那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

指導教授の話~補筆~

2020年10月17日 | 芸術・表現

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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昨日のブログだけ読まれた方は、私の指導教授がヒステリックで善悪が分からない人と思われたかもしれません。が、全くの間違いです。

元々私は文学青年で、早稲田でも一番人気のあった文芸専攻を選び、将来は詩人が小説家になるのが夢でした。しかし、ちょうど今の小説がラノベに堕落しているように、当時早稲田が芥川賞を輩出していてもJ文学はジャパニーズ文学ではなくジャンク文学に堕落していました。若い女性作家が審査員の気を引くために、女子大生が妻子ある男性や年上の男性の愛人になるというストーリーばかりで、昔はこういう小説を「あてこみ小説」と言われバカにされていました。私も文芸専攻を選んで、特に当時は三島由紀夫の親戚が早稲田の文学部を仕切っていたので、途中で馬鹿らしくなり、酒と女遊びばかりしていました。

 大学を出て就職する気が起きず、何か理由をつけて母親の仕送りで東京にいようと思ったときに思い浮かんだのは、大学院に入り、最新の「詩学」を勉強しようというアイデアでした。そこで最初は(受験が楽な)日大の大学院を受けようと日大まで行ったところ、そこの受験担当の職員が正直な人で「せっかく早稲田を出ながら、日大のような大学院に入っては勿体ないので早稲田を選びなさい」と教えてくれました。

 そこで、狭き門より入れ、という文句を思い出し、最初は早稲田大学院の日本文学を選ぼうと思いましたが、当時は(明治時代の文学までしか教えてない)と聞き、寺山修司の実験映画が好きだったので、新しくできた「演劇映像」に入れば映像の方面から最新の詩学を学べると思ったわけです。

 幸い20人ほど受け合格者は3人ほどの演劇映像に入りましたが、他の二人は映画青年で恐らく学部の時代から指導教授に大学院を受けるように言われていたのでしょう。私は、学部の時代は演劇映像の授業を取らす、面接試験で指導教授の顔を初めて知った全くの門外漢でした。

 当時の私は文章を書くにも、「一行目は神様が決める」と言うほど、インスピレーションがわかないと文章が書けないほどの詩人の血を持った典型的文学青年でした。そういう、私の創作者としての資質と、宗教的な性格を最初に発見して、溺愛してくれたのが指導教授でした。他の院生から見れば依怙贔屓されていると思われたでしょう。

 しばしば飲みに誘われ、プライベートな生活について相談を受けたことも再々あります。また、確かに指導教授にはライオンが子供を谷に落とすように、ハードルを上げて弟子を試す強い個性がありました。例えば修士論文を書くとき、それまで「月刊イメージフォーラム」等に書き溜めた実験映画批評が大量にあったので、それを纏めて「現代実験映画論」にしようと構想していたところ、直前なってから「戦前の小型映画にしてはどうか?」と言われました。さらに、その年に早稲田大学100周年記念と銘打って大きなイベントがありました。その中で私を抜擢し、学部の学生を数人選んでパフォーマンスをすること、出演するプロのアーティストとの連絡役になってアーティストの練習風景を見て早稲田の大隈庭園の場所を決めたり、(これが大きな仕事でしたが、教授が命令したのではなく、途中で私が自分で気づいたのですが、電源を計る役目を自分に課しました)。これは意味が分からないでしょうが、プロのシンセサイザーの演奏と、インスタレーションと、私が中心になるパフォーマンスで使う無線、またそのイベント全体を照らす光源等を計算すると、普段の大隈庭園では使っていない電力をその日だけ使わねばなりません。このイベントには大勢人間がかかわりましたが、私はその電源量が気になり、菓子折りや日本酒を自腹で買って、大隈講堂の電気を管理する担当の人たちに事情を告げ、時間外労働になりますが、この日は夜の○○時まではこの電撃量を使いますので働いてくださいと頼んで歩きました。(私がいい加減なようですが、以外に細かい計算をしますから)。ところがそのパフォーマンスの最高責任者だった知り合いが、最後のリハーサルをしないで本番を迎えるという無茶苦茶なスケジュールを組んでしまいました。

 そこで何が起こったかと言うと、全員が一斉にパフォーマンスを始めると電気量を使いすぎて、私がリーダーとして細かくスコアを作った映像パフォーマンスのために飛ばすワイヤレスマイクが使えなくなりました。つまり、一秒単位で私が指令を出して学生がスライドに画像を映す計画ができなくなり、全員がパニックになり、緻密な計算で作られたスコアが使えず、フリージャズのように出鱈目に映像が映りました。私が頭に来たり失望したり混乱しましたが、指導教授が「元のスコアが分からない人が見ているので、失敗かどうか分からない」と言って慰めてくれました。

 指導教授がハードルを高くしたのは、私を博士課程に入れるための下準備だったことが今になればわかります。

 更に、過去5年間博士課程に進んだ人はいないところ、私を呼び出して「私は浅く広い研究だが、君のように深い研究の仕方をする人間を尊敬している。また研究論文を読むと、トロール漁船のように片っぱしから資料を読みこなして引用しているので、是非とも博士課程に入って欲しいので論文を200枚以上書いてほしい」と耳打ちされました。その時の感動と葛藤はこの「ロータス人づくり企画」というHPの中にある執筆リストの「牧野さんの家の方へ」を読めばわかります。

 結果的に、運命の悪戯か無意識の願望か、修士論文を書いているときにワープロの操作一文字の間違いで計画が壊れてしまい、どうにか修了させてもらいましたが、博士課程には行けず、郷里愛媛に都落ちしました。(省略しますが、そこで自然発生的にできた学習塾が大当たりして、数千万の貯金ができました)。その時に、また指導教授から電話がかかり、「将来は必ず君を大学教授にするので、とりあえず早稲田の非常勤講師になってまた上京してみないか?」と声がかかりました。そこで、私の預金に母親の預金を合わせて今の第一那田ビルを買って、その家賃収集で生活し、自分も家族もこのマンションに住む」という計画を立てて上京したわけです。

 この時も指導教授は驚かれ「経済観念は私よりもはるかに上だ」と言われました。そして、前回書いた事情から絶縁状を出したわけですが、今なら別の行動をとったでしょう。

 指導教授は飲みに連れだしては自分の私生活の悩みなども平気で私に相談し、意見を求めてきました。

 私は恐らくですが、子供のころからの信仰体験と、剣道体験のせいで、あまりにも潔癖症的というか武士的倫理観が出来上がりすぎていたのでしょう。当時は事情を書かずにただ「絶縁状」を出しただけで終わり、またそうするのが潔く、同時に目上の師匠を批判せずに済む唯一の方法だと思いましたが、今思えばこの方法は間違いでした。

 今の私なら、指導教授に電話をかけて、一杯飲みながら話したいことがあります、といって、手紙に書いた内容を口で説明して、チクル方が悪いのではないでしょうか?しかも引用禁止ですから。さらに権威批判をするのが私たちの使命ではないでしょうか、等々酒の勢いを借りて本音で語ります。そうすれば指導教授は必ず理解を示してくれたでしょう。(集団ストーカーでないとすれば、誰がチクったのかはほぼ検討が付いています。私が指導教授に可愛がられて、必ず教授にすると公言されていたので、それを許せないと思った人間のジェラシーが生んだ行動でしょう。ちなみに大学院の学生と言っても、ただのオタクです。モラルがある人の方が珍しく、平気で他人足を引っ張り、論文実績もないのにコネだけでどこかの正教員になっています)。むしろ、私のように指導教授の言われた通り論文を書き、研究実績だけで正教員になるのを待つ人間の方が出世は遅れます。

 ですから、ブログだけを読むといかにも指導教授が悪い人だったかのように思われますが、何しても裏にはまたその裏があり、真相はなかなか見えません。当時そのような大人の(タヌキジジイのような)行動がとれていれば私はとっくにどこかの教授になっているでしょう。

 なお、私の創価批判は非常勤講師の頃から本格的に始まっていました。創価学会批判のバイブルと言われた「創価学会批判の要諦」も、本人訴訟で集団ストーカーを最高裁まで追い詰めたスタートもこの時切っていました。(高知の親友・故田辺浩三が私を評価したのは、アカデミズの中で正面から創価批判をしているのは、田辺が習った日大の北野教授と私だけだから、という理由があります)

 このよう活動をしていることも素直に打ち明けておくべきだったと思います。潔いと感じていても、年齢を経て、人経験を積むと、自分が短慮だったのではないか、とうとう世間知が付いてきます。処世術と言えばマキャベリストのようですが、亀の甲より年の功とはよく言ったものだとつくづく思います。

 今回のブログの文章は無断引用OKです。

 



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