那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

善人の罪(微笑禅の会ネット会報・臨時増刊号)

2013年06月02日 | 微笑禅の会ネット会報

私がネット上で知り合い畏敬している方が以下の文章を書かれた。最近私が大きなテーマにしている「悪の論理・善の論理」を考える上で非常に参考になったので、以下本人の快諾を得て紹介する。

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良い人は早死にで、悪い奴ほど長生きする。とはよく言われる諺である。 
また、「あんなに優柔不断な奴が大丈夫でなぜあんなに立派な人がこんな災難に遭遇するのか?」とか理不尽な世間の現象に、「神も仏もあるものか!」と思う人が多いと思う。 
この世の中は悪人で生きるほうが安全なのか? 
この現象は、どのような理由によって説明できるのであろう? 

昔、「黒住の孝行息子」と備前藩から表彰された黒住宗忠という人がいた。 
この黒住宗忠は、一般的にはあまり有名な人ではないが、江戸幕末時代の宗教家である。しかも、死んでから孝明天皇から「大明神」を賜り、神様になった人である。(死後、宗忠神社も作られた) 

死んでから「神様」の称号を貰ったのは、秀吉や家康もいるし、菅原道真も神様に為ったけれども、実績によって天皇が敬意を込めて神様称号を贈った割には一般的に有名ではない。 
しかし、近代の神道を研究すれば、必ず根本に黒住宗忠に到達する位、神道の偉人であったと言えましょう。 
それ程、「すごい人」なんだけども空海程有名でないのは、宗忠が田舎(岡山)の一神主に過ぎなかったからであり、「文章は教えの神髄を伝えない」として「教えの本」を書かなかったからであろう。また新興宗教の教祖のように組織拡大に熱心であれば、もっと世に広がったであろうが、組織拡大に熱心で無かったのも原因である。 
しかし生前の信じられないような奇跡や類い希なる講話により、その名は天皇の耳まで到達し、宗忠の神社は天皇の祈願を特別に祈祷成就する「勅願所」神社にまでなったのである。 

その宗忠がいうには「善人に罪あり、悪人に道あり」という言葉を残している。 

さて、宗忠は、幼少の頃より慈愛の心深く、特に、生まれが、代々今宮神社の神主を務めていた黒住家の跡取りということもあり、神に対する信心も非常に深かった。 
先ほど書いたように、「黒住の孝行息子」と備前藩から表彰された位、彼の親に対する思いは純粋で周りの者の感動を呼ぶものであったらしい。 
しかし、家族仲も良い幸せな家庭は、突然の流行病によって一瞬にして崩れ去ったのである。わずか2ヶ月の間に相次いで両親を亡くした宗忠の悲しみは、想像を超えたものであった。夜に墓場で泣き続け、泣き疲れて体の冷え切った彼の姿を朝に村人が見つけることも多々あったという。このとき、宗忠 齢33歳で妻もいた。 

村人は「男が30にもなっていつまでも悲しむのも情けない」と励ますのだが、頭で判っていても彼の悲しみは癒えなかった。 
そんな宗忠もついに「肺結核」という当時では不治の病を宣告され、余命あと何日かの宣告を受けてしまうのである。 
村人達は「あんなに親孝行の人が死ぬなんて今宮の神は居ないものか?」と嘆いたという。 

いよいよ臨終が近くなった宗忠は、太陽を見たいといい、布団なり太陽の当たる部屋に皆で運んだという。太陽の光をぽかぽか浴びていた宗忠は、突然、「陽気になれ」と悟ったという。 
宗忠は「陰気を追い出して心を陽気にするのだ。たとえ一息でも良い。陽気になろう。それが、今までの親や神様への恩に少しでも報いることだと今まで気づかなかったのが悲しい。せめて死ぬまでは、少しの間でも恩返しをしよう。」と悟ったと同時に、この日を境に徐々に奇跡的に回復したのである。 

さて、そんな黒住宗忠が後年こう言った。 

善人にも罪あり、悪人にも道があり。悪人とても良き所は必ず有るなり。いっさい良きものと悪きものを入れ違えておるだけなり、天地の間に何一つ捨つるもの無し、捨つる人無し。」 

更に、「石川五右衛門は盗賊で決して手本にすべき人間ではない。しかし、あの心の強さだけは学ぶべきである。人に悪人無し。悪人と申すは、心の強きものにて、心の力余るだけのものが悪を致すものだ。その悪を止めれば本当の善人である。今、善人というのは、心弱気故に、悪をも出来ないに過ぎない。故に善人は、強き所を悪人より学び、我が道を守れば、これこそ真の道人(満ちる人)である

善人とは、気が弱く、クヨクヨする人を言うのであるが善人の罪とは、気が弱いので心が陰気になりクヨクヨし、陰気により、親神様から頂いている魂の力が働かず、次第に人生に自在がなくなる。即ち 罪とは「包み」であり、善人の罪とは、神の御霊の働きを知らず、陰気により心を痛める。心を痛めることは、自分勝手な陰気によって、神の分身を粗末に包み込むことであり、重大な罪である。という。 

その点、悪人は元気で陽気なので悪いことをしていても、当然 悪いことは神の心にはそぐわないとしても、心を痛める(産土神の魂を傷つける)という罪を犯さないので、陽気である時期は栄えるのである。悪人は悪徳満ちて陽気が欠けたときに滅びるが、善人も悪人も罪を犯しているという点が面白い。 

そうした考察があって、ついに宗忠は「心弱き小善人」に強さを与え、「心強き悪党」を正しき道に導く方法として「神の開運を祈る」という画期的な方法を編み出したのである。 

「神の開運を祈る?」 
「神様に自分の開運を頼むのではないのか?なんと高慢な!」 
と思われるかも知れないが、これこそ、黒住教の秘儀である。 

理由はこうである。 
人は神の分身であり、すべての人間は神と同じ魂を与えられている。 
しかし、人間は高慢で未熟な為、自分の中の神の魂を粗末にし、勿体なくも、邪見や毒素、悲しみや怒りによって魂を傷つけている。これは神を傷つけるのと同じである。人間一人一人が自分の魂を傷つけないように出来れば、すぐに地上に神の世の中が出来る。だが、それは頭で判っていても、とても人間の意志でできる技ではないし、説教で納得させうることも出来ない。 
だから神の開運をお祈りして、神力が自然に行き渡り、地上に高天原ができることを祈るのである。」 
いわば、天照大神の開運を祈願することと、自分の親の成仏を祈願することは同じであり、天照大神や親の開運が即、自分の開運でもある訳である。人間幸福の確実な方法は神様の開運をお祈りすることである。 

これは、コロンブスの卵のような発想である気もするが、「自分の開運を祈る」「周りの人の幸せを祈る」ことと、「神様の開運を祈る」ことは信心の深さがまるで違う境地であると思う。 

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ちなみに黒住教は現在でも岡山県に本部がある。

引用文の書き手は基本に愛国思想と神道があり、神道について殆ど知らない私には大変勉強になった。この黒住宗忠を禅の立場から解説しているサイトがあったので紹介する。http://rakudo.jp/ (後ほどゆっくり読んでください)

出だしの

良い人は早死にで、悪い奴ほど長生きする。とはよく言われる諺である。 
また、「あんなに優柔不断な奴が大丈夫でなぜあんなに立派な人がこんな災難に遭遇するのか?」とか理不尽な世間の現象に、「神も仏もあるものか!」と思う人が多いと思う。

という疑問は常々から私も抱いていた。だから「見性体験記」でも「微笑禅の会入門 実践篇」のDVDの中でも「強さ」を第一に強調している。中村天風流に言えば「積極的な言葉を使い、積極的なイメージを抱けば、既に成就している」、逆に言えば絶対に消極的な言葉・イメージを使わない、となる。

尤も、私は実体験を通して「堅すぎると/折れ/柔らかすぎると/曲がる/日本刀も人の心も」と五行歌を読んだように、何事も中庸が大切だと気付いた。だから、「強い心」と「心地よさ」が矛盾しない場所に自分を置くことが肝要だと現在は思っている。

面白いのは、善悪の問題より、強い心が神(天地でも宇宙霊でもいい)の意思と通じ合うという発想だ。詳細な解説を書くとキリが無いから結論だけ言えば、禅における善悪の問題は社会通念上の道徳観としての善悪とかなり違っている。そもそも善悪を差別すること自体が混乱のもとで、よく精神科医などが見性者の意識を「超自我(スーパーエゴ)」と関連付けるが、これは見当違いである。阿頼耶識にへばりついた「煩悩の腐臭」(熏習)を吹き飛ばした状態で、刹那に生滅し、かつ持続する名付けられない心の司令官、というしかないだろう。

かつて私は「風狂」に触れて、「最澄→日蓮の真面目系に対して、増賀→一休の風狂系(トリックスター系)を比較するのも面白い」と書いたことがある。風狂系の僧侶は敢えて戒律を犯し、狂人のように振舞った。つまり社会通念上の善悪を問題にしなかった。また、決して風狂系の人物ではなかったが、私が最も尊敬する山本玄峰師は「善にも強く、悪にも強い人間でなければ大きな仕事はできない」と述べ、「一人一殺」「一殺多生」の血盟団事件の黒幕・井上日召師を特別弁護している。そのときに「例え世間で善人といわれようと国家に悪をなす人間は殺していい、と仏は言う」と真っ赤な嘘(釈迦は殺人など肯定していない)を述べている。これは山本玄峰師ならではの啖呵(方便)であり、この発言を見ても一般社会の善悪と悟りを開いた人物の善悪は「超自我」を物差に測ることは不可能である。

なお話題が飛ぶが、この井上日召師を匿ったのが頭山満翁で、このところ話題にしている呉竹会会長の祖父にあたる。そして日召師が戦後作った護国団の先代団長だった石井一昌さんと知り合った縁で愛国右翼の指導者の方達と私は知己を得たという経緯がある。ついでに言えば、山本玄峰師が現・西予市城川町の龍澤寺(禅宗の中本山)を尋ね、龍澤寺の住職が釣鐘に息を吹きかけたらゴ~ンと音がした話を玄峰師は『無門関提唱』の中に書かれておられるが、その住職と私の母方の祖父(中城周三郎・助役など歴任)は親友で飲み仲間だった。こういう気持ち悪いほどの因縁が絡み合っている。また、私が電話した微笑禅の会の会員の中で、聞いた限りでは全員が武士の末裔だったので驚いたことがある。

ちなみに、前世、来世、輪廻転生の問題と合わせて、こういう不思議な因縁や遺伝子の影響力は禅のみならず「神秘的な事象を論理的に理解したい人間にとって」、真剣に研究すべき重要なテーマである。にもかかわらず、ある程度の修行を積みながらもそれを「先祖自慢」としか受け取れない人物がいるのも事実である。その人物を責めるつもりはサラサラない。蛇は一寸出ればその大小を知る。人は一言出ずるもその善悪を知る」と言われる通り、「変だぞ」と思いながらそういう人物を信頼した私が甘かったのであり、全ては私の不徳に起因する。

またまた話が飛ぶが、私は自分でも理解しがたい性格があり、敵対者からさえ「異常に寛容」と言われたことがある。それは「完璧な人間はいないのだからこの程度は我慢しよう」というのんびりした人間観と、「所詮人間はその程度のものだから仕方ない」というニヒリスト的な人間観が混じっているからだ。だから異常に優しい反面、ある閾値を越えた瞬間から殺気が出てしまう。これは欠点なのかもしれないし、必ずしも欠点ではないのかもしれない。

本題に戻れば、宗忠も丹田呼吸を実践していた。それから「神の開運を祈る」というのは微笑禅の会の言い方だと「神仏などいない。自分が神仏となって行動する」という発想に類似している。(もちろん、自力と他力は究極には一致するから微笑禅の会も祈りや祈祷を否定するものではなく、私自身歩行禅をするときは法華経題目の7文字に合わせていた)。

具体的に言えば、観音様に祈るだけでは私の言う(オスガリ信心、乞食信心)で、困ったときの神頼み以上のものではない。微笑禅に限らず、禅的な祈りは、超越的な観音様が外部にあってそれを拝むのではなく、「自分が観音様になる」のである。南無観世音菩薩という祈りは自分の中の観音様の力を引き出すことに他ならいない。DVDをご覧になれば分かるように自宅には観音菩薩、虚空蔵菩薩、不動明王を安置していたが、不動明王が少しも働かないときは明王の頭を叩いて「おい、いい加減に働け」と叱りつけたことさえある。もちろん、これは冗談にせよ、それぐらいの気迫がないと神仏を味方につけることは出来ない。

神仏己が心にましますに 他を祈るこそあわれなりけれ

我が我れと思う我が身は天の我れ 我がものとては一物(いちもつ)もなし

これは黒住宗忠が詠んだ歌だ。禅でいう天地と一体、万物と同根の思想と全く変わりない。

そろそろ夜が明けるので念のために繰返すが、単に「強い」だけではいけない。

「強い心」と「心地よさ」が矛盾しない場所に自分を置くことが肝要である。また、「善人にも罪あり、悪人にも道があり。悪人とても良き所は必ず有るなり」の内、前半は「気の弱い善人ではダメ」という意味だから同感するが、後半は私個人は遠慮する。つまり他人に任せることにしている。所謂「悪人正機説」は悪人が悪人であることを自覚反省するのが前提とされている(だから他力が主眼になる)。ここまで間口を広くすると折角菩提心を持つ人たちの精進の邪魔になってしまうだろう。果実も適度に摘果するように、折角のいい素質を思い切り開花させるためには教室を分ける必要がある。寿命が3百年ほどあれば別だが、反省出来ない悪人は浄土真宗にお任せする。

相当長くなったが、これを縁に神道や黒住教にも関心を持つことが出来た。本当に一生は書生であり、全ての人は(反面教師も含め)人生の師匠である。積極的に行動し人と触れ合うことの大切さを改めて思い知った。

多分幾つかの変換ミスがあるだろうが、添削は明日にまわして取り合えずこのまま投稿する。

 

 



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