とってもとっても個性的なリュウマ君
半年前ならわたしがよって行っても「ダメ!」とはねつけていたものの
この頃、めっきり仲良しになって
朝から砂場で遊ぶ。
「せんせいー手が冷たいねー」と指先を見せる。
「そーねー冷たいねー」と小さな両手を自分の掌でつつむ。
すると「せんせーの手温かいねー」という。
そしてその時北風がサーと吹いてきた。
とっさに首を縮めて
「寒いねー、寒い風だねー」と同意を求める。
わたしは、心の中で唸っていた。
この年令で、この微妙な体感を言葉に表現できるのかと。
子どもと遊ぶってだから面白い。
わたしにとっては発見の連続。
一人一人の言葉の数には差がある。
だからその時々に発する言葉にも意味がある。
まだまだ発することより、言葉数を語彙を貯め込んでいる最中の子もいる。
いつかシャワーのように次々と発するまで待つことも又大切。
冷たいねー。温かいねー。寒いねー。この微妙さを表現する。
一歳児にとってはすごい認知力ではないか。
半年前ならわたしがよって行っても「ダメ!」とはねつけていたものの
この頃、めっきり仲良しになって
朝から砂場で遊ぶ。
「せんせいー手が冷たいねー」と指先を見せる。
「そーねー冷たいねー」と小さな両手を自分の掌でつつむ。
すると「せんせーの手温かいねー」という。
そしてその時北風がサーと吹いてきた。
とっさに首を縮めて
「寒いねー、寒い風だねー」と同意を求める。
わたしは、心の中で唸っていた。
この年令で、この微妙な体感を言葉に表現できるのかと。
子どもと遊ぶってだから面白い。
わたしにとっては発見の連続。
一人一人の言葉の数には差がある。
だからその時々に発する言葉にも意味がある。
まだまだ発することより、言葉数を語彙を貯め込んでいる最中の子もいる。
いつかシャワーのように次々と発するまで待つことも又大切。
冷たいねー。温かいねー。寒いねー。この微妙さを表現する。
一歳児にとってはすごい認知力ではないか。