長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

「神と共に生きる」第十二話 復活の日の朝

2023-04-26 14:28:08 | 神と共に生きる

「神と共に生きる」

第十二話 復活の日の朝

マタイ二七・六二‐二八・一〇

 

 キリストが十字架に死なれたとき、弟子たちは悲しみと恐れに包まれました。主イエス様に従ってきた女性たちも、悲しみに沈みました。しかし、キリストの死から三日目、日曜日の朝、変化が起こりました。その朝、何が起こったのでしょうか。そして、その出来事は現代に生きる私たちにとって、どんな意味があるのでしょうか。

 

一、破られた封印

 

そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。(マタイ二七・六六‐二八・二)

 

イエス様は十字架に死なれ、墓に葬られました。その墓は岩を掘って造った墓で、入り口には大きな石が転がされました。しかし、祭司長やパリサイ人たちは一つの心配をします。イエス様がかつてご自分の復活について語っておられたのを聞き知っていたのでしょう。弟子たちが遺体を盗み出して、「よみがえった」と言いふらすのではないかと考えました。そこで、彼らはピラトのもとに行き、墓に番を付けるようにと願い出ます。ピラトは、この要求に応え、番兵を手配するとともに、墓を封じる石に封印をさせました。

三日目の朝、女性たちがイエス様の墓に向かっていました。彼女たちの懸念は入り口の大石を誰に転がしてもらえばよいかということでした(マルコ一六・一‐三)。ところが、大地震が起こりました。主の使い(天使)が降りて来て、石をわきに転がしたからでした。もちろん、封印もすべて破られ、解かれてしまいました。そして、天使は彼女たちに主イエスの復活を告げ知らせるのです。

 

 キリストが死の中から復活されたことは、私たちにとって大きな意味を持ちます。アダムとエバが神のご命令に背いたとき、「必ず死ぬ」と言われていた通り、死はどんな人をも打ち負かしてきました。しかし、イエス・キリストは死に勝利され、永遠に生きるお方としてよみがえられました。全人類を縛り付けていた死の封印が解かれた瞬間でした。

 私たちは、イエス・キリストを信じるとき、罪を赦していただき、神との交わりを回復して頂くことができます。やがては私たちも死の時を迎えるでしょう。しかし、魂は主イエス様のもとに迎えられます。さらには世の終わり、イエス様と同じような復活栄光の体が与えられ、よみがえらされます(Ⅰコリント一五・二〇‐二三)。イエス・キリストの十字架の死と復活により、死の封印は砕かれ、解かれたのです。

 

二、空になった墓

 

 キリストの復活を告げる天使のことばは、以下のようなものでした。

 

あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイ二八・五、六)

 

 天使が天から下り、墓を塞いでいた石をころがしたのは、復活したイエス様を外に出すためではありませんでした。他の福音書を見ると分かることですが、復活のイエス様は、固く閉ざした家の中にもスッと入って来ることがおできになりました(ヨハネ二〇・一九)。イエス様は復活されてすぐ、閉ざされた墓の中からも出て行くことができました。ですから、女性たちに天使が告げたのも、「(イエスは)ここにはおられません」ということでした。

 「前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」と告げると同時に、天使は彼らに、言いました。「さあ、納められていた場所を見なさい。」そこには、空になった墓があるだけでした。

 エルサレムには、イエス・キリストが葬られた場所としていくつかの箇所が指摘されています。そのうちの一つで「園の墓」と呼ばれる場所は、よく手入れがされ、「こんなところでイエス様がよみがえられたのかな」と思わせる雰囲気が漂っています。その園には、キリストの墓とされる場所があり、入口のところに「彼はここにはおられない。よみがえられた」と記されています。もし仮に、そこに記されている言葉が「ここにキリストの遺骨が納められている」ということであったらどうでしょうか。使徒パウロも言うように、「私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しい」ということになるでしょう(Ⅰコリント一五・一四)。「空になった墓」こそは、主キリストへの信仰の土台です。

 

三、お会いできる

 

 続いて天使が女性たちに告げたのは、次のようなことでした。

 

そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。(マタイ二八・七)

 

 墓を訪れたときには悲しみに沈み込んでいた彼女たちでした。しかし、天使によって主イエスの復活が告げられました。確かに墓は空でした。そして、弟子たちに伝えるようにと告げられた言葉は、「そこ(ガリラヤ)でお会いできます」。「主は生きておられる!」彼女たちの心を覆っていた悲しみはいつの間にか喜びに置き換わっていました。

急いで墓を立ち去り、走り出した女性たちは、そこで復活の主イエス様ご自身に出会います。彼女たちはイエス様の御前にひれ伏し、礼拝します。この時、イエス様が彼らに語られたのも、「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」ということでした(マタイ二八・一〇)。

 実際、弟子たちはこの後、ガリラヤにおいてイエス様と相まみえます。(エルサレムでも何度かお会いしますが、マタイの福音書では省略されています。)この後、イエス様は天に上っていかれます。しかし、その前に弟子たちに宣教の命令を与えるとともに、一つの約束を残されました。

 

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ二八・二〇)

 

 この後、主キリストは天に上っていかれます。これ以降、弟子たちは肉眼では主を見ることができなくなりました。しかし、彼らの心には「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」と言われた主のことばが響き渡っていました。その後の宣教活動には幾多の困難もありましたが、共にいます主イエス様を仰ぎつつ、命がけの宣教活動を進めることができました。

 罪深い私たちが、その罪を赦して頂いて神と共に生きることができることは大きな幸いです。復活の主、御子イエス・キリストが、信じ従う私たちと共にいてくださる…それは、「神が私たちとともにおられる」という約束の成就と言えるでしょう(マタイ一・二三)。このお方は永遠に生きておられるので、いつも、どんな所からでも見上げ、「お会いできる」方です。

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