長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

花粉症の薬

2011-02-06 09:35:24 | Weblog
花粉症の薬を飲みだしたことについて書いた。
昨日の夜は、そのため、眠くて、テレビを見ながらうつらうつらしていた。
最近で言えば、こんなことはなかった。
今朝も、薬を飲んでラジオを聴いていたら知らない間に寝てしまっていた。
もし、これが自動車の運転をしようものなら、気がつかずに事故を起こすかもしれない。
危ない。危ない。

八百長11人は否定

2011-02-06 09:34:31 | Weblog
大相撲の八百長を、3人は認めたけれど、11人は否定しているという。
それはそうだろう。
八百長を認めれば、琴光喜のように廃業に追い込まれるとなれば、誰でも否定するに違いない。
認めた3人はあまりにもはっきりとした証拠があるから、否定の仕様がなかったということである。
当然紙切れ1枚で、アンケートをとってみたところで、まともに答えるわけがない。
さて、これから相撲協会などの関係者がどうするかだと思う。
私は、これ以上やれば、相撲協会自体が崩壊してしまうと思う。
どこかで、不公平にならないように線引きをして、収めるしか方法はないと思う。

大相撲の八百長

2011-02-05 08:31:53 | Weblog
八百長問題が簡単に解明できないため、春場所はどうやら中止になるようである。
しかしながら、石原東京都知事が八百長は昔からあった、というように私もあったと思う。
ただ、明確な証拠がなかっただけである。
それを、今まではまったくなく、新しい事件だから・・・というのはおかしいと思う。
放駒理事長の八百長問題を解明する態度は、高く評価するが、そのために、力士だけでなく、多くの関係者に迷惑をかけるということはどうなんだろうと思う。


花粉症の薬

2011-02-05 08:31:13 | Weblog
今年は、去年の10倍の花粉が舞うといい、2月半ばからだという。
そこで、今日から、花粉症の飲み薬を飲むことにした。
というのは、この飲み薬は、治療薬ではなく、予防薬だから、事前に飲み始めたほうが効果があるという話だからである。
去年から飲み始めたのだけれど、薬のお陰で、症状が大分軽かった。
前にも書いたけれど、体調管理表を毎日つけているけれど、去年悪かったのは、3月末から4月へかけての3週間ぐらいだった。
今年は、すでに去年飲んでいるから、もっと楽に花粉の季節を過ごすことが出来るのではないかと思う。

いとこからのメール

2011-02-04 08:53:08 | Weblog
以前、このブログに書いたかと思うけれど、だんなさんが去年なくなり、落ち着いてきたのか、先日メールが来た。
遺産相続だとか、子供の将来だとか、いろいろと書いてくる。
ホームページを作りたいといったときには、1ヶ月以上教えてやったけれど、意見が合わないところがあって、辞めてしまったことがある。
私も妻が亡くなったらどのような生活になるだろうかと考えつつ、もう少しメールでお相手をしてやろうと思う。


マウスが壊れた?

2011-02-04 08:52:01 | Weblog
息抜きに、パソコンでゲームをしている。
そんなときには、速いスピードでクリックを繰り返す。
ところが、1クリックしたのに、2クリックしたと同じ状態となってしまう。
ワードで文章を作成していても、訂正する部分をクリックしてカーソルを移動させるのだけれど、クリックしても、クリックの状態がすぐ切れてしまう。
これでは、ゲームなどとても出来ない。
これって、マウスの故障ではないのだろうか。
ということは、もうどれだけも生きられないのだから、ゲームなどしているなということなんだろうか。

大相撲の八百長問題

2011-02-03 09:03:30 | Weblog
警視庁が押収した力士のケータイから、八百長が発覚したけれど、私はやっぱりとしか言いようがない。
というのも、千秋楽に、7勝7敗の力士がそろって勝ち越すと、力士が負けこさないようにいかに一生懸命相撲をとるということがあったとしても、これはおかしいのではないかと思っていた。
それはそれとして、(私はよく知らないが)、野球賭博の捜査の途中で、八百長の情報が漏洩するということはまずいのではないだろうか。
また、理事長が「(八百長が)過去には一切ない」と断定しているけれど、これもおかしな話である。
今までも相撲協会はないといっていた八百長が、メールという事実からごまかせなくなっただけである。
以前にさかのぼって問題にすると、相撲協会自体が崩壊してしまうということがあるかもしれないが、今の段階で、理事長がこのように断言するということは、おかしい。
いずれにしても、相撲人気を高めるためにどうしたらよいか、真剣に考えるべきである。