こんにちは「中川ひろじ」です。

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岡田元気会南相馬視察

2012-11-15 22:44:48 | 活動日誌
 
地元の岡田元気会で南相馬へ視察に行きました。朝6時にマイクロバスで出発。岡田では放射能の空間線量は0.06μ?、中央自動車道、上信越自動車道、関越自動車道、北関東自動車道、東北道といき、安達太良SAを過ぎると0.2を超える。福島松川SICを降りて飯館村に入ると2.0、南相馬の牧草地の値が写真の値。地上に置くと測定不能で10μ?を超える。

津波・地震の被災地をめぐるが、明らかに宮城や岩手と比べても遅れている。
南相馬市で福島第一原発から20キロ圏内にある小高区から鹿島区にある仮設住宅を慰問。放射能に汚染されていないリンゴを30キロ届ける。自治会長の楽伸一郎さんからお話を聞く。

「昨年8月に入居して1年3か月がたつ。3月11日は逃げろと言われてもどこへ逃げればいいかの指示もなかった。結果として逃げた先で被爆した人が沢山いる。自分の家は警戒準備区域だが、家に帰っても放射能に汚染されたものは持っていく場所がない。ごみを燃やす場所もない。
仮設住宅へも小高区の居住地区にかかわらずバラバラに入っている。被災状況がみんな異なる。「新生町づくり」立ち上げたが何もやれていない。20キロ圏内は国の責任で片づけをやることになっているが、草刈・がれき処理・片づけに2億の金が来ていてもやる人がいない。
除染をしても汚染土を埋め立てる場所がない。南相馬市民は阿武隈山系の水を飲んでいるので山には捨てられない。やっと2個所決まっただけ。小高区1000戸のうち1/3は帰れない。壊して買い換えてほしいが国はウンといわない。こうした現実を国は知らない。誰も見にも来ない。
仮設住宅の生活では、今必要なのは物資ではない。集会所でいろいろ話すことが大切。ここの仮設住宅には子供はいない。50代から80代のものばかり。働く場所がない。除染には交代で出ている。
公営住宅は県がつくって市へ払下げて早く入れるようにしてほしい。4畳半は厳しい。住む場所をできるだけ早く確保してほしい。
ボランティアで泥上げにきてもらっても、マスクもせずに内部被ばくをしていると考えられる。何の保障もない。放射能に対する対応を明確にすべきだ。解除されても小高区に本当に帰れるのか、放射能に対する不安は消えない。水道水の検査をしてくれと言っても検査の結果が出てこない。」

これはいったいどういうことか!



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