那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

八王子警察の星警部補の思い出

2016年01月29日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道、五行歌など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法やランチェスターの法則、極真空手の変遷)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵(西八王子店)という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8~9人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。私のケアマネも参加する可能性があります。 

先日、春名先生と話し合って決まったことがあるので報告します。毎月第二金曜日の午後7時から囲む会を催すことになりました。講義は8時から1時間です。一回目は春名先生が長生きの秘訣について講義されています。質問タイムもあるので皆さんもドンドン質問してください。二回目は私が五行歌の歌会を行います。題詠は炎ですが、これを作品の中に入れても入れなくても自由です。五行歌は五行以外にルールが無く、添削をしません。三席までに入った人は月刊五行歌誌に基本的に作品レポートと共に掲載されます。投稿と掲載料は無料です。作品が出来た人は私のメルアドまで送ってください。また当日は採点をするためにペンを持ってくるようにお願いします。五行歌の時だけでなく、講義をする人はレジュメや資料を持ってくるので、メモ用にペンは必要ですね。ぜひ16人集めて夢庵の一室を借り切りたいものです。春名先生はプロジェクターを持っているのでスライドショーを見せながら講義したい、とおっしゃっています。

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私が探偵になったきっかけの一つは、東京工芸大学の非常勤講師を辞任し、君を絶対に教授にすると言った早大大学院の指導教授に絶縁状を叩きつけ、自分の全能力を事業に注ぎ込むと決心して、職業紹介責任者講習会を受講し、同じ月に諸手続きを終えて探偵認可されたことによる。もう一つは、確実に盗聴されていることが分かり、自分で盗聴発見器を購入して調査したところ、非常に激しい反応があったため、八王子警察の星警部補に連絡したところ、微弱電球でも反応するからプロの探偵に頼むように、と言われたからである。驚いたことに警察には盗聴発見のプロが存在せず、全て探偵に依頼する。また民事裁判で勝訴した際も、被告の財産(不動産屋や預金など)を調べるのは裁判所の権限ではなく、弁護士がお抱えの探偵を雇っている。これを聞いた私は、以前行きつけだった居酒屋で、元検事で今は校正役場の上級職にある人物に、それはおかしいのではないか、と聞いたところ、それは裁判所に聞いて欲しいと言われたことがある。

普通は探偵の認可が下りるのは10日から2週間かかるのだが、私の場合はたった4日後に下りたために、「探偵業届出証明書」を貰いに八王子警察の生活安全課に行って星警部補にお礼の挨拶をしたところ、星警部補は慌てて「課長が何故あんな奴を知っているのかと聞くから、お互いが知り合いだということは言わないでくれ」と頼まれたことがある。おそらく私が「行動する保守」のグループと八王子北口で街宣したことや(残念ながらその動画はyoutubeから消されてしまった)、現在は除名処分にしているが微笑禅の会の代表を一時期任せていた鈴木正道と一緒に八王子駅北口で二人で凱旋したことをその課長は知っていたからだろう。鈴木正道と街宣したときに面白い逸話がある。ちょうど国政選挙の最終日だったために、二人で街宣している目の前で共産党の宣伝カーが停まり、八王子警察が護衛していた。そこで私たちが街宣していると、護衛していた警官のリーダーらしき中年の警官が駆けつけて「わたしたちも共産党の護衛などしたくないが、選挙妨害に当たるといけないから今日は街宣は止めてほしい。明日からなら自由に街宣してもいいですから」と言ったので諦めたが、共産党は破防法適用団体だから警察の意識とはそういうものかと知った次第である。

 

探偵認可が下りてまもなく、探偵は初恋の人など人探しが出来ることを知り、法律に詳しかった私は東京都公安委員会に電話を掛け「人探しはプライバシーの侵害、付きまとい行為、個人情報の入手など少なくとも3つの犯罪に加担することになるのではありませんか」と聞いたところ、驚いたことに、「ああ、八王子の那田さんですか」と言われた。何故私のことを知っていたのか今でもわからない。その人は「だから認可制にしたんですよ。探偵はグレーゾーンで動くので、とにかく幅広く人脈を作りなさい。市役所の戸籍課の人と仲良くなり、時には食事やお酒をおごるときに、酔った勢いでそっと個人情報を伝えるのは個人情報の漏えいに当たるか当たらないか微妙なところだからね」と言われた。

ここで面白いことを教えよう。警官は必ずカマをかけるという事実である。私が東京工芸大学の最終授業を終え、いつもと違う道を通って帰宅しようとしたときの話である。私は路地を出て片側二車線の大通りを出て(二車線は大混雑していたが私はドアミラーの外側3センチの隙間があれば車を入れる技能があったために)、反対側に出ようとして、車の隙間を潜り抜けて右を見て左を見て、車がいないことを確認した上で左折しようとアクセルに足を掛けた瞬間、クロネコヤマトの送迎バスが恐ろしい速さで飛び込んできて私の車のバンパーを日本刀で切ったように吹き飛ばした。それを見ていたママチャリに乗った主婦が「あのバスが悪い、信号が赤なのに物凄いスピードであなたの車にぶつかってきました」と言った。私はそれを証言するように頼んだが「憎まれるのは怖いから」と言って逃げてしまった。(以前このブログで、そういう場合は、証言してくれると3万円をお礼に渡すからと言えばいい、セチガナイ世の中になったものだ、と書いたことがある)。そのうえクロネコヤマトの老人の運転手は「お前が出てきそうなことが分かったから俺はハンドルを右に切ったんだ。下手な運転をしやがって」と絡んできたので、私は「喧嘩ならあとで十分に相手をする。先ず警察を呼ぶからそこで待っていろ」と言って110番通報をしたら、自転車に乗った警官がやってきた。そこでは私はその警官に「私は星警部補の知り合いですが、警部補は今でもお元気ですか?」と言ったところ、その警官は「私は転勤してきたばかりなのでその方は存じ上げません」と言って、クロネコヤマトの送迎バスの運転手のところに行ってしばらく話していた。やがて運転手がやって来て、先ほどとは別人のように神妙な面持ちで「先ほどは失礼しました。これからは保険会社の弁護士を通して交渉することにします」と言って去っていった。その後、自転車に乗ってやってきた警官は敬礼の格好をして「星警部補殿はよく存じ上げております」と言った。つまり、そこで事実を語ると公平な仕事が出来ないからわざと嘘をついたのだろうが、とにかく、警官はいい意味でも悪い意味でもカマをかける、という事実は知っておくべきだろう。

私は郷里愛媛で運転免許を取ったために契約していた保険会社はJAだった。JAはもともと自動車保険の専門ではないため、クロネコヤマトが入っている東京海上火災と比べると非常に弱い。あの程度の事故なら一流のアジャスターに調べさせれば、私が止まっていてクロネコヤマトの送迎バスが何キロのスピードでどのような角度から私の車(最初期のプリウスで今でも所持していたらプレミア価格が付いている筈である)にぶつかって来たか分かる筈なのに、ろくなアジャスターしかいないらしく、様々な交渉をしたが結局私は自分で本人訴訟をすることになった。そこで調べて見ると、タコメーターは輪ゴム一本で偽装することが出来ること、宅配便の運転手が慣習的に急ブレーキをかけることが出来ないこと(急ブレーキをかけると積んでいた荷物が荷崩れして、ビンなどが割れてしまう)、そして事故を起こした道路に行って道幅を巻き尺で図ったところ、送迎バスの横幅とほぼ同じ広さであるために、そこで右ハンドルを切るのは待った誤った運転操作で(ガードレールにぶつかってしまう)、急ブレーキをかける以外にないこと、またその運転手は赤信号のまま私の車に突っ込んできたことが分かった。そこで本人訴訟の準備は十分に済ませたが、直後に妻子が突然の失踪をしたため、私は心痛の余り入退院を繰り返し、本人訴訟が出来なかった。またその8か月後に今度が私の母親が八王子高齢者福祉課(起案者は谷斑)により、保護措置と称して母を一カ月にわたり監禁し、元市議により解放された直後に2週間の危篤に陥り、退院してしばらくは肝性脳症に陥り、一時期知的作業が出来なくなったことはこのブログに書いた通りである。

次いで星警部補と出会ったのは、私が故郷の土地建物を売り払おうと(裁判で和解したので業者名は言えないが)、当時ネット上で最も大きな宣伝をしていた、○○不動産と契約し、私の不動産を売ってもらうように宣伝してもらっていたが、宅建法に詳しい人なら常識だと思うが、不動産が売れた時の仲介料のみは取れるが、宣伝費を取るのは違法である。私はうかつにも宣伝料の3万円を支払ってしまった。これは八王子市の法律相談に行って聞いたところでは完全な詐欺罪で、しかも3万円というのは訴えるには少額でプロの仕業だろうと言われた。確かに弁護士を雇うと着手金は最低でも10万円はかかるので、訴えようと思いながら諦める人のほうが多いに違いない。そこで私は星警部補に電話をかけて我が家に来てもらった。すると星警部補は「集団訴訟でもしない限り、本部(警視庁のこと)がゴーサインを出さない」というので、私は短気な性格だから頭に来て(私のリビングには維新の志士や東郷平八郎、戦艦三笠、秋島真之、明治天皇の肖像画、などを鴨井の額に掛けている)、坂本龍馬の写真を指で指し「あなたは正義感が強いから警官になったのではありませんか。坂本龍馬は今でも生きていますよ」というと、星警部補は誠実かつ温厚な人柄だったので「あなたの気持ちはよ~く分かりますが、私たちは本部がゴーサインを出さないと何もできない立場なのです。どうかそれを理解してください」というので私は本人訴訟に踏み切った。

結果的に私が損をしたのは3万円だが、白髪の立派な裁判官に出会ったために和解金として20万円を手にすることが出来た(私は本人訴訟をして2勝1敗である。1敗は創価学会の工作員を最高裁まで追い詰めたもので、これは後世必ず史上最悪の判決として有名になるだろう)

最後に星警部補と連絡をしたのは、今も続いているが八王子北口の放射線ユーロードを夜歩いていると中国人が駆け寄り「お兄さん、マッサージいかがですか?本番一万円ですよ」と声をかけてくる。私は最初は「この野郎、日本で売春するな!」とイチイチ怒鳴っていたが、最後の方には疲れてきて、八王子北口の交番へ出かけ「あの売春婦の客引きはどうにかなりませんか?うるさくて仕方ありません」と言ったところ、小柄な警官が「八王子にはチョンとチャンコロとロスケの売春婦がいるのですが、彼女たちは私たちの顔を全部知っていて、私たちが取り締まりに出かけると一斉に客引きを止めてしまいます。本官も休日に客引きに声を掛けられた時は怒鳴りますが権限がないのでどうにもなりません」と言って内情を打ち明けてくれた。

そこで私は星警部補に電話を掛けて「八王子北口には小柄だがなかなか正義感の強い警官がいますね」と言ったところ「多分それは○○君だと思います」と答えた。そこで、私がおとりになって客引きについて行き、そのマッサージ店に入りますから、そこが金銭で女を買わせる、と分かった段階でトイレから星警部補殿の電話を掛けるので、そこで一斉にあの連中を逮捕してください」と言ったところ、「那田さんの心遣いは誠にありがたいが、それは私たちの仕事ですから、一般の人に迷惑をかけるわけにはいきません」と答えた。実際、私はそのマッサージ店に偵察に行ったことがある。受付にはいかにもヤクザ顔の男がいて、売春婦たちはベニア板で仕切られたたこ部屋のようなところにいる。皆、亡霊のような顔つきをしているので、普通の人間ならそのようなところで女を抱く気にはなれないだろう。私は「タイプの女がいないから、今日は見るだけで失礼します」と言って出て行った。

この八王子から売春婦を追い出す作戦に関しては、もっと面白い後日談がある。それは明日の「思い出の記」に書くことにする。おそらく星警部補はもう退職されたことと思う。本当にいい人だった。今度一度飲みたいものである。

 


唯識論とは

2016年01月29日 | 

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。

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また今日は呉竹会の機関紙「青年運動」が届きました。さすがに頭山興助会長は現政権を批判しているものの、その他の政治的主張については首をかしげる部分もありますが、中村天風の伝記は非常に豪快で、またアジアフォーラムには毎回豪華なゲストが講演をされるので、ぜひ左の下の方にあるブックマークをクリックして呉竹会に入ってください。

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唯識論

 

簡単に言えば唯識論とは世界像は人によって異なる、実体はない(空)を証明する認識論である。個人にとってあらゆる存在が(ただ)、八種類ののみによって成り立っているという大乗仏教の見解であり、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と、さらに意識、二種類の無意識を合わせた合計八種類である。

 

 

(以前ブログにも書いたことがあるが、この図形は空間的流動的に表示するとより分かりやすくなる)

諸存在は主観的実在であり、客観的存在ではない、それは無常であり時には生滅を繰り返して過去に消えてしまう。しかし「刹那滅」と「心相続」といって刹那、刹那に死んでいくが、その「残り香」が相続される。今の瞬間(刹那)=有り、過去と未来=無い、今だけがあり、過去も未来もない。前5識の次に意識、その下に未那識と呼ばれる潜在意識があり、要するにエゴイズムのことである。

その下の阿頼耶識という根本の無意識があり、これが前五識・意識・未那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」と思っているものを生み出している。これは要するにバイオプログラミングされたもので真妄和合識と呼ばれる。つまり悟りと煩悩が入り混じった全ての種子が入り込み、これを薫習といい着物に線香の匂いが染みつくかのように煩悩が消えないが、それを取り払い悟るまでには一生涯かけても無駄だと言われてる。しかし坐禅による大悟徹底により瞬間の内にに悟ることも可能である。

 

これまでの説明は、阿頼耶識から未那識および六識が生まれる流れだが、同時に未那識と六識の動きが阿頼耶識に還元される流れもある。それがアーラヤ(蔵)という意味であり、相互に循環している。識を含むどのような行為も一瞬だけ存在し、過去に過ぎていく。その際に、阿頼耶識に香を残す。それが種子として阿頼耶識の中に蓄積され、それが成熟して「識の転変」を経て、再び諸識が生じ、再び行為が起こってくる。

 

このような識の転変によって、存在の様態をどのように見ているかに、3つあるとする。

 

  1. 遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)構想された存在 凡夫の日常の認識。
  2. 依他起性(えたきしょう)相対的存在、他に依存する存在
  3. 円成実性(えんじょうじっしょう)絶対的存在、完成された存在

 

このような見方は唯識を待つまでもなく大乗仏教の基本であり、その原型が既に般若経に説かれている。

 

遍計所執性とは、阿頼耶識・末那識・六識によってつくり出された対象に相当して、存在せず、空である。

依他起性とは相対的存在であり、構想ではあるが、物事はさまざまな機縁が集合して生起したもの(縁起)であるととらえることである。阿頼耶識をふくむ全ての識の構想ではあるけれども、すでにその識の対象が無であることが明らかとなれば、識が対象と依存関係にあるこの存在もまた空である。

円成実性は、仏の構想であり、絶対的存在とも呼べるものである。これは依他起性と別なものでもなく、別なものでもないのでもない。依他起性から、その前の遍計所執性をまったく消去してしまった状態が円成実性である。

なお、諸存在(色)を「空」であり実体のないものである「色即是空」にばかりこだわっていると、空病あるいは沈空に陥り、以前、目の前を走っている電車も「空」と思い飛び込んで死んだ者もいる。「色即是空」が理解できた後は「空即是色」を理解し現実の世俗の中に悟りの慈悲である菩薩行を実践しなければならない。

従って唯識論と西洋の唯心論の違いは、唯識論は心の存在も仮のものであり、最終的にその心的作用も否定するため全く異なる。

縁起説を含め唯識論も、禅の理論は両極端な思想の同時肯定と同時否定であり、これが中庸の意味だと私は思っている。

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以上、二回にわたって縁起説と唯識論について説明してきたが、本当は非常に難解な哲学であり、私がその表面だけをなぞったに過ぎない。唯識三年倶舎八年と言われる通りである(理解するのにそれぐらいの年数が掛かるということ)。

なお、wikipediaによれば次のような逸話が残っている。

 

三島由紀夫の最後の作品となった『豊饒の海』四部作は唯識をモチーフの一つに取り入れている。 第四部「天人五衰」の最終回入稿日に、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決三島事件)した。作品概要は『豊饒の海』の項を参照。

澁澤龍彦は、三島が唯識論に熱中していたことを『三島由紀夫をめぐる断章』で触れ、唯識論とは何かを三島に問われた宗教学者の松山俊太郎が「あれは気違いにならなければわからない、正気の人にわかるわけがない。唯識説のよくできているところは、ちょうど水のなかに下りていく階段があって、知らない間に足まで水がきて、知らない間に溺れているというふうにできている。それは大きな哲学の論理構造であり、思想というものだ」と言った話、それを聞いた梅原猛が「感心している三島も三島だが、こんな馬鹿げた説を得々として開陳している仏教学者もないものだ」と批判した話に触れている。また、澁澤宅を訪ねた三島が、皿を一枚水平にし、もう一枚をその上に垂直に立てて、「要するに阿頼耶識というのはね、時間軸と空間軸とが、こんなふうにぶっちがいに交叉している原点なのではないかね」と言うので、「三島さん、そりゃアラヤシキではなくて、サラヤシキ(皿屋敷)でしょう」とからかった話も紹介している。