長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

パウロによる用語「キリスト」の含意―「メシア」「キリスト」の意味の歴史的変遷を踏まえて(その1)

2016-11-19 19:35:19 | 神学

【経緯】

"What St Paul Really Said"「第3章 王の使者」についての投稿内容について、読者の方から貴重なコメントを頂きました。数回のやり取りは、特に「パウロの言う福音」についての理解に焦点を絞ったものとさせて頂き、私自身、理解が深まった点が多々あり、感謝でした。ただ、そのやり取りの中では、「福音理解」の問題と密接に関わるものでありながら、議論が多岐に渡るのを懸念して、あえて触れなかった点がありました。それが、「キリスト」の意味の問題でした。「福音理解」について、大きな枠組みについてのやりとりがひと段落した段階で、このテーマに進もうとしたのですが、改めて取り組んでみると、それ自体相当大きなテーマであることが分かりました。それで、コメントのやりとりとしてでなく、ブログ投稿の補遺として、まとめ直そうとしました。ところが、取り組みを進めていくうちに、投稿の補遺としてよりも、独立した新たな投稿とした方がよいように感じられてきました。

取り組んでいる内に分かったことは、このテーマについては、新約学者を中心に、かなりの研究が積み重ねられてきており、それらを概観的にでも一通り調べる力さえ私にはないことでした。ただ、多くの学者の取り組みを踏まえた上で、福音主義的な立場から一定の見解を明確にしたラッドの著作に行き当たり(注1)、これを手がかりに自分なりの見解をまとめることができました。自分としては納得のいく見解に至ることができて感謝しています。取り組みながら、聖書の奥深さ、またその奥深い所を探ろうとする神学者たちの取り組みの奥深さを感じることができたことも感謝でした。

以下、大きく二つに分けます。

第1節 「メシア-キリスト」の意味の歴史的変遷
第2節 パウロの手紙における用語「キリスト」の含意


第1節 「メシア-キリスト」の意味の変遷

パウロが用いた「キリスト」の意味合いを検討する以前に、基本的なこととして「メシア-キリスト」についての意味合いについての歴史的変遷を踏まえておくことが必要となります。色々調べたところに基づき、私なりに考えてみましたが、検討に当たっては、用法の区別と共に、検討の土台となっている資料を区別していくことが適当であるように思われました。以下、用法別及び検討資料別に、10のポイントに従って見ていきます。


1.原意に基づく文字通りの使用-旧約聖書において

「メシア」という言葉の原意は、「油注がれた者」との意であることはよく知られたところです。旧約聖書において、文字通り油注がれた人々の存在が記録されています。イスラエルの民においては、祭司(レビ4:3、6:22)や王(サムエル上24:10、サムエル下19:21、23:1)に対して、神による聖別の象徴として油が注がれました。特に、その行為はしばしば神の霊の注ぎとの関連が指摘されており、神の霊による実質的な聖別の働きの象徴として理解されたものと思われます(サムエル上10:1、10、16:13、サムエル下23:1、2)。この場合の「メシア」は、そのまま「油注がれた者」と訳されてよい用例となります。


2.原意に基づく象徴的使用-旧約聖書において

次に、旧約聖書では、上記用例を踏まえ、実際に油を注がれない場合であっても、神によって特別な働きのために聖別した者に対して、「油注がれた者」との表現が用いられます。たとえば、ペルシャ王クロス(イザヤ45:1)、族長たち(詩篇105:15)、あるいはイスラエルの民全体に対して(ハバクク3:13)そのような表現がなされています。


3.来るべきお方としての「メシア」表現の萌芽-旧約聖書において

最後に、旧約聖書の中には、上記二つの用例の中にほぼ含まれつつも、後のユダヤ教(第二神殿期ユダヤ教)において明確になっていくような「将来来るべきお方」としての「メシア」、「イスラエルの民の希望」としての「メシア」表現の萌芽となった事例を見出すことができます。

但し、旧約聖書内の「メシア」表現の中で、直接的に明確な形で「将来来るべきお方」として示されているような事例はあまりないことを覚えておく必要があります。ただ、それらのメシア表現の中には、旧約聖書の重要な他の様々なモチーフと密接に関連づけられているものが多く、それらのモチーフを通して、「将来来るべきお方」としてのメシア思想形成に結びついたと考えられます。具体的には、「ダビデの子孫-王」、「主のしもべ」、「黙示的人の子」といったモチーフががしばしば指摘されます。便宜上、それらのモチーフとの関わりで「メシア」表現を分けつつ、それぞれのモチーフを通して「来るべきお方」としての「メシア」思想形成に結びつく萌芽があることを確認してみます。

(1)「ダビデの子孫―王」モチーフ

「ダビデの子孫-王」との関わりが見出される「メシア(油注がれた者)」表現としては、サムエル上2:10、詩篇2:2、18:50、20:6、45:7、84:9等多数あります。もちろん、ダビデは実際に王位を受ける際に油を注がれましたが(サムエル下2:4、5:3。サムエル上16:1、6、13も参照)、同時に主の霊の明確な注ぎを受けた人物でもあります(サムエル上16:13、サムエル下23:1、2)。その後の王も即位の際には油注がれたようですが(列王上1:39)、詩篇の用例を見ると、特に主の霊の注ぎを受けたダビデ王を中心として、ダビデの子孫としての王に対して、「油注がれた者」としての表現が定着していく様子が伺われます。

他方、イザヤ書の中には、「ダビデの位に座す」お方が将来生れること、「エッサイの株」から正義と公平をもって統治されるお方の現われることの預言があります(イザヤ9:6、7、11:1、10)。しかも、イザヤ11:1に記されたエッサイの子孫として現われるお方は、「その上に主の霊がとどまる」とも言われます。これは、比較的明確な形で「油注がれた者」としての「メシア」表現に結びつくものと言えます。

イザヤ以降も、「ダビデの子孫―王」による統治の預言は続きます(エレミヤ23:5、6、33:15、16、エゼキエル34:23、24。ミカ5・2、ゼカリヤ9:9、10も参照。)

このように、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついての「メシア(油注がれた者)」表現は、旧約聖書において幅広く現われており、このことが後のユダヤ人のメシア観を形成する核となっていったことは、極めて自然な成り行きだったと言えます。なお、「ダビデの子孫―王」モチーフは、後のユダヤ教メシア観においては、地上的メシアとして理解され、天的メシアとしての「人の子」モチーフと対称的なものとして理解されたと考える向きもありますが、イザヤ9:7には、誕生する子が「大能の神、とこしえの父」と呼ばれること、その治世が「とこしえ」のものとされていることにも留意する必要があります。

(2)「主のしもべ」モチーフ

これもイザヤ書の中に見られる「主のしもべ」というモチーフです。イザヤ書における「主のしもべ」は、一義的にはイスラエルの民(イザヤ43:10、44:1、45:4、65:13‐15。おそらくはイザヤ42:19も。)、預言者自身(イザヤ49:1‐4)をさすと考えられるものがありますが、一見、何を指すのか不明瞭なものもあります(イザヤ42:1‐7、52:13‐53:12)。これらの用例が、同じ「主のしもべ」という表現のもとに、イザヤ書の中で渾然一体となって用いられているところに、このモチーフ理解の難しさがあると同時に、深遠さを感じ取ることができます。共通的な意味合いを受け取るとすれば、様々な苦難を引き受けつつ、主の使命を地上に果たしゆく存在としての「主のしもべ」像が浮かび上がります。

このモチーフもまた、一方では、「主の霊の注ぎを受けた者」との結び付きを示し(イザヤ42:1、44:3(一義的には「子ら」への約束))、他方では贖罪的モチーフを通して将来的な約束として受け止められ得ます(イザヤ52:13‐53:12)。特に、42:1‐7は、「主の霊の注ぎを受けた者」としての「主のしもべ」が、苦難を通して「ついに道を確立する」(42:4)、「もろもろの国びとの光」としての使命を果たし(42:6)、それらは「新しい事」に結びつくという内容である故、「来るべきお方」としてのメシア像に結びつきやすい要素を持っていると言えます。また、そういった文脈の中では、イザヤ61:1-3もまた、「主のしもべ」としての明確な表現はないものの、預言者イザヤ自身を越えた「油注がれた来るべきお方」としてのメシア預言として受け取ることが可能な箇所と言えます。

また、「主のしもべ」モチーフに関連しては、数節以上から成る「しもべの歌」が四つあると指摘されることがしばしばあります。42:1-4、 49:1-6、 50:4-9、52:13-53:12の四箇所です。(下のWikipediaページにおいては、この指摘がルター派神学者ベルンハルト・ドューム以来のものとされています。)この内、50:4-9は、「主のしもべ」というフレーズを含みませんが、表明されている受苦描写が他の「主のしもべ」フレーズと共通しているところから、「しもべの歌」の一つに数えられたものと思われます。(注2)

(3)「黙示的人の子」モチーフ

三つ目に、「黙示的人の子」のモチーフです。該当箇所としては、ダニエル7:13があります。「人のこのような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた」とありますので、明らかに天的な存在として表現されます。同時に、続く14節では、「彼に主権と光栄と国とを賜い」とあり、「ダビデの子―王」モチーフにもつながるような将来的統治の予告がなされます。しかし、「諸民、所族、諸国語の者を彼に仕えさせた」ともありますので、イスラエル一民族を越えた統治であり、「永遠の主権」とあるように、永遠的な統治であると言われます。

上記「黙示的人の子」モチーフは、旧約聖書全体の中では孤立的であるとは言え、ダニエル書全体の預言の中に位置づけるなら、ダニエル9:26の「黙示的メシア」に容易に結びつくものとも言えます。ここでの「メシア」表現は、明確であり、「油注がれた者」としての意味付けも明確であり(9:24)、将来来るべきお方としての約束であることも明瞭です。


4.第二神殿期ユダヤ教におけるメシア思想―ユダヤ教諸文書において

「『メシア』という言葉は、中間時代の文書には大きな頻度においては登場しない」とも言われます(Ladd "A Theology of the New Testament"p137)。この機会に、いわゆる旧約外典と呼ばれる諸文書にざっと目を通してみましたが、それらの中で「メシア」あるいは、「将来来るべきお方」にいくらかでも言及しているのは、『エズラ記(ラテン語)』(第四エズラ記)くらいなものでした。しかし、他の諸文書も含めると、この時代のユダヤ教文書の中には、いくつかのメシア表現がみられるのも確かです。これまでの研究では、上記(3)で検討した三つのモチーフに照らして、この時代のメシア表現を位置づけるものが多いようですので、ここでも便宜上、これらの三つのモチーフとの関連で紹介します。

(1)「ダビデの子孫―王」モチーフ

まず、「ダビデの子孫―王」モチーフとの関わりが明確なメシア表現としては、「ソロモンの詩篇」に見い出すことができます。

「主よ、ごらんください、あなたが予知なさっている時期に、神よ、あなたの僕イスラエルに君臨するダビデの子を王にたててください。そうして彼に力の帯を締めてやってください。不義な首長たちを打ち破るため、エルサレムを踏みにじり破壊するもろもろの民からそれをきよめるため、正義の(ために)智謀をめぐらし罪びとらを相続の地から撃退するため、陶工の(ろくろの上に)器のように罪びとの傲慢をこそぎとるため、鉄の棒で彼らの本質を粉砕するため、律法を犯すもろもろの民を彼の口の言葉で滅ぼすため、彼の脅かしでもろもろの民が彼の前からにげ出すため、心の思いにしたがって罪びとらを咎めるためです。……その治世の間彼らの中に不義はない。万人が聖者であり、彼らの王は主により『油を注がれたもの』だからだ。」(ソロモンの詩篇17:21-25、32)(注3)

ラッド上掲書によれば、紀元前63年、ローマ帝国がポンペイウスを司令官とする軍隊を差し向け、エルサレムを後略、多くのユダヤ人を殺害し、戦争の捕虜として他の多くのものをローマに送ったとき、無名の作者が書き綴ったものだそうです。時期的にも、状況的にも、1世紀ユダヤ人のメシア観を推し量るには最重要の記録と言えるでしょう。

この他、クムラン共同体は、「油注がれた(アロンの)祭司と油注がれた(イスラエルの)王」を待ち望んでおり、ダビデの子孫による統治についての記述も残しています。但し、クムラン派は祭司の血統であるため、王的メシアよりも祭司的メシアの方に優先権を与えていたようです。(注4)

(2)「ダビデの子孫―王」モチーフと「黙示的人の子」モチーフの中間的表現

「ダビデの子孫」や「人の子」といった表現は見られないものの、「メシア」表現が終末的統治者、救済者、審判者として用いられているものとして、紀元1、2世紀に記された以下の二文書を挙げることができます。ここでのメシア像は、天的なようでもあり、地上的なようでもある点では、「ダビデの子孫-王」モチーフと「人の子」モチーフの中間に位置づけることができるかもしれません。

まず、旧約外典にも含まれる「エズラ記(ラテン語)」(第四エズラ記)には、以下のような記述があります。

「すなわち、わが子イエスが、彼に従う人々と共に現れ、生き残った人々に四百年の間、喜びを与える。その後、わが子キリストも息ある人も皆死ぬ。」(7:28、29、新共同訳)

「この獅子とは、いと高き方が王たちとその不敬虔のために、終わりまで取って置かれたメシアである。彼は、王たちの不正を論証し、王たちの前に、その侮辱に満ちた行いを指摘する。メシアはまず、彼らを生きたまま裁きの座に立たせ、彼らの非を論証してから滅ぼす。彼は、残ったわたしの民を憐みをもって解放する。彼らはわたしの領土で救われた者であり、メシアは終末、すなわち、裁きの日が来るまで、彼らに喜びを味わわせるであろう。」(12:32-34、新共同訳)

ユダヤ教文書とされているにも関わらず、「わが子イエス」との表現はびっくりさせますが、紀元1、2世紀の書ということであること、最終的にはラテン語訳聖書に含められていったということを留意する必要があります。翻訳過程のどこかで別の表現がこのように変わった可能性もあるかと思います。「来たるべき方」、終末的統治者、救済者、審判者としてのメシア観が描かれています。

また、旧約偽典の一つ「バルクの黙示録」にも、メシアによる一時的王国統治、諸国への審判が描かれているようです。(注5)

(3)「黙示的人の子」モチーフ

「黙示的人の子」モチーフと関連付けられたメシア表現は、エノク書に見い出されます。(46、48章)(注6)

エノク書は、ユダの手紙に引用されていることでも有名で、紀元前1、2世紀のものとされることもありますが、その前後、長い期間を経て形成されたとも言われます。偽典の中に位置づけられています。「人の子」が「日々の頭」と共に現われ、罪びとたちを裁くという内容から、ダニエル書の「人の子」モチーフの影響が明確に認められます。更に、48章の終りでは、「メシア」として表現されてもいるところが注目されます。

ダニエルの「人の子」との関わりが強いと見られる表現は、エズラ記(ラテン語)(第四エズラ記)13章にも出てきます。「人が天の雲とともに飛んでいた。」(13:2)とあり、「この人こそいと高き方が長い間取って置かれた人」(13:26)であり、また、主によって「わたしの子」とも呼ばれます。(13:32)。

(4)「主のしもべ」モチーフ

最後に、「主のしもべ」モチーフがメシアと関連付けられている例としては、紀元前1世紀のヨナタン・ベン・ウジエルのタルグムによる「イザ53 章のメシア的解釈」の証言があるようです。但し、そのいくつかの部分は、ヨセフ・ベン・ヒッヤ(紀元3-4 世紀)に帰されたタルムードの中に存在することから、「この証言の年代を特定するのは困難である。」と言われます。(注7)

このように見れば、「ダビデの子孫-王」、「黙示的人の子」、「主のしもべ」三つのモチーフのいずれもが、第二神殿期のユダヤ教文書の中に表われているように見えますが、厳密に見ていくと、執筆年代の問題や、その後の追加・変更などの編集があった可能性もありますし、また、最終的にはユダヤ教においても外典や偽典とされた諸文書がどう受け止められたかという問題もあります。1世紀ユダヤ教のメシア観にどのモチーフがどのように影響したかを推し量ることはかなり困難であると言えます。


5.1世紀のユダヤ人たちのメシア観-四福音書において

さて、新約聖書にある四つの福音書は、イエスこそメシアであるとの証言に満ちていますが、同時に、イエスの登場に対するユダヤ人の反応を見ると、当時のユダヤ人たちのメシア観をある程度推測することができます。

(1)「来たるべきお方」としての「メシア」

まず、彼らの間には、「来たるべきお方」としての「メシア」に対する大きな期待があったことが伺えます。東方の博士たちの来訪を受けたヘロデ王が律法学者たちに問うた「キリストはどこに生れるのか」という問いは、地上に誕生すべきメシア信仰を背景としており、当時の律法学者たちはミカ5:2をメシアについての預言と見ていたことを示します(マタイ2:4-6)。「わたしはキリストではない」とのバプテスマのヨハネの言葉は、当時のユダヤ人たちの間にメシア待望の風潮があったことを前提とするように思われます(ヨハネ1:20)。また、バプテスマのヨハネが用いた「きたるべきかた」との表現は、神が備えられた「来たるべきお方」としてのメシアをさしていると思われます(マタイ11:3)。アンデレがイエスに出会った後、兄弟シモン(ペテロ)に対して、「わたしたちはメシヤにに今出会った」と証ししたことは、イエスについて何の知識もないペテロの中に、「メシア」に対するある程度明確な概念があったことを伺わせます(ヨハネ1:41)。サマリヤの一女性の証言は、メシア待望の姿勢はユダヤ人たちだけでなく、サマリヤ人の間にも見られたことを伺わせます(ヨハネ4:25)。また、イエスが様々なみわざによって注目されるようになったとき、人々はイエスをキリストではないかと考えるようになりました(ヨハネ7:26、31)。

(2)「ダビデの子孫―王」としての「メシア」―イスラエルの解放者として

次に、ユダヤ人の間にあった「メシア」観は、「ダビデの子孫」として生まれ、イスラエル民族をローマの手から解放する王としてのメシア像が色濃かったことが伺えます。東方の博士たちの「ユダヤ人の王としてお生れになったかた」について尋ねられたとき、ヘロデ王がそれを「キリスト」のことと解したのはそのためだろうと推測できます(マタイ2:2、4)。イエスが奇跡のみわざによって人々の注目を集め出したとき、人々は、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」と言いました(マタイ12:23)。イエスとキリストと告白した弟子達であっても、そのようなメシア観が色濃く支配し続けた様子が、彼らの言動の端々から伺えます(マタイ20:21、ルカ23:21、使徒1:6)。イエスがろばに乗ってエルサレムに入城された時、人々が叫んだ言葉からは、人々がイエスを「ダビデの子孫」として現われる「民族的解放者としての王」、また、神に約束された「主の御名によってきたる者」としての「メシア」と考えていたことが伺えます。(マタイ21:9、マルコ11:9、10、ルカ19:38、ヨハネ12:13)。イエスがパリサイ人に対して、「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか。」と尋ねたときも、彼らの答えは、「ダビデの子です」というものでした(マタイ22:41、42)。群衆がイエスについてピラトに訴えたのは、「わたしたちは、この人が・・・自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」というものでした(ルカ23:2。マタイ27:17、22も参照)。十字架のもとで、祭司長たちはイエスを嘲弄して、「イスラエルの王キリスト」と呼びかけました(マルコ15:32)。なお、このような「ダビデの子孫―王」としてのメシアは、同時に奇跡を行う力を備えていると考えられた様子も伺えます(ヨハネ6:14、15、マタイ20:31-33)。

(3)「ダビデの子孫―王」としてのメシア―天的存在として

なお、このような「ダビデの子孫―王」としてのメシア観は、地上的・政治的解放者としての王の概念を中心としつつ、同時に、天的存在でもあると考えられたことが伺えます。ゼベダイの子たちの母のイエスに対する要求は、そのような天的王としてのメシア観を前提としているようにも思われます(マタイ20:21)。更に、裁判の場での大祭司の質問「あなたは、ほむべき者の子(マタイでは『神の子』)、キリストであるか」は、イエスを死刑に処せられるようにするための質問であることを考慮する必要があるとは言え、少なくともユダヤ人の間に「神の子」とも呼ばれうる天的な存在としてのメシア観念が存在したことを示唆するように思えます。

(4)「黙示的人の子」としてのメシア

次に、当時のユダヤ人たちの中に「人の子」メシアとしての概念が存在したことを示唆すると思える箇所があります。イエスが「人の子が栄光を受ける時が来た。・・・わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」と言われたとき(ヨハネ12:23、32)、群衆はイエスに次のように尋ねます。「わたしたたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか。」(ヨハネ12:34)。少なくとも、ここでのキリスト(メシア)は、永遠的な存在とされています。「律法」が旧約聖書全体を意味したと考えれば、「律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました」とは、イザヤ9:6、7あるいはダニエル7:13、14等が考慮されたものと思われますが、「同時に「人の子」についての言及との深い関わりの中で「キリスト」についての議論を持ちだしているところから、おそらくは、ダニエル7:13、14の「黙示的人の子」メシア観が考慮されているものと思われます。この他、ヨハネによる福音書には同様に理解できる箇所がいくつかありますが(5:27、9:35)、イエス自身がメシアとしての「人の子」表現を用いている例でもありますので、次の(6)で詳しく見ます。

(5)「ダビデの子孫―王」モチーフと「救い主」

当時のユダヤ人のメシア観が、「ダビデの子孫―王」モチーフを中心としつつも、「救い主」とも呼ばれ得た様子も伺えます。(但し、その意味合いは、イスラエルを政治的に解放する意味での「救い主」が中心であったことでしょう。)

その多くはルカによる福音書の中に見られます。ザカリヤは、メシアによる政治的解放を、敵からイスラエルの民を「救い」出すこととして表現しました(ルカ1:69、74)。更には、そのようなメシアの登場は、「罪のゆるしによる救い」との関わりのあることも示唆しました(ルカ1:77)。天使が羊飼いたちにイエスの誕生について知らせた言葉は、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」というものでしたから、ここでは少なくとも羊飼いたちが「キリスト」と「救い主」とは相容れないものとして受け止めていたことが前提とされているように思われます(ルカ2:11)。シメオンは、「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」人であり、「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた」とも言われますが(ルカ2:25、26)、幼な子イエスに出会ったとき、シメオンは神をほめたたえ、「わたしの目が今あなたの救を見た」と言いました。更に、バプテスマのヨハネに対して、人々はキリストではないかと考えたことが伺えますが(ヨハネ1:20)、ルカによる福音書ではこの点について、「民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた」と表現しています(ルカ3:15)。

ルカによる福音書以外では、ヨハネ4章があります。イエスと対話したサマリヤの女性が町に出て行き、人々にイエスについて語ります。「もしかしたら、この人がキリストかもしれません」。女性の言葉に町の人々が出てきてイエスと話します。その結果、彼らは女性にこう語ります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである。」(4:42)。これら一連の流れから分かることは、当時、サマリヤ人たちの間にもメシアへの待望があったと共に、その言葉の意味合いの中には、「世の救い主」としての意味合いが含まれていたということです。

(6)「主のしもべ」メシア観の不在

当時のユダヤ人たちの間に、「主のしもべ」メシア観が存在したことを示唆する証拠は、四福音書の中には見当たらないようです。

(7)結論

これらを総合的に見るとき、四福音書の証言から当時のユダヤ人のメシア観について言えることは、旧約聖書に見られるメシア関連の三つのモチーフの内、「ダビデの子孫―王」のモチーフを中心に形成されており、部分的に「黙示的人の子」のモチーフが垣間見られるが、「主のしもべ」モチーフとの関わりは見出されない、ということになります。


(注1)G.E.Ladd "A Theology of the New Testament"Eerdmans,1974

(注2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8

(注3)ラッド『終末論』11-12頁で引用されているもの。後藤光一郎訳による。

(注4)Ladd "A Theology of the New Testament"p138

(注5)Ladd 前掲書p138

(注6)以下のリンク先で、エノク書の内容が紹介され、「人の子」表現がどう表れるか確認することができる。但し、主張内容においては私と意見の違うところも多い。
http://koinonia-jesus.sakura.ne.jp/apoca/4enochoutoline.htm
http://koinonia-jesus.sakura.ne.jp/apoca/34enochicsonofmanh.htm

(注7)河村兼二郎「ユダヤ教におけるイザヤ書53章の解釈史」(関西学院大学『神学研究 第58号』より)
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/7810/1/58-02.pdf#search='%E4%B8%BB%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%B9+%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2+%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99'


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