那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

微笑禅の会 ネット会報(平成25年5月号)

2013年05月29日 | 微笑禅の会ネット会報

今月は特に忙しくフラフラの状態ですが、そろそろ会報を出す時期なので簡潔に記します。

私の病状は様々な原因が重なっていますが、特に足首から下の麻痺と痛みが激しく、投薬治療だけで治らないので痛いのを我慢して歩くしかない、という、私が否定している苦行、荒行に挑戦中です。坐禅はほぼ毎日していますが、歩行禅は不可能です。微笑禅の会の特徴の一つは、心地いいから坐禅をする、心地いいから歩行禅をする、だから集中できて長く続くという理屈ですから、痛いのを我慢して歩く、では歩行禅になりません。その代わりに尊敬する助言者の方達に教義上の質問を繰り返し本来の意味の「無疑曰信」を実践しています。

①呉竹の歌

最近話題にしている呉竹会とその名称の由来になった頭山夫妻の歌の遣り取りについて、呉竹会の理事長と直接電話でお話させて頂き改めて理解が深まりました。まずその報告から。最近のブログで次のように解釈しました。

私はこの夫婦の歌の応酬の状況を全く知りません。単純に合理的な推理で読む限り、呉竹(ハチク)は葉が繁る細い竹ですから大雪が降れば埋もれ、あるいは折れるかもしれません。その「耐えかねる」景色を見て、「いと懐かしき今朝の面影」「力試し」と感じるのですから、弱いものへの応援、あるいは子供や夫の病気や苦境を心配する奥様の優しい心と知性が読み取れます。

呉竹の雪の重みに
 耐えかねて、
   いと懐かしき
    今朝の面影
     (頭山夫人)

(返句)
  呉竹の力試しや
    今朝の雪
     (頭山満翁)


私の解釈は大雑把には当たっていますが、細かい点を補正します。呉竹(ハチク、唐竹)は一つの節に枝が二つ出るのが特徴で葉が繁り、大きくなると20メートルにも達します。必ずしも細い竹ではないようです。次いで、どうも分からなかった部分が「いと懐かしき」でした。

理事長によれば、この歌は「どうしてもお金が工面できなかったときに奥様が困って夫の満翁に相談したときの歌」だったそうです。口語に直せば「どうしても借金できなかったわ。大雪に埋もれた庭の呉竹のように、また昔のような貧乏ぐらしが続きますね」「苦労をかけるが頑張ろう。雪が積もっても折れそうで折れない呉竹のように今が踏ん張り時だよ」、といった夫婦の会話です。

古来から呉竹の折れ曲がる音で積雪の激しさを知る、といった意味の短歌がありますから、それを踏襲したものでしょう。大アジア主義の理想の下に、日本のみならず朝鮮や中国の革命家たちに資金援助と助言を与えた頭山満は、人格・経済力ともにスケールな大きな人でしたが、こういう苦境の時期を乗り越えて来られたかと思うと切々と胸に響くものがあります。と同時に、奥様は満翁よりも15歳年下ですから、その利発さに感動します。貧乏暮らしの中、困った顔ひとつ見せず「いと懐かしき今朝の面影」とまるで貧困を楽しんでいるかのようで、満翁はこの奥様の存在でどれだけ助かったことでしょう。

②悪の論理について

呉竹会のHPにも引用されている至言を並べます。

 吉田松陰

 「至誠を貫行する為には、個人の修業完成ということが大事であり、 古の聖賢を模範とし、よき師、よき友を得て、自己の徳を磨き才能を伸ばしていく ことが肝要である」

「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」

作家 司馬遼太郎 亡くなる直前の言葉

 「太平洋戦争に負けたという事態よりも、もっと深刻な道徳的、倫理的試練に 立たされていることに国民は気づいてはいない。ここまで闇の世界をつくってしまったら、日本列島という地図の上で 国民は暮らしていくのだろうが、堅牢な社会を築くことは難しいだろう」

二人の言葉を比較すると非常に深刻な人生観の断絶が見えてきます。吉田松陰は「誠を尽くせば誰でも共感する」と言い、司馬遼太郎は「現在は闇社会で倫理観が壊れている。もう遅い」と言うのですから・・・・・。これが「時代のエトスの差」です。以前「悪の論理」という一文で、善が悪と闘ったら絶対に善が負ける、と書き、今後の処方箋についても何度か言及しています。これに関連して非常に面白い文章を見つけました。

http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

に、「知られざるフリーメーソン」 訳者岸本完司、中公文庫、1990 第三部 インサイド・インフォメーション (164~169 )の引用があります。さらに、(筆者は「スティーブン・ナイト〈1951-1985〉、『Brotherhood,1983)』の中でフリーメーソンを露顕させたかどで殺害された)、と書かれており、単なるトンデモ学説ではなく、余りにも真実を突いているので紹介する次第です。

「組織を敵に回したなら、それと闘うしか勝つ望みはない。しかし闘おうが闘うまいが、ほとんどの人が最後には負けてしまう。つまり、信頼できる人間がいなくなってしまうのだ。いくら訴えてみても、内容が妄想のように聞こえるから、誰にも助けてもらえない。この世がすべて自分への陰謀だと思い込むパラノイア患者だと思われるんだ。奇妙な現象だ。ほとんどの人には妄想としか思えないような状況を仕立て上げて、人の生活を破壊する。抵抗をあきらめれば、被害者は破滅する。しかし抵抗したところで、破滅が少し先に延びるだけだ。闘ってみても、回りの人間が不幸に見舞われるから、家族にさえも背をむけられ、孤立してしまうこともある。家族には背を向けられる、回りには誰も協力者がいない……こういう状況になれば、それこそ連中の思う壺だ。新聞だって、目もくれようとしない。 なにが起きているかは、加害者と被害者しか知らないんだ。そんな犯罪から身を守る手立てはない」 

 私はこのブログの中に「カルトストーカー被害者を救う会」も設けて、色んな人と情報交換しています。いつもアドバイスするのが「客観的証拠を積み上げ、信頼できる仲間に配り、法律の改正を待つこと」です。被害を受けた高知の親友・田辺浩三氏は「気が付いたらジェットコースターに乗せられていた」と言っています。悪の論理を実行する者たちは「事実を語れば被害妄想の精神異常者のようにする」マニュアルを集団で仕掛けてきます。微笑禅の会の皆様や、今の日本に疑問を持って積極的な活動を行い被害に合われた方なら誰もが知っている事実です。さらに、事実を言いたいが言うと妄想と思われる、というのは典型的な「二重拘束」で相当のストレスが掛かります。これもマニュアル通りです。だから、禅を日常化して心を強くし、客観的な目(現実吟味)を培う必要があります。もちろん仲間を多く持つことも必須条件です。

「協力者がいなくなる」、これも体験された方には分かるでしょう。「協力すると被害が及ぶから、悪いけど協力できない」というのは子供のイジメの4重構造の中の「傍観者」の立場です。家族があり生活をする上では仕方の無いことでしょう。私が時々「悟らないほうがいい」と書くのは、その程度の自己保身と幸福は許されるはずで、それをを捨てろ、と強制することは誰にも出来ないからです。

「教育改革」「DV法批判」など書いていますが、こういう問題があらゆる面で蔓延している今の日本の状況が司馬遼太郎の言う「闇の世界」です。その危機意識を持っている、ただそれだけでも世直し運動の実践でしょう。それこそ頭山夫妻のように、戦う夫のために倹約しながら美味しい料理を作る女性は、夫と同じく顕彰されるべき存在だと思います。

③東久邇宮(ひがしくにのみや)記念賞受賞について

私は10代の頃から何故か絡まれ易い個性があるらしく、何かに対して一々弁明するのは人生の無駄ですが、微笑禅の会の会員や親友に誤解を与えるといけないので簡潔に記します。

呆れたことにこの賞を金で買ったという難癖をつけている人がいるとのこと。内訳を書きます。1.受賞した場合、手数料と懇親会費で3万7千円が必要。2.東久邇宮記念会は寄付で成り立っている。3.推薦してくれた人にお礼ぐらいするのは常識。以上は当該HPをよく読めば分かります。私の場合は諦めていた債権が10万ほど(石和温泉で一晩豪遊するのとほぼ同額)入ったので、何に使うのが最も意義があるか考え、受賞を選びました。「ロータス人づくり企画」を実現していくために役立つ、など様々な理由がありましたが、第一は東久邇盛厚殿下を尊敬していたからです。個人的な余談になりますが、記念賞の意義に触れて「自宅のお子様の部屋にも賞状を掲げる事です。この賞状が大きな教育になり、子供の人格形成に大きな影響をもたらします。子供から孫へ。その教育は代々伝えられます。無言の教育になるのです」とHPに解説してあり、会えない子供たちにコピーを送り、記念会に電話して本物かどうか確認するように、と書き添えました。現在子供達がどう考えているかは私の関知するところではありません。父親としての義務を果たしたのみです。

なお記念賞は本来は「発明」に対して与えられていましたが、近年は最も栄誉ある民間賞と言われる「東久邇宮文化褒章」の趣旨と大差無くなっており、私の場合は賞状の文章を見ると、研究指導教育の分野で社会的国際的貢献をした、という趣旨になっています。賞状の文面は毎年変わっていると記念会から直接聞いています。

いずれにしても、それなりの業績がないと受賞対象にはなりません。「東久邇宮記念賞は、学術経験者によって選ばれ、東久邇宮殿下が授けます」と明記してあります。私が受賞した年は全国で約80人が選ばれたとのこと。本来なら親族を集めてお祝いをするそうですが、多忙の中何もしませんでした。

どうしても難癖を付けたい人は自分が受賞して、これこれこういう手口で金で買ったと証明し、同記念会を訴えたら一番スッキリします。ぜひそうして下さい。

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邪教カルトはよく「訴訟テロ」と言われ、敵対者を片っ端から訴訟し、なおかつ集団ストーカー行為により敵対者の人生を破滅させて行きます。しかし、加害者も結局は被害者になるのです。何故なら、邪教にも一応「教義」がある以上、無神論者のチンピラではないのですから、その教義自体に縛られて因果応報の罪が自分に帰ってくる仕組みになっているからです。尤も集団ストーカーなどに組する人間は教義も分からないサイコパスが大半ですが、すでにサイコパスになっていること事態がもっと楽しく創造的な人生を歩めなくなっているのですから、外部から見れば不幸な人々です。

日本がこの暗黒社会から立ち直れるかどうかは日本人の志(こころざし)次第でしょう。特に微笑禅の会の皆様は自己研鑽を怠らず、しかし無理をせず、入会当時の熱意を奮い起こし、「断じて行えば鬼神もこれを避く」の気迫を胸に潜め、日々を楽しく暮してください。

 



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