那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

あなたは超常現象を信じますか(「見性体験記」にある巻末エッセーより引用)

2016年01月16日 | 神秘

 

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また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。 

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春名先生は、不思議な現象はそれはそれとして認め、理論は後から学者が説明すればいい、としばしば述べられるので、敢えてこのテーマを選んだ次第である。

 私は超常現象を信じている。信じているには理由があって、私自身が何度か体験しているからだ。

  一度目は小学校4年生のころ。父親が横幅が3間もある大きな箪笥を家に設置した。父が若いころ養子に入っていた池田家にあったもので、池田家はその地域の大地主だった。その箪笥は黒檀仕上げで、引き出しを出し入れするたびに音が鳴る「オルガン箪笥」と言われる逸品であった。

 私は、その到着したばかりの箪笥の真横で昼寝をしていた。その夢の中で私がその箪笥を開くと、日本刀がズラズラと出てきた光景を見た。

 目覚めて箪笥を開いたところ、夢と異なり、日本刀は一本もなかった。が、私には妙な確信があって、念入りにその箪笥のあちこちを調べてみた。

 すると、一番下の引き出しと畳との間が通常より幅があることに気付いた。その部分に長方形の切れ目がある。不思議なことだが、私はその切れ目を見た瞬間、それが「隠し扉」だと確信した。取っ手もなにもついていない以上、その引き出しは半円形になっていて、端を押すともう一方の端がクルリと飛び出る構造になっているに違いない、と瞬時に思った。

 その通りだった。隠し扉の片側を押すとクルリと引き出しが飛び出てきた。その中に一本の脇差が入っていたのである。

 この脇差は江戸後期のもので、美術品登録をした上で研ぎに出し、現在も私の手元にある。

 こういうのは、正夢というのだろうか。あるいは「物体記憶」というのであろうか。夢を見なければ、その刀は誰にも見つけられずに今でも隠し戸の中で眠っていることだろう。

  二度目は小学校6年のころ。そのときも昼寝をしていた。その夢の中に、死んだ祖母が現れて、美味しそうに餅を食べ、「この餅は美味しかったよ」と言った。

 私は寝ぼけて祖母が死んだことも忘れ、台所にいる母の元に行って、「今お婆ちゃんが来て、御餅を食べて帰った?」と尋ねた。

 母の顔色が変わった。その日はちょうどお彼岸で、仏壇の祖母に供えるために、母は餅屋に木箱一皿分の餅をついてもらっていたが、それを台所に置いたまま、仏壇に供えるのを忘れていたのである。

 母は慌てて仏壇に餅を供えた。「おばあちゃんが、早く備えてくれと催促したんじゃろ」と母は言った。

 もちろん子供の私は、その日がお彼岸であることも、母が台所に餅を置いていたことも知らない。死んだ祖母の霊が夢に現れたとしか思えない現象である。あるいはそれとも、仏壇に餅を供えなければならない、という母の気がかりを、眠っている私がテレパシーのように読み取ったのだろうか?

 私は、死後の霊魂の存在を期待しているので(もしそうであれば、死は怖くなくなる)、祖母の霊の仕業と思いたいのだが、真相は果たしてどちらなのだろう。

  三度目は、大学時代の話で、これも夢にまつわる。このエピソードはある競馬攻略本に活字となって詳しく載せたことがあるが、ここで簡単に繰り返す。

 日曜の昼頃夢を見た。私は夢の中で2-5という万馬券を取った。大喜びで払い戻し所にいくと、持っていたはずの2-5の馬券が他の数字に化けていて、結局配当金を手に出来ず、がっくりしたという夢である。

 当時は馬連はなく、枠連だけの時代だったので、万馬券は月に一度出るか出ないか、というぐらい珍しかった。私は、自分が時々正夢を見ることを知っていたので、友人の吉田という男にすぐに電話をかけて「正夢かもしれないから今日は2-5の馬券を買おう」と誘って、二人で水道橋の場外馬券売り場に行った。売り場にたどり着いて私はヘナヘナと床に膝を着いた。ちょうど終わったばかりの第8レースが何と2-5で万馬券だったのである。来るのが遅すぎた、と後悔した。私はヤケになって9,10,11レースを買い続けて外した。そして最終レースがまたも2-5で万馬券だったのだ。私はもちろん買っていなかった。

 2-5の万馬券が出る、しかもそれが取れない・・・・・・・私の夢は見事に正夢だった。

 この経験は非常に強烈だった。一日に二度万馬券が出ること自体、非常に珍しかったし、まして同じ番号である。それを予知していたのだ。

 この経験で、私は完全に予知夢を信じるようになった。

この話を文化人類学者で言語学の天才・西江雅之先生に話したところ、「それは逆転した認識だ」、と答えられた。どういう意味か悩んだが、どうやら2-5という万馬券が出た後から、実は予知していたという風に理屈付けした、という意味らしい。とんでもない。それこそ逆転の認識である。第一、私は競馬の夢は人生で2度しか見ていない。ちなみにもう一つの夢も正夢で私はその時は当たり馬券を手にした。結果から原因を探したのではない。明らかに夢を見て、しかも友人にそのことを報告して一緒に馬券売り場まで行って、予知した数字が二度出て、しかも両方万馬券だったのである。確率論的には絶対に偶然といえない現象である。頭の柔らかい西江先生ですらこういう現象を認めないのだから、学者とは頑固なものである。

 また遠く離れた二人が思いあっていれば、テレパシーが通じる、というのは私には再々経験がある。

 大学生のころ、とても大事にしていた恋人がいた。が、その恋人は妻子ある芸能人を追っかけて、一週間近く彼と旅行に出かけてしまった。当時の私は純情な側面が残っていたので、その間、ものすごい胸の痛みに耐えかねて、朝から酒を飲んで苦痛に耐えた。本当に死にそうなぐらいにつらかった。すると、ある時にスッと胸の痛みが消えうせ、心が楽になり、意味もなく幸せな感情が湧いてきた。その瞬間に電話が鳴った。恋人が「ごめんね」と泣きながら電話をかけてきたのである。

 このレベルの出来事ならいくらでも経験がある。

  次にこれは私の体験ではないが、私の鬱病治療でカウセリングを担当してくれていた植田先生という臨床心理士から聞いたことである。

 その先生はある中学生の女の子のカウセリングも受け持っていた。その女子は毎日のように予知夢をみるというのである。実際に夢日記をつけているのだが、非常に高い確率でそれが的中する。とくに悪いことが的中するらしい。そのためにその中学生は夢を見るのが怖くなり、不眠症にかかってその心療内科に通いだしたという。

 カウンセラーの植田氏によれば、ユング派の臨床心理士の学会に出席すると、このような正夢を含む超常現象の例は数多く報告され、我々が超常現象と呼ぶ現象は、「当然あるもの」として認識されているという。

 ただ、世の中には早稲田の大槻義彦教授のような頭の頑固な口うるさい人がいるので、世間一般には公にしないらしい。

 そういえば、ユングはシンクロニシティ(共時性・同時性)という言葉で、物体と精神との統一現象を言い表し、膨大な数の事実を収集した。彼はこんなことを言っている。「くしゃみをしたときに頭の上を飛行機が飛んだら、それはただの偶然の一致だが、青い服を仕立て屋に注文して、間違えて黒い服が届いたときに身内が死んだとしたら、それは意味のある一致である」と。

  私は自分の経験を通して、時間の流れは右から左に直線的に伸びているような形ではなく、ちょうどストーブの空気が対流して、上に昇ったものがまた下に戻ってくるように、未来の時間が現在に対流するのではないか、というようなイメージを持っている。現在の一点のなかに未来が繰り込まれている、という印象がある。

 また「物質には記憶がある」という気がしてならない。物を手にとってその物の記憶(残留思念)を読み取る「物体記憶」も、私は信じている。

  私の長女(現在高校3年生)は、小さいときは非常に勘の鋭い子供だった。幽霊らしきものを始終見ていた。私はある石ころを娘に渡して、何が見えるか試したことがある。すると娘はこう言った。「険しい山の中に何かが立っている。パパが金槌でそれを削っている」

 まさにそのとおりだった。その石ころは、非常に険しい山の斜面に立つ先祖の墓石の一部を削りとったものだったのである。(その墓は武士だった曽祖父のもので、彼はサイコロ博打の名人だったために、その墓石は博打のお守りとして多くの人によって蓮華型の台座部分が削り取られ、角が丸くなっていた。私もお守りのためにそのカケラを持っていたのである)

 またこういうことがあった。私が東京に買った中古マンションビルの元のオーナーは心筋梗塞で社長室で急死した。私がそのビルに引っ越したとき、オーナーが使っていた社長室に灰皿が残っていた。私はその遺品を、捨てずに愛用することが供養につながるような気がして、自分のパソコンの横に置いていた。

 あるとき、娘にその灰皿を持たせて何が見えるか尋ねた。娘は「中年のおじさんがいる」といった。タバコは普通中年のおじさんが吸うものだから当たり前なので更に私は、そのおじさんはどんな仕事をしている人か聞いた。娘はしばらく灰皿をいじった後「このビル全体の風景が見える」と答えた。私は背筋がヒヤリとした。その社長は一階を建売住宅の事務所として使い、二階と三階をマンションにして生計を立てていたからだ。

 私は大学で前衛映画や実験映像の授業を持ってたことがあるため、友人の中に「映像の錬金術師」と言われる人物がいた。彼は最初のころは超常現象に興味を持ち、雑誌「ムー」を愛読していたが、何故か途中からそれらを一切信用しなくなった。そこで私の娘の話をしたところ、私の家に遊びに来たついでに銀メッキの小さなケースを持ってきた。そして長女に「これは何のために使う品物か」尋ねたところ、長女はしばらく考えた後で「中に石鹸が入っていた」と答えた。それは正解だったのだが、「この形を見れば誰でも中に石鹸が入っていると思うよね」友人は意地悪そうな口調でそう言った。だったらそんな品物など最初から持ってこなければいいのにと私は思ったものだ。

 娘に特殊な能力があるのなら、その才能を伸ばして一儲けしてやろう、という俗悪な思いもよぎったのだが、娘は中学を卒業するころから霊的なことは口にしなくなり、そういう超能力ゲームを試すことを嫌がるようになった。どうも娘を使って一儲けするという計画は中止になりそうだ。残念である。

  以上が私の体験した超常現象の事実である。

なるほど、こういう現象を偶然だ、と決め付けるのは簡単だろう。しかし、本当の科学的精神とは、偶然と思われる現象の中に潜むシステムを発見することではないだろうか。

  テレビでよく超能力者が現れて、大槻義彦教授や松尾貴史が躍起になってアラを捜し出して、この世に超常現象などないことを、口角泡を飛ばして力説する。私は、そういう超常現象否定派が大嫌いである。まず人相が卑しい。なぜか超常現象肯定派のほうが霊性の高い顔をしている。否定派のほうはいかにも人望のなさそうな下品な顔をしているのだ。それから彼らは現在までの物理学の体系というイデオロギーを絶対のものと信じて、そこから現象を演繹して否定する。しかし、科学は演繹と同時に現象を帰納し、そこにルールを見つけるという「現象に対する謙虚さの精神」が必要だ。現象を否定することはバカにでも出来るが、その現象にシステムを見つけることは天才にしか出来ない。事実は事実として素直に受け入れなければならない。それこそが科学的態度である。

 彼らは現在までの物理学の体系というイデオロギーを絶対のものと信じて、そこから現象を演繹して否定する。しかし、科学は演繹と同時に現象を帰納し、そこにルールを見つけるという「現象に対する謙虚さの精神」が必要だ。現象を否定することはバカにでも出来るが、その現象にシステムを見つけることは天才にしか出来ない。事実は事実として素直に受け入れなければならない。それこそが科学的態度である。