第2節 パウロの手紙における用語「キリスト」の含意
第1節で調べたように、「メシア」「キリスト」は、歴史的経緯の中で多くの点でその意味合いを変えながら用いられてきました。それらを踏まえながら、パウロの手紙における用語「キリスト」について、再度考え直してみます。
1.パウロの手紙における用語「キリスト」の固有名詞的用法
まず、第1節の最後で見たように、パウロの手紙において「キリスト」は、極めて限られた例外を除き、冠詞なしで固有名詞的に用いられています。これは、パウロに限らず、他の新約聖書書簡の著者たちにおいても共通のことでした。本来、メシア称号としての「キリスト」用語が固有名詞的に用いられるようになった経緯については、第1節「8.初代教会によるメシア(キリスト)用法―使徒行伝において」で推測的に述べました。おそらくはそこで述べたような経緯の中で、「キリスト」の固有名詞的な用法は、ユダヤ人教会、異邦人教会の別なく行き渡っていたのではないでしょうか。そのような状況の中では、読者の中がほとんど異邦人クリスチャンであるような手紙においても、「キリスト」用語を固有名詞的に用いることに特に問題はなかったと思われます。
2.パウロの手紙における用語「キリスト」についてのライトの主張
ここで、今回の取り組みのきっかけとなったライトの指摘に戻ります。詳しい検討のために、該当部分を訳し直します。
"What St Paul Really Said"より(p51-52)
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「キリスト」は名前ではなく称号である。それは初期キリスト教のどこかで名前(誰かについてを示すが、特別の含意のない)となった。そのユダヤ的意味は異邦人回心者によって忘れられた。同様に、「キリスト」は1世紀において、「神的存在」を意味しなかった。それもまた後の発展であった。(後に見るように、パウロはイエスを神的な方と考えた。しかし、「キリスト」という言葉は、そのような信仰を表現しなかっ」たし、恐らく表現し得なかった。)パウロにとって、「キリスト」は「メシア」を意味する。そして、「メシア」は、もちろん「油注がれた者」を意味する。このことが無視されるところでは、(学問的著作、一般的著作の両方でしばしば起こることだが)、かなり多くのパウロのフレーズが手に負えないほど不明瞭なのを見出したとしても驚くべきではない。
そのフレーズは、他の人々、たとえば祭司等のことを示し得た。しかし、1世紀ユダヤ教における主要な指示物は来るべき王であった。学者たちは当時の文学上の思索に基づいてメシアについてのユダヤ人の期待について書く。この過程においては、時々、「メシア」さえ、実際の1世紀の生活から離れて、「宗教的」何かを響かせることができる。我々は、主にヨセフスの文章から、イエス前後の百年の間に1ダースかそれ以上のメシア運動、あるいはメシア的運動があったことを知ることができる。もしパウロが語っていることについて理解したいなら、この雰囲気を吸い込む必要がある。彼はイエスが真の王であると信じていた。もちろん、期待されていない王ではある。来るべき王がすること、またその存在がどういうものであるかについての期待を含め、すべてを変える王である。しかし、それでもやはり真の王である。復活がそれを証明した。このことを思い起こさせるために、時には「イエスース・クリストス」を「イエス・キリスト」でなく、「メシアなるイエス」でさえなく、「王なるイエス」と訳すことも害はないであろう。
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ここにライトが指摘しているところの多くはその通りであることを確認することができます。「キリスト」は本来称号であったのが途中名前になったという指摘、「メシア」について、「1世紀ユダヤ教においてその主要な指示物は来たるべき王であった」という指摘等です。
ただ、これまで見てきたところに対して違う見方を提示しているところがいくつかあります。
第一に、当時のユダヤ人が期待したメシアの宗教性についてです。ライトは、彼らのメシア観には宗教的な意味合いは実際にはなかったと考えているようです。これについては、全くなかったわけではないと考えます。もちろん、中心的だったのは、地上的な王、民族的な解放者としてのメシア概念が中心だったと思いますが、天的メシア概念が全くなかったとは言えないと思います。「学者たちは当時の文学上の思索に基づいてメシアについてのユダヤ人の期待について書く。」とあるのは、おそらく、既に見てきたようなユダヤ教諸文書、特に、「黙示的人の子」としてのメシア観を提示している諸文書のことを言っているのでしょう。これについては、確かにそのような諸文書が実際の1世紀ユダヤ人たちの生活の中にどれ程の影響を与えたかは、不明であることは事実です。ただ、合わせて、四福音書の記録を見る限りでは、彼らのメシア観が「ダビデの子孫―王」モチーフを中心として形成されつつも、「黙示的人の子」としてのメシア観を一切持たなかったとは言えないだろうと思います。(第1節5.(4)参照)
第二に、「時には『イエスース・クリストス』を『イエス・キリスト』でなく、『メシアなるイエス』でさえなく、『王なるイエス』と訳すことも害はないであろう」という点です。「このことを思い起こさせるために」とも書いています。「このこと」とは、「キリスト」が当時のユダヤ人たちのメシア観に従って言えば「王」を意味したのであり、パウロ自身もイエスを真の王であると信じていたことをさすように思われます。この二つのことはその通りであるのですが、だからといって、パウロの手紙で用いられている「イエスース・クリストス」を時々「王なるイエス」と訳すこともよし、とは言えないように思います。というのは、これまで見てきたように、パウロが手紙で用いている「イエスース・クリストス」は、明らかに固有名詞的に用いているので、「王なるイエス」と訳してしまうと、パウロ自身が手紙の執筆時には思いもしなかった含意を読みこんでしまう危険性があると思うからです。ライトは「『キリスト』は名前ではなく称号である。それは初期キリスト教のどこかで名前(誰かについてを示すが、特別の含意のない)となった。」と書くわけですが、パウロが手紙を執筆した時点では、「初期キリスト教のどこか」の時点を既に過ぎていたと思います。
3.パウロの手紙における用語「キリスト」の含意、すなわち、パウロのメシア観について
そうは言っても、パウロだけでなく、新約聖書の著者たちをはじめ、初代教会で、「キリスト」が固有名詞的に用いられた背景として、「キリスト」の本来の意味が考慮されていたことまで否定する必要はないだろうと思います。彼らの中の特にユダヤ人たちは、「キリスト」が当時のユダヤ人たちにとってどんな意味合いを持って理解されていたか、よく知っていました。また、ユダヤ人への宣教から異邦人への宣教へと、宣教の範囲が拡大するに伴い、この言葉の受け止められ方、また語られ方がどのように変わってきたかも知っていたはずです。そのような経緯を踏まえた上で、パウロを含む初代教会の指導者たちは、尊敬をもって「イエス・キリスト」という言葉を用いたはずです。
ただ、新約聖書書簡の著者は(あるいは福音書の著者も)、最終的には「(イエスース・)クリストス」を固有名詞的に用いました。その用語「キリスト」の意味合いの変化、進展は、これまで見てきたような複雑な経緯を経て進められてきたために、その手紙を執筆した時点で、その固有名詞的用語を用いることにより、そこにどんな含意を含ませて考えていたかは、知る由もありません。特に説明なしに固有名詞的に用いている限りでは、余りそこに多くの含意を読み込むことは、読み込み過ぎになる危険性が多いだろうと思います。
しかし、特定の書簡のどの箇所において、ということではなく、一般的な話として、当時の初代教会の中で、「キリスト」という言葉が本来どのような意味合いを持つ言葉として振り返られたかを推測することはできます。それはつまり、当時の初代教会において、冠詞付でメシア称号として用語「キリスト」が用いられた場合、それがどんな意味合いを持つものと考えられたか、すなわち、彼らのメシア観を問うことになります。
4.パウロのメシア観を問う手がかり
パウロのメシア観を問うた場合、書簡を調べても手がかりをつかむのには困難があります。というのも、書簡に現われるほとんどの「キリスト」用法は冠詞なしでの固有名詞的用法だからです。まずは、まれに見られる冠詞付き用法について調べてみます。
「(彼ら=ユダヤ人は)また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。」(ローマ9:5)この箇所は、V.Taylorがパウロの唯一の称号的用法として認める箇所ですが、メシアがユダヤ人の中から出たという事実を表明しています。(注12)
「この岩はキリストにほかならない。」(第一コリント10:4)、「わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。」(第一コリント10:16)、「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前にあらわれ…」(第二コリント5:10)これらの箇所は別の学者たちが称号的意味が可能な箇所としてあげています。(注13)メシアが十字架に血を流し肉を裂いたこと、終末において裁きをなさる方であることを指摘しているものの、文脈上、これらは固有名詞的に使われたとしてもさして意味に変わりはなさそうでもあります。
そこで、もう少し深くパウロのメシア観を知るために、使徒行伝に記録されたパウロのユダヤ人宣教を調べてみます。先に調べたように、パウロのユダヤ人宣教の記録には、何度かメシアについての言及があります。何よりも、ユダヤ人に対する彼の宣教活動はしばしば、「イエスがメシアであることを論証する(説明する、証しする)」と要約されました(使徒9:22、17:3、18:5)。これは、ユダヤ人たちの持っていた来たるべきお方としてのメシアへの期待を前提として、「イエスこそがまさにそのメシアである」ということを、パウロが宣教内容の根底に据えたことを意味します。但し、それらの箇所は、宣教内容を要約的にまとめているので、パウロのメシア観の中身を詳細を知ることはできません。
他方、「キリスト」という言葉は出てきませんが、宣教内容が「ダビデの子孫―王」モチーフとの深い関わりの中でも語られた箇所があります(13:23、32-37)。これはピシデヤのアンテオケという場所で、ユダヤ人の会堂の中でなされたもので、かなり詳細な内容が記録されています。そこでは、他の使徒たち同様、メシアの死と復活の出来事が中心的なこととして語られました(使徒13:27-37)。また、復活によってその天的性質が証しされていることが強調されます(使徒13:36、37)。更に、その最初には「救い主」と呼ばれるお方であることが添えて語られてもいます(使徒13:23)。そして、結論部分ではメシアによって与えられる救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)の約束が語られました(使徒13:38、46-48)。この内容を見る限り、パウロのユダヤ人宣教は、ユダヤ人が持っていたメシアへの待望に応える形で、「イエスこそメシア」という基本線を持っていたこと、しかし、それは、ユダヤ人が持っていたような地上的・政治的・民族的解放者としての王ではなく、十字架に死に、復活し、天的なお方であることが証しされたお方であり、救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)を与える救い主であるとの内容であることが分かります。
使徒行伝は、ルカが異邦人読者を想定して書いたと考えられるため、編集内容においてある程度神学的な色合いが出た可能性も考える必要がありますが、基本的にはユダヤ人のメシア観を越えたお方としてのメシア像を伝えた様子が伺えます。
以上のような使徒行伝からの検討内容を参考にしながら、再度パウロの書簡を見ると、メシア称号としての用語「キリスト」の用例はまれですが、「ダビデの子孫-王」モチーフへの言及は認められることに気づきます。
第一の箇所は、ローマ1:3です。少し前後を含めて引用します。「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」(ローマ1:2-4)上記、ピシデヤのアンテオケにおける説教内容と類似した点を認めることは容易です。福音の中心にイエスがおられることを指摘しています。「肉によればダビデの子孫から生れ」は、「ダビデの子孫-王」モチーフとしてのメシアであることを示唆しているともとれます。そうでありながら、次の「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」という点も、使徒13:34、36、37の強調点と類似します。救いについての言及はこの箇所にはありませんが、その点については、ローマ1:16を起点として、ローマ書全体で展開されていくと見ることができます。
第二の箇所は、ローマ15:12です。「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みを置くであろう。」「ダビデの子孫-王」モチーフを伴っているイザヤ11:10からの引用です。ローマ15:12の文脈は、ユダヤ人、異邦人が互いに受け入れるべきことを勧める箇所で、ユダヤ人と異邦人が共に主を礼拝するようになることを預言した数か所に続く引用です。すなわち、もともと「ダビデの子孫-王」として預言されたメシアは、ユダヤ人だけでなく異邦人を含むすべての者を治めるべきお方として預言されていたことを指摘し、このお方のもとで互いに受け入れ合うべきことを教えています。
第三の箇所は、第二テモテ2:8です。「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」ここは、ピシデヤのアンテオケのメッセージや、ローマ1:2-4を極めて圧縮した内容になっています。イエスがダビデの子孫として生れたメシアであるが、死人の中からよみがえった天的なお方であって、「いつも思う」ことのできる今も生けるメシアであることを示唆しています。
5.他の新約聖書執筆者たちのメシア観―パウロのメシア観の更なる手がかりとして
ここで、パウロ以外の新約聖書著者たちのメシア観についても再度まとめてみたいと思います。と言いますのも、先にみたように、「キリスト」の固有名詞的用法の利用は、パウロに限らず、ほとんどすべての新約聖書著者に見られるもので、そこには一定程度の共通理解があったと考えられるからです。ナザレ人イエスを固有名詞的な用語(フレーズ)として「(イエス・)キリスト」と呼ぶことが広く初代教会のリーダーたちの間に行き渡っていたとすれば、そこに含まれる含意についてもある程度の共通理解があったと考えるのが自然です。特に、パウロは12使徒たちとも接点を持っていましたし、マルコやルカは伝道旅行で行動を共にした同労者でもありました。互いに語らい合う中で、「(イエス・)キリスト」という言葉を固有名詞的に用いてしばしば語り合ったことでしょう。そうする中では、そこに含意される「メシア観」についても、ある程度の共通理解があったと想像できます。
そこで、新約聖書著者たちの彼らのメシア観を要約してみたいと思います。第1節では、新約聖書における「キリスト」用法について、諸方面から調べましたが、それらを踏まえつつ、著者毎にまとめ直します。
まず、福音書記者たちは、当時のユダヤ人のメシア観をある程度描き出しました。それは、「ダビデの子孫-王」モチーフに結びついたメシア像であり、主にイスラエルを解放する地上的な王としてのメシア像が中心的なものでした。(一部には、「黙示的人の子」メシア観の影響か、天的メシアの観念も見受けられますが。)しかし、イエスはそのような彼らのメシア像を修正していかれました。苦しみを受け、死に、復活するというメシア像。地上的王を越えた天的存在としてのメシア像。そういう中で、イエスが多用された自称としての「人の子」は、常にではありませんが、時としてダニエル7章の黙示的「人の子」メシア、天的なメシアの意味合いをクローズアップさせたます。けれども同時にそのような天的メシア像を、苦難を受ける「主のしもべ」としてのメシア像に結び付けようとされました。そのような、メシア観を巡るイエスの言動を、四つの福音書の著者たちは、少しずつ色合いを変え、強調点を変えながらも、基本的には一様に描き出しました。そのような様を描き出すことによって、福音書記者たちは、自分たちのメシア観もまた、その線上にあることを示していると考えることができます。
マタイは、ユダヤ人として、ユダヤ人クリスチャンに対して福音書を書きました。そして、ユダヤ人にとって大きな意味を持ったはずのメシア観について、当時の人々の期待と同時に、イエスが上記のようなメシア観の修正を迫られた様子を描きました。彼が福音書を書いた際、核となるべき編集方針は、福音書に唯一見られる「キリスト」の固有名詞的用例の中に比較的明瞭に表われています(1:1)。すなわち、「アブラハムの子であるダビデの子」としてのイエス・キリストを描くことが彼の編集方針の柱でした。旧約聖書の引用を重ねながら、彼こそが約束のメシアであること、「ダビデの子孫-王」モチーフとしてのメシアでありながら、当時のユダヤ人のメシア観を越えたお方であることが彼の福音書の核となっていると言えます。
マルコは、同様にユダヤ人でしたが、おそらくはユダヤ人読者を含めつつも、異邦人クリスチャンを読者に想定しながら福音書を書いたようです。にもかかわらず、彼らはイエスがどのようなメシアとしてご自身を表わしたかについて、マタイと似通った描き方をしました。マルコの場合も、自分の福音書の中で唯一の固有名詞的「キリスト」用法の用例の中で彼の編集方針を表わすと同時に、彼のメシア観を表明していると考えられます。彼にとって、イエスは「神の子」としてのメシアでした。「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられつつも、地上的王を越えた神的なお方であることを、福音書全体で証ししました。同時に、そのようなメシアは「神の国」の到来をもたらすお方でもあり、それが福音の中心でした。
ルカは、もともと異邦人でしたし、主に異邦人クリスチャンを想定して福音書を書きました。彼はまた、福音書だけでなく使徒行伝を書きました。二巻の書物を見るとき、マタイやマルコと同様にイエスがどのようなメシアとしてご自身を表わしたかを描いていますが、そこには多少の強調点が加わっているように思えます。すなわち、救い主としてのメシア像が比較的明瞭に表わされています。彼は第二巻において、パウロを含む初代教会の宣教の様子を描きました。そこでは、まずユダヤ人たちへの宣教内容として、「イエスがキリストである」ということが基本メッセージに据えられたことを明らかにします。しかし、そこで語られるメシア像は、イエスが示唆したのと同一線上にあるもので、「ダビデの子孫-王」モチーフとしての深い関わりの中で語られもしましたが、同時に、中心メッセージにはこのメシアが十字架に死に復活したのであり、それによって天的な存在であることを明らかにされたことが語られました。そして、このお方を通して、救い(罪の赦し、聖霊の授与、義とされること、永遠の命)が与えられることも語られました。そのようなことを記しながら、そのようにして描き出されたメシア像はルカ自身のメシア像でもあることを示していたと言えます。また、異邦人宣教の記録においては、「イエスがキリストである」という内容が触れられていないこと、異邦人読者を意識してか、他の共観福音書記者以上に、イエスがメシアであることを描く際には、同時に「救い主」としても描いていること等、ルカ自身は異邦人クリスチャンに対しては「メシア」=「救い主」として描くことがふさわしいと考えた形跡も伺えます。
ヨハネは、先の三人とはかなり違った角度から福音書を書きました。しかし、そこでも、イエスが示したメシア観が、当時のユダヤ人のものとはかなり違うことを明らかにした点については同様でした。イエスが用いた「人の子」称号については、共観福音書よりも少しばかり強く、メシア称号の色合いを強めて用いられたように描かれます。しかし、そこでの「人の子」は、絶えず栄光と苦難の両方に結び付けて語られた様子が描かれます。当時のユダヤ人たちが、「キリストは永遠に生きる」と考えていたことに対して、「人の子は上げられ、一粒の麦として死ぬ」ことを明確にされました。彼にとってのメシアは、命を与えるお方でした(ヨハネえる救い主としてのメシア像が、ヨハネ自身のメシア観の中に含まれていたと考えることが自然です。また、福音書の終結部分で、ヨハネは自分の福音書の執筆目的を明らかにします(20:31)。そこには、イエスがメシアであること、そのメシア像は神の子としてのメシア像であること、信じる者に命を与えるメシアであることを証ししようとする彼の目的が示されています。
更に、ヨハネは、三つの手紙と黙示録を書きました。彼の手紙には、書簡としては例外的となる冠詞付きメシア称号としての「キリスト」用法が二箇所あり、そこから彼のメシア観が浮かび上がります(第一ヨハネ2:22、5:1)。第一ヨハネ5:1は、5:5とも結びつき、合わせ考えると、神の子としてのメシア、また命を与え、神の子とする救い主としてのメシア像が比較的明瞭に浮かび上がります。
黙示録からは再び、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア像が浮かび上がります。もちろん、それは、地上的な王を越えた天的な存在としての王であり、神と共にあって終末的統治を行うお方としてのメシアです。また、「ユダ族のしし」とされるお方は、それ以上に「ほふられた小羊」としても描かれます。全体として、小羊として民を贖い、ダビデの子孫、ユダ族のししとして御国を統治されるというメシア像が浮かび上がります。
ヘブル人への手紙の著者は、書簡の著者の中では比較的メシア称号としてのキリストを用いたようですが、そこで描かれるメシア像は、神の本質を持つメシアであり、同時に天上の大祭司としてのメシアでした。
ペテロは、苦難と結びついたメシア、主また救い主としてのメシアを示しました。
新約聖書著者たちによって描き出されたメシア像は、様々な色合いや強調点を持ちつつも、重要な共通点を持ちます。十字架に死に、復活されたメシアであること。「ダビデの子孫-王」モチーフに結び付けられつつも、地上的王を越えて天的なメシアであること。救い(内容的には、罪の赦し、聖霊の授与、義とされる事、永遠の命、神の子とされること等、様々な色合いを持ちますが)を与えるメシアであること。救い主であることと王であること、救いを与えることと統治すること、苦難を受けることと栄光を受けることとが固く結びついたメシアであること、等です。
6.パウロのメシア観の特色―書簡の中での「ダビデの子孫-王」モチーフの利用
新約聖書著者たちのメシア観を振り返りながら、もう一度「4.」で見たパウロのメシア観と比較してみますと、明らかな共通性を見い出すことができます。「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシア像を、パウロは手紙の中で繰り返し明らかに示しています(ローマ1:3、ローマ15:12、第二テモテ2:8)。それは、単に地上的な王ではなく、復活によって天的な存在であることを証ししたメシア像でもあります(ローマ1:3、第二テモテ2:8)。また、使徒行伝の記録によれば、パウロはユダヤ人たちに対して、「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシア像を示しながらも(使徒13:23、32-37)、死んで復活されたメシアであること(使徒13:27-37)復活によってその天的性質が証しされていること(使徒13:36、37)、「救い主」とも呼ばれるお方であって(使徒13:23)、救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)を与えるお方であることが示されます(使徒13:38、46-48)。
そこには、他の新約聖書記者たちのメシア観との明らかな共通性があります。しかし同時に、パウロとしての特色が現われてもいます。彼は、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア観を示しました。これは、他の新約聖書記者たちと共通のことであったとは言え、書簡の中でそのことを示唆したことにおいては例外的なことでした。更に、パウロは、「ダビデの子孫-王」メシア観を示す3箇所の内、2箇所において、そのことを「福音」と結びつけました。
「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」(ローマ1:2-4)
「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8
他の書簡著者たちがどうして「ダビデの子孫-王」モチーフに触れていないのかは分かりませんが、異邦人クリスチャンを読者として想定した書簡の場合、そのようにすることが不要と感じられたのかもしれません。しかし、彼はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが混在したとみられるローマ教会に宛て、福音の全貌を明らかにしようとするその書簡の中で、あえて「ダビデの子孫-王」メシア観を示唆したことは注目されるべきことです。ここにパウロのメシア観の特色が表われているようにも思えます。
7.パウロがローマ人への手紙で「ダビデの子孫-王」モチーフを用いた理由
さて、パウロがローマ人への手紙の中で、「ダビデの子孫-王」モチーフを用いた第一の理由は、この手紙を書いた目的に、「ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャン」の問題への解決が含まれていたということです。この手紙の最後の方で、「互いに受け入れる」ということが命じられます(15:7)。その前には何を食べるかの問題で裁きあうことを戒めていますが(14章-15:6)、それは、ユダヤ人クリスチャンが問題にしやすいテーマでした。その後の部分には、ユダヤ人と異邦人が共に神を礼拝するようになるとの旧約聖書の約束が繰り返し引用されます(15:8-12)。おそらくは、ローマ教会においてユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが「心を一つに」することが緊急の課題となっていたと思われます(15:6)。そして、おそらくは、この問題の解決のために、対症療法で済ませることよりも、彼らの信仰の土台となる福音理解を問題にすることにより、根本的な解決を図ったのがこの手紙であったと見ることができます。
そのための道筋として、まずは、ユダヤ人クリスチャンにとって中心的なこととして捉えられていたであろう「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア観からその論を説き起こします。そうしながら、当時のユダヤ人のメシア観とは異なり、復活によって神的な存在として明らかにされたメシア観を示し、このようなメシアを示すことが福音の中心であると言います(1:2-4)。その上で、この福音が「ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」ことを示唆します(1:16)。「神の義」、「信仰」「義」「命」といったキーワードとなる言葉を用いながら、このメシアがどのようにしてすべて信じる者に救を与えるお方となるのかを解き明かします。
ライトの主張を検討しながら、ローマ人への手紙を繰り返し読むことにより、新たに目に留まるようになったフレーズがあります。「ユダヤ人-ギリシヤ人」というフレーズです。1:16の他に、2:9、10、3:9、10:12と繰り返されます。これらのフレーズは、この手紙の全体の論旨を貫く形で現われます。重層的な「神の義」概念の内、まず「神の報復的義」が取り上げられます(1:8)。(注14)ここにおいて、「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いる」(2:6)という「神の報復的義」について、ユダヤ人、異邦人の区別が指摘されます。「悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人も、患難と苦難とが与えられ、善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる」と言います(2:9、10)。そして、この神の報復的義の前に、すべての者が罪の下にあることを明らかにします。「すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさっところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。」(3:9)。このような状況下にあって、「神からの義」としての「神の義」が現されます(3:21)。「しかし今や、神の義が…現された」との宣言に続いて、「それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別はない。」と断言します。これは、文脈から考えても、ユダヤ人、ギリシヤ人、その他すべての人々において、「なんらの差別はない」と理解されます。続く4章では、アブラハム、ダビデが登場します。彼らもまた、「信仰が義と認められた」人々であったことが論じられます。こうして、信仰による義とそれがもたらす神にある新しい命が明らかにされていった後、もう一度、イスラエルの問題が取り上げられます。神の約束が変わらないことを確認しながらも、「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではな(い)」(9:6)ことを指摘した上で、そこには神の主権に基づくあわれみが働いていることを告げた上で、「神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。」と言います(9:24)。続いて、異邦人をもご自身の民とする旧約聖書の約束を引用した後(9:25、26)、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と、救いの原理を宣言します。その際、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない。」との引用をし(イザヤ28:16)、続いて、「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである」と付け加えます(10:12)。こうして見るときに、「ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも」全く同じ原理で救おうとする神のご計画が示されていることが分かります。
すなわち、ユダヤ人にとっては重要な意味を持つはずの「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシアとしてのイエスを示すところから始まりつつも、そのメシアが復活によって神的メシアであることが証しされたことの指摘から始まり、このメシアによる救いがユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に同じ原理に基づいて与えられることを一貫して論じている様を見ることができます。
しかも、手紙の最終部分、ローマ教会において実際問題として直面していた食事の問題を取り上げた後、異邦人も共に同じメシアを信じるようになるとのイザヤ11:10の言葉が引用されますが、この箇所こそは「ダビデの子孫-王」モチーフを含む箇所であって、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう。」(15:12)、「ダビデの子孫-王」としてのメシアは、最初から異邦人をも治めるべきメシアであったことが告げられます。
こうして、ローマ教会の中にあった「ユダヤ人クリスチャン-異邦人クリスチャン」の問題を前提にこの手紙を読むとき、「ダビデの子孫-王」モチーフがその最初と最後に現われているのが偶然のことではなく、手紙全体の論旨にとって必然のものであったことが分かります。
8.パウロのメシア観の原型としての「ダビデの子孫-王」メシア観
おそらく、ローマ人への手紙になぜ2回も「ダビデの子孫-王」モチーフが現われているのか、その理由は上記のことがメインかと思います。しかし、第二テモテ2:8と比較しながら考えるとき、もう一つの理由を考えることは不適当ではないと思えます。それは、ある面、パウロの個人的な理由です。彼は、言いました。「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」ここでパウロは、「わたしの福音」と言いました。そこでは、先に見たように、他の新約聖書著者たちのメシア観と異なったメシア観が表われているわけではありません。しかし、「わたしの福音」と言ったとき、パウロにとっての特別な思いが込められていたのではないでしょうか。(ライトによれば)シャンマイト派パリサイ人として生きたタルソのサウロにとって、「ダビデの子孫-王」としてのメシア観は大きな意味を持っていました。もちろん、復活のイエスとの出会いを通して、そのメシア観は大きく変えられました。地上的、政治的な解放者を越えたお方、神の御子として証しされたメシアであることを認めざるを得ませんでした。そして、彼はそこから、ユダヤ人だけでなく、むしろ異邦人に対してもイエスの名を知らせる使徒として召されます(使徒9:15、22:21、26:17、18)。彼は、「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリスト」が、ユダヤ人だけでなく異邦人を含むすべての民を救うメシアであることを告げる使徒として召された者であることを、終生自覚し続けました。地上での生涯を終えようとするとき、愛弟子テモテに伝えたく思ったのも、このメシア観であり、この福音でした。そこにはパウロの個人的な思いが込められると同時に、このお方を思いつつ、パウロと同じ苦難を共有しながら、同じの福音を語る生涯をテモテが引き継いでくれることを願ったのが、この時の言葉だったのではないでしょうか。
(注12)Ladd "A Theology of the New Testament" 前掲書p409
(注13)Ladd 前掲書p409
(注14)筆者ブログ「長田家の神戸便り」より、「"What St Paul Really Said"(その6‐2、コメント部分)」参照http://blog.goo.ne.jp/nagata-lee/e/ef6aaf6ad438b5a45fb5091381a1ff63
【参考文献】
ジョージ・エルドン・ラッド『終末論』(いのちのことば社、2015年)
『新聖書辞典』(いのちのことば社、1985年)
『新聖書注解』(いのちのことば社、1973年)
G.E.Ladd "A Theology of the New Testament"Eerdmans,1974
"The International Standard Bible Encyclopedia"Eerdmans,1986
"The Greek New Testament"United Bible Soceieties,1983