那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

帝京第五高校にいたワルの思い出

2015年12月10日 | 思い出の記

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愛媛県大洲市に帝京第五という高校がある。当時は「山口組養成学校」と言われていた。今は一種の暴力教師がワルを体罰で徹底的に矯正したことにより、幾分おとなしくなったようだ。かつて受験しても一人も落ちた者がいないというので有名な高校である。私が郷里愛媛に戻っていた時にただ一人志望校に受からなかった生徒が入学したのがこの高校だ。その詳細はhttp://w01.tp1.jp/~a920031141/nadajuku.html に書いてあるのでご覧頂きたい。

この高校の番長にMという男がいた。Mと出会ったのは私のいた高校で一番短気なHという男の家だった。Mは自分がとれだけ喧嘩に強いかいつも自慢していた。呼び出して後ろ廻し蹴りをくれたら2メートルも相手が飛んで行った、などと大げさなセリフを吐く男だった。その子分に剣道部の主将がいたが、彼の素振りを見ただけで大したことはないと分かっていたので、Mの挑発に対して私は薄笑いを浮かべて乗らなかった。

当時私はクラスで一番美人のNという女と付き合っていた。伝え聞くところによるとNはHの家で集団レイプされたらしい。どこまで本当の話か分からないが、噂半分というから、必ずしもすべてが嘘だったわけでは無いと思う。Mは私がいた野村高校の前に木刀を片手に帰りがけの高校生を片っ端から脅迫するような人物だった。

ある日付き合っていたNが私を学校の屋上に呼び出し、包帯を巻いた片腕を見せて自殺未遂をしたと言った。私は「本気で死ぬ気があるなら、いっそ頸動脈でも切ればよかったのに」と冷たく言い放った。集団レイプの噂を聞いていたからである。

Nはその後准看護婦になり、通信教育で大学に入り、今は看護学校の講師をつとめているが(まだ私のメルトモなのでこのブログを読まれると非常にヤバイことになるが、事実は事実なので書いておく)、看護婦の時に医者と不倫をして案の定捨てられ、またもや自殺未遂をした。それはいかにも看護婦らしく毒物を入れた溶液を自分で自分に点滴した。隣に妹がいなかったらそのままあの世に逝っていた、と以前電話で聞いたことがある。

彼女をレイプしたというMはその後、本当に山口組に入り、殺人罪で逮捕された。私の所属していた野村高校の番長グループは割合健全だったので、Mが将来そのようになることは予想できたために、Mとは付き合わないことにしようと、みんなで決めていた。当時の仲間たちは大抵は営業部門に入りかなりの出世を遂げている。

懐かしい思い出の記録である。



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