資料館から休暇村まで戻ります。休暇村西側に毒ガス貯蔵庫が残っています。
なぜか鉄筋がむき出しになってボロボロです。
その先は、今休暇村のテニスコートやグラウンドですが、かつての長浦工場群跡です。
テニス場の途中に、毒物貯蔵庫と日本庭園跡があります。
貯蔵庫は半分埋まっています。
写真では分かりにくいですが、現地で解説写真と見比べるとわかります。
日本庭園について、橋がかろうじて過去庭園をなしていたことを物語っています。
そのすぐ先にはトイレ跡があります。勿論水洗などという高級設備ではない。
大久野島には中国電力の送電線の鉄塔があり、日本最大の鉄塔で高さ226m。
なぜか鉄筋がむき出しになってボロボロです。
その先は、今休暇村のテニスコートやグラウンドですが、かつての長浦工場群跡です。
テニス場の途中に、毒物貯蔵庫と日本庭園跡があります。
貯蔵庫は半分埋まっています。
写真では分かりにくいですが、現地で解説写真と見比べるとわかります。
日本庭園について、橋がかろうじて過去庭園をなしていたことを物語っています。
そのすぐ先にはトイレ跡があります。勿論水洗などという高級設備ではない。
大久野島には中国電力の送電線の鉄塔があり、日本最大の鉄塔で高さ226m。
交通の要所で巨大船が通行するための措置
テニス場を抜けてしばらく歩くと島で一番大きい毒ガス貯蔵庫跡があります。
長浦毒ガス貯蔵庫跡です。
島の北側にある点火試験場は行き方が分からず。煙道はイマイチ分からず。
次は芸予要塞時代の北部砲台です
日露戦争時ロシア艦隊迎撃用に建造されましたが、日本海海戦で決着がつき、また航空機の時代に変わりつつあったので
海上要塞の存在意義がなくなり大正12年に廃止。
発電機が設置されていた広場と地下兵舎(掘り下げて地面のしたにあるから地下です。元々は石垣の上が地面)
地下兵舎とトンネル
24センチカノン砲基部
基部のボルトは今でも残っています。
こちらは速射砲基部
速射砲の砲弾庫
この先、発電所跡まで遺構は弾薬運搬道路以外はありません。
道路脇の切通、側溝、途中の橋の欄干、がけべりに石造りの枠があります。
具合を見る限りは芸予要塞時代の遺構と考えて差支えないと思います。
そこから中部砲台と海岸方面への分かれ道に出ます。
目の前の木の向こうに巨大なタンクが見えます。
これは、生活用水用のタンク跡です。
坂を下っていくと、小さいタンクと建物が見えます。
小さいタンクは発電機用ディーゼル燃料タンク跡で、建物は発電所跡。
かろうじて残る窓枠などは当時のまま。建物に残るMAG2の文字は朝鮮戦争時の連合軍火薬保管庫として使用されていた際のペイント。
ガラスサッシはこの当時でありふれた格子窓です。
MAG1についてはかつての要塞時代の火薬庫で今回行けない場所にあります。
トンネルをくぐって海岸へ出ます。
トンネル内には連合軍が書いたペイントと環境省が書いたと思われるペイントが残っています。
トンネル前の桟橋は、芸予要塞時代の桟橋。
ちなみに、桟橋から北側の海岸べりすべての石積み護岸は、明治時代からの遺構。
桟橋のすぐ近くにはスタート地点の第二桟橋です。
歩いて回って、普通なら1時間程度。
吾輩は写真撮りながら回ったので、4時間掛かりました。
次回は訪問時に感じたことなど主に蛇足
テニス場を抜けてしばらく歩くと島で一番大きい毒ガス貯蔵庫跡があります。
長浦毒ガス貯蔵庫跡です。
島の北側にある点火試験場は行き方が分からず。煙道はイマイチ分からず。
次は芸予要塞時代の北部砲台です
日露戦争時ロシア艦隊迎撃用に建造されましたが、日本海海戦で決着がつき、また航空機の時代に変わりつつあったので
海上要塞の存在意義がなくなり大正12年に廃止。
発電機が設置されていた広場と地下兵舎(掘り下げて地面のしたにあるから地下です。元々は石垣の上が地面)
地下兵舎とトンネル
24センチカノン砲基部
基部のボルトは今でも残っています。
こちらは速射砲基部
速射砲の砲弾庫
この先、発電所跡まで遺構は弾薬運搬道路以外はありません。
道路脇の切通、側溝、途中の橋の欄干、がけべりに石造りの枠があります。
具合を見る限りは芸予要塞時代の遺構と考えて差支えないと思います。
そこから中部砲台と海岸方面への分かれ道に出ます。
目の前の木の向こうに巨大なタンクが見えます。
これは、生活用水用のタンク跡です。
坂を下っていくと、小さいタンクと建物が見えます。
小さいタンクは発電機用ディーゼル燃料タンク跡で、建物は発電所跡。
かろうじて残る窓枠などは当時のまま。建物に残るMAG2の文字は朝鮮戦争時の連合軍火薬保管庫として使用されていた際のペイント。
ガラスサッシはこの当時でありふれた格子窓です。
MAG1についてはかつての要塞時代の火薬庫で今回行けない場所にあります。
トンネルをくぐって海岸へ出ます。
トンネル内には連合軍が書いたペイントと環境省が書いたと思われるペイントが残っています。
トンネル前の桟橋は、芸予要塞時代の桟橋。
ちなみに、桟橋から北側の海岸べりすべての石積み護岸は、明治時代からの遺構。
桟橋のすぐ近くにはスタート地点の第二桟橋です。
歩いて回って、普通なら1時間程度。
吾輩は写真撮りながら回ったので、4時間掛かりました。
次回は訪問時に感じたことなど主に蛇足