今年はなぜか、キンモクセイの花が目に付くのである。だいたい金木犀の花というのは、香りからその存在を推し量るというか、ん? このいいにおいは、どこかに金木犀が咲いているな、という感じで辺りを見回すというのが多かったような気がするのだが、今年は不思議と先に花(木)を見つけて後から香りだ。
少し風情がない。例えば綺麗な女性でも、「ん? なにか通り過ぎたな、いい匂いだ、ああ、あの人だ、綺麗な人だなあ」、というのが理想のような気がする。この場合は、「おっ、別嬪さんだ、でも少しお化粧が私の好みとは違うな、ああ、香水も少しつけすぎだなあ」、という感じだろうか。
全然自然観照ではなくて申し訳ない。どうせこの程度の感性の男である。
脱線から戻るのであるが、今年の秋は桜が咲いている。狂い咲きというやつで、あちこちで見かけるのでもう珍しくなくなった。ツツジも咲いていると聞いた。いったいどうなっているのであるか。そのうちひまわりでも咲くかもしれない。
雨も少なかったし、紅葉も遅れている。ただでさえ、紅葉も見栄えがしなくなった最近であるのに、十二月ぐらいにモミジやイチョウが色づいてもなあ。
もみじ狩りという美しいことばがあるが、これはやはり秋も半ばの気候のいい時期に、のどかな気分で夫婦でしたりなんかするもので、木枯らしが吹く頃にスタジアムコートを着て高校生の一団でするものではないと思う、というか何を言っているのか自分でもわからない。どうも思考回路、言語中枢が老朽化しているようだ。とりかえよう。
なにはともあれ、秋の半ば、山々の色づきつつある木々の色合いを愛でながら(お、文学らしい表現だ)、人生について考えてみたり、天皇賞についても考えてみたりする今日このごろである。(はずれたが。なんだ、あの特徴のない二着三着の馬は。)
少し風情がない。例えば綺麗な女性でも、「ん? なにか通り過ぎたな、いい匂いだ、ああ、あの人だ、綺麗な人だなあ」、というのが理想のような気がする。この場合は、「おっ、別嬪さんだ、でも少しお化粧が私の好みとは違うな、ああ、香水も少しつけすぎだなあ」、という感じだろうか。
全然自然観照ではなくて申し訳ない。どうせこの程度の感性の男である。
脱線から戻るのであるが、今年の秋は桜が咲いている。狂い咲きというやつで、あちこちで見かけるのでもう珍しくなくなった。ツツジも咲いていると聞いた。いったいどうなっているのであるか。そのうちひまわりでも咲くかもしれない。
雨も少なかったし、紅葉も遅れている。ただでさえ、紅葉も見栄えがしなくなった最近であるのに、十二月ぐらいにモミジやイチョウが色づいてもなあ。
もみじ狩りという美しいことばがあるが、これはやはり秋も半ばの気候のいい時期に、のどかな気分で夫婦でしたりなんかするもので、木枯らしが吹く頃にスタジアムコートを着て高校生の一団でするものではないと思う、というか何を言っているのか自分でもわからない。どうも思考回路、言語中枢が老朽化しているようだ。とりかえよう。
なにはともあれ、秋の半ば、山々の色づきつつある木々の色合いを愛でながら(お、文学らしい表現だ)、人生について考えてみたり、天皇賞についても考えてみたりする今日このごろである。(はずれたが。なんだ、あの特徴のない二着三着の馬は。)