越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

辺野古(1)

2010年06月27日 | 小説
辺野古に行ってきました。

沖縄は、梅雨が明けたといわれていますが、篠つく雨のなか、那覇からバイクを飛ばして、約2時間半、名護の辺野古岬にたどり着き、この目で大浦湾を眺めてきました。2004年から座り込み(監視)を続けている辺野古テント村の方々の説明を聞きながら、のどかというしかない港を見ていると、遠く山の中でパンパンと実弾射撃の音がひっきりなしに響いています。すぐ隣に米軍基地(キャンプ・シュワブ)があるからです。数年前に車で近くの高速道路を通ったときも、金武(きん)をすぎたあたりに、グロテスクな道路標識が立っていました。「実弾に注意!」

民主党(菅政権)も、ここにV字型滑走路を作ると言っています。

僕が知らなかったのは、辺野古の海は遠浅で、米軍基地から海へ、また海から米軍基地へと、軍事訓練は日常茶飯事であるとのことです。ヘリコプターから軍人が降りたり上ったり、陸海両用の戦車で突っ走ったり。。。

のどかな辺野古は、いわば「戦場」でした。





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管啓次郎さんとの対談(2)

2010年06月21日 | 小説
○ノートを持って旅に出る
越川 僕はね、九十年代のはじめにポール・ボウルズに会いに行きました。彼の住んでいたタンジールに二回行って、それぞれ一週間くらい滞在しました。夕方になると彼のアパートメントにノーアポでただ行く。そうしていると、色々なところからいろいろな人が来るんですよ。ジャーナリストとか写真家とかがね。そのうち十人くらいになって、お茶なんか飲みながらみんなで話す。翻訳もしたんですけれど、そういう作家との出会い、付き合いっていうのも、僕にとって影響が大きいですね。管さんは、会いたかった人はいますか?

管 そうですね、けっして会いたくはなかったけれども大きな影響を受けた作家はブルース・チャトウィンですね。実際に会ったら、たぶんすごく嫌なやつだったろうと思うけど。チャトウィンの小説に対するアプローチの仕方には、文体にも主題にも形式的な実験にも、強く印象づけられました。『ソングライン』なんて、終わりのほうはノートだけですからね。

越川 あれは死にそうだったからじゃないの?(笑)でもあのノートはすごいですよね。僕も『ソングライン』は、いま研究室にある本を十冊残して全部捨てろと言われたら、残す一冊のうちに入るかな。とんでもない本ですよね。

管 チャトウィンの文章は何度読んでも戦慄を覚えますけれど、あのぶっきらぼうなくらいシンプルな文体を学んだのがヘミングウェイなんですよね。特に初期短編集の『49短編集』をつねに鞄に入れていた。

越川 でもヘミングウェイなんかよりずっといいと思うけどなあ。確かに、初期の頃の、ニック少年を主人公にした短編集は素晴らしいと思うけど、正直、『老人と海』など、どこがいいのかさっぱりわからない(笑)。何回読んでも好きになれないんですよね……。ジャック・ケルアックもそうです。青山南さんには悪いけど、僕は三十ページくらいまでしか読めませんね。

管 そうかあ、ぼくはヘミングウェイの文体は大好きだけどなあ。ケルアックというと『オン・ザ・ロード』のことですか?

越川 僕は、あれはちょっとね。ドルの優位性にあぐらをかいた自己満足という意味で、文化的なマスターベーションだと思うんですよね。そういう要素が自分にもあるから嫌なのかもしれないけど……。

管 僕も『オン・ザ・ロード』はずっと読めなくて、何でここまでラディカルに退屈なものをみんなよろこんで読むんだろうって思っていたんですよ。ところがあるとき、マット・ディロンが全文を朗読したCDを買ってダラダラと聴いていると、そのおもしろさがわかった気がした。車の運転とかしながら聞くといいんです。友達と長距離ドライブをしていて、疲れ果てて何も話すことがなくなったときに初めて出てくる思いがけない思い出話ってあるでしょう。そんな作品だと思います。

越川 じゃあ、読んじゃいけない本なんだね(笑)。『本は読めないものだから心配するな』がここで効いてくる訳だ! なるほど、今日は勉強になりましたー(笑)。
ついでに言うけれど、ケルアックにメキシコ・シティを舞台にした『Tristesa』っていう中篇があるんです。当地に滞在していたときに、この場所で読んだら意見が変わるかなと思ったんですが、結局すっごくつまらなかった(笑)。こんなものをメキシコ人が読んだら怒るぞ、と思いましたね。素朴なアメリカ人が読んだら「メキシコってこんなところなんだ」と思うかもしれないけど。自意識の欠如した、ただの観光客のような視線が嫌でした。

管 ああ、なるほど。彼の小説で一番面白いと思うのは、『The Dharma Bums』という作品があるでしょう? ゲイリー・スナイダーがモデルになっているという。あれはすごくいいですね。完全にフィクションの人物より、ずっとおもしろい。

会場: 越川さんは、外国に行かれると市場と墓場に必ず行かれるそうですが、その理由をお聞かせ願えますか?

越川 市場っていうのは食い物がある場所ですよね。生きていくために必要なものが売っている、人の欲望があらわれる場所ですね。世界中どこの市場に行ってもにぎわってるし、何も買わなくても楽しいところだと思います。あとは墓場。死っていうのは、我々がみな必ず行き着く終着駅、ターミナルじゃないですか。墓場に行くと、その土地の人たちが死者たちをどのように扱っているかがわかって、とても面白いですね。死者を手厚く扱っているところは生者にも優しい。メキシコの一番南のチアバス州のサン・クリストバルという標高の高い街から車で三〇分くらいのところにチャムラという先住民の村があります。そこの墓地が面白かったです。そこの墓地にはいろいろな色の十字架が埋まっているんですよ。黒は老人、青は若者、子どもは白とか。面白いのはね、墓地のまわりがなんだか汚いんですよ。コーラのビンやペットボトルなんかが散らばっている。どうも、死者はコーラとか、炭酸が好きらしいんです(笑)。だから、空瓶はゴミじゃなかったんです。先祖へのもてなしかたとかも、墓場を見ればわかりますし、面白いですね。メキシコには十一月一日に死者の日というのがあって、是非そこに行かれるといいと思います。お墓を花で飾り立てて、食べ物を置いて、家族が集まる行事になっています。日本にいたときはお墓などに興味はなかったんですが、メキシコに行ってその重要さを再認識しました。

会場:旅をするときには、現地で本を出会ったり、以って行かれたりするのでしょうか? それとも、旅をされるときには読書はされませんか?

管 僕は旅をしているときもしていないときも、常に十冊くらい本を持ち歩いています。習慣ですね。旅先でも本屋に行きますから、そこでの本との出会いももちろんあります。でも実際に移動中に読むかというと、あまり読まないですね。ぱらっと開いてはあるページが「よく書けてるなあ」と感心したりとか、その程度です。でもそんな印象が思いがけないところで変なつながり方をし、新しい方向性を感じることがある。それに導かれるようにして別の場所に行ったりすると、また新しい発見があったりします。昔からメアンドルシェルシュという造語で呼んできたのですが、それはメアンドル(曲がりくねった)とルシェルシュ(探求)の合成からなる、方法なき方法論。いつもそうです。

越川 この前キューバ映画祭のために二泊三日で北海道に行ったのですが、一日に四本くらい映画を観て、寒い時期だったからホテルの部屋で本ばかり読んでいました。だからその旅では、北海道の風景はほとんど見ていないんですよね。そういう旅もあれば、旅先では本など読まずに人と会ったり体験したりすることを重要視することもあります。旅に本を持って行くかどうか。これは難しい選択ですね。最近、本は置いていくことが多いです。本に頼らずに、自分の経験を書き留めることにしている。本は帰ってきてから読む。だから、旅にノートはたくさん持っていきます。去年の夏一ヶ月ほどキューバにいたんですが、僕のノートパソコンではネットもメールもできないんですよ。ホテルのロビーに一時間くらい並べばメールぐらいできるんですが、それも何だか馬鹿馬鹿しい。だから、まるまる一ヶ月ネットもメールもやらずに過ごしました。すごく新鮮でした。そのとき経験したアフリカ的な儀礼や、魔術的な治癒の仕方などをノートに書き綴って過ごしましたが、そんな旅もありますね。

司会 本日はありがとうございました。 
(「図書新聞」2010年6月5日)  
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デニス・ホッパー追悼

2010年06月12日 | 映画
反体制・ドラッグ文化の象徴としてーーデニス・ホッパーを悼む
越川芳明
(写真は、デニス・ホッパーと詩人のアレン・ギンズバーグ)

 デニス・ホッパーが亡くなった。1936年生まれで、若い頃は俳優学校に通い、シェイクスピアが好きだったという。

 監督や配給会社との対立などにより「ハリウッドの問題児」との世評があったが、本当にそうなのだろうか。

 デニス・ホッパーといえば、監督と主演をした『イージー・ライダー』(69年)を抜きにしては語れない。

 公開当時、まさに多感な思春期を迎えていた僕にとって、デニス・ホッパーは憧れの存在だった。

 アメリカン・ニューシネマと名づけられた他の映画(『俺たちに明日はない』や『明日に向かって撃て』)の悪漢たちと同様、彼の演じる長髪の「カウボーイ」は「反体制」のシンボルだった。
 
 『イージー・ライダー』は格好いいオートバイを使った現代版の西部劇だ。

 ただし、保安官に象徴されるアメリカの「正義」には信頼をおかず、カウンター・カルチャー(対抗文化)の価値観をメッセージとして伝えた。
 
 オートバイにまたがる二人は、ロサンジェルスから南のニューオーリンズに向かって、開拓者たちの旅を逆にたどる。

 道中のピッピー・コミューン(共同体)やニューオーリンズのマルディグラ(謝肉祭)のパレードに見られるように、それはピューリタニズムという開拓者たちの精神的なバックボーンではなく、それまで米国社会で抑圧されてきた先住民やカトリック教徒の文化を浮き立たせるものであった。
 
 米国は十九世紀末から世界の覇権を握ろうとしてカリブ海や太平洋の小国に軍事介入を繰り返してきた。

 ベトナム戦争で露呈したそうした米国の掲げる「民主主義」のダブルスタンダード(嘘)への内部からの静かな怒りが、映画の背景に流れるボブ・ディランの歌詞やジミ・ヘンドリックスのブルース・ロックなどによって表現されている。
 
 確かにホッパーは『イージー・ライダー』以降、酒とドラッグへの耽溺のせいで、一時停滞したように見える。だが、彼は「反体制」のシンボルだけでは終わらなかった。 
 
 デイビッド・リンチ監督の『ブルー・ベルベット』(86年)では、ドラッグに溺れる「性的異常者」の役で抜群に冴えた演技を見せる。
 
 彼は脚本を読み、この男はまさしくこの俺自身だからやらせてくれ、と監督に頼んだという。

 『パリス・トラウト』(90年)や『コールド・クロス』(2000年)でも、やはり正気と狂気のはざまを行き来する「変質者」の役を見事にこなした。
 
 ドラッグが心身をむしばむことを知りながらやめなかったのは、スクリーンの中で、おのれの心の闇(人間としての弱さ)を表現することに命を賭けていたからではないのか。
 
 『イージー・ライダー』でジャック・ニコルソンの演じた、鋭い知見を披露するアル中の弁護士と同様、ホッパーは、ドラッグが知の覚醒をもたらすという先住民の思想を体現していた。六十年代「ドラッグ文化」のすぐれた申し子だった。

(『朝日新聞』2010年6月11日夕刊に若干手を加えました)
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映画評 『闇の列車、光の旅』

2010年06月08日 | 映画
「北」をめざす旅に隠された、もう一つの旅  
キャリー・ジョージ・フクナガ監督『闇の列車、光の旅』
越川芳明 

 私たちはさまざまな理由で旅に出るが、旅は私たちに何を教えるのだろうか。

 この映画で扱われるのは移民の旅であり、経済的な動機がその根底にある。高度成長期の日本でも、地方から大都市へ「集団就職」という形で、一種の「移民」的移動が見られたが、目を世界に転じれば、仕事と金をもとめて、地方から大都市へ、第三世界から第一世界へ、旧植民地から元宗主国へ、発展途上国から先進国へと、経済格差によって生み出される移民の旅が見られる。
 
 本作では、二種類の旅が描かれている。一つは、まるで蛇がのたくるようにくねくねとした線をなして北上する、水平の、空間の旅。もう一つは、自らの生の意味を主体的に獲得して、まるでダンテの『神曲』のように光の見えない地下世界から天上的な世界へと一気に駆けのぼる形而上学的な、垂直的な旅。この二つの旅を交錯させることで、本作は「北」へ向かう旅を描いたありきたりなロードムーヴィになるのを回避している。

 前者の旅は、メキシコよりさらに南のホンジュラスから始まる。主人公の一人、少女サイラが首都テグシガルパから、「北」のアメリカ合衆国をめざす。父親がアメリカから強制送還され、もう一度不法入国を試みようとして、娘サイラと弟のオルランドを誘うが、サイラにはさしたる動機がない。自分の住むホンジュラスのスラムには何もない、という消極的な理由以外には。ニュージャージーにいる父の家族は、父がサイラの母以外の女性と一緒に築いたもので、サイラの身内ではない。だから、父の見せてくれる写真に、何の感慨も浮かばない。

 後者の旅は、もう一人の主人公、カスペル(本名ウリィ)によってなされる。彼はメキシコ最南のチアパス州タパチュラに住み、「マラ・サルバトゥルチャ13」というギャング組織に属している。不法移民の乗る貨物に、強盗を働くために乗り込むが、ふとしたことからリーダーの男リルマゴを殺してしまう。彼には組織に内緒で付き合っていた恋人マルタがいたが、彼女をリーダーによって殺されている。戒律を重んじる組織に逆らったことで、ウリィの逃亡の旅が始まる。 

 この映画は、巧みなモンタージュによって、視線の違いによって、旅の意味の違いを知らしめる。サイラとウリィが一緒に貨物列車の屋根にすわって、通り過ぎる光景を眺める短いショットがある。二人は進行方向に向かって横向きにすわり、荒野を見つめる。これは「北」への旅をできるかぎり先延ばししたい、二人の思いを暗示している。二人にとって、「北」への衝動はそれほど強くない。むしろ、「信頼」とか「生の証し」を見いだすことの方が重要である。そのショットの直後に、その二人を心配そうに見つめるサイラの父と叔父の視線のショットがつづく。彼らは列車の進行方向を向いており、それはできるかぎり「北」への旅を突き進めたい彼らの衝動を暗示している。

 冒頭のショットを思い出してみよう。まるで人工的に着色されたかのような、紅葉に彩られた幻想的な風景が出てきて、それを見ているのがMSのタトゥーを背中に彫ったウリィであった。その光景をウリィは一人ではなく、列車の屋根からサイラと一緒に見ていたのだ。ウリィが暴行されそうになったサイラを助けた後、サイラも移民に殺されそうになったウリィを機転を利かせて救い、二人が同じ屋根の上にすわって眺めた一見平凡そうな光景だった。ウリィは愛するマルタを殺され、生きるあてを失っており、一方、サイラも未来に対する不安を抱えていた。しかし、二人の見たありきたりな光景は、運命を共有する二人、とりわけウリィの脳裏に強く刻みつけられており、それが冒頭の印象的な光景として映し出されていた。そう考えることができないだろうか。

 メキシコシティをすぎる頃、かつて一緒に仕事をしたことがある女性の世話になり、国境へ逃げる手はずを整えてもらったウリィは、自動車輸送車にサイラと一緒に乗り込む。道端の壁の落書きには、「リルマゴはカスペルを逃さない」と書かれていた。

 彼の旅は悲劇的だ。組織に背いた者は必ず殺されるという宿命を背負い、その宿命に逆らって、サイラの国境越えを助けるために、逃亡を試みるからだ。彼の旅は、自らの運命を知りながら、意志で運命に逆らうギリシャ悲劇の主人公のそれのように、次第に崇高さを帯びる。

 それが最高潮に達するのが、最後の川越えのシーンだ。彼にとって唯一、恋人と撮った映像(記憶)だけが生きるよすがだったが、それを保存したデジタルカメラをあっさり代金代わりに渡し人に与えるのだ。このような自己犠牲の行為で、ウリィは組の仲間によって無残な運命を意味ある生へと転化することができた。

 「先進国」に住む私たち日本人は、第三世界の視点で描かれたこの移民たちの映画を見て、何を学ぶのだろうか。

 映画の最後に、強制送還になった叔父オルランドが再びグアテマラからメキシコへの川越えに挑むショットがつづく。このショットによって、叔父の切迫した旅への衝動が伝わってくる。

 だが、なぜ「南」からアメリカへそれほどの危険を冒してまで旅するのか、この映画は深く追求していない。一見サイラの父や叔父の「北」への旅を描いたロードムーヴィの装いをみせながらも、彼らがする旅を描くことが目的ではなかったからである。
『すばる』(集英社)2010年7月号304―305頁。
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