片田舎で猫たちと一緒に育った古女房殿
束縛制約を嫌い、自由をこよなく愛する
自分は協調性を重んじ、その中で幸せの最大公約数を模索する
猫の育て方について話し合うと、いつも妻は猫になる
かつて「ノラの矜持」という記事で、どっちを選ぶか問いかけた
1.とにかく"今"を大切にして、毎日を思い切り謳歌する太く短いが楽しい人生
2.精進と我慢を重ねて、その中に生活の充実と楽しみを見出す穏やかで長い人生
2.精進と我慢を重ねて、その中に生活の充実と楽しみを見出す穏やかで長い人生
妻は1番、自分は2番。やっぱり妻は猫になる
わが家のリビング前でくつろぐ(故)みう
何ひとつ不自由なく、ご近所にも認知されていた家裏生活時代のみう
このままでいこうと妻、やはり外は心配だからとお迎えを計画した自分
(過去記事「悩め! おかあさんお迎えプログラム」)※「おかあさん」は当時のみう
そして迎えたみうは、多頭生活の中で短命に終わった
みうは、幸せだったのだろうか
外時代のみうには自由と手厚い保護があった
猫族には彼らを支配する法則がある
種族保存の法則しかり、時として命の犠牲を要求する
それらを理解しない限り、猫族とは同次元で付き合えない
妻はその法則に従順だが、自分は抗おうとする
その結果として、シャッポは店を離れて行った
(過去記事「猫らしく生きる ~シャッポの教え~」)
唐突に失踪したシャッポが言い遺したものとは・・
人間は猫に囁く、「家の中は安全だよ」 あるいはTNRしたりする
でもそれって、本当は人間の都合だよね。猫たちのためじゃない
家の外は危険がいっぱいと言ったって
家猫15年ノラ3年の平均寿命だと言ったって
今のことしか考えない猫たちにとっては関係ない
猫が持つ距離感は、個性同様それぞれ違う
どれだけ生きたかじゃない、如何に生きたかだよ
妻はいつもそう言っているのです
口達者な自分は議論には勝つけれど、妻が納得したわけじゃない
だから、勝ったような気はしない
そして同じような議論を延々と繰り返すのです
この幸せ感こそ、当家夫婦共通の願いです (みうとソトチビ)