ナルホドその6 イエスはイスラエルの物語を完成させる救いの物語としての自分を宣べ伝えた
「イエスは福音を宣べ伝えたのか」という問い(126頁)に対して、著者はこの問いを「イエスは、イスラエルの物語を完成させた、救いの物語としての自分を宣べ伝えたのか?」という問いとして受け止めることにより(127頁)、「宣べ伝えていた」という答えを導き出しています(155頁)。
従って、第7章での福音書の検討は、「イエスは、イスラエルの物語を完成させる者として自分を説いたか」ということに焦点が当てられています。
著者は、第一に、福音書での最重要テーマとも思われる「御国(神の国)」についての検討から始めます。
まず、イエス様より以前の証言として、マリヤ(マグニフィカト)、ゼカリヤ(ベネディクトゥス)、バプテスマのヨハネを取り上げ、それらがいずれもイスラエルの物語のメシア待望と王国への期待がイエス様によって成就されようとしていることを告げるものだと指摘します。
次に、イエス様ご自身の王国に関するメッセージには5つのテーマが見られると言います。
(1)(旧約聖書で期待されていた)神の国は歴史の中に現れる(マルコ1:15、マタイ12:28)。
(2)長く待たれた王国の社会は根本的変化を伴う新しい社会である(ルカ4:18、19)。
(3)神の国の市民権は従来の考え方を逆転させたものである(ルカ6:20-26)。
(4)神の国は、「神の」国であって、イスラエルの神、創造主であり契約の造り主である神に従うよう呼びかけるものである(マタイ6:9-10)。
(5)(福音の宣言の核心として)神の国の中心に自分がいる(ルカ4:16-30、ルカ7:22-23)。
御国についてのこのような考察を通して、著者は主張します。「イエスは、自分自身を説き、自分がイスラエルの物語を完成させる者とみなしていたので、福音を宣べ伝えていたことになる」と(145頁)。
これに加えて、著者は更に4つの点を指摘します。
(1)イエスの道徳的ビジョンは、旧約聖書の道徳的ビジョンを完成させるものである(マタイ5:17-20)。
(2)イエスが12弟子を選んだということの中にも、イスラエルの物語の成就がある。
(3)イエスは自分の死を説明するのに、旧約聖書のみ言葉に照らしており(マルコ9:31)、自分の死をイスラエルの物語、特に過ぎ越しの物語を完成させるものとして示した(マルコ14:12-26)。
(4)復活後、イエスはイスラエルの物語がご自分を通して完結したことを弟子たちに示した(ルカ24:16-36)。
これらの検討の結論として、著者は言います。「イエスは福音を宣べ伝えていたのか?宣べ伝えていた。なぜなら、福音とはイスラエルの物語を完成させるイエスの救いの物語であり、イエスは明らかに、イスラエルを救う神のご計画の中心に自分を据えていたからである」と(155頁)。
福音の定義の問題は横に置くとしても、福音書の中心的使信として、イエス様が常に旧約聖書での約束の成就としてご自分を示しておられたこと、神の国について語るにしても、神の国をもたらす者として常にご自分を示しておられたという事実は、心に深く留めるに値すると思いました。(「いくら心に深く心に留めたとしても、それを福音の中心に据えるのでなければ・・・」といった著者の声が聞こえてきそうですが。)
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