・ダウンズ「ラ・ジョローナ」

2008年04月10日 | 音楽、踊り、祭り
リラ・ダウンズ「ラ・ジョローナ」
Salias del templo un día, Llorona ある日きみが教会から出てきたジョローナ
Cuando al pasar yo te vi. きみが通りすぎるのを見た
Hermoso huipil llevabas, Llorona ステキなウイピルを着ていたねジョローナ
Que la Virgen te creí.   だからきみを聖母だと思った
 
Ay de mi, Llorona     ああジョローナ
Llorona de azul celeste.      空色のジョローナ    
Aunque me cueste la muerte   たとえ自分の命を失おうとも
No dejaré de quererte, Llorona きみのことを好きにならずにいられない




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スペイン語の歌「ラ・ジョローナ」

2008年04月09日 | 音楽、踊り、祭り
チャベラ・バルガス「ラ・ジョローナ」(映画「フリーダ」より)

Todos me dicen el Negro, Llorona 皆が僕を黒人と呼ぶよジョローナ
negro pero cariñoso.    黒いけど やさしいよ
Yo soy como el chile verde, Llorona 緑の唐辛子みたいだよジョローナ
picante pero sabroso.    辛いけど 美味しいよ

Aye de mi, Llorona, Llorona     ああジョローナ ジョローナ 
Llorona, llévame al río.     ジョローナ 川へ連れて行って
Tápame con tu rebozo, Llorona.  きみのショールで僕を包んで
porque me muerto de frió    寒くて死にそうだから




「ラ・ジョローナ」のお話はいろいろバリエーションあるが、共通する特徴は、次の二つだ。①ある女性が結婚後、子供を産むが、夫がどこかへ行ってしまい(たぶんよそに別の女をつくり)、そのため女は狂気に陥り、子供を川に投げ捨てて死なせる。②その後、女はみずからも川に身を投げて死ぬが、その魂は夕方になると子供を求めて泣き叫びながら、川べりをうろつく子供を捕まえようとする。

 ボーダー版<屋根裏の狂女>ともいうべきこの大衆伝説を、ジェンダー理論を応用して、チカーノ社会の家父長制の産物として読み直すチカーナ・フェミニストたちがいるが、リラ・ダウンズも、通常チカーノ文化においてネガティヴな<悪女>として語り継がれている<ラ・ジョローナ>を、魅力的な、慈悲深い<聖母>に大胆に喩える。
( 拙著『ギターを抱いた渡り鳥』より)

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海外の長編小説ベスト10 ヴァージョン02

2008年04月09日 | 小説
海外の長編小説ベスト10(解説つき)
越川芳明(アメリカ文学・ボーダー文化論)

1コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『血と暴力の国』(扶桑社文庫)
『すべての美しい馬たち』をはじめ、国境三部作で九十年代にブレークした作家によるクライム小説。舞台は米国とメキシコの国境地帯で、ドラッグ・マフィア、ベトナム帰還兵の夫婦、動機なき殺人を繰り返す狂人、凡庸な保安官などが絡み、国境地帯が血と暴力の舞台と化す。ポストモダンの小説らしく、物語は複数の視点によって断片的に、テンポよく語られ、息をつかせない。マッカーシーは、現代版の「西部劇」を開拓したとの高い評価を、SF作家たちからも得ているが、「正義」も「悪」もなくなってしまうこの小説も、ポストモダンの「西部劇」とみなすことができるかもしれない。コーエン兄弟によって映画化され、『ノーカントリー』の邦題で公開中。

2ブルース・チャトウィン(芹沢真理子訳)『ソングライン』(めるくまーる)
イギリス出身の著者は、オーストラリアの先住民アボリジニの独特な世界観と記憶システムとに興味をもち、その探求の成果をこのような素晴らしい書き物に残してくれている。チャトウィンは、「砂漠」のノマド(放浪者)なので、中央オーストラリアの乾燥地帯をほっつき歩いた。そして、「人類のふるさとは砂漠にあり」という結論をひきだしてくる。「もし砂漠が人類の故郷なら・・・、われわれが緑なす牧場に飽きてしまうその理由を、所有がわれわれを疲弊させるその理由を、パスカルが人は快適な寝場所を牢獄と感じると言ったその理由を、容易に理解することができるだろう」と。


3オルハン・パムク(和久井路子訳)『雪』(藤原書店)
9/11以降に急激に欧米で読まれだしたトルコの現代小説家の作品。現実の細部を覆い隠すという意味で、この小説の真の主人公ともいえる「雪」は、少なくとも二重の意味を与えられている。ひとつは、42歳の詩人Ka(本名はケリム・アラクシュオウルだが、匿名で生きることを好む)が緑色のノートに書き取ったとされる19個の詩からなる詩集のタイトル。しかし、そのノートはKaの暗殺とともにどこかに失われてしまい、詩人の残したメモ書きなどによって、語り手の「わたし」(オルハンという名前を持つ)が、探偵小説の探偵よろしく、その詩集の内容を詩人の行動と共に再構成しようとする。それがいまわれわれの前にある小説『雪』である。

4フアン・ルルフォ(杉山晃・増田義郎訳)『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)
メキシコのガルシア=マルケスとも称される作家。というか、ガルシア=マルケスをコロンビアのフアン・ルルフォと呼ぶべきか。この物語は、人生しょせん元の木阿弥に帰すような、メキシコ的宿命論に貫かれており、全体に幻想が漂う。メキシコのロードノヴェルは、楽天的なアメリカ文学のそれとは違って、あの世への旅の往還なのである。主人公フアン・プレシアドは、死を前にした母親から自分たちを捨てた父親、農園主ペドロ・パラモに会って、おとしまえをつけるよういわれ、コマラという町に旅をする。だが、そこは「死者の町」だった。以前にも映画になっているが、いままた映画がメキシコで製作中であり、『アモーレス・ペロス』のイケメン俳優、ガエル・ガルシア・ベルナルが主演を演じるらしい。

5マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)『昏き目の暗殺者』(早川書房)
四つの語りのレベルが存在する。一つは、八三才の老女アイリスの語る一代記。二つ目は、地方新聞の記事やゴシップ誌の切り抜き。三つ目は老女の妹ローラの作とされる不倫小説『昏き目の暗殺者』。四つ目は、その不倫小説の主人公が語る猟奇的SFファンタジー。なかでも、物語として面白いのは、四つ目のパルプ的感性豊かなジャンクフィクションであるが、アトウッドはその他の語りを通して、二〇世紀のカナダ史の暗い側面――大恐慌の時代において、移民や難民や労働者を“アカ”といって排斥するだけでなく、ヒットラーの台頭を讃美しさえする――を語るという壮大な企図があった。

6ピーター・ケアリー(宮木陽子訳)『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)
19世紀の半ば、まだイギリスの植民地であったころのオーストラリアの南東部、メルボルンのあるあたりの未開の奥地(ルビ:アウトバック)を舞台にした小説。著者は『イリワッカー』(1985年)や『オスカーとルシンダ』(1988年)など、虚実をないまぜにした幻想的な「歴史改変小説」によって、英語圏のガルシア・マルケスとも目される作家だが、本作はかれの最高傑作だ。アボリジニの精神世界だけでなく、流刑になったアイルランド人たちの伝説もまた、オーストラリアの誇るべき文化の一つであることを示し、ポスト国家主義の時代のクレオール性を見事に表現した。

7アラスター・グレイ(森慎一郎訳)『ラナーク 四巻からなる伝記』(国書刊行会)
スコットランド随一の現代作家による、ギガノヴェル。4巻からなる、あるスコットランド人の「伝記」。第1巻と第2巻はダンカン・ソーという冴えない美術学生について、作家の自伝的な事実にほぼ忠実に描かれたリアリズム小説。一方、第3巻と第4巻は、ラナークという男の精神の彷徨を描くSFファンタジー。ラナ―クの物語の中に、ダンカン・ソーの物語が内包されるという、ポストモダンのメタフィクションとしての仕掛けがあるが、エリオットやジョイスなどのモダニストがまじめにやっていた引用行為を博学ひけらかしのおふざけに転嫁してしまうなど、さまざまな奇想に富む。

8ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)『コズモポリス』(新潮社)
主人公は、高級リムジンに搭載したコンピュータディスプレイの上を流れる数字の列を見ているだけで、たちどころに金利や株価の予想ができてしまう超エリートの投資アナリスト。ポータブル・キーボードを叩く瞬時の指の動きで、弱小経済に苦しむ国家の一つや二つぐらいあっさり破産させてしまうほどのパワーをもつ。いわばサイバー資本主義社会の「勝ち組み」の一人。この小説の最大の皮肉は、グローバリズム時代のグレート・ギャッツビーとも称すべきこの成り上がり野郎も、最後は資本主義のパラドックスに絡めとられてしまうということだ。

9リチャード・フラナガン(渡辺佐智江訳)『グールド魚類画帖――十二の魚をめぐる小説』(白水社)
十以上の章のそれぞれの扉に、魚の絵が描かれているが、すべて小説の舞台であるオーストラリア本土の南に位置するタスマニア地域に棲息する魚たちだ。語り手であり絵の作者でもあるグールドは、ゆえなき罪状で海の独房に入れられ、或る啓示を得る。科学者であれ山賊であれ、植民地支配者であれ囚人であれ、みな魚と同じだ、と。植民地時代のオーストラリア史を声なき囚人の側から書き換える「悪漢小説」であり、蒸気機関車にはじまり現代のハイテク産業へと繋がる欧米の産業資本主義文明を批評する、すぐれた「ファンダジー小説」であり、博物学的な構成をもつ奇書である。

10レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』(国書刊行会)
このたび、わけあって本書をじっくり再読したが、最初のときもそうだったが、時間の経つのを忘れた。自伝として、ホモセクシュアルとしての率直な告白(ペニスというコトバが何度でてくることだろう)だけでなく、容赦ない、しかしユーモアのあるカストロ体制批判が頻出する。とはいえ、リリシズムに貫かれ、自然や人間に対する洞察が的確。キューバの同時代作家カルペンティエールを非人間的なコンピュータみたいな人と称し、一緒にいて気のめいる思いをしたといい、親カストロ派のガルシア=マルケスを日和見主義者と切り捨てる。反対に、カストロ政権下で耐えるキューバのゲイの先輩作家たち、『パラディソ』のホセ・レサマ=リマとビルヒリオ・ピニェーラをおそろしいほど高く評価する。余談ながら、『苺とチョコレート』のディエゴの部屋にも、敬愛するホセ・レサマ=リマの写真が貼ってあった。

番外編
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』(早川書房)
架空の未来人間たちを扱っていながら、イシグロはそれらの人物に降りかかる出来事について、細かいディテールを積み重ねることで、かれらが血と肉の備わった、そして魂も有するかけがえのない一個の人間たちであることを、圧倒的な説得力をもって知らしめる。クローン羊ドリーの誕生が報じられたのは、一九九七年二月のこと。学者の中には、無脳症のクローン人間の開発を唱える人もいるらしい。遺伝子工学の先端問題を論じる科学者たちに欠けているのは、「見えない人間」たちの視点に立つことである。イシグロは小説家の想像力を駆使して、未来人間の「心」を書いた。

フィリップ・ロス(上岡伸雄訳)『ダイング・アニマル』(集英社)
語り手ケペッシュは七十歳の大学非常勤講師。二〇代で一度結婚しているが、「二度と結婚生活という牢獄に入らない」と決めた。ケペッシュは「軍隊と結婚、どちらも私が嫌悪する制度だ」という。それ以降独身主義者を貫き、自分の教え子たちと奔放な性愛を楽しんできた。メインとなるのは二十四歳のキューバ系の美女コンスエラ・カスティーリョとの出会い。その「ゴージャスな乳房」にケペシュはマイってしまう。老人の「性」やエージングをテーマした本書は、たんに性に耽溺した男の痴話ばなしではなく、「枯れる」ことをよしとしない老人の抵抗の書だ。

(『考える人』(新潮社)2008年春号のアンケート回答に、「解説」を添えました)


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メスクラのスペイン語路上インタビュー(動画)

2008年04月06日 | 音楽、踊り、祭り
スペイン語を習っている皆さんへ

これがメスクラのスペイン語インタビューです。<SuperNaco>より。


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海外の長編小説ベスト10

2008年04月06日 | 小説
海外の長編小説ベスト10 

越川芳明(アメリカ文学・ボーダー文化論)
どんなに狭隘な世界に住んでいても、私たちの生活はグローバルな世界経済、国際政治と切り離されてはいない。

自分だけに通用する常識やイデオロギーを「他者」に投影するような素朴な語り口では、そうした複層的な世界を表現できないばかりか、害悪でさえある。

小説のよしあしは、そうした複雑きわまりない世界や語り手の自意識をどのように処理するかにかかっているが、それを大まじめにやりすぎると、一般読者を遠ざける難解なものになってしまう。

しかし、ここにあげた小説は、複雑な世界と歴史を扱いながらも、物語としてリーダブルなものばかり。すぐれたポストモダン小説の模範だ。

1コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『血と暴力の国』(扶桑社文庫)

2ブルース・チャトウィン(芹沢真理子訳)『ソングライン』(めるくまーる)

3オルハン・パムク(和久井路子訳)『雪』(藤原書店)

4フアン・ルルフォ(杉山晃・増田義郎訳)『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)

5マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)『昏き目の暗殺者』(早川書房)

6ピーター・ケアリー(宮木陽子訳)『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)

7アラスター・グレイ(森慎一郎訳)『ラナーク 四巻からなる伝記』(国書刊行会)

8ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)『コズモポリス』(新潮社)

9リチャード・フラナガン(渡辺佐智江訳)『グールド魚類画帖――十二の魚をめぐる小説』(白水社)

10レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』(国書刊行会)


(『考える人』(新潮社)2008年春号 アンケート回答)

参考 『考える人』のサイト http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/

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メスクラ『チャンゴ・アラーニャ』

2008年04月01日 | 音楽、踊り、祭り
メスクラの『チャンゴ・アラーニャ(クモザル)』

スーツケースを抱えて乗り込むのは
向こう行きジプシー・フライト
空から捧げものが降りてきたら
バスが発車
きみの目は灰でいっぱい
奇跡で口はよだれでいっぱい
火山がめざめ でっかいでっかい嵐を呼び起こす
炎の女たちが踊る 平和の炎で男たちを魅了する
火山へむかってはりめぐらされた暗い道路に
勇敢にそいつ(その動物)を解き放つ
目はしばしば 
トランペットの音で海がめざめる 
風のように楽隊が町をめぐってゆく
しっかりしようぜ 兄弟
クモザルはやんちゃな動物
クモザルは我慢できない
クモザルはつるつるした磁石
クモザルは町から町へ 散らばってゆく
クモザルは電車と船で出発 あっちこっちへ旅してゆく




無と夜明けのはざまで 太陽の鶏は時の声をあげる
リズムで満ちあふれた豊かな鉱脈
夢の中を泳ぎながら 歌いだす
バターが溶けた鍋の中では いろいろなものが混ざりだす
黒い山のキノコ 生きのいい野郎の雄牛の力 インド アフリカの低音
そして世界の歌 向こう側へルンバが流れ出せば
死の悲しみなど忘れてしまうよ ママ
このリズムは死人までも呼び覚ますよ
ケッツアルの神が天を覆いつくす
ほら 皆 騒いで楽しみたいんだ 
このリズムこそが俺の慰めだから
クモザルはやんちゃな動物
クモザルは我慢できない
クモザルはつるつるした磁石
クモザルは町から町へ 散らばってゆく
クモザルは電車と船で出発 あっちこっちへ旅してゆく  
(霜村由美子訳 ライナーノーツより)
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