那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

微笑禅の会ネット会報平成25年8月号 (川上雪担老師から受けた点検の詳細)

2013年08月28日 | 微笑禅の会ネット会報

以下、mixiの川上雪担老師のコミュニティより引用します。

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 *川上雪担老師は平成23年5月20日、遷化されました。 

『座禅はなんでもありありのめっちゃくちゃ、でたらめわがままいっぱいがお薦めです、けつぶんまくってこれだけやってんのに、なぜなんにもしてくんねーんだって座禅に食ってかかる、てめえ殺すぞってなもんです、お行儀見習いじゃないんです、標準通りするんじゃない、おれはおれだ、おれが200%おれにならんけりゃこの世はなんの意味もない、歴史なんぞ糞食らえ、モーツアルトが好きならモーツアルトと刺し違えろ、- 』 


  住職 川上雪担(かわかみせったん) 

 昭和11年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業後、新潟市内の高校で教鞭を執る。三年後思うところ あって出家、福井県小浜市発心寺僧堂に掛搭。以降日夜坐禅に明け暮れるが、この事なかな手に入らず、あるとき浜松市、井上義衍老師の事を聞き及んで早速かけつけ、しばらく逗留。ほどなく法の一端をかいま見る。昭和47年大本山総持寺に安居、その後新潟県東山寺の住職となる。その後も義衍老師の接心に通い、あるときもと脱落底なるを知る 。 

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私が川上雪担老師に電話して点検を受けたのが老師が遷化される直前の5月だった。奥様らしき年配の女性が出られ「今日は法事に行って疲れ、今寝ていますが、少しお待ち下さい」と言われ、待っていたら運よく電話に出られた。

老師を知ったのはある人物から「今のあなたを指導できるのは川上雪担老師と福井県小浜の発心寺の原田雪渓老師しかいない」、と教えられたからである。二人の師匠はともに井上義衍老師。井上義衍老師の師匠は原田祖岳師であり、原田師は曹洞宗ながら臨在の公案を自在に取り入れたことで知られ、その弟子の一人・安谷白雲師は同じ方法を用いて三宝教団を作られた。三宝教団には私の質問にわざわざ手紙を頂いた外池禅雄師がご健在である。その手紙は宝物として大切に仕舞っている。

つまり私が微笑禅の会を作る前から助言を頂いたのは、同い年の玄侑宗久師(師は慶応大学出身なので禅の修業で早慶戦をしましょう、と言って私とメルトモ的関係になり、非常に多忙な中で教義上の質問に常に的を射た助言を頂いている。心から尊敬できる方である)、そして外池禅雄師、故・川上雪担老師の3人である(他にも助言してもらった方がいるが名前を忘れてしまった。「人間禅」の方だった)

玄侑宗久師は私が最初に見性体験をしたとき、祝福の言葉とともに何十回も見性を繰返した中国の禅者のことを教えられ、私が居士だからだろう「維摩詰(ゆいまきつ)」を手本にするように、と助言を頂いた(たまたま維摩経は私の大好きな経典で、あれほど文学的で華麗な経典は他にないと思われる)。

以上は「見性体験記」の中に書いてあるので、遷化直前に点検して頂いた川上雪担老師の言葉を今回は紹介する。

(これは以前作っていたHPや、現在のHPになっても掲示板で何度か語ってきたが、掲示板は作るたびにサイバーストーカーによって荒されるために現在はエッセー的なものはこのブログのみになっている。私は見ていないが、ストーカーたちは私が削除した掲示板を復活されて中傷ネタにしているらしい。事の真相は会員の方々や常連読者の方々は充分ご存知の通り。幾らIPアドレスを禁止にしてもプロキシを使って粘着を繰返し、まともな議論が成立しないので削除しただけの話である)

老師との点検は、突然妻子が失踪した上に、私を介護に愛媛から上京した母までが八王子市高齢者支援課の確信的悪意により保護措置(私が母を虐待したというシナリオ)として隔離されている最中で、最も苦しい時だった。記憶を呼び起こして以下会話を再現する。

私「私は微笑禅の会という一派を作っている八王子市の那田尚史と言います。お疲れのところ点検をお願いします」

老師「君は見性したというが、俺は悟ったという意識が残ってないか?」

私「さらさら残っていません」(以下、私の心境を問う質問が続けてあった。私は思ったままを素直に答え、その後現況を要約して打ち明けた)

老師「君は大変な苦境にいるようだが、そのカルト宗教というのは具体的になんだい?」

私「創価学会です」

老師「ああ~、創価か! あそこは悪い! なるほど分かった。地元で誰か君を助けてくれる仲間はいないのか?」

私「八王子は創価市と言われるぐらいですから、私を助けるような勇気のある人物はいません」

老師「いま君はどんな修行をしているんだ?」

私「多忙なので家では坐禅を組まず、用事で外に出たときに歩行禅をしています」(当時はいまほど歩行障害がひどくなかった)

老師「君はまず体を治すのが先決だ。一切の修行を止めて入院しなさい」

私「私が入院すると失踪した妻子や監禁中の母の問題、それから様々な手続きが山のように溜まっているので入院は不可能です」

老師「那田君、自己を運びて万法を修証するを迷いとなす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり、というじゃないか」

私「(この正法眼蔵の現成公案にある一説は理入のときに何度も考えたことがあるので、天から下った言葉のように胸を打った。そこで咄嗟に) 住職様、分かりました。お言葉のとおりにします」

老師「辛いときには、仏様~辛いよ~、と嘆きなさい。そうすれば天地が動き人が動いてどうにかなるから」

私「誠に有難う御座います。住職様に電話した甲斐がありました」

老師「悩んだときにはまた電話してきなさい」

私「有難う御座います。住職様もいつまでもお元気で」(この段階では涙が零れていた)


以上である。

私は入院しなかったが、片っ端から市議やデイサービスに電話を掛けまくったところ、偶然にデイサービスの経営者で男気があると評判の高い市会議員が母を助け出してくれ、緊張の糸の切れた私は、その10日ほど後に倒れ、救急車で運ばれた。救急隊員が色々な病院と連絡をとり偶然運ばれたのが今は潰れた八王子駅のすぐ近くの多摩相互病院。偶然にも担当医が確か東大病院の外科部長だった人で(元院長で当時は顧問をされていた)、この人にしか出来ない達人業で、頚動脈から4,5本の点滴の針を心臓に向けて刺すという治療を行ってもらった。しかし、私は2週間意識不明の危篤に陥った。病院関係者全員がもうダメだと判断して、私のケアマネージャーと母が看取りに来たらしいが私は全く覚えていない。2週間後に気付くと、私は両手両足をベッドに括りつけられていた。無意識に暴れて点滴の針を外すと、血が噴出して看護士では対応できないからである。さらに導尿されて尿はベッドの横の透明な袋に溜められ身動き出来ない状態だった。

意識回復後、担当医は「もう足の拘束は外していい」と言われたが、看護士が言うことを聞かず、さらにナースコールのボタンを手が届かないところに置いて「看護士は家政婦じゃないの。急がしいんだから一々呼び出さないこと」と、鬼のような表情で言った。

意識回復後、私は担当医と婦長(士長)と看護士(全員女性)がいる前で、「こんな態度の悪い看護士たちのいる病院には居たくない。点滴も導尿カテーテルも外せ。家に帰る」と主張した。そして看護士が行った行為を全て暴露した。担当医は「いま退院すると君は死んでしまう。それでもいいのか?」と聞いたので、「死んでもいいです」と答えた。担当医は暫く考えて「1週間だけ待て」と言われたので(或いは五日だったかもしれない)、私も考えた挙句「では待ちます」と答えた。

医師が不在の夜間に看護士たちが悪いことをしないよう、母が夜も付き添うことを条件に出していため高齢者支援課の職員もその場に来ていた。私は母を監禁していた当の相手に「新入居者の本契約を済ませていないから早く帰らないといけない」というとその職員は「本契約はハウスコムとの間でもう終わってますよ」とニヤニヤ答えた。私は意識不明のときに子供たちの夢を見続けたので「子供たちが帰っているかも知れないから」というと「子供は帰っていませんよ」と答えた。

高齢者支援課の一職員が何故私の営業内容や家族問題まで把握しているのだろう?誰でも不思議に思うに違いない。これまでに起こった事件を俯瞰的に見れば直ぐに謎は解ける。つまりこの職員と上司たちはまず間違いなく創価の手先だと私は推理している。それは、この監禁事件以前から連続して起きた様々な「生存権を脅かすような出来事」を繋ぎ合わせた合理的推理であり、単純な思い込みではない。一部後述するが、腐るほどの証拠を積み上げた上での心証である。だから私はその職員に「お前は池田大作の犬だろ?犬ならごちゃごちゃ言わずにワンと鳴け」と怒鳴った。職員は「そこまで言いますか?」と言い返したので、「当たり前だろ。ほらワンと鳴いてみろ」と挑発した。(ちなみに情報公開請求した結果、この会話は省略されており、私が手足を拘束され、異常者でもあるかのように書いてあった)。3年以上前のことだが、私は「忘れられない病気」を持っているので、この会話は正確に再現している。この要求はいかにも底意地の悪そうな士長(年配の女性)が、「それほど元気なことを言う人に付き添いは要りません。ダメです」と言って拒絶された。(こういう病院が潰れるのは当然で、後日ネットを見ても「看護婦の態度の悪さに怒りが収まらない。二度と行かない」というクチコミを多数見つけた)

市の職員が帰ったあと、担当医は急患のオペがあり一時病室から消えられたが、30分ほどして血の付いたゴム手袋の姿で戻ってこられた。「あれっ、先生、オペはもう終わったんですか?」と聞いたら、本当に嬉しそうな柔和な顔で「まだ途中だけど、那田君の様子を見にきたんだよ」と言われ、直ぐにオペに戻られた。

地獄に仏とはこのことだろう。私が医師の言葉に従っただけでなく、高齢者支援課の工作員に放った言葉で全てを理解されたのだ。これが良識ある八王子市民の本音で、10人に9人は私のように言いたいのだが、面従腹背で黙っているだけなのである。担当医の行動が菩薩のように見えた。

数日経って、まだ黄疸が残っていたが4日間だけ諸手続きを済ませるために外泊許可をもらったまま、私は家庭裁判所や母の監禁の問題、その他の手続きに追われ、遂に病院に帰らなかった。病院からは体調を気遣う手紙が届いた。

まだある。私の母を助け出した市会議員に感謝して、母のデイサービス(ニチイ)をその市議の経営するデイサービスに変更し、同時に私の所有するマンションの西側の壁に市議の後援会連絡所の看板を設置し、壁半分は市議の所属する自民党に自由に使ってもらうことにした。

その結果なにが起こったか?先ず看板が誰かに引き剥がされ、地面にこすり付けたらしく市議の顔の部分を中心にペンキが剥げてしまった。私は顔にギザギザな擦り傷がついたその看板を一旦倉庫に仕舞って、剥げた部分に色を塗り、工業用ボンドで一層強く壁に貼り付けた(縦1Mほどのものである)。するとしつこいことに(しつこいからストーカーと言われるのだが)黒服の男が2~3人現れ、入居者が見ている前で、その後援会の看板に立小便をして「俺たちは県外から来たから捕まらないぞ」と言い残して消えた。入居者の奥さんは直ぐに110番通報したらしい(その旨、外出中の私の携帯に連絡が入った)。ほぼ1時間後帰宅した私は、まだ警察が来ていないと聞いて驚き、自ら110番通報した。やってきた新米警官が入居者に事情を聞いた後で私の部屋に挨拶に来た。人相を見て真面目な青年だと分かったので「警官を志望するぐらいだから正義感は人一倍強いんだろうが、だんだんと正義感が消えていくのが八王子の風土だから、今の気持ちを忘れないように」と教えた。

ちなみに「創価学会批判の要諦」(2006年7月26日に前のHPに書いたもの。現在でも、有名な‘阿修羅’を含め複数の人が引用している)を書いたあと最初に起きたのが、母と私への名誉毀損と母への脅迫事件だったことは既に何度も書いている。母が住んでいた西予市野村町の自宅に、提訴して審理中にも係わらず被告の立場の男が脅迫に来て、秘密録音した内容をディスクに変換して裁判所に提出した。愚かなことに、その中に自分の脅迫の言葉も残っていた。また、その仲間も静岡からわざわざ母の家を訪れ、ビデオテープを廻した上で、母に「貴方は本当は従軍慰安婦だったでしょう」と態度を一変させて罵倒した。母は助役の娘であり軍属として満州に渡った証明書も持っているし、この発言は第三者の証人がいなくても「伝播可能性の法理」によって立派な名誉毀損行為である。ともかく、単なる私怨でここまでお金と時間をかけて行動することはありえない。常識のあるひとなら「組織犯罪」と分かるだろう。私は一応探偵なのでその決定的証拠を幾つも記録して、信頼できる人物には既に送ってある。

さらに看板事件と同じ黒服の男2~3人が一人暮らしの母の家を訪れ、「創価学会会員の脱会を勧めているのはお前だろう。俺は隣の宇和町の青年部の○○だ」と名前を名乗り、合計3回ほど脅しに来た。たまたま母の家の正面に退職警官が住んでいたので誰何して追い返し、私が本人訴訟した際には「現認書」を書いてもらい、その他複数の証言書を添え、またそれが創価の組織犯罪であることを立証する決定的な証拠を出した。それも被告に散々嘘の準備書面を書かせた上で「隠し玉」として提出したが、地裁では事実調査は一度もされなかった。

高裁は一審で事実調査は終わったという前提で審議を進めるので、法令違反、憲法違反、判例、新しい証拠などだけを提出することになる、私は2時間でA4で8枚の上告の訴状を書いて提出した。二人の被告は一度も法廷に現れないまま私たちの敗訴となったが、これも稀有な判決として歴史に残るだろう。高裁の裁判官4人のうち、一番左の一人は私を燃えるような怨念の目で睨みつけていた。この時は一緒に活動していた瀬戸弘幸氏が傍聴に来ていただき、母を紹介した。ちなみに、そういう判決が出るのは一審の裁判官の態度から分かっていたので私は甚平姿で原告席に座った。知り合いの弁護士は「そういうのが裁判官の心証を悪くしたんじゃないですか?」と言ったが「裁判官の心証」とは法律用語では「提出証拠や文書の説得力を元にした事実の存否判断」のことであり、スーツを着ていようが着流しだろうが、全く関係の無い問題である。先に結論ありき、だということはとっくに分かっていた。

話が脇に逸れたが、まだ後日談がある。

私が意識を回復した後に八王子保険所の職員が2人病室にやってきた。上司の若い女性(仮にNさんとしておこう)は、一目見ただけで尋常ではない目付きをしていた。彼女は私には断酒治療が必要だから精神病院に入院するよう、実にしつこく説得した(集団ストーカーのマニュアリ通りで笑えますね)。私が事情を説明して、そんなことをしている場合じゃないといっても、何度もオームのように同じ勧誘を繰返す。部下の青年がその女性の話を遮って病室を出るように促してくれた。

さらに、Nさんは今度は母のいるデイサービスに現れ、私を精神病院に入れるようにと母をしつこく説得した。これまでのいきさつを充分に知っているデイサービスの責任者の女性がNさんを外に追い出したらしい。帰ってきた母からその様子を聞いた。八王子の公務員の中にはこういう連中が要所要所に配備されているのである。まあ日本中どこでも公務員試験は形式だけで決まるから、八王子でなくても同じ状況なのかもしれない。

私が受けた具体的な組織犯罪について、私は半分も公にしていない。第三者が信じられないような事実は皆隠している。証拠の残っているものだけでも上記のような信じがたい事実があった。まあ、ご苦労様としか言いようが無い。

本題に戻る。要するに、川上雪担老師が言われた通り、評判のいい市議に無事母は救い出され、入院も名医に当たって危篤から蘇生したわけで自己を運びて万法を修証するを迷いとなす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり の言葉の通り万法が動いてくれたのである。

以上、私と川上雪担老師の点検とその時の状況を丁寧に紹介した。さて、今回のブログのもう一つのテーマはここから始まる。

禅における祈り(祈祷)の方法とはこういうものである。禅は仏教の中で最も密教性が薄く「大般若祈祷会」を例外として、基本的に祈らない。普段の心がけと禅定を繰り返して悟っていれば、あとは万法(全存在)が成すがままに任せておけば、どうにかなるという教義である。「自分が一生懸命頑張って世界の真相を見極めようとするうちはまだ迷いだよ。世界のほうが勝手に動いてくれて思うようになるときに本当の悟りというんだよ」というのが禅の祈祷法なのだ。つまり、「破れ坐蒲(ざふ)に座り 祈らず願わず 言葉も私も消える」訓練(私は苦行は嫌いなので、これを趣味道楽にするのがコツだといつも言っている)をするだけである。

しかし、再再考してみよう。私と天地が一体になり、私と万物が同根となり、私(個我)への執着が消えたときに、思うがままに状況のほうが動く、と言っても、「思うがまま」の中には祈りが存在する。例えば日蓮宗は「日蓮密教」と言われるぐらいだから、祈祷は得意技で、日蓮自身も様々な祈祷を行っている。だから祈りの形は大きく違うが、禅が祈りを全否定しているわけではない。

なるべく合理的に説明したい。例えば、私が坐禅をしているときは、丹田呼吸をして非常に細く長い呼気になる。これは交感神経を押さえて、副交感神経を活性化させる効果がある。このときに驚くべき脳内快感物質が出るのは過去に説明した通りである。脳波も目覚めたままシータ波になる。

逸話の一例は記すと、私は「余命3週間」と言われた猫の癌(絶対に治らないと言われ、火葬して高尾のペット霊園に埋葬する見積もりまで取った)に罹った猫を、坐禅のときに猫を膝の上において、操体の要領で、祈るのではなく、自分の至福の快感を伝えるという方法で、完治させたことがある。「見性体験記」に書いた通りで、5~6年前の話だから当の獣医が覚えているかどうか知らないが、病院の名前も書いてある。多分カルテが残っている筈だ。癌に罹った猫の両足は伸びたまま動かず、頭は痙攣し、餌も食べない状態だった。私の妻はただ泣くだけだった。それが治ったのだから奇跡と言っていいが、「治るよ」、と私は家族に宣言していた。切れた手足が生えることは無いが、免疫系等の病気ならどんなカルト邪教でも奇跡的に治癒した体験談が幾らでもある。NK細胞や自己治癒力を強くする手伝いをしただけのことで、出来る人には簡単に出来ると思う。

つまり①自分の苦しさを消す、②一緒に「苦しさを消したい」と感じている存在の思いを実現する、この2つは合理的な解説が可能になる。問題は、共に祈ることもせず、むしろ反感を抱き、あるいは洗脳され、または意図的な憎しみを抱いているような相手を対象にして、祈りに効果があるか?という点だ。

もしこれが可能だとすれば、自分の祈りを伝える媒介が存在しなければ説明が付かない。この不思議な媒介を中村天風(宗教否定論者)は宇宙霊と呼んだ。ユングの思想や量子力学では存在の統一性を示す様々な現象が認められているにせよ、人間の心が他者に通じる具体的な前提、例えばテレパシーは実在する、という科学的証拠がなければ「祈りの効果」の根拠が壊れてしまう。

私は現在、体が幾つあっても足りないほどの重要な雑務を抱えているので、真剣な理入をする時間が取れないが、私の善き助言者・ 玄侑宗久師は複雑系の理論でその仮説は説明が付く、と言われている。

人間の思いを受け取る「宇宙の意思」のようなものがあるかないか? それは霊能者にしか分からない、と神秘の世界にお任せするという態度では仏教の根本テーゼの一つ、無疑曰信(疑いなきを信と言う)が壊れてしまう。疑って疑って検証を繰返した結果、なるほどそうか、と理解するから信仰なのであり、ここを無視して信じることを「盲信」とも「狂信」とも言う。言うまでも無くこういう人々はカルト、セクトと呼ばれ、敵対者を不幸にすることが正しいと思い込むことすらあり、結果的に最初から信仰が無く、お金のためなら何でもやるサイコパスと同じ精神構造になっていく。

これから先は私の課題であると共に、微笑禅の会の会員だけでなく、信仰を持つ人々全員の課題として残しておこう。


もう午前4時を過ぎた。出来るなら中村天風のように冬でも早起きして冷水に浸かるような生活をしてみたいものだ。

最近時々youtubeで合気道の達人たちの技や解説を見ているが、藤平光一は独特で、自分の求めているものに非常に近い気がしている。暇なときに調べてみよう。

読者の皆さんも課題について調べ、実践してみてください。最後に、断酒を口実に精神病院に入れようとする保健所職員がいたら叩き出しましょう。肝臓が悪くなったら自然に酒が不味くて飲めなくなり、自然に禁酒できます。特に酒を愛し、一生酒を飲みたいと思っている人間は自然に自己コントロールが可能です。とにかくマニュアル通り、段取りのままで、面白いことをする人が一杯いますね。

そういう訳で今日はこれで失礼します。話がアチコチに飛びましたが、非常に重要なテーマを書いたつもりです。

 



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2 コメント

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ひら様へ (那田尚史)
2017-10-17 17:01:01
コメントありがとうございます。私は東禅寺の接心に参加していないので人違いだと思われますが、坐禅は何歳になっても出来るのでいいですね。お体ご自愛下さい。
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坐禅のこと (ひら)
2017-10-17 01:35:27
最近はいろいろ仕事とか体調とか大変で、東山寺接心も年1回行けるかどうかってところです。5月一緒だったようですが、どうにも最近記憶もあいまいです。時節柄体調ご自愛ください。
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