平和センター北信越ブロックの主催で昨年に引き続き、沖縄連帯キャランを実施。昨年は伊波洋一前宜野湾市長に来ていただいたが、今年は沖縄平和運動センター山城博治(やましろ ひろじ)氏に来ていただいた。山城氏は、沖縄においてまさに身体をはって闘ってこられた人です。写真は左から山城博治沖縄平和運動センター事務局長・高橋博久県労組会議議長・竹内久幸社民党代表。
山城博治氏、怒りを忘れたら、言葉を忘れたら闘えない。これまで国家は有事の責任をとらない。多大な沖縄戦争の犠牲があっても、日米安保を結ぶ。原発の事故の実態を国民に知らせない、沖縄の実態を知らせない。福島に連帯して沖縄も闘う。
山城博治氏、戦争に至らない道をつくることこそ平和への道だ!東アジア共同体こそが平和への道。尖閣列島は、石油が出るまでは仲良く釣りをしていた。戦争の道具にしてはならない。共同開発をすればいい。
山城博治氏、沖縄人が日本人になって40年です。平和憲法のもとに復帰しようと闘ってきた。日米地位協定は、沖縄の人権を奪うものだ。軍人軍属の事故があっても逮捕もできない、裁判も闘えない。沖縄の警察官も応援している。
集会の中で社民党県連合を代表して連帯のあいさつを私から述べました。
「私が最初に沖縄に行ったのは2005年の平和行進です。以来、沖縄のことを忘れないようにカラオケに行けば沖縄の歌をうたいます。何年か前に松本の12.8不戦を誓う集いで124デシベルの音源で90ホーンの音量の爆音を再現したことがありました。その音たるや、耳をふさいでもはらわたに響くもので、これはふせごうと思っても防ぎようがない、あらがいようのない音でした。この爆音の中で毎日生活をしている沖縄の皆さんの苦悩を一刻も早く無くさなければならないと思いました。
3.11で人生観を変えた人々が沢山います。松本市長は、経済発展か人間の命を大切にするか岐路にあると言いました。福島から我が子と長野県に避難してきている人がいます。この子の命を守れるのは私だけだといいいました。この命を大切にしよう、命を守ろうという沖縄の言葉に、命は宝(ヌチドウタカラ)と言うそうです。命を守るためにともにがんばりましょう。」
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