松本市時計博物館で「商都松本の繁盛記」という企画展が開催されている。特筆事項を何点かお伝えする。
まず、「たばこ」は「生坂きざみ」として何と江戸で20%のシェアを誇っていた。なぜか?最初は「たばこの葉」を供給していたが、全国に先駆けて「きざみたばこ」を生産地から供給したのが実は「生坂きざみ」だったのである。当時の川柳に「色かへぬ松本といふ名にめててちぎりをこむる千代の生坂」と読まれている。
次は「麻」。近隣に「麻績村」「美麻」など「麻」のつく地名は多い。1762年の資料によれば、名古屋方面に「たばこ」は1年間に5300頭分の荷が輸送されていた。「麻」は1000頭分が輸送されていた記録が残っている。
第3番目は「足袋」。「足袋」は、当時の北深志で10万足、南深志で20万足、「足袋底」は丈夫で長もちすることから、「信州底」「石底」と呼ばれ全国で流通していた。
こうした生産に松本周辺の皆さんの「創意と工夫」が、息づいている。
そして、「商都松本」にとって最も大きな影響を与え、「商都」たる所以を形作ったのが、「中馬」という制度である。それまでは、宿場ごとに流通が管理されており、物流コストが大きな負担だったが、生産地から直接、消費地へ運びはじめたのが「松本」であった。当初は、さまざま問題視され叩かれたらしいが、そのうちに「中馬」が全国的に定着したとのこと。「中馬」を祖としたのが、今の「日本通運」である。
時代は、輸送手段は「馬」から「車」へ変わった。1990年物流二法が改正されて、江戸時代と同様に、流通の規制緩和があり、輸送業者は県知事の認可でその地域での輸送を行っていたものが、全国どこでも輸送ができるようになった。物流コストの削減である。これは、同時に物流業界に市場競争を生みだし、そこで働く労働者の賃金と生活破壊をもたらした。この話を「企画展」の説明者にすると、同様のことが江戸時代でも起きていた記録が残っているという。
振り返って、今日の政治。「利益」第1から、「生活第1」への転換は、自民党も民主党も同じことを言う。しかし、働く者の立場で最低限の生活ができることを全ての基準にしなければ、この社会が成り立たないことを私は提起したい。
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