<この写真は広瀬川の十六本堰の写真なんです。昭和5年に改修されたときの記念写真らしいんですよね。堰の上に人が大勢いるでしょう…>
<キキです。お久しぶりです。
あんね、昨日の「前橋の路地 第38回」なんだけどさ、おヒゲは取材不足だと思うのよね。
そいで、キキが補うことにしてさ、広瀬桃木両用水土地改良区の『美土里ネット広桃用水』に掲載されている十六本堰の写真をお借りしてきたんです。
そいでね、「前橋の路地番外編 第38回に関するキキによる補遺」ってのを書いちゃいましたんで読んでください>
<左がさ、昭和5年の十六本堰の写真です。それまではね、松の木の杭を打ち込んで板で水をせき止める恐ろしく昔風の堰だったんだそうです。広瀬川から端気川へ水を分けるために最初に堰が造られたとき、打ち込まれた松杭が16本だったんで、それで『十六本堰』と呼ばれるようになったっていうことです。江戸時代のことですよね。
それが、コンクリート製の堰に改修されたのが昭和5年のこと、この写真なんです>
<これは今の十六本堰、昭和5年完成の堰が古くなったんで、平成8年から改修工事が始められ、平成12年3月に完成した新しい堰なんです。だから、前の堰は60年以上ずっと使われていたんですね>
<そいでね、キキはさ、60年以上前にこの堰の近くで生まれてずっと暮らしてきたおばさんからお話しを聞くことができたんです。そしたらさ、おヒゲが書いた「消えかけている路地」のお話しはね、この堰から始まらなくちゃいけないって気づいたんです。>
「そうなのよ、写真で分かる通り前の堰はさ、堰の上を渡るいことができたのね。もちろん、家の人からは渡っちゃいけないってきつく言われてましたよ。でもさ、怖いことってしてみたいじゃない。それとさ、橋を渡るよか近道だったのね。もちろん堰の管理をする人がいると、こらっ! って叱られるから近づけなかったけどね、いないのを見計らって堰の上を渡っていたんです」
<怖くなかったの?>
「そりゃ怖かったですよ。足の下を水が大きな音を立てていっぱい流れ落ちてくんだもんね、怖いったってたいがいじゃなかったわよね。でも、学校へ通う時なんか、家の人に内緒で渡ってたんです」
「それでね、堰を渡って橋の袂のとこからこの路地を通り抜けたのよね」
<お家はどのくらいあったの?>
「いっぱいあったわ、電柱のとこまでで10軒以上あったかしら。路地に面した家だけでなくて、その後ろの線路との間にも家があった気がするわね。家がびっしりあって、いつも人声がしてにぎやかだったのよね」
<ふ~ん、賑やかだったんだ…>
「橋の通りにはさ、酒屋さん、お惣菜屋さん、洗濯屋さん、タバコ屋さん、床屋さん…、お店も並んでたのよ。路地の対岸、芳町側にはね、うどん屋さんや旅館もあったのね>
<へぇ~>
「路地はね電柱のおしまいあたりのとこで川岸から右に曲がって、線路と川の真ん中ぐらいを通っていたのね。そこはさ、路地の両側に家が並んでいたの。おヒゲさんンが『菜園』だって言ってるところですよね、ここにもいっぱい家が建っていたのね」
<そうなんだ、最初から菜園じゃなくて、その前には家があったんだね…>
「そうよ、それで、家に挟まれた路地を抜けるとさ…」
「線路端の川岸の『道』へで出るの。通ろうとして見つかるとね、子どもは通ちゃだめだよって注意されたけど、あかんべぇ~して通っていたのね」
<悪い子だったんだね…>
「そう、あたしの頃の子どもはたいがい少し悪かったのよね」
「それでね、桃井橋の袂にある踏切に出るじゃない、ここの踏切には、昔は踏切番のおじさんがいてね、電車が通るときには手動で遮断機を降ろして、旗で安全を運転手さんに知らせていたのよね」
<踏切番のおじさんってのがいたんだ…、すごい…>
「そうなのよ、その踏切番のおじさんに見っかるとね大変だったの、きつく叱られてね。だから、見っからないように屈んで走り抜けてたのよね…」
<すごいお話しだね…>
「怖いことって、楽しかったのよね、だから…」
<ということなんです。昭和20年代にこのあたりで生まれて育ったおばさんのお話しなんですお
おヒゲが紹介した「広瀬川沿いに消えかけている路地」にはさ、こんな思い出も沁みこんでいるみたいなんです。面白いよね…、それなんで出てきちゃったんです。いかがでしたか…>
(注)キキの写真は、2011年4月19日撮影のものです
昨日の前橋は朝からずっと雨でした。雨があがったのはお昼ごろ、あがるのを待って用足しに出かけたんです。それなんで、番外編をキキに作ってもらってたんです。
伴内酒店に寄ってお酒を注文して、太陽の鐘に挨拶して、雨上りの広瀬川を眺めながら、住吉町1丁目のHさんのところへ行ったんです。
インコがいるんです、Hさんちには。そいで、子育ての真っ最中でした。右の写真分かりますか、良く肥えてまん丸なヒナが巣箱の中で折り重なっているんです。三羽いるのですが、写真では2羽が見えてます。左下が頭です。
それから、岩神町の養田鮮魚店へ行って…
立川町へ戻って来たら、顔の前をなんかが通り過ぎてったんです。すごいスピード!
ツバメです。ツバメなんです。今年も戻ってきたんです、南の島から。「お帰りなさい」なのです。
そいでね、店休日の中央通商店街を抜けてゑびす坂にきたら、おじさんが一人椅子に座っているではないですか、おかしいの…
知ってる人だったんです。建築デザイナーの松井淳さんです。格好いいですね、脚なんか組んじゃってさ。
「何してんの?」
「前橋まちなかエージェンシーの前橋デザインスクールが今日から始まるんです」
「始まると、通りで脚組んでポーズするんだ…」
「違いますよ、初日なので取材が入って、その写真撮りしてるとこです…」
松井淳さんは、前橋デザインスクールのスクール長をつとめているんです。ありがとうございます。
開校のようすは、まちなかエージェンシーのFBを見てください。
夕日がきれいでした。
十六本堰も輝いてました。いいですね、雨上りの夕日…
夕食には、Hさんにいただいたベトナム産のワインをいただきました。おいしかったです。
料理もワインにあわせて、タコと新タマネギのサラダ、ラディッシュと木の芽をトッピングしてとさ、アジの刺身レモン添え、それとマグロの漬けの山かけにしました。みんな養田鮮魚店の魚です。アジはさ、愛媛県は宇和島産、マナティーさんの故郷のアジ、一尾600gを超える大きな釣りアジでした。さすがおいしいですね。
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
8日に催しました美登利会にお運びいただきました皆さま、開催に当たりましてご支援いただきました皆さま、ほんとうにありがとうございました。祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と続けてまいりましたこの会をなんとか途絶えさせることなく続けさせていただくことができましたのも、皆さまのお力添えのおかげでございます。心から御礼申し上げます。
これからも、二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。ありがとうございました。
4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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