那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

シュルレアリスムとは

2016年02月22日 | 芸術・表現

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 

来月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアドまで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。

また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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「春名先生を囲む会」のレジュメの代わりに以下の文章を残すことにします。

ダダイズムやシュルレアリスムが生まれた要素には三つの原因がある。一つは第一次世界大戦により人類史上初の大殺戮が行われたことによるキリスト教への反発である。つまり人間はいかに生きいかに死ぬかという実存的問題の立脚点が崩壊したことと関係する(タビアーニ兄弟の『サン・ロレンツォの夜』を参照のこと)。もう一つはこれに関して反理性主義、反知性主義の立場に立ったことである。三つめはそれまで尊敬されていた芸術への反発であり、才能や訓練というものに対する不信感である。

徹底的な反芸術の立場に立つのがダダイズムだとすれば、シュルレアリスムはいささか芸術主義的な要素が残っている。

ここでシュルレアリスムの技法を解説する。

*オートマティスム(自動筆記) 一種の「お筆さき」であり、意識せずにものすごいスピードで文章を書くこと(反知性主義の典型と言える)

*ディカルコマニー 例えば紙にインクを垂らしそれを二つ折りにしたり他の紙になすりつけること(偶然性という意味では一種のオートマティスムである。ロールシャッハテストに影響を受けたと言われる)

*フロッタージュ 例えば輪切りにした木の木目の上に紙を置いてそれを鉛筆でなぞる方法(特別な訓練なしに誰にでもリアリズムの絵画を描くことが出来る)

*レディメイド 傘立てなど既に作られ日常品になったものを作品と称するもので徹底的な反芸術主義である。マルセル・デュシャンが便器をさかさまにして展覧会に出したことで知られる。(写真を参照のこと)

*コラージュ 絵具以外の新聞、布、ピン、などなどを貼り付けることで偶然の産物である。

*ディペイズマン(転置) 意外なところに意外なものを置くこと。寺山修司の映画に出て来るように途轍もなく大きなマッチ箱やクギもこの技法の応用である。私は大学で教えていた時に、机の上に椅子を乗せて説明した。つまり、机の下に椅子があるのは意味論的に一貫性があるが、机の上に椅子があるとその一貫性が壊れて不気味な存在に見える。これが不気味に見えるかどうかにより、観客の感受性が問われる。

*オブジェ 英語ではobjectに当たる言葉であり物体と訳されるように、とにかくデタラメなものを集めて「作品」と称すること。

*騙し絵(トロンプ・ルイユ) 要するに錯視図形のことである。ルネ・マグリットの次の絵画を参照のこと。

*優雅な死体(優美な死骸)ゲーム 複数の人間が共同で作品を作ることで個人の知性を超えた、つまり反知性主義の作品が出来る。具体的には4人が、①誰が、②どこで、③何を、④どうした、と文章を作り、それを番号ごとにシャッフルして並べ替えることで、偶然に(優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲むだろう)という詩歌が生まれたことに由来する。これは処刑されたキリストが蘇生して新たな教義を説き始める、という暗示にもなっている。

「春名先生を囲む会」ではいずれ、この「優雅な死体ゲーム」を行います。



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