那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

石原莞爾とは

2016年03月26日 | 歴史

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日本史上類まれなる軍略の天才。知られざる名将石原莞爾将軍

日中戦争において、20倍の兵力を誇る中国軍を20分の1の兵力で打ち破った。
竹中半兵衛や黒田官兵衛。2000人の兵で徳川軍を破った真田昌幸のような戦略家である。

少年時代に乃木希典の家にアポ無しで遊びに行きご飯を食べた。
学生時代、面倒臭い写生の授業に対抗する為、一計を案じ、自分の一物を写生。「我ガ宝ヲ写生ス」と提出。教官大激怒。
戦地における便所での暗殺防止に野糞を推奨。部下の羞恥心を取り除く為、部下を集めて目の前で用便をした。
宴会で上官から酒を勧められる。「飲まぬ」。


連隊長時代。農地を避けて突撃させた演習のやり方を、視察官に咎められた時は死んだふりをしてやり過ごした。
2.26事件時に荒木貞夫大将と出会った時、おまえのせいだ馬鹿を連発。荒木は若手将校をとても可愛がり、それが彼らの増長につながった事を咎めての事だと思われる。当然荒木大激怒。当時石原の階級は大佐であった。
東條英機を「東條上等兵」と評して嫌い、それを隠そうともしなかった。講演会で東條英機は銃殺されるべきと暴言。慌てる開催者のフォロー虚しく、これは公的な発言ですと嘯く。
辻政信から「導師」と呼ばれて心酔されていた。
東京裁判出張所に赴く為にリアカーを使い、運転手は大山倍達たちが務めた。

石原莞爾、満州を「王道楽土」にする思想に触れて、「日本人、満州人、中国人さらにシナ人も含めて利己的権益は放棄し、各民族協和の独立国をつくって、東亜に理想国をつくる。これこそ、最良の国防政策(日本にとって)でもある」

 昭和二十一年四月は、講和条約締結前で、まだ交戦状況下にある。他の軍人たちは自殺・自決したりして自ら「心の法廷」に決別したが、石原は連合軍最高司令官マッカーサーや米大統領トルーマン、アメリカ国民に向って堂々と反論した。それがマーク・ゲインの『ニッポン日記』に、こう書かれている、
「私が現役に止まっていたら、あなた方アメリカ人にもっと金を使わせたでしょう。戦線を縮少し、アメリカの補給路を延長させ、日華事変を解決すればもっとうまくやれたと思う(中略)。日本の指導者たちがミッドウェーの敗戦の意義を埋解し、ソロモン群島の防衛線を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方していたにちがいない。山本五十六大将らは誤りを犯した。どこに根拠地を求めるかを知らなかったからだ。サイパン失陥を聞いたとき、私は敗戦を覚悟した」


「私は支那とは和平できたと思っている。われわれは東亜連盟に非常に確信を持っていた。その精神を中国民衆に浸透させることができたら、戦いを終ることはできた。東亜連盟は終始非侵略主義だった。連盟は、中国が満州国を承認さえすれば、日本軍隊は中国から撤退しうると論じた。蒋介石は相互に結末をつける段どりとなっていたから満州国を承認しただろう。私は終始、中国本土から撤退し、満州国をソ連との緩衝地帯にせよ、との意見だった。勿論我々はソ連と戦う意志はなかった」
 そして石原は、東條について「無能な男」と語る。
「対中国政策に関しては、東條と私との間に別に意見の相違はなかった。なぜなら、東條という男は、およそプラン(作戦)など立てる男ではないからだ。彼は細かい事務的なことはよくできる。しかし中国政策というような大問題に関しては全く無能だった。彼は臆病者で私を逮捕するだけの勇気もなかった。東條のような男やその一派が政権を握りえたという事実が、すでに日本没落の一因でもあった」
 さらに東條に迫害され続けた東亜同盟会員とマッカーサーについても語っている。
「不幸なことは、東亜連盟は貴国の命令で解散させられた。東條も連盟を弾圧しようと試みたが連盟は朝鮮でも満州でも、また支那においても力強い勢力を維持し続けただろう。マッカーサーが東亜連盟を解散させたとき、我々は旧日本の軍国主義とアメリカの軍国主義者とは何の違いもないことを知った。東亜連盟こそ、共産主義思想と対等の条件で戦える唯一の組織だった」



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