那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

縁起説とは何か

2016年01月27日 | 

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縁起説

①故・中村元博士の研究にあるように、釈迦、とは伝説の存在であり、我々が思っている釈迦は別人である。大乗仏典の全ては後世の悟りを得た(内証)僧侶の創作であり(大乗非仏説の通り)、最古の仏典を読めば釈迦は大乗仏典に書かれているように数千人の弟子がいたわけでは無く、数人の弟子を連れて瞑想を行い、せいぜい語っていることは「執着するな」程度のことであった。私がしばしば無執着にも執着するな、というのはこのことを踏まえたものであり、釈迦の言葉のままでは、濁悪の現世においては革命思想になることは不可能である。従ってテーラワーダ協会やクリティカルブッディズムが主張するように、原始仏教しか信じないという主張は立論そのものを間違えた愚論である。

②縁起説の最初の仏典には釈迦(あくまで伝説)の語った言葉として、これ(煩悩)があればあれ(苦)はない。これ(煩悩)が無いならば(苦)は無い。これ(煩悩)が生まれるとあれ(苦)が生まれる。これ(煩悩)が消えるとあれ(苦)が消える。といった因果論である。これが後世複雑に展開し十二支縁起になった。

③従って善因善果悪因悪果が仏説として残っているが、私はそれを否定している。現実には善因悪果悪因善果であり、それはフクシマの原発事故を見ても明らかなことである。犠牲者の中にはいたいけな幼子もいただろうし、悪党が助かったこともあった筈である。また善悪の定義は実に曖昧であり、日本は大東亜戦争に負けたものの、日本にとっては祖国防衛戦争であったことを後にマッカーサーが証言している。日本にとって大東亜戦争は善であったが、東京裁判でそれを悪にすることにより、無理やり悪因悪果という仏説のままに戦争を判断したに過ぎない。パール博士の弁論を見ても、原爆を投下したことが国際軍事法違反であることは明白だが、このように政治的な力が働いて悪因悪果という結論を出したに過ぎないことは心して覚えておくべきだろう。

 

④これが大乗仏教になると因果論では収まり切れなくなり、物事には自性や実体はない、相互依存(関係性の中でのみ有る)という「空」の思想が現れてきた。例えば目の前に机があるとしよう。その机は宇宙時間という永遠の時間と比較すればほんの一瞬の存在でしかない。また机の上に食器や食材などがあれば、それは机という概念のままだが、仮に机の上に乗り蛍光灯を取り換えるなどといった動作をすれば、机は机でなくなり、踏み台に代わってしまう。このようにあらゆる存在は関係性の中でのみ存在するというのが大乗仏教における縁起説の流れである。

次回は唯識論について述べることにする。