好きなことをして暮らしていた仲間だったが生活面では思うに任せぬ気苦労が多く心労に耐えられなかったのかなくなった。
思わぬ急な別れに私の気持ちがおさまらず思い出さない日はない。
彼女の事を思いながら海岸を歩いていてハート型の流木を拾った。
この流木に彼女への思いをぶつけることにした。
流木とわかるように薄紙を全体に貼った。
気苦労というかしがらみのつもり。
思い切ってたくさんのしがらみをくっつけた。
張りのあるナイロン糸と細い銅線で編みながら梅の実やアルミニュームのハトメをつないだものだ。
草と判で押したのを張り付けたのは私ですぐ下にぶら下がっている白い貝殻が彼女。
いろんな思いを話し合っていたが今は心の中で話しかけているものの答えが返ってこないのはさびしいものだ。
”しがらみ”シリーズを3点作ったがそれぐらいでは心の整理はできない。
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商景蘭あざなは媚性、1605~1676年の漢詩”悼亡(とうぼう)を古代文字で書いた。
夫が明に忠節を立てるため自殺し自分は残された子供を育てるため生き残ったが節を通すのも情のため生き残るのもどっちも大事なことだ、の意味らしい。
ベースは文字を書く部分は春に皮を剥いだヤマザクラの皮を使い枠になる部分は皮を剥いだナンテンの枝とカンノンチク。
サクラの皮はなめらかで墨のノリもいいが端っこが反り返る。
造形したベースに書くのは一発勝負だがどう書けても今の自分の力なので迷わず思い切って書いた。
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明時代の文人唐寅あざな白虎の辞世の作を古代文字で書いた。
”生きていればいつか死ぬもんだ。
死ぬのもまた結構。
この世もあの世も似たようなものでただ漂流して異郷にいるようなものだろう。
との意味らしい。
数年前より自分が造形したベースに書を書くのが面白くなり書いているうちに余白の美と言われる書と同じように紙でないが書ける素材と紙とで生み出される面白さもあるように思い始めた。
作ったベースは上下に流木を使い間には”壇の浦かなしや”を作ったときクヌギの枝を支柱に使ったが長すぎたので切った部分の皮を剥いでいたのを和紙と合わせてベースを作った。
クヌギの皮はぶ厚くて凸凹だ。
割れてる部分には薄い和紙を貼った。
部分だが流木,和紙、クヌギの皮と墨付きも違い凹凸のある素材に書くと平らな紙に書くのとは違ってくる。
造形することと筆で書くのが好きなのでしばらくこの形での書を続けていきたい。
第30回野草(イエツァオ)展
日時 11月17日(日)~12月1日(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
自然物を使った造形展
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昨日の12:30分出発切山ハイキングは6月に新しくされた下谷八幡宮の上の宮、下の宮の”おすや”見学だった。
バイクでよく走る道だけれどほとんど車も通らない車道をのんびり仲間たちと歩くのは嫌いでない。
第30回野草(イエツァオ)展準備の息抜きだと楽しみにしていた。
あいにくの曇り空で林の中に建つ上の宮八幡宮のお堂に電燈がついて不思議な雰囲気だ。
の人がちょうど新しい鈴をつける作業を終えたところだった。
古い”おすや”は100年前に新しくされたもので限界部落に近い切山に新しく”おすや”を作ることによって人が住み続けてほしいとの願いもあるようだ。
雨がぱらつき始めたので鈴をつける作業をしていた人のトラックに全員乗せてもらい早めにハイキングは切り上げたが街中ではできないことができるのも切山ハイキングの楽しみだ。
いつもより短いハイキング時間だったが倒木一面に生えるキノコ発見。
もちろんナイロン袋いっぱい採ってきた。
キノコ採りには今のところ競争相手がいないのはうれしいが毒キノコかどうか聞く仲間もいない。
もうすぐ第30回野草(イエツァオ)展だ。
ゆっくり調べる時間もなしもちろん今は人体実験もできないので干した。
第30回野草(イエツアオ)展
日時 11月17日(日)~12月いにち(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
自然物を使った造形展
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第39回野草(イエツアオ)野外教室が終わってそろそろ一か月がたつので片づけに行って驚いた。
妹のきんかんが作った”華やかなヤツデ”に白い花が咲き本当に華やかになっている。
使っているのはオレンジ色のナイロンネットなので終わった後続いて上陸した台風の雨や風にもビクともしないで頑張ってくれていたが撤収した。
目いっぱい怖く作ったつもりの”冥界の入口”のそばには可愛い白い小菊が咲いて思わず微笑んでしまった。
作って一か月足らず、花が咲くことは想定外で花が咲いていればまた違った作品になっていただろう。
従来の野外教室なら作った作品は写真に残すだけで壊すが今回は一か月ほど展示していただいた。
作った作品はさほど変わらなくてもまわりの変化で変わることと撤収して野外教室が終わったことを実感した。
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試行錯誤はしたものの”壇の浦かなしや”につづき”布・壇ノ浦かなしや”完成。
切山平家伝説の安徳天皇を守って切山へ逃げてきた5人の武士をイメージして作った5本の模様も大きな波のようにうねってくれた。
渦巻きも5個作った。
椿と梅の実を2色に色付けしたのは源平のつもり。
戦争はどちらが勝とうと両方の戦士がなくなる。
壇の浦では多くの戦士が亡くなったのだろう。
右上。
左上。
両サイドの三つ編み部分がどうなるのかとおもっていたが波頭にも見えるし波打ち際にも見える。
第30回野草(イエツァオ)展
日時 11月17日(日)~12月1日(日) 10:00分~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
自然物を使った造形展
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今回で30年目になる野草(イエツァオ)展は一年間元気に暮らせた自分のお祭りの気持ちで毎年欠かすことなく続けてきた。
金生町で初めて開いた26回展は7月6日に東京より帰ってだったので11月に開けるとは思ってなかったが開くことができた。
今や野草展は開かせていただけるものだと思っているが毎回の創作にはそれなりの苦しみはある。
そんな時は1年間の心に残る出来事を思い出す。
今年は仲間の病気と今回で20年になる野草(イエツァオ)野外教室の会場が重要文化財真鍋家および周辺で公開で行われたことだ。
仲間の病気見舞いに東京へ行き日暮里の繊維街で手に入れた麻の布で重要文化財真鍋家真鍋家を借景に作った”壇の浦かなしや”の布版”壇の浦かなしや”を作ろうと思えた。
その時はもう両サイドの横糸は解いていたのでそれも利用することにする。
太い麻糸の平織で横糸は簡単に抜ける。
抜いた個所に切山平家伝説の安徳天皇を守って切山へ逃げてきた5人の武士のイメージで5本の模様を作った。
両サイドは三つ編みにした。
この布で安徳天皇が壇の浦に沈む情景を表すつもりだが。。。
第30回野草(イエツアオ)展の案内
日時 11月17日(日)~12月1日(日)
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
主に自然物を使った造形展です。
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先日重要文化財真鍋家及び周辺を作業場にしての野外教室の素材として持って行ったカボチャを切ろうとしたがなかなか切れない。
やっと切ってみて驚いた。
皮が5ミリほどもある。
本当は小さく切って干し保存食にするつもりが無理なので3つに切りそのまんま蒸した。
皮以外は美味しい普通のカボチャなのでススプーンでこそげとって料理した。
カボチャの形を再現できそうなしっかりした皮なのできれいに洗って乾燥させたがひび割れた。
いままで皮が硬くて食べられないカボチャがあることは知らなかった。
一緒に買った写真に写っているグリーンのカボチャの皮は厚くなく普通だった。
まわりに散らばっているのは小さく切って乾かしたカボチャ。
朝市で3個買ったカボチャの一個が皮厚カボチャだった。
珍しいので作品つくりの素材としてとっておくことにした。
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妹のきんかんが最後の作品つくりの場所として選んだのは木の幹と間違えたのか鉄柱に登り始めたアイビー。
今年の猛暑の鉄柱はさぞ熱かったと思うし雪が積もる切山の冬はさぞ冷たかっただろう。
それでもめげずに80センチほどの高さまで登っている。
緑の素材をたっぷり使ってきたきんかんは切り倒されていた枯れた竹の枝をアイビーと合わせ枝にセンダンの実をからめオレンジ色のナイロンネットを切ってしばった。
アイビーにがんばれコールを送る作品で”花の応援団”
オレンジ色のナイロンネットは目立つのでバランスを考えてしばるのは時間のかかる作業だ。
センダンの実は初日に続き14日の作業前にも採りに行った。
清里や山田井の山小屋付近の野外教室でも使ったことがない素材だが切山ではたくさん使うことができた。
野外教室を初めて20年目、初めてメンバー以外の人達に見ていただきながら、作った作品もしばらく飾っていただける教室になったが楽しく有意義に過ごせた。
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杉の木の根元に朝の散歩の時海で拾ってきたばかしの流木、赤いナイロンネット、貝、杉にはセンダンの実。
ちょっと怖そうな”冥界の入り口”
今考えるとちょうど読んだばかしの平安時代に生きた空也上人の事が書かれた本の中にこのころの庶民の死体は谷や野に捨てられていたことが書かれてあったのが反映したのだろう。
妹のきんかんが東山魁夷美術館へ行って”道”を作ったように。。
創作は自分の心の中にあるものが表れる。
ロープを止めている個所に怖そうな字で冥界の入り口と紙に書き枯れた竹の枝で土に突き刺した。
ここも怖そうだ。
全体を見れば重要文化財真鍋家当主潤さん丹精のアジサイおよび手入れされたアジサイの道はすがすがしいし素材として使った杉の梢は天空に通じる。
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妹のきんかんが東山魁夷の”道”をイメージして作った作品等がある場所は道路からは見えない。
その導入口としての作品をよく見える場所に作りたいと思ったのが始まりだった。
従来の野外教室だと作品を作れば撮影して壊し使った素材は次の作品の素材になるが今回は数日間展示していただけるので使いまわしができないため残っている素材はあまりない。
採集すればあるが時間がない。
まずは杉の大木にロープをくくりつけ2本のロープを張った。
一本のロープには濃いグリーンのツル日日草で覆われた土手に根元を土にさしたススキをくくりつけもう一本のロープには皮を剥いだ二又の枝をつるしたり土にさしこんだのをくくりつけたりした。
2本のロープをねじった間に枝をさしこみ土にもさしたうえ別のロープで固定している。
はじめはきんかんの作品設置場所への導入口を作る目的で作り始めたが途中杉の大木の根元を見て怖い作品に代わってしまった。 ”つづく”
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切山の交通要所門松(田尾ともいう)で天蓋を作る作業をしていると地元の女性が年3回八幡様のお札を貼る木があると教えてくれた。
ツタの下にお札らしきものが貼られている。
切山に病気や不幸が入ってこないためと言っていたのでここが結界のようだ。
今は年一回になったらしいが切山ではいまだに結界は存在していた。
作業前に重要文化財真鍋家当主の潤さんがススキが生い茂る道をかき分けながら案内してくれたのは木酢酢を作る窯だった。
今は稼働してないがまだ使えそうだ。
近くにある土で窯を作り近くの木を切って木酢酢は作れる。
切山では重要文化財真鍋家だけでなく日々の生活の中に忘れてはいけないものが息づいている。
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朝の散歩は城山公園だ。
灯台もとくらしと言われるが地元に住んでいた妹のきんかんはあまり来たことがないらしい。
いろんな場所で感激してくれ東京の仲間たちをつれてきたような気分になる。
城山の下はすぐ海だ。
逆光で写らなかったが木々の間より船が見えている。
尾藤二州没後200年祭が12月四日に執り行われるため新しい碑が建っていた。
ノギクが咲いていたが城山公園では自然な形で守られた野の花が見られる。
城山公園の下400メートルはほとんど埋立されずに残っているのがありがたい。
流木数個拾うことができ思わず新素材確保。
野外教室は私達のお祭りだ。
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昨日は月一回開かれる切山昌平校塾だった。
囲炉裏を囲み温かいお汁とイモご飯を頂き来月4日に催される二州没後200年祭の話など聞きお土産に大量のカリンをいただいてきた。
部屋中いい香りがするのでしばらく置いておきたいところだがやっぱし早めに使わないと腐ってくる。
まずは半分果実酒ように切って記念撮影。
切るといい香りに新鮮さが加わる。
残りの半分はジャムにする。
ジャムにすると言ったら驚かれた。
カリンは寒い地方のものでかなり植えられるようになったがこちらではあまりいろんな料理方法はされてない。
教わったとき私も驚いたが作ってみてあの固い実が軟らかく香りのいい美味しいジャムになった。
教わったのは文京区で花の店野草(イエツアオ)を営んでいるころで毎年とある美術館の庭へ拾いに行きジャムを作っていた。
ちょうど正月前なので多めに拾ってきて正月飾りにアレンジして売ってもいた。
久々に大量のカリンを得て大都会の採集生活を思い出した。
とある美術館の庭には同じころオリーブの実も拾えた。
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