猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

広瀬川に水が戻り、Droitで「身体の通信簿」をもらって、「失いかけ⑤ 坂道の名前」を書き始めました。今日は前編です。

2020-11-17 07:39:36 | あんじゃあない毎日

昨日の朝のこども公園の芝生広場です。
落ち葉が散り敷いた芝生、散歩の人と犬が穏やかな日差しの中にいました。

 
こども公園の公孫樹が見事に色づきました。すっかり秋です。
COCOも秋の日差しの中で暮らしています。お気に入りの二階の窓辺です。

 
水止めが続いていた広瀬川に流水が戻ってきました。川岸では鳥たちの声が賑やかです。
小春日和の中をDroitへトレーニングへ出かけたら、スズランデパートのウインドーはMerry Christmasになっていました。

 
鈴木トレーナーが、「身体の通信簿」を渡してくれました。明日の診察の時に、食道がんの主治医にも見てもらいます。身体機能面の評価についてのページ、上肢筋力も下肢筋力も評価は五段階評価の「A」です。バランスと協調性はいずれも評価は「C」です。
私の身体機能は、Droitで指導を受けトレーニングを続けていることで維持されているようです。明日の診察で申し渡される検査結果が良いといいのですが…

 


三河町の正幸寺山門前の馬場川です。見えている橋は、山門に続く石橋です。
この景色も、区画整理事業が進むと失われ、新しい風景になります。今日は、7日の「失いかけ④ 梅干し」以来、ちょっとお休みしている「失いかけ」を書きます。テーマは「坂道の名前」です。

 
正幸寺の山門前の石橋を渡ると、本町通までは上り坂の小径、門前の坂道です。この坂道には名前がないみたいです。
本町通は前橋泥流層という大昔の浅間山の噴出物が堆積した台地です。馬場川は、その台地を昔の利根川が削り取った「河原」にあります。そのために。本町通と馬場川沿いの道をつなぐ道は坂道になっています。
坂道は正幸寺の参道です。そして正幸寺には、徳川家康の八男仙千代追善の勝軍地蔵尊が祀られています。ですから「正幸寺坂」とか、「仙千代坂」とか…、昔は、この坂道にも名前が付けられて、「ちょいと、○○坂下の米屋でさ、ヌカ分けてもらっといで!」なんてお使い指令が出てた時代があったかもしれません。

 
正幸寺の前の坂より一つ上流にある坂道です。坂道の入り口の橋には、昔の石橋の橋柱だけが残されています。「養行寺橋」と刻まれています。別な面に「鬼子母神講中」の文字が読めます。養行寺に祀られている鬼子母神を信仰する皆さんが、養行寺の参道の橋を寄進したのだと思います。
養行寺の山門前の通りには「養行寺通」の名が付けられてますが、この坂道には名前がありません。この坂道は養行寺へ参詣する人たちが通った道、それにちなんだ名前があったのが失われてしまった気がします…

 
上流に向かって、次の坂道は少し変わった橋が架かっています。以前やった「勝手気ままに橋の名前を付けちゃう野心的散歩」(前編 後編)では、『心遣橋』と命名した橋なのですが、この橋は前の2本と違って坂の下に寺院がありません。あるのは長屋づくりの住宅です。右の写真の左手には隆興寺がありますが、山門は西向きでこちらからは入れません。参詣人のためではなく、住民の暮らしのために作られた坂道のように見えます。名前があったのかな、なかったのかも知れません…

 
次の橋です。今でも一部の人からココちゃんと呼ばれているヒロ子さんは、「天狗坂は石屋さんのとこの坂ですよ」って言って頑張ってた時期がありました。坂下の石屋さんは馬場川の橋の袂に石柱を立てて、店の名とともに「天狗坂」と刻んでいます。でも、この矢印はどっちを指しているのかよく分かりません。調べたら、この坂は「天狗坂」とは違うみたいなんです。その理由は次の橋でお話しします。
いずれにせよこの坂道は、隆興寺の山門に続く道筋です。そして、広瀬川の桃井橋から一毛村へ続いてました。この桃井橋は「むえんしょばし」から「めいしょばし」と転じた俗称を持っている橋です。橋の名も、坂の名と同じに人々の記憶の中で失われたり、転じたりしています。

 
石屋さんのちょいと先に、隆興寺の山門に続く参道があります。この寺も前橋藩ゆかりの寺で、豊川稲荷が祀られています。それで「天狗坂」って思いこんでいる人もいるみたいです。山桜の樹が見事に紅葉していました。
この坂道の名前も良く分かりません、しっかりとした名前があったはずだと思うのですが、分からなくなってしまっているのです。

 
そして、もう一つ上流の坂道、東福寺の山門があった坂道です。今は山門は失われています。
この寺には、「聖天様」が祀られていて、多くの参詣者を集めていたといいます。江戸時代の話です。年に一度の秘仏の開帳にはとりわけたくさんの人が集まったという話なのです。
「聖天」は「歓喜仏」ですから、若い人たちが「縁結び」の祈願に集まったという話もあります。江戸の昔でも、そんな若者たちのいでたちは奇矯で、年配者に受け入れられるところでなく、「天狗もの」って呼ばれていたんだそうで、天狗のごとき若者が行き交う坂道ということから「天狗坂」の名前が付けられたという話を聞きました。

 ここまでに紹介した五つの坂道のうち四つは徳川家の前橋支配に由来する寺院に通じる参道です。前橋城下の町が整えられたときに造られた道筋と思われます。ですから、きっと名前はあったはずと思うのですが、確かに名前が伝えられている坂道は一つもありません。天狗坂だって、「名前は聞いたことがあらいね…」って人には出会いますけど、この坂道だと確信している人はとても少ないです。
道や川の名は、役場の台帳に載せられていると、それが正しい名前だってことになります。でも、そうでなく、みんなが呼んでいた、なんかの訳ありで名付けられた名前って、確実に失われかけています。前橋の街は前橋空襲で焼け野原となり、街区や道筋も戦災復興とそれに続く区画整理事業で大きく変化しました。

 さらに、住居表示法の施行に伴って、町名が全面的に変えられました。私が今住んでいるところは一毛町(いっけまち)から城東町四丁目となりました。歴史的な地名も失われました。坂道も、みんな名のない坂道はになってしまっています。
坂道の名前の話、明日は、赤城県道の坂道から西へ、もう少し馬場川沿いを行ってみたいと思います。それなので、途中ですが…、「失いかけ⑤ 坂道の名前」前編のおしまいです。

写真は、広瀬川の岸の木にとまってやたらと鳴き叫んでいたオナガです。何言ってんのかな…

 

  
十六本堰にも水が戻ってきていました。端気川も流れが回復してました。
川岸の柿の木のてっぺんでもオナガが鳴いていました。でも、その下で、柿の実をおいしそうに食べていたのはヒヨドリでした。これでいいのかな…

 人参の葉っぱとひじきを使ったふりかけを作ってみました。おいしいです。ユキ子さんの両親へも届けます。

 

  
夕食です。キャベツと椎茸とブロッコリーにベーコンのスープです。サラダは、レタス、二十日大根、セロリ、トマト、オリーブの実です。
そして、鶏肉の人参葉ジェノベーゼ焼きです。付け合わせは、ほうれん草、ブロッコリー、パプリカ、椎茸、ズッキーニ、ピーマンのソテーです。鶏肉は一口大に切り分けたのにジェノベーゼをまぶして20分ほど置いたのを低温のフライパンで少し時間をかけて焼きました。おいしいです。


そして、人参葉ジェノベーゼパスタです。平打ちの生パスタを使いました。ゆで上げたパスタにパルメザンチーズと人参葉ジェノベーゼを和えただけです。きれいです、人参の香りもしっかりしています。おいしいです。
青井食堂の和美さんのパートナーさん、ごちそうさまでした。

 

11月16日の体温 7:40 36.0℃  14:30 36.6℃  22:00 36.6℃
     今朝の血圧 7:40 最高 114  最低 60
     今朝の体温 7:40 36.7 ℃
今日は、前橋市の健康診査を受けにいってきます。

 若柳吉駒でございます。4月12日に開催を予定しておりました第77回美登利会につきましては、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期してまいりましたが、秋になりましても、お客様に足をお運びいただくうえでいろいろな心配が解消できませんことから、来年の春まで延期させていただくことといたしました。誠に申し訳なく存じますが、どうぞお許しの上、来春の開催までのお待ちをお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください