猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

勝手気ままに橋に名前を付けちゃう野心的散歩の続編、晩酌の肴はニシンの酢漬けと生数の子の醤油漬け

2016-03-07 06:50:06 | あんじゃあない毎日

馬場川に架かる小橋に勝手気ままに命名しちゃおうって野心的散歩の続編です。
この橋はすごいんですよ、橋の向こうが石垣なんです。渡れない橋、赤瀬川原平さんの『超芸術トマソン』に登場しててもおかしくない作品なんです。
「この橋はね、渡るという目的を人間に許すことなく存在している橋なのであります。従って、坐るしかないのです…」、私が座るための橋なんです。橋の名前は何としようぜ…

 

 今日は18本目からはじまります。この橋は、橋の向こうの駐車場と同じ幅に作られています。実に味気ない、殺風景な橋です。味気なさでは一番かもしれません。『無味橋』とすることにしました。

 19本目と20本目は二つしっかり並んでいます。別な家の入口なんです。
「今日は良いお日柄ですね」
「そうですな、風もなく暖かで」
「いつもこうだとよろしいですが」
「なんか、昼ごろから天気も下り坂とか…」
なんて橋の上で両家のご主人が朝のあいさつしてそうな橋です。
そうだ、二つ一緒に『鉢合橋』と命名しておきます。

  21本目は階段状に鉄製の扉に続く橋、22本目は本町通りまで通り抜けられる橋です。
階段は手前の道から数えると10段ありますんで、橋名は十段橋、これはつまらないな、そうだ絵本太功記の十段目で、『尼ヶ崎橋』と命名します。これだと地芝居や子供歌舞伎の好きな方が馴染みやすそう。
22本目の方は、まん中は歩行者用の段差、左右は自動車のタイヤ用にスロープって、ずいぶん気を使ったつくりなんですよね。『心遣橋』ってことにしましょう。

 23本目、これは他のとちょいと違って橋の手前に門扉が取り付けられて入れないようにしてあるんです。これは、珍しいつくりです。囲われた橋の上は、物干し場として使われているようです。問題なく、『干場橋』です。

  次は、青く塗装された鉄製の橋です。馬場川の小橋で、鉄だけを材料に作られた鉄橋はこの一本、貴重な存在なんです。橋の向かいは、隆興寺の墓地、からたちの生け垣になってます。
橋の向こうにはなぜか小さな地蔵さんが据えられています。
ネコフェスの作品に登場してたのがこの橋なんです。2月25日の記事をご覧ください。写真RIKAさん、文藤見フジヲさんの作品です。作品にしてもらったのを記念して『理科橋』と参りましょうぜ。

 その次、25本目は本町から三河町へ下って、広瀬川の桃井橋へ続く道の橋です。橋の袂には田中石材店がありますんで、『石屋橋』としましょう。
この坂道を『天狗坂』って呼ぶ人がいますが、古い絵図を見たら、この坂でなく東福寺の山門に続く坂道が天狗坂みたいです。江戸時代、東福寺は男女の縁結びの神さん、聖天様を祀ってたらしいのです。そこに集まる若者たちの奇矯な姿を見て「ありゃ、天狗じゃわい」と、で『天狗坂』なんだそうです。

 このあたりの馬場川の石垣にはイタドリが茂ります。毎年花房を見るのが楽しみなんです。26本目の橋は、道側が広く作られています。『末広橋』ってことにしましょう。

そして、27本目がこの橋なんです。橋の向こうは石垣なんです。どこにも続いていないんです。だから、形は橋でも橋でないのかもしれません。石垣をよく見ると、橋の右側のところで、石積が変わっています。昔は石垣がなくて、どこかへ続いていたのかもしれません。
前から、ずっと気になっていた橋なんです。で、ときどき坐りこんでみていたんです。
この橋は、自らが橋であることを拒否しているみたいです。そいう意思をもっている橋なのかもしれません。だからその意思を尊重して、名前を付けないことにします。そして、橋ではなく、坐る場として、ときどき使わせてもらうことにします。

 

   28本目、東福寺の参道、天狗坂の石橋です。橋柱には橋の名前は彫られていません。木製の仏像がはめ込まれています。ただ、寺の門脇に、『石橋供養塔』と彫られた石造物が置かれています。由来は分かりません。でも、そう彫られている以上、命名行為はしないで、『石橋』という名前だとします。

 次の29本目の橋です。左の入り口への橋だと思うのですが、建物わきに狭い通路がつくられています。それが、とってもきれいな石畳の坂なんです。『石畳坂橋』って命名します。

  30本目、4段の階段につくられた橋です。この橋の両脇にはクサギの木が茂ります。白い花を咲かせ、赤い苞に青の実をつけます。夏から秋、ここを通る楽しみなんです。迷わずに『臭木橋』です。
31本目は、渡るとすぐに左に曲がって坂を上るようにつくいられています。『左折橋』ってことで軽くすませます。

  32本目は立派な邸宅の駐車場の入り口になっている橋です。名前を考えるのも面倒なんで、見た目で『邸宅橋』ってことですませます。
33本目は、昔、油屋旅館の裏へ続いてた橋です。油屋旅館はとうに廃業しちゃいました。今は、アパホテルの駐車場です。でも、懐かしいから『油屋橋』って命名します。

 そして、これはもう橋とは言えないみたいです。さくらホテル裏の暗渠部分、駐車場の出入りくちです。橋に数えないことにします。
というわけで、国道50号の共栄橋からここまで、33本の橋をご覧に入れました。

今から65年ほど前のことなのですけれど、この33本の橋のどこかで、私の父が酒に酔って川に落ちたんです。落ちて、ずぶ濡れになって帰ってきた父は、眼鏡を失っていました。翌朝、姉と眼鏡を探しに行きました。この川沿いの小道、必死で川底を覗き込みながら歩いてたんです。でも、見つかりませんでした。だから、どの橋辺りで、父が川にはまったのかは未だにわかりません。

最近のことです。知り合いの呑兵衛が、やはり酒に酔って落ちて怪我をしたという情報が届いています。どの橋辺りか分かれば、その橋を『酔落橋』って名付けたいと思っています。

 

 馬場川は、酩酊者を飲み込む川なんです。すごいんです。
二日にわたって、野心的散歩にお付き合いいただきました。大したことでなくて申し訳ないと思いますけど、これもまた、前橋の風景なんです。私の好きな風景なんです。

 

昨日、城東町4丁目では、『新入学児童お祝い会』が開かれて、この4月に新一年生になる5人のお友だちがみんなから祝福を受けました。この様子は明日ご案内します。

 

  晩酌の肴は、ニシンの酢漬けと生数の子の醤油漬けです。土曜日に養田さんちで1尾200円という超安値で買った新鮮な生ニシン、腹から立派な数の子が出てきたんです。身は酢漬けに加工して、数の子は一晩食塩水で血抜きした後、塩抜きして、麺つゆ程度の味に仕立てた醤油とみりんに漬け込んだんです。
手間かかるけど、おいしい肴です。ニシンは春の魚です。

 

 

 

 

 前橋で日本舞踊の師匠をしている直派若柳流の若柳糸駒です。前橋のまちで、毎年4月に『美登利会』という舞踊会に参加しています。お稽古場は、城東町4丁目です。
『美登利会』の様子は、こちらでご覧ください
舞踊教室などのご案内は、こちらで申しあげております

 

来る3月21日(月)午後1時から前橋文化会館大ホールで、『第73回美登利会』を開催いたします。吉駒は清元『卯の花』、糸駒は長唄『俄獅子』をつとめます。
                           若柳糸駒

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 前橋情報へ←クリックしてください。日本ブログ村の関東地域情報に登録してます。応援してください。

 


最新の画像もっと見る

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
面白かった~ (おゆき)
2016-03-07 12:44:09
小さな橋の物語。
まるでドキュメントを見させていただいた感慨。
そこで気になったのは、これらの橋は各自が自己負担で架けたのでしょうか?
関口整形外科が廃業して、建物を居抜きで買ったグンダイ出の先生が改築をしようとしたら、建物の下を流れてる川のせいで敵わず諦めて中の医療器具のみ運び出して、今は廃墟になってるそうです。川が公共の物だからでしょうか?
街なかに整形外科が無くて不便してるお年寄りが山のようにいるというのに困ったもんです。
返信する
小橋 (ヒゲクマ)
2016-03-07 18:32:39
おゆきさん
さすが商家のおかみさん、心配するのは銭勘定ですな。
河川や水路って結構複雑なんで、馬場川に限定して説明しますね。馬場川は、『準用河川』として市役所が管理している水路で、河川法の対象となる河川ではありません。だから、市役所に申請して流水に支障がなければ橋を架けることはできます。もちろん、費用は自分もちです。
関口整形跡の建物の下の馬場川も『準用河川』です。勝手に水路の形状やなんかをいじることはできません。ただし、水路に影響を及ぼさなければ、建物をいじくることはたいていオーケーが出るはずです。私が聞き及んでいる限りでは、馬場川が原因でリハビリ病院ができなかったということではないようです。
おゆきさんが馬場川で何かしたいときは、市役所の道路管理課占用係にお問い合わせください。詳しいこともそちらでお聞きくださいな。ただし、流れている水を利用する権利はしっかり決まってますので、店の前に打ち水する水が欲しいというのはだめだと思います。
返信する
通りのなまえも (あっこちゃん)
2016-03-07 19:22:02
これを読んで"ここへ来てみたい゛、と思った人がいたのではないでしょうか?。私、5日の日にたまたま、ここを久しぶりに通りかかったので、きょろきょろしながら、ゆっくりと歩いてみたのです。この橋を使って暮らしていた人たちの事を勝手に思いを巡らせながら。この川に染物屋さん布も流れていたのでしょうね。でも3年位前には染物屋の壁には何本かの刷毛がかかっているのを見ました。ほんとに一つ一つの橋にいろんな思いを巡らしてしまいます。,,,,,,,,,,,,橋の名前を付けたついでにこの通りにも面白い名前を付けませんか?。,,,,,,,,,,,,,それとですね、昔の水路には少し階段を下りて洗い物ができるような場所がありましたよね。打ち水に使うのがいけないというのなら、そんな洗い場を作るのもいけないのでしょう?。
返信する
Unknown (おゆき)
2016-03-07 21:11:13
初めてアイパッドでコメント書いてみます。まだ慣れないせいか肩が懲ります。改行のー仕方さえわかりません。おいおい自分のものになるでしょう。手が乾燥してて唾つけつけ書く始末です。これじゃあ銀行のatmU+1F602
返信する
染工場 (ヒゲクマ)
2016-03-07 22:12:57
あっ子ちゃんさん
正幸寺近くの丸山染工場、私が子どものころの今時分だと、馬場川に五月の節句の幟が流されてのり抜きされていました。八展通りの『ひろ子』の暖簾は、この染工場が閉まる直前に無理言ってしつらえてもらったものなんです。もう、十年以上前のことになりました。
丸山のご主人は、こないだ紹介した相川のれんの先々代のお弟子さんです。いろんなつながりの中で、まちは少しずつ変わって行きます。
馬場川や広瀬川にも、昔の洗場の跡が数カ所遺されています。今度、ご覧に入れましょう。今は、無理ですね。そういう川水の利用方法は、全く『想定外』ですよ。
返信する
隴を得て蜀を望む (上州屋千平)
2016-03-08 00:18:28
馬場川の橋。橋といえるような橋でないのに名前が付いた。付いたからには、それぞれの橋のエピソード(由来・歴史・逸話等々)があるといいなぁ。この話題が化けるかも。望蜀か。
それにしても、これは前橋の川だ。
返信する
望蜀ですか… (ヒゲクマ)
2016-03-08 05:58:43
上州屋さん
「さらに上を狙え!」ですか、大変だな~
三十三橋の物語、書けるかな。面白くなきゃ書いても無駄ですもんね…
返信する
Unknown (煙突男)
2019-03-31 07:28:00
超芸術トマソンで煙突に登っていた飯村と申します。
トマソン抜きにしてもおもしろい探査だなあと読ましていただきました。
地蔵のある青い階段が好きです。笑ってしまいました。
返信する
煙突男さんって! (ヒゲクマ)
2019-03-31 09:26:36
煙突男さん
飯村さんて、あの「谷町エントツ」の頂から大俯瞰写真を撮られた写真家の飯村昭彦さんですよね、驚きました、マっことありがとうございます。感激です!
トマソンは、まだ雑誌連載の頃、駆け出しの県職員だった私の仕事場の裏路地の「塀」が取り上げられて大感動したのがきっかけで、大好きになりました。以来、「真似っ乞食」と言われようと、不審者扱いされようと、挫けずに生きてこれたんです。ありがたく思っています。
笑っていただけてすごく嬉しいです。
返信する
私の父も落ちました! (アルフ)
2019-04-03 17:49:00
馬場川、子どもの頃『ババッカワ』と呼んでました。
私の父も、街中で鯨飲した帰りに自転車でババッカワに落ち、自転車と自分を引き上げて泥だらけで帰宅したことがあったそうです。
大学に入り家を離れていたので目撃はしていないのですが、いろいろと大変な父だったので、そういうこともあるかと思っておりました。

怪我は余りなかったようですが、メガネをなくし、その後、肝炎(のような症状)で寝込んで、しばらくの間、お医者様が往診に来てくださったのを思い出しました。

でも、落ちる人が他にもいらしたんですね。馬場川は酩酊者を飲み込む川、、、今では懐かしい思い出です。
返信する

コメントを投稿