ろくな庭があるわけでもないのだが、例のししおどしというやつにあこがれる。日本庭園にある、竹で作った水の流れるやつである。テコになっていて、一定の水が竹に流れ込むと反対側に傾き水を逃がし、反動で元にもどって石に当たって音を出す。
コーン。
そういう庭の置物である。音を出すことによって静寂感を際だたせるという、日本独自の感覚のものである。
最近、こうした静かな落ち着きが恋しい。
世間がごちゃごちゃと騒がしいということもある。日本という社会が、ざわついて、浮き足だっているように思えてならない。
先日、知人の関係の弔事があって、お通夜に出席したのだが、その時のお坊さんの講話が心に残った。
船乗りが、闇夜に沖で方角がわからなくなってしまい、帰るに帰られず途方に暮れたという状況である。船乗りは、不安でパニックとなり、たいまつを掲げて一生懸命方角を見定めようとするのだが、全くわからない。時間が経ち、やがてたいまつも燃え尽きた。そして船は闇に包まれることになった。
するとどうだろう。夜の暗闇の中、陸地の方向が白くぼんやりと光を発していたのである。漁師はその陸のほのかな明かりに向かって船を進め、無事に陸に帰ったという。
そういう話を紹介された。
そして、明るいところや、騒がしさの中では見えないものがある。その見えないものの中にこそ、大事なことがあることもあるというお話だった。
なるほどなあと感心した。
いい時には見えないこともあるという。確かにそうなのかもしれない。お通夜の席の話だけに、こころに残った。
うちの極小庭に手作りのししおどしでも作るかな。
あ、水がない。
コーン。
コーン。
そういう庭の置物である。音を出すことによって静寂感を際だたせるという、日本独自の感覚のものである。
最近、こうした静かな落ち着きが恋しい。
世間がごちゃごちゃと騒がしいということもある。日本という社会が、ざわついて、浮き足だっているように思えてならない。
先日、知人の関係の弔事があって、お通夜に出席したのだが、その時のお坊さんの講話が心に残った。
船乗りが、闇夜に沖で方角がわからなくなってしまい、帰るに帰られず途方に暮れたという状況である。船乗りは、不安でパニックとなり、たいまつを掲げて一生懸命方角を見定めようとするのだが、全くわからない。時間が経ち、やがてたいまつも燃え尽きた。そして船は闇に包まれることになった。
するとどうだろう。夜の暗闇の中、陸地の方向が白くぼんやりと光を発していたのである。漁師はその陸のほのかな明かりに向かって船を進め、無事に陸に帰ったという。
そういう話を紹介された。
そして、明るいところや、騒がしさの中では見えないものがある。その見えないものの中にこそ、大事なことがあることもあるというお話だった。
なるほどなあと感心した。
いい時には見えないこともあるという。確かにそうなのかもしれない。お通夜の席の話だけに、こころに残った。
うちの極小庭に手作りのししおどしでも作るかな。
あ、水がない。
コーン。