越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

島津亜紀さんの歌(その2)ーダイアレクトの魅力と演歌特有のジェンダー・クロッシング

2009年03月28日 | 音楽、踊り、祭り

 先日とりあげた島津亜紀さんの「帰らんちゃよか」という曲について分析してみました。その結果、この曲の魅力のもとは次の三つの元素で、それらが互いに効果的な化学反応を起こしていることが判明しました。

 ①島津亜矢さんの歌唱力とアクション
 ②熊本ダイアレクトの使用
 ③演歌に特有のジェンダー・クロッシング

1 歌唱力とアクション
 ①の歌唱力の詳細については、ここでは論じないことにします。が、ただ一つだけ、③と関係するので指摘しておきたいと思いますが、演歌特有のコブシをまわす時に敢えて地声で歌っている点が、ただ女性的な美しい声だけで終わらない印象を与えるのではないか、ということです。それと、彼女のアクションですが、男の歌を歌う時に、コブシを握ります。声のコブシと手のコブシが連動しています。

2 熊本ダイアレクト
 熊本ダイアレクトの魅力ですが、この歌を作詞・作曲したのは関島秀樹という方です。ネット動画でも見られますが、かれ自身も弾き語りという形式でこの曲を歌っています。また、ばってん荒川という芸人が歌っている動画もネット上にあります。もともと熊本ローカルでは大いに知られた歌だったのでしょう。

 ダイアレクトの歌には標準語の歌にはない情感に訴える力があります。とりわけ、この歌のラストで、「心配せんでよか 心配せんでよか/親のために おまえの行き方かえんでよか/どうせおれたちゃ、おまえの先に逝くとやけん/おまえの思うたとおりに 生きたらよか」と、父親が歌いますが、熊本ダイアレクトだからこそ、「親不孝」の息子/娘たちには心にぐさりときます。たとえ熊本生まれでなくとも、「心配しないでもいいよ」と、標準語でいわれるよりも、ずっと心に響きます。

 そうはいっても、売り上げがすべての人気歌手が持ち歌をダイアレクトのみで歌うのは、勇気がいることです。日本にはいまなおダイアレクトに対するいわれなき偏見が根強く残っており、また意味を重視すれば、標準語で歌うほうがいいし、それゆえ標準語で歌ったほうが売れるからです。標準語で歌っている奄美黄島出身の中孝介さんを見れば分かります。

 ですが、それに対して、執拗なまでに「みゃーくーふつ」(宮古ダイアレクト)で歌う下地勇さんは、売り上げと知名度では中孝介さんに及ばないかもしれませんが、音楽性と情感表現の点で、中孝介さんよりも注目に値いする、と思います。

 たとえば、おじぃを先に亡くしたおばぁの心境を歌った「おばぁ」があります。あるいは、米国のいいなりになって安直に自衛隊を紛争地域に派遣する政治風潮に対して、両親の平和の教えをやさしく噛み締めて歌う「反戦歌」の「アタラカの星」もあります。




(標準語訳)
どこまで歩けばいいのだろう
人々は同じ場所を目指すの
果てしない砂漠の地を
祈る心だけがオレを支えている
この星には
オレと一頭の馬だけ
平和の地を求めて
悔しさだけを背負いながら
大切な父母は
大切なものを残してくれた
いつまでも回り続ける世
オレを歩かせるだけ
(以下、略。ライナーノーツより)

 さて、島津亜紀さんは下地勇さんほどダイアレクトに固執していないようですが、それでも、島津亜矢さんの「帰らんちゃよか」は、未だ生まれざる日本各地のダイアレクトによる歌の発生とヒットの可能性を暗示している、と言えないでしょうか。

2 演歌特有のジェンダー・クロッシング
 つぎに、演歌特有のジェンダー・クロッシングの魅力について。演歌というジャンルでは、男の歌手が女心を歌ったり、女の歌手が男の義侠心を歌ったりすることがよくあります。

 たとえば、山口洋子作詞、平尾昌晃作曲で、五木ひろしの起死回生の大ヒット曲「「よこはま・たそがれ」があります。「あの人は行って行ってしまった/あの人は行って行って/もうおしまいね」というフレーズが「女心」というか「女の諦め」を表わしていると思われたようです。

 一方、昭和の歌の女王、美空ひばりが歌い、180万枚を売ったと言われる「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)があります。「勝つと思うな/思えば負けよ/負けてもともと/この胸の/奥に生きてる/柔の夢が(以下、略)」という柔道家の極意を歌ったものです。もちろん、最近は、女子柔道も強いので(むしろ、女性柔道のほうが世界的に強いので)、いま聴けば、この曲は必ずしも男の心を歌ったものとは言えないかもしれませんが、当時は、男のハートを女性の歌手が歌った、ジェンダー侵犯の歌だったのです。以下の昭和の映像では、美空ひばりのコスチュームも男性的ですね。

 



 

 その他にも、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、殿様キングス「なみだの操」、渥美二郎「夢追い酒」、大川栄策「さざんかの宿」など、男の歌手が「女心」を歌ったものは数少なくないですが、女の歌手が「男心」を歌ったものは、美空ひばり以外に、亜矢さんの熊本の先輩、水前寺清子の「涙を抱いた渡り鳥」や「浪花節だよ、人生は」ぐらいで(もし、ほかにご存知の方がいたら、コメントお寄せくださいまし)、そういう意味で、島津亜矢さんはとても貴重な存在だと言えるでしょう。

 われわれの中には、たとえ女性の体を持っていてもどこかに「男心」がひそみ、また逆に、男の体を持っていても、「女心」がひそんでいます。演歌という日本の歌のジャンルは一見古臭く思えますが、実は、ジェンダーの境界の曖昧さを突き、ジェンダーに関して斬新なアイディアを実例を持ってしめす場合もあります。

 そういう意味では、島津亜矢さんは、オリジナル曲の「海ぶし」や「流れて津軽」のほか、股旅もの、任侠もの、漂泊ものなど、三波春夫や村田英雄や北島三郎らの昭和の男の歌手たちが歌った「男心」の歌を敢えて歌うことで、盛んにジェンダー侵犯をおこなう過激な歌手と言えないでしょうか。

 それでは、最後に三波春夫の「決闘高田の馬場」のリメイク(亜矢ヴァージョン)をお聴きください。9分と長いです(笑)が、飽きさせません。それにしても、亜矢さん、よくセリフ覚えられるものですねえ。芸達者です。





 







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カストロの野球観は、選手の心の動きに気を配っていないのではないでしょうか。

2009年03月27日 | スポーツ
きのうは、明治大学の卒業式でした。式のあと、研究室でゼミ生たちと飲みました。袴すがたの女子学生は、あたかも芸能人のように普段の10倍の魅力を放っていましたが、皆、レンタル会社での着替えに手間取ったもようで、彼女たちが夜に戻ってきた頃には、3時半過ぎから青木君や古庄君や忽那君ら男性陣と飲んでいた小生は完全にできあがってしまい、朝に準備したジャマイカ料理のジャーク・チキンやジャーク・ポークもわずかになってしまいました。今年の卒業生とは、9月の沖縄合宿が台風のせいで中止になり、小生の明治大就任以来初めてゼミ合宿をやらずに卒業式を迎えることになった学生でした。心残りでした。いつか、どこかでやらねばならない、と伝えました。

 さて、WBCは数々の問題を抱えながらも、日本の優勝で終わりました。数々の問題とは、そもそもこのWBCは、米国のメージャーリーグベースボール(MLB)のグローバル戦略の一貫であり、サッカーのワールドカップのような理念も方式もないということに起因するものです。国際試合なのに、主審が当該国の者(アメリカ人)だったり、予選から決勝にいたるまでの対戦方式が偏っているとか、そういったことが日本のマスコミではあまり問われていません。

 それはともかく、個人的な興味から、今回のキューバの戦いぶりに注目していました。本当は、3月にキューバを訪れて国内野球を観戦し、監督や選手にインタビューをしたいと思っていたのですが、WBCのために、国内野球が中断していたので、しかたなくWBCの試合で我慢しました。

 今回の敗戦(二度の日本戦)で、パワーだけでは勝てないと悟ったキューバは、今後どのような進化を遂げるのでしょうか。日本の勝利は、スモールベースボール(機動力と小技)のおかげだと言われていますが、決勝の韓国戦の勝利の原動力は、精神力(なりふり構わず勝たねばならないという欲求)ではなかったでしょうか。物質的に豊かになった日本人にはそうした、いわゆる精神力が欠けていると思われていましたが、今回の日本チームはいままでになく勝利にハングリーでした。

 これは冗談にすぎませんが、二次予選の日本戦の前に、キューバ選手に、WBCで優勝したら希望者には亡命させてやるといったら、きっと日本チームはそうとう手こずらされたでしょう(笑)。キューバの打者がしぶとく当ててきたら、松坂や岩隈はあれほど素晴らしいピッチングをできたかどうか。カストロはさすが政治家だけあって、技術的の進歩のことは語っても、選手の心の動きには、気をくばっていないのです。

 決勝のあと、カストロ前国家評議会議長が書いた論評が『グランマ』紙(3月20日号)に載りました。以下に、試訳を掲載します。カストロはこのところ、テレビの前に釘付けだったことが文章から伝わってきます。前回の論評でも、野球をメタファーに政治を語る姿勢が明らかでしたが、今回はどうでしょう?

『デジタル・グランマ・インターナショナル』2009年3月20日

フィデル・ストロの考察「すでにあらゆることが語られていた」

 昨夜、アジアの二大強豪国によって、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)は、グランド・フィナーレを迎えた。

 米国のチームは、その不在が際立った。スポーツを搾取している多国籍企業が失ったものは何もなく、多額の金額を稼いだ。アメリカ国民は不平を言っている。

 すべてがテレビ放映された。松坂投手は絶好調とは言えなかったが、日本は米国を手こずらせた。米国チームは試合開始直後にセンターオーヴァーのホームランをかっとばした。その瞬間、ベーブルースの時代から、伝統的な野球観戦に親しんでいる者は、ヤンキーの打線の爆発を想像した。

 その後、松坂投手が四球を出し、さらに黒人選手のジミー・ロリンズがセンター前にポテンヒットを打って、事態が悪化した。ふらふらとあがったフライは、難なくチャッチできるように思えたが、フィールドに落ちて、他ならぬ日本チームのショートストップ、比類のない名手中島裕之におさえられた。この試合では、前日の米国チームと同様なことが日本チームに起こっていた。米国チームは、前日の試合の1回表に、1点のリードを許した。
 
 日本チームの監督は、先発投手に寛容だった。日本の先発投手は、ファンファーレの音高らかに予告されるが、褒美として花びら一つさえ欲しがらない。監督は先発投手に話しかけ、軽くポンポンと背中を叩いて、あとは任せた。日本は後攻(こうこう)であり、これから二十七個のアウトをとられるまで攻撃できるのだ。松坂は気を取り直して、その回を無事に投げきった。

 ただちに、日本チームは失点を取り返すべく反撃を開始して、ほどなくして米国に対して4点のリードを奪った。

 この日、松坂は無敵の投手ではなかった。さらに数球投げてから、豊富な日本投手陣の中の一人によって取って代わられた。監督は、僅かでもあぶないと感じると、何のためらいもなく投手交代を告げた。この試合のために十分な控え選手と、翌日の決勝に必要なあらゆる戦力を用意していた。

 米国チームが日本のリードを1点差に縮めるたびに、日本の監督は4点リードを確保するための手を打ち、すばやくそれを成し遂げた。

 日本の1番バッターのイチロー・スズキは、その日、4度凡退していたが、本当に必要な時になって2塁打を放ち、それで日本のリードは5点になり、そのまま9回が終わった。

 その翌日、すなわち3月23日午後6時30分に、ロサンジェルスではまだ日差しが明るく、キューバでは夜の9時30分だったが、日本と韓国とで決勝が争われた。韓国が後攻だったが、韓国は今回のWBCでたったの1、2点を失っただけで、2度も日本チームに勝っている投手を先発させるという誘惑に勝てなかった。モーションが早く、カーヴが得意な投手だが、三振が取れなくて、日本チームの専門家と打者たちによって十分に研究されてしまっていた。

 今度は、第1球がセンターオーヴァーのホームランになった(訳者註:ここはカストロの記憶違いか?)。前日のヤンキー・ホーマーの焼き写しだった。もう一人のアジアの強豪国にとって悪い出だしになった。それにもかかわらず、両チームのクオリティの高さを証明するように、この試合はプロフェッショナルの選手たちの演じた、想像しうる最も緊迫した試合だった。日本チームの監督は、投手の起用でミスは犯さなかった。

 日本の先発投手、岩隈久志は7回と3分の2を投げきり、そのうちの数回は10球で投げ終えた。

 4回、試合は1-0で、日本のリードのままだった。

 5回、韓国はホームランで同点に追いついた。

 7回、日本は3連続ヒットで、2-1とした。

 8回、日本はさらに1点加えて、3-1とした。その裏、韓国は1点あげて、3-2とした。

 9回、日本の最高の右腕投手、ダルヴィッシュ有が連続四球を出した。あと2個ストライクをとれば勝利が舞い込むという時に、韓国が同点に追いついた。

 10回、日本が2点を奪い、勝利を決定づけた。

 疑いようもなく世界最高の打者であるイチローに導かれた日本チームは、この試合で18本のヒットを放った。

 大雑把に言って、そういう風に試合は進んだが、実際は込み入った状況に満ちあふれ、見事な攻撃と守備のシーンがあり、きわめて重要な三振のシーンがあり、10回を通して非常に緊迫した試合で、はらはらどきどきし通しだった。

 私はスポーツコメンテーターではない。常にそこから逸れることができない政治問題についての論評を書いている。それゆえに、私はスポーツに関心を向けるのである。それゆえに、昨日は、当日行なわれるはずのこの重要な試合に関して、論評を書かなかったのである。

 しかし、数日前にすでにあらゆることが語られ、予想されていた。私の友人たちである西側の報道関係のレポーター諸君は、多かれ少なかれあら探しをすべき材料など、かれらから見て社会主義に結びつけられる数々の困難など、見つけられないだろう。

フィデル・カストロ・ルス(署名)
2009年3月24日午後2時53分


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書評 巽孝之『想い出のブックカフェ』

2009年03月24日 | 小説
文学を愛する人への贅沢な贈り物
巽孝之『想い出のブックカフェ 巽孝之書評集成』(研究社、2009年)
越川芳明

 旅に本は欠かせない。

 つい先日のこと、北海道で「キューバ映画祭」なる粋なイヴェントがあり、トマス・グティエレス・アレア監督の作品を見るために、冬の札幌に飛んだが、その時携えていったのは、今福龍太の『群島–世界論』だった。

 裕に五百頁を超すメガブックなので、とにかく時間を見つけて読み続けた。

 だが、雑誌で依頼されたのは、たったの九百字の書評。

 そもそもこうした超重量級の読書には、マラソン選手並みの持久力が必要だが、書評の執筆時には百メートル競争の瞬発力が要求される。
 
 そんな折り、巽孝之の積年の書評を集めた本書が届けられた。

 巽は誰もが認めるように、持久力も瞬発力も兼ね備えた書評界のマルチタレントだ。

 新聞や雑誌の短い書評も、八千字以上の学会誌の書評も、楽々とこなしてしまう(ように見える)。
 
 巽自身は、快楽主義者的なミュージシャンの比喩を用いて、次のように述べている。
 
「新聞書評が即興的で瞬間的なライブ感覚を要求されるとすれば、学術書評はじっくり時間をかけて密室で練り上げるスタジオ録音に近いかもしれない」

 本書には、著者自身が書評委員を勤めていた読売新聞(一九九七年-九九年度)や朝日新聞(二〇〇五年-〇七年度)の百二十本を超える書評をはじめ、雑誌『すばる』などの読書日記風のエッセイがまとめられているだけでなく(第II部「新聞書評の戦略―書評委員の仕事」)、バベルプレス刊行の『eトランス』ほか、アメリカ文学会などの学会誌を舞台にした学術書評(第III部「学術書評の方法―批評的研究の仕事」)なども掲載されている。

 巽による書評の特徴は、一つに選択の多彩さにある。

 現代日本文学では斉藤美奈子、新書本では永江朗といった書評のスペシャリストがいるが、巽は文学・批評を中心にした人文科学分野のオールラウンドプレーヤーだ。

 専門である外国文学(主に英語圏文学)だけでなく現代日本文学も扱い、小説や批評やノンフィクションも、純文学やSFや幻想文学も俎上に載せる。
 
 ジャンル越境の冒険心あふれる選択がいかにも巽らしい。

 とりわけ、それ自体がジャンル侵犯的なプログレッシヴ・ロックの愛好者だけあって、複数のジャンルを融合させたハイブリッドな本が好みであるようだ。

 巽自身、「音楽小説が好きだ」といって憚らない。

 実際に音楽小説として取りあげられているものは、篠田節子『讃歌』、山之口洋『完全演技者』、古川日出男『サウンドトラック』などだが、その他にも、青柳いづみこ『音楽と文学の対位法』をはじめ、スコット・ジョプリンやエルヴィス、ドビュッシー、ラップやジャズに関するノンフィクションが目白押しだ。
 
 もちろん先端的なSF批評やポストモダン文学批評の専門家だけあって、その方面の作家の本の書評も数多くある。

 アーサー・C・クラークや安部公房、J・G・バラードのほか、メタフィクションの歴史改変もの(高野史緒、皆川博子、小林恭二、高橋源一郎、村上龍、ジョン・ファウルズ、ロバート・クーヴァー、ルイス・シャイナー)、ジェンダー撹乱もの(ル=グウィン、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)など、枚挙に暇がない。
 
 もう一つ特徴は、その技術的な創意工夫ともいうべきもので、私なりに切れ味鋭い書評を分析したところ、次のような結論に達した。

 巽の書評の極意とは――
 (1)導入部(つかみ)の工夫。(2)的確な内容解説(あらすじ)。(3)最後の決めゼリフ。

 とりわけ(3)の決めゼリフは見事であり、そのまま本のオビに使えそうな惹句ばかりだ。

 一つだけ例をあげれば、「二・二六前後の世界史そのものを耽美的なる性の歴史として読み替えるという、これはあまりに大胆な思考実験の成果である」(野阿梓『伯林星列』)。
 
 とはいえ、本書を副題にあるような「書評集成」と呼ぶのはあまりに謙虚な過小表現(アンダーステートメント)ではないだろうか。

 というのも、本書には、書評以外の部分も同じくらいの分量のエッセイや対談が収録されており、本のディズニーランドともいうべき趣向が凝らされているからだ。
 
 たとえば、第I部「ブック・クラブ文学の愛と死」では、読書共同体としてのアメリカのブック・クラブの発祥とその現在のかたちについて蘊蓄を傾ける。
 
 第IV部「お茶の時間―または読書の達人たち」では、新書をめぐって沼野充義と、師弟をめぐって四方田犬彦と、奇想をめぐって高山宏との対談を収録。

「理論と情報だけでは師匠になれない」(四方田犬彦)など、読書の達人たちの名言の数々を引き出す対談の名手としての巽の才能がいかんなく発揮されている。
 
 第V部「読書共同体の決戦―ティプトリー賞戦記」は、二〇〇七年にアメリカの文学賞の審査委員を勤めて、他の委員とメールで激論を交わしたその経緯を綴ったもの。

 各自のバイアスのかかった文学観で相手をねじ伏せようとする、凄まじいメールの応酬の記録は、「戦記」と呼ぶにふさわしい。
 
 新聞社の書評委員会の楽屋裏の話など、書評を読む楽しさを味わわせてくれるだけでなく、書評が文学への愛であることを読者に実感させてくれる、これは文学を愛する人への贅沢な贈り物だ。

『週刊読書人』2009年3月27日号

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カストロ元議長は、2009WBCの決勝は日本と韓国と予測

2009年03月21日 | スポーツ



キューバの元国家評議会議長フィデル・カストロは、来週23日の夜(日本時間では、24日朝)にロサンジェルスで行なわれるWBCの決勝は、日本と韓国と予測。http://www.granma.cu/

以下に、キューバの新聞『グランマ』に掲載された、キューバチームの敗北をめぐるカストロの論評の翻訳(私訳)を掲げます。

フィデル・カストロ「責められるのは我々だ」
(『デジタル・グランマ・インターナショナル』2009年3月20日)

 日本とキューバの試合は、今朝3時に終結したが、我々は完膚なきまでに敗北した。

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の組織委員会は、世界の上位3チームがサンディエゴで戦うように組み合わせを決めた。キューバはカリブ海の国であるにもかかわらず、アジア(東側)のグループに入れられたのだ。

 しかしながら、数日後にロサンジェルスで行なわれる試合で、西側のどのチームも日本や韓国に勝てるかどうか。そのクオリティからして、アジアの二つの国が決勝を争うことになるだろう。

 組織委員会のもくろみは、思想の戦いでヒロイックに抵抗し負けることを知らないキューバを排除することにあったのだ。しかし、またいつの日かこのスポーツで、我々は君臨することになるだろう。

 おもに若い選手たちからなる今度のWBCのキューバチームは、疑いようもなく我が国の最良選手たちであり、真の代表である。大いなる勇気をもって戦い、最後まであきらめずに、最終回まで勝利をめざしたのである。

 専門的アドバイザーと共に首脳陣によって示されたラインナップは、すばらしいものであり、自信をうかがわせるのだった。攻守共に強力だった。試合が要求する状況に備えて、すぐれたピッチングスタッフと強力な打撃陣を用意した。こうしたコンセプト通りに、彼らはパワーフルなメキシコチームをまったく寄せつけなかった。

 ここで指摘しておくべきだと思うが、サンディエゴでの首脳陣の采配は、支離滅裂だった。絶えず改革を実行している敵に対して、平坦に踏みなされた道を行くという保守的な規範が蔓延していた。我々はしかるべき教訓を学ばねばならない。

 あらゆるスポーツの中で、起こりうるありとあらゆる種類の状況や、ダイアモンドの9人の各自の役割を考えれば、今日のベースボールほど、人々にいろいろな期待を呼び起こすものはない。真に感情を鼓舞する見せ物である。

 スタジアムがファンで埋まるとしても、カメラで捉えられるイメージに匹敵するものはない。ベースボールは、映像というメディアによって転送されるべく考案されたかのように思える。テレビはあらゆるアクションを詳細に扱うことで、人々のそうした興味を高めるのである。テレビは時速100マイル(150キロ)で投げられたボールの縫い目や回転の模様を見る機会を、さらにボールが白線上を転がったり走者の足がベースに触れる前後の10分の1秒間に守備の選手のグラブにおさまったりするのを見る機会を我々に提供する。チェス以外に、これほど変化にとんだ状況を有するゲームは、ほかに思い浮かばない。もっとも、チェスの場合は筋肉の動きではなく、頭脳の中の知的な働きであり、それはテレビで映し出すことができないのだが。

 キューバはあらゆるスポーツを楽しみ、多くのアマチア選手を有しているが、とりわけベースボールは国民の情熱となってきた。

 我々は栄誉にあぐらをかいてきた。いま、敗北の責任を引き受けねばならない。日本と韓国は、地理的に米国からかなりの距離があるが、この米国から輸入した、というより押し付けられたスポーツに豊富な資金を投じてきた。

 二つのアジアの国におけるベースボールの発展は、かれらの明確な国民性に寄るものだ。かれらは勤勉で、自己犠牲的で、ねばり強い。日本は1億2千万以上の人口を有する豊かな先進国であるが、ベースボールの発展に献身してきた。資本主義システムの中のほかのものと同様、プロスポーツも多大な金の動くビジネスであるが、国民はプロ選手に対して厳しい水準を要求している。

 日本でプレーしたことのあるキューバの選手は、そうした水準の高さを熟知している。米国のメージャーリーグでプロ選手に支払われる年棒は、米国の次に強力なプロリーグを有する日本より明らかに高い。日本のプロ選手は誰でも日本で8年間プレーしないかぎり、米国のメージャーリーグや、その他の国でプレーできない。そうした理由で、外国で活躍する選手には、28歳以下の者がいない。

 日本のトレーニングは信じがたいほどに厳しく科学的である。おのおのの選手に必要な筋肉を鍛えるための科学的方法を考案してきた。毎日、打者は打撃練習に、左か右の投手から投げられる数百球を打つ。投手は毎日400球を投げる義務がある。もし試合中にミスをおかせば、もう100球投げねばならない。しかし、かれらはあたかも自分自身に課した罰であるかのように、嬉々としてそれをこなすのである。そのようにして、かれらは頭脳から送られてくる命令に忠実に従う筋肉を見事なまでにコントロールすることができるようになる。そういうわけで、誰もが日本の投手陣が思うようにボールコントロールする能力に驚嘆するのだ。似たような科学的な方法は、守る時も打つ時もそれぞれの選手が行なわねばならないあらゆる動きに応用できる。もう一つのアジアの国、すなわち韓国でも、選手たちは似たような国民性をもって技術的な進歩を遂げた。韓国はいまや世界のプロフェッショナルベースボールにおける強豪国だ。

 アジアの選手たちは、西側の選手に比して、身体的に強靭とはいえない。パワーの点でも同じだ。だが、強靭な身体を持っているだけでは、アジアの選手たちが磨いた反射神経に勝つことはできない。同様に、パワーだけではアジアの選手の科学的方法や冷静沈着さの埋め合わせはできない。韓国は、よりパワーフルな巨漢選手を探す努力をしてきた。

 我々の希望は、我が国の選手たちの愛国的な献身と、かれら自身の栄誉と国民を守ろうとする熱意とに支えられていた。選手層にしても、たとえば日本と比べて10倍以上も人的資源にめぐまれないし、そうした乏しい人的資源から、我々の敵からの賄賂を受け取るようなモラルの低い者を差し引かねばならない。しかし、ベースボールの世界での覇権を維持するためにはそれだけでは充分でない。我々は選手たちを鍛える際にもっと科学的な方法を採りいれねばならない。我が国の一流の教育施設やスポーツ施設がそれを可能にするだろう。

 幸い、我が国には、すぐれた運動能力を有する若手の投手や打者が十分そろっている。一言でいえば、単にベースボールだけでなく、あらゆるスポーツ分野における我が国の選手の鍛錬のために、練習方法を改革しなければならない。

 我がナショナルチームは、数時間のうちに帰国するはずだ。かれらが示したパフォーマンスに値する栄誉をもってかれらを迎えることにしよう。不運な結果をもたらした数々のエラーの責任は、かれらにはない。責められるのは我々だ。期限までに自分たちのエラーを訂正することができなかったからだ。

フィデル・カストロ・ルス(署名)
2009年3月19日 午後2時58分
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歌手の島津亜矢さんにノックアウト。

2009年03月16日 | 音楽、踊り、祭り
 きのう、たまたまかかっていたNHKBSの歌番組で、島津亜矢さんという演歌歌手の歌を聴きました。

 熊本ダイアレクトで、父親から都会にでていった娘あるいは息子に語りかける歌、「帰らんちゃよか」という曲でした。

 



 オペラ歌手にも匹敵するほどの声量があるのは、だれもが認めるところでしょうが、歌詞(ことば)を自分の中に取り込んで歌う点は、天性なのでしょうか、それとも努力の賜物なのでしょうか。

 その歌いっぷりを見て、ふと、南大東島出身のオキナワ民謡歌手、内村美香さんを思い出しました。

あるいは、ジャンルはちがいますが、キューバの大物歌手セリア・クルースをも彷彿とさせます。




 島津亜矢さんは熊本の田舎から出てきて、作詞家の星野哲郎氏に師事したそうです。作曲家の船村徹氏とよくコンビを組んで曲を作っている御大です。
 
 いまどきの男にはない侠気があるので、男の歌を歌わせるとすごく巧いです。北島三郎と共演して、サブちゃんの歌を見事に歌っていました。

 番組のラストで、「(一緒に歌えた)今日の日は、私の宝です」と、先輩サブちゃんに感謝の気持ちを表現した点に、彼女のこれまでの苦労が忍ばれました。

 それでは、北島サブちゃんと島津亜矢さんのヴァーチャルな共演をお楽しみください。

 まずは、サブちゃんの「風雪ながれ旅」からどうぞ。語りうたになっています。さすがおさえ気味に歌うところが心憎いです。

 


 つぎに、島津亜矢さんの「風雪ながれ旅」です。耳の鼓膜をやられないように、ボリームをすこし落としてくださいね(笑)。
 
 
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映画評『THIS IS ENGLAND』

2009年03月16日 | 映画
シェーン・メドウズ監督『THIS IS ENGLAND』
越川芳明

 フォークランド紛争(1983年)の後、保守的なサッチャー政権下のイギリスの田舎町を舞台に、労働者階級のスキンヘッドの若者たちを描く。

 スキンヘッドといえば、ドイツのネオナチなど、人種差別主義を露骨に標榜する極右団体を連想させるが、この映画でもパキスタン移民を目の敵にするコンボという男が出てくる。

 それに対して、同じスキンヘッドでも、オシャレな平和主義者もいて、それはウッディという名の男が代表する。

 イギリスのスキンヘッドは歴史的に60年代後半のモッズに端を発し、ブーツやシャツや帽子などを加味して、独特のレゲエ・カルチャーを発生させたという。

 この映画の主人公である12歳のショーンは、フォークランド紛争で父を亡くし行き場を失っていたところをファッショナブルで人に優しいウッディに救われるが、その後、硬派で極右のコンボに洗脳されて、パキスタン人狩りに参加するようになる。
 
 映画はそうしたスキンヘッドの若者たちの微妙な対立に分け入り、社会的「他者」である彼らを内側から描ききった。

 ショーン少年は、恋愛もふくめて、次から次へと精神的な冒険を繰り返す。

 その内面の揺れは、時代と場所が違うとはいえ、雨宮処凛の『生き地獄天国』(筑摩書房)を連想させる。

 Toots& the Maytalsのスカの名曲や、UK Subsのヘビメタ、ClayhillのカヴァーしたThe Smithsの “Please, please, please Let Me Get What I Want”など、背景に流れる80年代の音楽と相まって、静かな感動を呼び起こさずにはいない。

(『Studio Voice』2009年4月号164頁)

『THIS IS ENGLAND』は、2009年3月14日(土)より、シアターN渋谷ほかにてロードショー


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映画評『シリアの花嫁』

2009年03月15日 | 映画
「境界」を越える花嫁
ーーエラン・リクリス監督『シリアの花嫁』(2004年)
越川芳明

 


 シリアとイスラエルの国境地帯のゴラン高原にあるマジュダルシャムスという村が舞台。

 映画は、花嫁になるモナとその家族が過ごす結婚式の一日を追うだけだ。

 だが、そうしたありふれた家族劇(ファミリー・アフェア)に世界規模の政治問題を盛り込むという離れ業を見せる。

 結婚式という小さな舞台装置を使って、民族やジェンダーの問題に対して、「境界」を越えることの意義を映像でしめすボーダー映画の傑作だ。
 
 さて、世界規模の政治問題とは、民族的・宗教的な少数派への弾圧や迫害をもたらす「国境線」をめぐる争いに他ならず、パレスチナのガザへのイスラエルによる軍事攻撃はいうまでもなく、それはアフリカのルワンダ紛争やインド・パキスタンのカシミール紛争など、アジアやアフリカを舞台にした列強による植民地支配の負の遺産というべきものだ。
 
 ゴラン高原は、もとはシリアの領土だったが、第三次中東戦争(一九六七年)でイスラエルが占領し、八一年に併合を宣言した。

 シリアから分断されてしまったこの地域には、イスラム教の少数派ドゥルーズ派の人々が二万人ほど住んでいる。

 居ながらにして故郷を失った、そうしたディアスポラの民を、映画は扱っている。彼らのパスポートには、いま「無国籍」と記されている。
 
 花嫁のモナは政治的にはごく穏健な女性だ。

 彼女の結婚が通常のそれと異なるのは、二度目の結婚に不安を抱えているのみならず、今度の結婚相手がシリア人であり、イスラエルを出国してひとたびシリア国籍を取得すれば、ふたたびゴラン高原の村には戻れないからだ。

 晴れの結婚式が家族との最後の悲しい別れになる。

 映画は彼女のそうした非常にアイロニカルな状況を主題にする。
 
 しかし同時に、国境線以外にも、個人の前に立ちはだかる「障壁」としての境界と、それを越えようとする人々の葛藤が描かれている。

 それらは国境線の鉄のフェンスように目に見える明確なかたちを取っておらず、無意識の中に刷り込まれた壁である。

 これを越えるには本人による主体的な意識革命が必要だ。
 
 その一つは、ジェンダーの境界であり、その障壁には花嫁の姉アマルが挑む。

 彼女は、長老たちを頂点とする男性中心主義によって周縁部に追いやられた「見えない存在」だ。

 イスラエル人の警察署長と対等にわたりあう交渉力に示される秀れた知的能力を有しながらそれを発揮できる場を奪われた、共同体内部の「他者」だ。
 
 冒頭とラストでこの女性の顔をアップで映し出す。

 冒頭では、彼女はベッドで横になって憂鬱そうな顔をしているが、ラストでは妹の行動に刺激をうけて、明るく決然とした表情で坂をのぼっていく。

 それは、彼女が不幸な結婚生活に見切りをつけて、夫の望まない大学進学を決意したことを暗示している。
 
 もう一つ「境界」は、長老たちの言動に象徴される伝統的価値観であり、花嫁の父ハメッドの前に立ちはだかる。

 ハメッドは村の掟を破ってロシア人女性と結婚した長男ハテムを許すことができない。

 とはいえ、息子への愛情を失ったわけではない。そういったハムレット的ジレンマがどう解決されるのか、映画の一つの見所である。 
 
 監督のエラン・リクリスは、イスラエル人であり、イスラエルの国境地帯の人々(本作のようにイスラエルに住むパレスチナの住民や、国境地帯のイスラエルの軍人など)を撮ったドキュメンタリー作品『ボーダーズ』(一九九九年)がある。

 国境線に制約されて生活することの不条理に、政治的なイデオロギーからではなく、庶民の視座で迫る。

 本作でも、大人の男たちが一階の居間で議論するのに対して、女性たちはよそ者には入れない奥の方の、二階の居間や台所で本音を語る。


 映画は、そうしたイスラム社会におけるジェンダーの記号論をふまえるだけでなく、「他者」の内面に入り込む。

 とりわけ、女性たちの本音が渦巻く台所で、トマトの切り方をめぐって、異なる文化をもつロシア人女性イヴリーナと義母とが共に歩み寄るシーンが実に印象的である。
 
 さらに、『シリアの花嫁』で注目すべきは、結婚式の一日を撮るべく雇われた、ちょっと太めのカメラマンの存在だ。

 彼はイスラエル人であり、ドゥルーズ派の人たちにとって部外者であり、滑稽なかたちで他ならぬ監督の立場を「代弁」する。

 カメラマンの存在が映画論的に見て興味深いのは、彼が撮っているという設定の非常に短いモノクロ映像が何度か差し挟まれている点だ。

 そのうちの最初のモノクロ映像で、花嫁の姉アマルはカメラに向かって、「これを見る時、モナは既にあなたの妻のはず。今日が姉妹の最後の日よ。宝物をあなたに託す。どうか大切にして守ってあげて」と、述べる。

 映画の中に数度差し挟まれるそうしたモノクロ映像は、部外者の視線を連想させるだけでなく、その場にいない人(結婚相手に象徴される)の未来からの視線をも想像させ、監督による「他者」への希望のメッセージを見事に映像化したものである。

 映像芸術の語り文法(ナラトロジー)の可能性を大きく押し広げた編集の妙といえよう。
 
 先頃イスラエルで行なわれた総選挙では、パレスチナ独立国家の樹立に消極的で、ゴラン高原のシリアへの返還にも断固応じないとする姿勢を見せた右派リクード党が議席を倍増させた。

 そんな予断を許さない時世だからこそ、ユーモアをもって「境界」に挑むこの映画の存在意義は大きい。

(『すばる』2009年4月号306-307頁に少し手を加えました)

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「エスクァイア日本版」休刊宣言に一言

2009年03月06日 | 小説
「エスクァイア日本版」休刊宣言に一言

 今年22周年を迎える『エスクァイア日本版』が今年5月の刊行分をもって、休刊するという。http://www.esquire.co.jp/

 聞くところによれば、プライムローンの破綻に端を発した米国の不況や、広告の減少がおもな理由ではないようだ。

 いまでも、ファッション界をはじめとす る広告は数多く載っており、採算ベースはそこまで不調ではないようだ。それなのに、なぜだろう?
 
 文芸春秋が『諸君』を休刊し、集英社が『月刊プレイボーイ』を休刊するのは、広告収入の減った大会社がリストラクチャーするための窮余の策だろうが、 『エスクァイア日本版』の版元は、TSUTAYAであり、そういった大出版社の事情とはちがうようだ。

 思えば、10年前にスティーヴ・エリクソンの来日をプロヂュースしたときは、『エスクァイア日本版』に頼んで、小林恭二さんとの対談をセットしてもらったのだった。

 数年前の「アフリカ特集」では、アメリカ作家とモロッコという切り口でウィリアム・バロウズやポール・ボウルズの文章を書いたことがあった。

 近年のヒット作(と思える)のは、ピアノ特集号で、あるテレビ番組のヒットにあやかったものとはいえ、その号を会議の始まる前に見ていると、数名の同僚がほしがったものだった。

 最近の『エスクァイア日本版』は、最新の映画やアートや書物を扱う文化欄の充実には、目をみはるものがあった。

 とりわけ映画コーナーは3種類もある。

 1作を二人が論じるクロスレビュー、柳下毅一郎による映画評(毎回刺激的な作品をとりあげ、信頼のおける評価をくだすので楽しみにしていた)、さらに映 画監督インタビュ-(カラー写真と相まって、中身の濃いページ)がくる。

 最新本紹介のコーナーも充実していて、毎回、話題作家のインタビュ-があるだけ なく、本1冊を丁寧に紹介するコーナーもある。

 もちろん、書評欄があり、文学(日本と外国)を中心に据えて、大人の男のファッションの内側に迫る。それ はヘミングウウェイやフィッツジェラルドなど、ロストジェネレーションのアメリカ作家たちが発表の場としてきた『エスクァイア』本誌の伝統につらなるも のである。

 私は、年に何度か書評を書かせてもらったが、活字中心の新聞とも文芸誌ともちがう、オシャレにデザインされた本の写真と共に書く喜びがあっ た。

 私がそう感じるのも、たぶん私が付き合ったエスクァイアの編集者の人たちに負うところが大きいのだろう。

 アメリカのファッションの流行を追うだ けでなく、かといって、日本の伝統文化にあぐらをかくわけでなく、日本文化を日々更新するような斬新なセンスを編集者に感じることができたから だろう。

 そんなわけで、私は『エスクァイア日本版』の続刊をつよく望む。


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書評 黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』

2009年03月03日 | 小説
アジア的な世界観で、二十一世紀の平和を希求する
黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』(青柳優子訳、岩波書店、二〇〇九年)
越川芳明

 八十年代に北朝鮮に生まれた少女を主人公にした波瀾万丈の物語。

 パリという名の主人公は、生まれた時には、すでに女ばかり六人産んでいた母によって林の中に置き去られ、飼い犬のおかげで辛うじて一命をとりとめる。

 祖母の歌に出てくる、「見捨てられし者」という意味の「パリデギ」がその名の由来だという。

 しかし、その名には苦難を経て「生命水」なるものを得たあと家族に幸せをもたらすという「パリ王女」の伝説に由来するポジティヴな意味もある。

 物語は、二つに分かれ、前半では九十年代後半の北朝鮮や中国での主人公の苦難が語られる。

 金日成の死亡後、北朝鮮が大飢饉に襲われるなか、叔父が韓国へ亡命したとの嫌疑をかけられ、パリは父母と切り離されて、祖母と逃げるうち、中国の山奥で天涯孤独の身の上に。
 
 後半は、主人公が中国の港から乗り込む密航船の劣悪な環境と女性が辱めをうける状況が描かれたあと、ロンドンの下町での出来事が中心となる。主人公が出会うのは、同じような境遇にある移民や難民。
 
 アフリカやアジアや東欧など、冷戦構造が崩れたあと、新自由主義のシステムから取り残された周縁地域からの経済難民や、紛争で難民化した人々だ。
 
 小説は9.11米国同時テロ事件やイラク戦争をも取り込み、西洋のキリスト教社会で理不尽な嫌がらせをうける異文化の「他者」の視点を引き受ける。朝鮮人のすべての家族を失った主人公は、パキスタンからのイスラム教徒の二世と結婚し、新たな家族を築き始める。

 主人公は幼い頃から巫女(ふじょ)の才能を発揮して、危機に陥るたびに祖母の霊を呼び出し、窮地を脱することができる。

 自ら産んだ子を失うなど、様々な試練を乗り越えた末に、「戦争で勝利した者は誰もいない。この世の正義なんて、いつも半分なのよ」と、作者の主張を代弁するかのような言葉を吐く。

 本書は、かつて列強の植民地としての辛酸をなめた東アジアから出発し、グローバルな視野を持って、「譲りあいの精神」や「他者への寛容」など、アジア的な「世界観」を提言する。二十一世紀の世界平和を希求する優れた寓話だ。

 黄晳暎(ファン・ソギョン)
1943年中国生まれ。韓国人作家。『客地』『懐かしの庭』など。

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