猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

落ち葉の中で風景が変わるのを待っている路地を訪ねました。前橋の路地第22回です

2017-11-30 16:06:42 | 前橋の路地

正幸寺の勝軍地蔵尊のお堂です。26日にはまだ公孫樹の葉はほとんど散っていなかったのですけれど、昨日立ち寄ってみたら散り敷きはじめていました。

 2本の公孫樹の樹はすっかり黄金色になった葉をたくさん残しています。近日中にお堂の周りは黄金色の海になります。

今日も前橋の路地をやります。丸山染工場のあった先の路地、人の暮らしが消えて風景が変わるのを待っている路地です。

 

  朝、いただいたグラニースミスをジャムにしました。とてもしっかりした酸味の素敵なリンゴジャムができました。右は出来上がり具合を確かめるので小さなパン切れにのせて試食したんです。

  広瀬川の十六本堰にはたくさんの落ち葉が流れ着いていました。カルガモが落ち葉の中を泳いでいました。

 

   
前橋の路地 第22回 馬場川沿いの路地その4 風景が変わるのを待つ路地

  丸山染工場があったところから第2保育所のところまで、川沿いの道は広がっている。自動車が走れる車道と川沿いの歩道が植え込みで分離されている。川沿いの道は舗道の先にある。
植え込みの先に白い壁が見える。あの家のところから右へ入る路地がある。今日は、馬場川からちょいと離れてこっちの路地に入る。

   右に曲がるとすぐに左に曲がっている。曲がると、右手は最初の家の生け垣、左側は白い壁の家の裏だ。その先は砂利を敷き込んだ空き地になっている。最近建物が解体処分されてできた空き地だ。この区域は前橋市が施行する区画整理事業が進められている。そのために、こういう空き地と無住になった家屋が日に日に増えているのだ。

  路地の右側、最初の家の先は住む人のいなくなった2軒長屋だ。隅を覗くと、奥に井戸のポンプが見える。物心ついた天川の戦災住宅はこんな家であった。

 長屋の前にも空き地ができている。ここの空き地にはアカマンマが一面に咲いていた。イヌタデ(犬蓼)の花、普通、7月ごろから10月ぐらいに咲く花だ。風あたりのない日差しが届く空き地は11月になっても花盛りだ。

  長屋の先を右に曲がるとそこには人の暮らしがある。ピンクの塗装が見える。『マヤ』という美容室がある。今も営業しているかどうかは分からないけれど、人の暮らしは確かにある。
左手のブロック塀は隆興寺の裏塀、隆興寺は前橋藩主酒井忠世の開基により1636年(寛永13年)に紅雲町にある龍海院の僧により創建されたと伝えられている。当時この地は前橋城下ではなく、十八郷村という村であった。

  マヤの先を右に曲がる。隆興寺の裏塀沿いの路地だ。路地は隆興寺の裏の外周を巡っている。この寺の寺域は十八郷村の時代のままなのだろうか。奥の赤い鉄製の門扉は使われていない。その手前、防犯灯の支柱のあるところを左に曲がって路地は続いている。

  左に曲がると右側はフェンスで囲まれた空地、突き当りの家も暮らしの気配はない。閉じた門の内側、玄関先のカエデの紅葉が美しい。
このくねくねと右左に曲がる路地を歩いてくると、小さな農村であった十八郷村に藩主の強権で寺院が移され創建された当時の田畑の畦道か集落道を歩いているような気がする。馬場川から水の引き込まれた田には蛍が飛び交い蛙が賑やかだったことだろう。古い街並みの裏路地には500年の昔の村の翳が残っている。

空き地の向こう側も住む人のいない家だ。取り壊されるのを待ってるだけの無機質な存在だ。
この路地、村の集落や田が長い時を経てまちの住宅地に変わり、そして70年前に米軍の空襲で焼き払われ、跡形もなくすべてを失った。その後、焼け野原となった路地につくられた人々の暮らしも、今、その痕だけになろうとしている。

 奥を覗くと大きく伸びたサザンカが満開になっていた。路地はここで行き止まり、元の道を戻る。

『マヤ』のある道の曲がり角まで戻ると、隆興寺の境内に続く路地がある。この路地の左側の家並みも、暮らしの臭いはない。
区画整理事業が進むと新しい風景が現れるはずだ。今ある家で残る可能性を感じさせる建物はない。未舗装の自動車の入れない路地も姿を消すしかない。また全てが失われる。
子どもの頃、私は、こんな路地で遊んでいた。メンコに興じ、かくれんぼや戦争ごっこをしていた。
人々の暮らしが消え、不確かな記憶だけしか残っていない路地は、新しい風景を待っている。

 

  
        前橋の路地 第22回 おしまい

 

 

   昼食は、一人でラザニアを作って食べようとしているところに出かけていたユキ子さんが戻ってきたんで、半分こして食べました。
それで、月末だからって理由で夕食の支度の免除申請をしたら、「ご馳走してあげる」っていうことになりました。しめしめで、鮨屋の『いわまる』へ出かけたんです。写真は、酒の肴につくってもらった刺身の盛り合わせとマハギの肝和えです。せっかくご馳走されるのですから、贅沢することにしました。おいしいです。

  たくさん飲んで、にぎってもらって…。写真は〆サバと大好きな車エビです。
珍しいことなんですよ、ユキ子さんにご馳走されるのって…

 

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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落ち葉が舞い踊り、川を流れ下っていくのを眺めてました。11月もおしまいです

2017-11-30 06:40:38 | あんじゃあない毎日

広瀬川の川面をたくさんの落ち葉が流れ下って行きます。

 桜の花びらが流れ下るさまを『花筏』というから、落ち葉だとなんというのかなと思って調べたら、俳句の世界では、『紅葉筏』、『紅葉の筏』、『紅葉川』という季語があるらしいです。
でもね、紅葉川って名前の川は全国各地にあるんですよ。東京都には都立紅葉川高校って高等学校もあるんです。どうでもよいことですけど…

 

 ご近所猫さんからも、<最近元気ないね>って言われてます。
もう、そろそろ埋もれたサイクルから脱出しなくちゃいけないのですけど、なかなかうまくいきません。無理してうまくいくとも思えないので、そろりそろりと抜け出そうと思っています。

  今日で11月も終わっちゃいます。子ども公園の木々も枝に残る葉っぱが少なくなってきました。広瀬川の流水も冷たく光ってます。冬になるんですね。

 

千代田町5丁目、昔の榎町の路地です。抜けると広瀬川…
路地の入り口の電柱の陰に置かれたブロックの上に猫がいます。しゃがみこんで写真を撮っていたら、鮨屋の『いわまる』のご主人が笑いながら声をかけてくれました。

 「ねえ、この猫はさ、メネシスんとこでよく見るよね」
「そうです、いつもはあの辺りで暮らしてるんですよ」
プロパンガスを置く台に使われてたブロックを猫は椅子代わりにしてます。この広瀬川抜ける路地には、今はやっている店は一軒もありません。昔はネオン輝く路地だったんですけど…

 

 町のあちこちに落ち葉の吹き溜まりができています。建物と風の抜け道の具合で、決まった場所に落ち葉は吹き集められています。広場に面したこの路地もその一つです。

中央前橋駅近くのビジネスホテルの前です。いっぱいの公孫樹の葉、風がつむじを巻いて落ち葉を吹き上げています。くるくる回り舞う落ち葉がきれいです。

昨日は何も考えずに、目の前のものだけ見て暮らす努力をしてました。そしたら、落ち葉ばっかり見えちゃったんです。

 

   夕方、常備菜がほとんどなくなりそうになっていたんで、揚げ麩の旨煮、鶏肝のワイン煮、それからいただき物の海苔を使った海苔の佃煮を作りました。あんまし気合の入ってない惣菜です。

 鶏肝で晩酌してたら、糸駒が東京から帰ってきました。

  夕食は鶏チャーシューのサラダ、それからニンジンいっぱいの卵とじの汁、それと、前日のおでんの残りの袋煮と昆布巻き、豚バラ大根でした。クミンをちょっとだけ効かせたドレッシングのサラダなかなか良かったです。
ニンジンの汁をいただいてたら、イカ人参が恋しくなりました。そういや、もう国分人参が出回り始めているのを見ました。

 

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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キンカンを煮た日は、前橋の路地第21回「馬場川沿いの路地その三 丸山染工場」です

2017-11-29 06:34:30 | 前橋の路地

昨日JAファーマーズ朝日町店へ野菜を見に行ったら、キンカンが並んでいたのです。早いなと産地表示を見ると、前橋産ではなく、高知県から届いたきんかんでした。さっそく買い求め、シロップ煮を作りました。
伯母さんンの大好物の一つでした。「これ食べると風邪引かないのよね…」って。

   煮込みおでんを作り、豚バラ大根を煮て、菊の花の甘酢漬けを仕込みました。
おでんは、大根、コンニャク、昆布巻き、袋、里芋を朝のうちに煮込どきます。あとは夕方、ガンモドキ、チクワ、ゴボウ巻、つみれ、ハンペンなんかの既製品を加えて温めてできあがりです。
ユキ子さんは昨日も上京、帰って来たら温かいものと思ったんです。

あとは、家で本なんか読んで時を過ごして、昼飯はまちのあおい食堂でラーメンを食べました。

 ラーメン食べた帰り道、時々ベランダ猫しているご近所の顔見知り猫に出会いました。昨日はベランダでなく、ガラス窓から外を眺めてました。
<馬場っ川のこと書いてるんだって?>
「うん、ボチボチね…」
<ずいぶん前だけど、俺が子猫だったころにMATTOとかいう雑誌にも書いてたよね>
「よく覚えてるな…」
「ロスアンゼルスから来た猫なんかが出てきてさ…」

2005年のことですからずいぶん前のことです。このまちで発行されたフリーペーパーにコラムを連載したんです。「前橋のまちで佐藤さんが実際に体験した話をベースにしてください。作り話でなく。それと、短い詩を一つ必ず扱ってください」。こういう注文だったんです。
家に戻ってキキに相談したら、「引き受けてやんなよ。ついでだからさ、必ず猫を登場させるといいよ」ってことになって、前橋のまち+短詩+猫のコラム「のんべえのほおづえ」がスタートしたんです。写真は、その第1回です。中央通商店街を舞台に書きました。私が、本業を離れて勝手気ままに書いた文章を人に読んでいただくことになった最初のコラムです。

毎月一回、13回連載したのですが、13編のコラムのうち馬場川が5回登場しました。そのうち4回は馬場川沿いの路地が舞台でした。当時も、馬場川沿いの路地を毎日のように通っていたんです。

 

 正幸寺の石橋の上から上流を眺めています。川沿いの道は、正幸寺の墓地のはずれで急に道幅が拡がって、川沿いに歩道のついた自動車が走れる幅員の道になっています。
前橋の路地21回は、正幸寺の先の馬場川沿いの路地が舞台です。

 

   
   前橋の路地第21回 馬場川沿いの路地 その3 丸山染工場

 正幸寺の墓地のブロック塀の端の角まで来ると、車が通れる道に出る。通称「養行寺通」、道の左手には法華宗の養行寺という寺がある。

 馬場川に面して市立の保育所がある。30歳のころ、国の大蔵省の知り合いから、「保育所の給食と栄養価の関係を調べてほしい」という依頼を受けた。そこで、こっちの知り合いの栄養士と組んで、県内5カ所の保育所を選び調査をした。その時。この保育所も調査対象の一つに選んだ。1週間分の給食を調べるのだけど、1回だけ試食させてもらった。おやつの干しブドウ入りの蒸しパンがすごくおいしかったのを覚えている。

 

馬場川沿いには「丸山染工場」の看板を掛けた建物がある。10年ほど前まではのれんや幟旗や法被なんかを染めていたのだが今はやっていない。

以前は坂の上の本町にあったらしいのだが、私が子どもの頃にはもうこの場所に移ってきていた。

 当時は、正幸寺の墓地脇の馬場川の中に、染め上げた布帛が流され、川に入って糊抜きの作業をしているのが見られた。
冬場は、5月の節句を飾る、鯉の滝登りや武者絵の幟が流されていて何とも美しかった。川岸に座り込んで水に揺れる極彩色の図柄に見とれていた。

 ひょんなことで、丸山染工場へ仕事をお願いすることになり、親しく話をするようになっていた。
ご夫妻は猫と暮らしていた。『トラ』という名の美しい猫であった。アメリカのロスアンゼルスから海を渡ってやってきた猫だった。

MATTOのコラムの連載第2回は、このトラに登場願った。

詩は古書店『山猫館書房』をやっている俳句作家、水野眞由美さんの作品を使わせてもらった。彼女の愛称は『ネコ』だ。ただこのコラムには大きな失敗があった。なぜかおしまいの一節で「馬場川」と書かねばならないところを「風呂川」としてしまった。校正でも引っかからず、赤っ恥がそのままさらされている。

 染工場の入り口の脇の壁面を見る。ここには、染色用のさまざまな刷毛や筆が掛けられていた。今は何もない。

  
           前橋の路地第21回おしまい

 

 かつてはこのまちのあちこちに染工場があったんです。櫓に吊るされた手ぬぐい地が風にたなびくのも見られました。でも、丸山染工場が廃業してしまって、このまちの染工場はたった1軒になっちゃったんです。千代田町5丁目(旧榎町)にある出世稲荷前の前、『相川のれん店』だけなんです。
今は、のれんや幟は安価なプリントのものが主流となり、本格的な染物を使うことが減っってしまいました。そこで、相川のれん店では、伝統的なのれんや幟の注文だけでなく、ご主人が染め上げた布を使っておかみさんがオリジナルのおしゃれなバックや小物入れを製造販売しています。染工場の方は平日毎日開いてますけど、バックや小物の店は土曜日と日曜日だけの営業です。詳しくは相川のれん店のHPをご覧ください。私も相川のれん店バックを愛用しています。

 

 メタセコイアの樹もすっかり色づきました。ぱらぱらと音を立てて葉を散らすのも間もなくです。

 夕方、煮込みおでんを仕上げて、ユキ子さんの両親ちへ届けた帰り道、南西の空がこんな具合に夕焼けていました。

 

   豚バラ大根、キンカンのシロップ煮、菊の花の酢漬けで晩酌しておでんで夕飯でした。昆布巻きの昆布は姉さんが北海道で買ってきてくれた柔らか昆布です。袋には、牛肉、舞茸、しらたき、ウズラの卵を詰めました。おいしくできていましたよ。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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伯母さんの月命日は平井写真館へ写真をお願いしに行きました

2017-11-28 06:43:12 | あんじゃあない毎日

昨日は伯母さんの二度目の月命日でした。糸駒は東京の稽古場へ、私は留守番…。

写真は、伯母さん、2代目吉駒が60歳のころの舞台写真、大和樂『じゃがたらお春』です。江戸時代に長崎で暮らしていたイタリア人と日本人の間に生まれた混血女性が差別を受け、バタヴィアへ追放され、故郷を想う実話を素材にした舞踊です。

 昼過ぎ、糸駒の写真が飾られている前橋駅西の平井写真館へ。伯母さんの写真が欲しいと何人もの方から言われているものですから、お配りできるようにプリントを作って額装してもらうお願いに来たんです。

 使う写真はこれなんです。千代田町の稽古場で撮影されものです。80歳を過ぎたころだと思います。普段の伯母さんの雰囲気がよく出ています。「いい写真ですね…」、平井さんも感心してました。写真の雰囲気を壊さない額を探すので少し時間をということになりました。

 

   午前中は若宮町の方へ野暮用です。城東町の見慣れた路地を横目に行ってきました。

  ついでなんで、北代田のくねくね曲がった集落の道を巡って日輪寺まで足を延ばしました。農村集落の雰囲気を残している細道もいいものです。

  道に面した庭にはいろんな柑橘が色づいてます。左のは少し大きなキンカンみたいです。右は温州ミカンかな…、まだ食べるには早そうです。でもきれい。

 そんな集落道を抜けたら、新しくできた道の傍で猫に会いました。青い首輪をしています。まだ若いみたい。私のことではなく、何かほかに気になることがあるみたいです。

   すたすたと道を横切ると反対側のフェンスに前足をかけて伸びをしてのぞいています。何か見えるのかな。しばらくのぞいてから、のぞくのを止めて歩きはじめました。

   隣りの家で庭の手入れをしている伯母さんがいました。この猫と暮らしている人かなと思ったんですけど、違うみたいです。全く反応せずに通り過ぎて、道を渡ると、向こうの墓地の隅の細い隙間を抜けて行ってしまいました。
田舎の猫のノンビリ暮らしです。

 新しい道に面した宅地造成地の隅にも猫が、この猫はずっと全く動きませんでした。日向ぼっこでもしてるのかな。

猫見の後、集落道から眺めた赤城山です。昨日は、風もなく心地よい秋の日でしたけど、午後は曇ってしまいました。

  くねくねした道を抜けて日輪寺へ。境内は落ち葉が散り敷かれてました。シジュウカラの声が欅の木から聞こえます。秋の日です。

寺の掲示板にこんなことが書かれてました。

  古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されては
  ならない。滅びゆくものを悲しんではならない。
  牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。

     ◌何ごともとらわれてはならないということでしょう

 

  桃の木川に出ると、堰の上の溜まり水をキンクロハジロが泳ぎ回っていました。
「なあ、古いものはいいよね、長く続く喜びってのがあるよね…」
<………………………………………>、返事はありません。

 堰の堤の上には羽を休めるカモたちが並んでいます。
「新しいものは魅力的だよね…」
<………………………………………>、やっぱ返事はありません。

  ヒドリガモばかりかと思ったら、ちょぴと離れてコガモもいました。派手な顔して。
<滅びゆくものを悲しんで、どこが悪いんだよな…>
<………………………………………>、コガモからも返事はありません。

 堰の下流には大きなダイサギが何もしないでいました。
「『何ごともとらわれてはならないということでしょう』って解説してるけどさ、勝手言うなよなだいね。人はさ、とらわれて、とらわれて、いろんな想念に悩まされ続けて生きてるもんなんだいね。煩悩は人の大事な持ちもんだよね。煩悩があるから考えるんだよな。」
<………………………………………>
「大事なことはさ、考える、思い計る観点を一つにしないしなやかさなんだと思うんだけど、違うかな…」
<………………………………………>、ダイサギも応えてくれませんでした。

 

 夕食は、チーズたっぷりのラザニアを作って一人で食べました。
食べ終わって、ウトウトしそうになったころ、ユキ子さんが東京から帰ってきました。
滅びゆくものを悲しんで、あれこれ思いめぐらすのですけど、まあ、あんじゃあないんですよね。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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糸駒は和楽会で『三番叟』を舞い、私は正幸寺、前橋の路地第20回です

2017-11-26 20:05:02 | 前橋の路地

昨日、県民会館で温故和楽会の創立70周年を記念する演奏会が開かれました。この会は、糸駒の祖母、初代吉駒が邦楽や舞踊に取り組んでいる同好の皆さんと作った会なんです。
その記念の舞台の口開けに糸駒が茂駒と清元『若柳三番叟』を舞いました。お祝いの舞です。

 74回続いてきた演奏会、二代目吉駒は毎回出演してきました。今年も舞台に立つ予定でしたが、残念なことにそれは叶いませんでした。今日が、2回目の月命日です。
早いです。伯母さんを見送ってもう二月が過ぎたんです。

  「写真だけでも撮っておいて」と糸駒に言われて出かけた県民会館裏の公園の木々の紅葉はそろそろおしまいに近づいているみたいでした。

 

 糸駒の舞台だけ観て県民会館を後にしました。ヤギカフェで昼食をと思い来た比刀根橋、広瀬川の川面にはたくさんの落ち葉が流れていました。
どこもかしこも落ち葉、落ち葉なんです。

 11月24日の『馬場川沿いの路地 その一』のおしまいの写真、米屋があった空き地も落ち葉に埋まってました。その向こうに正幸寺が見えています。
前橋の路地第20回はその正幸寺を訪ねます。いつも、折に触れて境内をうろつかせていただいている寺なんです。住職とは高等学校で一緒してました。

 

   
前橋の路地 第20回 馬場川沿いの路地 その2 勝軍地蔵の正幸寺

  馬場川に架かる正幸寺の山門に続く橋、石造りの橋だ。
正幸寺のはじまりは1501年(文亀元年)に大誉証栄和尚という僧が厩橋城の水曲輪(現在の市役所の南あたり)に小さな念仏堂を建てたのが始まりと伝えられている。その後1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで戦功を挙げた徳川家康が関東を治めることになり、厩橋城は家康の側近の武将平岩親吉が城主となった。正幸寺は親吉の信を得て城内に残ったようだ。
馬場川沿いに残る寺院のなかでは一番古い寺である。

  石橋の向こうは坂道、本町通(国道50号)から下ってくる参道だ。石橋の桁は大きな石材がみごとに削り出され美しい弧を描いている。馬場川に架かる橋の中で一番美しい。
厩橋城主になった平岩親吉には子どもがいなかった。そこで家康は自分の第八子の仙千代を親吉の継嗣として養子縁組をさせたという。しかし、仙千代は幼くして早逝し、親吉は正幸寺に亡骸を葬り、追善のために勝軍地蔵堂を建立したと伝えられている。江戸幕府が成立する以前の戦乱の世が収まり始めた時代の話だ。

 正幸寺の本堂を山門から眺める。
正幸寺が城内からこの地に移されたのは、江戸時代に入って酒井氏が前橋城の城主となってからだ。四代目藩主の酒井忠清による城の拡張に伴い 1656年(明暦2年)この地に移転させられた。当時、この地は城外で十八郷村と呼ばれる村であったという。
以来、ずっとこの地に続いてきたのだけれど、1945年(昭和20年)8月の米軍による前橋大空襲により堂宇を焼き払われ、全てを失った。正幸寺の今は、このまちの『戦災復興』と軌を一に、堂宇を再建し、宗教活動を再興してきた途上にある。
確かめていないけれど、参道の馬場川に架かる石橋は、空襲前のものだと思う。

 本堂の右手に鐘楼がある。今も、朝夕の時を伝える打鐘を欠かさない。最近流行の自動打鐘装置ではない、ちゃんと住職はじめ寺のみなさんが撞いている。
大晦日の除夜の鐘、正幸寺は檀信徒でない私みたいな者にも鐘を撞かせてくれる。百八つ撞いてまだ撞いていない人がいると二順目の百八つをしてくれる。諏訪若御子神社の弐年参りをすませてから正幸寺の除夜の鐘を撞かせてもらうのが城東町に住みついてからの新年行事となった。

 

境内の大公孫樹の下に将軍地蔵尊を祀る地蔵堂がある。公孫樹の葉が散ると黄金色の海の上に堂が浮かんでいるかの如くに見える。

 堂の中には、右手で武具を掲げ、左手に宝珠を持ち、白馬にまたがる若武者姿の勝軍地蔵尊の像が祀られている。不思議な仏像だ。
「悪業煩悩の軍に勝つ地蔵」ということであるが、その姿から戦国の武将の信仰を集め全国各地に伝えられているという。

美しい仏像だ。親吉は厩橋から甲斐に移り、失った仙千代の弟、徳川義直に仕え甲斐の国の統治にあたった。家康は、平岩氏の断絶することをあくまで惜しみ、その昔、親吉が産ませたという子を見つけ出し、平岩氏を継がせようとした。しかしその子の母が親吉の子供ではないと言い張ったため、家康もようよう諦め、大名家平岩氏は親吉の死をもって断絶したと伝えられている。一代限りの大名が遺した勝軍地蔵尊なのである。
幼くして逝った仙千代の面影がやどっているのであろうか…

  墓地に入り込むとシロダモの樹にもやもやした花が咲いている。シロダモは前の年の花が結んだ実が一年かけて熟れると次の花が咲くという。枝を見まわして赤い実を探すが見つからない。
足元を見ると、赤い実がたくさん落ちていた。今年は実が熟れて落ちるのが花の咲くのよりも少し早かったようだ。絶えることなく命を伝える実と花だ。

 山門を出て掲示板を見ると、写経の集いと法話の会の案内の間に一句。

  干し柿や あまたの恵 受けて生く  (角川源義)

正幸寺で命に思い巡らせた、キキの初めての月命日。

石橋のから馬場川を見る。路地は続いている。

  
            前橋の路地 おしまい

 

 呑竜仲店のヤギカフェで食べた昼食は鳥チャーシューのバルサミコ酢丼でありました。
糸駒は和楽会の舞台を終えるとすぐに、中村富十郎さんの7回忌の追悼の会へ顔出しするため上京しました。慌ただしいことです。

 

  私は家に帰ると、キキが遺して行った魚の開きのぬいぐるみと、飲み残しのコバルジンを処分することにしました。家の中にはまだキキが遺して行ったものがあちこちにあります。少しずつ、片づけて行こうと思っています。
コバルジン、2年近くキキが服用し続けた腎不全に伴う尿毒症を抑える薬なのです。

みんながいろいろ心配してくれます。でも、気分はいつもキキと一緒、あんじゃあないんです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
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十兵衛さんに180円お返しに昨日も角淵へ、今日は温故和楽会70周年の舞台です

2017-11-26 06:59:11 | あんじゃあない毎日

今日はキキのはじめての月命日、キキが逝って一月が過ぎました。
写真は2008年のキキと私です。
昨夜は、いろいろ思い出しながら写真を見てました。その中の一枚です。

 

 昨日の朝で歳末たすけあい募金の集金が終わりました。
54世帯から寄せられた寄付は11,481円でした。整理して、会計さんに届けました。

 11時になるのを待って、玉村町角淵の十兵衛さんへ出かけました。駅前の新妻屋で手土産の生菓子を選んでもらって、石倉町から利根川自転車道路を使って行きました。

   
育英高校の脇のイチョウ並木、野球部の練習の声が聞こえています。下新田町の住宅団地を過ぎたあたりの利根川の川面にはいろんな水鳥が集まっています。写真はマガモの群れとカワウです。カモは、マガモのほかにヒドリガモ、オナガガモなんかの群れが、それぞれ別の塊になって浮かんでいました。

 下新田町を過ぎると利根川の流れが見られるところはほとんどありません。川側は林、堤防の内側は住宅や工場や流通倉庫、田舎道に比べると単調です。ときどき林からシジュウカラみたいな囀りが聞こえて足を止めるのですが、姿は見えませんでした。

 川側のところどころに耕作地やなんかがあります。冬になるとコジュケイやキジに会えることがあります。菜園と林の際に気をつけながら走ったんですけど、昨日は出会うことはありませんでした。

  玉村町の板井で自転車道を降りて集落の道に入ります。新田で県道を越えます。向こうに赤く見えているのは玉村八幡の鳥居です。
ここは例幣使街道の宿場町としてたいそうに繁昌していたまちなんだそうです。江戸末期には300軒以上の家が道の両側に立ち並び、50軒ほどの旅籠があったんだそうです。明治の初めの群馬県令はこの町の繁昌に目をつけ、旅籠にいる飯盛り女を対象に税を課したんだそうです。
今はその賑わいはありません。もちろん飯盛り女を抱える旅籠も…

新田の南の田んぼの中から、玉村町の家並の向こうの赤城山を眺めました。
玉村町はたくさんの古墳がある街です。公式に143基のの古墳が確認されているのだそうです。小さな古墳や何かは農地の土地改良で失われているものもありますけど、軍配山古墳など有名な古墳が遺されています。

  田んぼ道を走っていると、ところどころに小さな古墳ではないかと思われる木立が見えるのです。その向こうに、真っ白な浅間山です。

 県立女子大近くで滝川を渡ります。この川の水はね前橋の総社町を流れている天狗岩用水の水なんです。天狗岩用水は下流では滝川となって、高崎東部や玉村の田んぼまで水を届けているんですよ。江戸の昔の人々の努力の遺産です。

   で、角淵に着きました。余裕があったので落ち葉が境内を埋め尽くしている角淵八幡にお参りしてました。近くに大きな瓦屋根の建物、民家ですけど、屋根のてっぺんに瓦の像が立っています。なんだろう、右手に宝剣みたいのを掲げているからお不動様かな…

 そいで、『十兵衛』さんで昼食です。
「毎日ありがとうございます…」って、迎えてくれました。嬉しいですね。
昨日の注文は、ガーリックポーク定食(880円)でした。お肉たっぷりでおいしかったです。
「また寄らせてもらいおます」って、昨日お借りした180円ちゃんとお返ししてきました。

 

帰り道、利根川に架かる横手大橋の上から前橋のまち越しに赤城山を眺めました。いいね…

 赤城山の稜線の向こうの雲が突然小さく窓を開けたみたいになって、そこに上州武尊山が真っ白な姿を現しました。きれいです。
しっかり冬です。

 

 夕方の広瀬川です。東の雲が夕日を浴びて茜色に染まりました。良い天気が続きそう。

 今日は、温故和楽会の演奏会です。先代の吉駒が同好の皆さんと始めた邦楽と舞踊の集まりなんです、和楽会は。二代目吉駒は、この会ができたときから舞台に立ち続けてきて、今年が創立70周年、74回目の舞台になるはずだったんです。生前、「今年も出るよ」と話していたんですけど…
で、今年は糸駒が茂駒と一緒に『若柳三番叟』を口開けに舞います。12時ちょい前の舞台です。入場無料ですので、お暇でしたらお運びください。

 

   Tさんからフグ鍋のセット届きました。
ユキ子さんの両親を招いて一緒にいただきました。〆は雑炊にしました。
「おいしいね…」、両親もたいそう喜んでいました。

 

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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「ボケっとしてんな!」の一言で晩秋の景色の中を玉村町の角淵まで、そいで十兵衛さんに180円借金して…

2017-11-25 07:27:23 | あんじゃあない毎日

これは、広瀬町あたりから見た赤城山です。昨日は、お昼前から自転車の乗って玉村町の角淵まで行ってしまったんです。晩秋のきれいな風景がいっぱいでした。そいで、角淵で180円の借金をして戻ってきたんです。

 伯母さんが暮らしていた部屋に続く内玄関に、東京での定宿にしていた市谷グランドヒルというホテルのスタッフの皆さんから贈られた盛花が飾られてます。ありがたいことです。
それで、独り言ブツブツ言いながら考え事して部屋の中うろうろしてたら、お弟子さんのお稽古をしていた糸駒が顔を出して、「何ブツブツ言ってんのよ、暇だからってボケっとしてんじゃないのよ!」って、手にしたもの振り回して威勢つけられちゃったんです。

  この一言がきっかけで、久しぶりに健康志向で自転車をこぎ出したんです。もちろんコースは川沿いの道、子ども公園のところからずっと広瀬川沿いを南へ向かいます。西片貝、文京町、朝倉町、広瀬町。広瀬町の分水からは韮川沿いの道を南へ、山王町から東善町、駒形町、ずんずん走っちゃいます。

 これは、伊勢崎市に入ったところ、稲荷町あたりの韮川です。
川沿いの道は自転車にとってとてもありがたいのです。自動車は通行不能か、通行できてもあまり走っていません。それと、道の川側からは何も飛び出してこないので片側だけ注意して走ればよい訳で、すごく楽しいです。

 大川との分水を過ぎると韮川は放水路になります。利根川に余剰水を吐き出す水路に変身してこんな姿になってしまいます。そいで、川沿いの道もなくなります。仕方ないので川沿い諦めて、宮子町から東上之宮町経由で利根川を目指します。

宮子町の田んぼは麦まきの最中でした。終わった田んぼ、まだ起こしてない稲刈りがすんだままの田んぼ、いろいろで、そんな模様の田んぼ越しの赤城山です。前橋のまちから見る赤城山とちょいと違います。女性の寝姿に見えるって人もいるのですが、見えますかね…

   ニラ専門で農業している友人のハウスをのぞいたら、作業中でした。ご無沙汰を許してもらってハウスをのぞかせてもらいます。中の写真は収穫前の成長した韮です。右のは、種から育成した苗を定植したところ、放水用の穴がいっぱい開いているホースから霧状に水が撒かれています。ハウス栽培のニラはこれから冬にかけてがおいしい季節ですよ。

 

 柴町で利根川の堤防にたどり着きます。堤防は見事な草紅葉でした。

五料橋を渡って玉村町の五料へ向かいます。長い橋のほぼ中央部で自転車停めて利根川を眺めます。強い風が吹き出してました。見えている山は左から榛名山、小野小山、子持山です。その向こうの上越国境の山並みは雲の中、雪が降っているのだと思います。

 橋を渡りきるころ振り返ると赤城山が見えてました。利根川は大きいです。この川を手づくりのいかだで下ったことがあるんです。ずいぶん昔のことです。

 五料からは利根川から烏川の堤防上につくられている自転車専用道路を走ります。烏川の堤防に入ると西に向かって一直線、風に向かってペダルを踏むことになります。せっせせっせと休まずに踏んでなくちゃなりません。
それとね、この道は川が見えないんです。ゴルフ場が続くんです。ゴルフやらない人間にはおよそつまらない風景なんです。でもね、

これは玉村ゴルフ場の南側、烏川よりのところです。公孫樹のトンネルを輪行している人がくぐり抜けてきます。向こうから見りゃ、私も同じ風景の中にいるんです。

 公孫樹がちょうど一番きれいな時に来た見たいです。目の前をたくさんの葉っぱが舞い散って行きます。

 そんなこんなしているとゴルフ場を過ぎて川岸の木立の間から烏川が見えてきます。向こうの山並みは多野の山、御荷鉾山(みかぼやま)や稲含山(いなふくみやま)なんかです。まもなく、目標にしてきた玉村町角淵に着きます。

角淵の烏川、橋は岩倉橋です。橋を渡ると高崎市新町です。時計は1時を過ぎてました。
冬の川です。水がきれいです。

 今年の正月のことでした。元気だった伯母さん連れてこの川岸に来たんです。ハクチョウが渡ってきているって話を聞いたものですから。
コハクチョウに出会えました。伯母さん、始めて見る野生の白鳥に大喜びしてました。楽しい正月でした。

ハクチョウの姿はありません。まだ来てません。川面にいるのはヒドリガモやなんかのカモと、それからカワウです。今年も来るといいななんです。
それで、腹が減りました。休憩して、昼食をすることにしました。

 角淵から玉村の中心部の新田へ向かって最初の食べ物屋さんに入ることに決めて走り出したら、『十兵衛』という看板が目に留まりました。トンカツやなんかをやっている和食の店みたいです。飛び込んじゃいました。

 注文したのはヒレカツ重です。おいしかったです。
で、勘定しようと財布を出したら…、な、ナント、お金入れてる財布じゃない、商品券やなんかを入れてる別の財布がポッケから出てきたんです。小銭を勘定したら672円しかありません。どうしよう…
事情を話したら、「いいですよ、今度の時で…」ですって。とりあえず小銭で600円支払して、180円借金することになりました。
「うちの営業時間は11時から2時過ぎまで、夕方は5時半からです。それと、日曜と祝日はお休みさせていただいてますので…」親切に教えてくれました。

 

前橋の力丸団地の見える玉村町の樋越の田んぼは麦の種まきの真っ最中でした。
今日、また玉村まで一走りしようかな… なのです。180円お返ししなくちゃいけませんから。

 

   夕食はね、サラダ用のからし菜とベーコンと舞茸の炒めたののサラダ、ニンジンの葉とチェダーチーズの天ぷら、それから豚バラ大根と味噌仕立ての温かいとろろ汁でした。

十兵衛さんに180円借金しちゃったけどあんじゃあない一日でした。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
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前橋の路地は『馬場川沿いの路地 その一』です。それと、黒猫の熊野詣とはかりめ丼

2017-11-24 07:08:12 | 前橋の路地

昨日の朝は夜来の雨がまだ降り続いていました。ご用で上京する糸駒は傘をさしてタクシーに乗り込んでいました。
糸駒が出かけて間もなく雨はやみました。二階の窓からご近所さんちの屋根の間に赤城山の鍋割が雲間に浮くように姿を見せてくれました。

 雨粒の波紋がなくなった水溜りには、葉の落ちた柿の木の枝が映っていました。
でもね、昨日も庭仕事はパス、ずぶ濡れになっちゃいますから。で、他の頼まれ仕事だの、自治会の組長の仕事なんかしてたら昼過ぎになってしまいました。

  用足しに出かけるのに通りかかった裏弁天通、裏路地には落ち葉がいっぱいです。

今日から、前橋の路地で三河町1丁目の馬場川沿いの路地を取り上げます。明治7年開校の中川小学校のところから国道50号と赤城県道の交差点にあるホテルの裏手までの路地です。馬場川は本町と三河町の境界を流れてますけど、川沿いの路地は三河町です。
一度で書けないのでしばらくシリーズで書き続けることになります。よろしくお付き合いください。

 

   
前橋の路地 第19回 馬場川沿いの路地 その一 眼鏡探しの思い出

 物心ついたころから通ってきた道だ。
当時は天川の戦災住宅で暮らしていた。母につれられてまちへ出るとき、両毛線の線路伝いを歩き、新町の踏切から日赤病院の方へ進むと焼まんじゅうやかき氷を商っている下山商店の角に出る。そこから、線路と並行している路地をまちに向かうと中川町(今は国道50号沿いの朝日町と本町の東ハズレ)の松竹院の裏手に出て、そこで馬場川に出会う。川は国道50号の道路の下をくぐり抜けて来ている。国道を渡ると、中川小学校の校庭の南西の隅でまた姿を現し、国道の崖下、流れはまちまで続いていた。
流れの北側、芳町(今の三河町1丁目)側に川沿いの路地が続いていた。母に手を引かれて歩いた道だ。

 写真を撮っていたら犬を連れて散歩しているおじさんが、「おい、お前も撮ってもらいな」と犬にすすめる。「住む人が減っちまって、寂しくなったいね、昔は賑やかだったんだけど、芳町も…」という。
犬の背後に水門がある。この水門は馬場川が農業用水として使われてきた名残だ。ここから馬場川は南へ流れ、天川原町の田んぼに水を届けている。この水門で分水した水は、中川小学校の中を流れ、旧中川町から大塚町にかけての田んぼに水を届けてから、端気川に合流していた。

馬場川には対岸の家の数だけ橋が架けられている。川の南側で暮らす人は川に橋を架けて出入り口を確保している。水道管も川を渡って繋がれている。
川に浮かんでいる小舟は、ここでアヒルを飼っていた人がいて、そのアヒルの休憩場所だ。今はアヒルはいない。

  以前、この辺りの薮でカルガモが営巣し、川面で子育てをした。その時は、小舟はカルガモの幼鳥の休憩場所となっていた。

まだ、6畳と4畳半二間の戦災住宅で暮らしていた時のことだ。夜寝ていたら大きな声が聞こえ、一緒に寝ている姉二人とそっと起き出して声の方を見る。土間で、父が頭から水を浴びせられていた。冬のことだ、冷たかろうに…

  川にかけられた橋だ。左は住む人を失った家の橋、右は今も暮らしのある橋だ。端に並ぶ植木鉢がその違いを教えてくれている。

翌朝すべてが分かった。父は酒に酔って帰宅する途中、馬場川へ落ちたのだ。それで、どろどろになって帰ってきて水を浴びせられていたのである。県の教育委員会から通勤用に支給されていた自転車は川から引き揚げて押してきたらしく土間にあった。
「眼鏡落としてきたから、探してきなさい!」、母から命令が下った。

 当時の川沿いの路地には住宅だけでなく店屋もあった。今も青柳商店という食糧品を商っていた店の建物が残っている。営業はしていない。
店の前の路地、馬場川の岸にフェンスが見えているが、昔はフェンスなどはなかった。落ちるのは簡単だった。ここではないが、今の東和銀行本店裏の馬場川に軽自動車が落ちているのを見たことがある。「酔っ払いがさ、みんなしてもちゃげて、抛りこんじゃったのよ…」、近所のおばさんの嬉しげな解説を聞いた記憶が残っている。

 使われなくなった丸木を二本結わえた橋だ。こんな簡便な橋も残っている。落ちて不思議はない。

中川小学校のところから川底をのぞいて歩いた。一所懸命川底にメガネが沈んでいないか見つめていた。冬の馬場川は水量も少なく、水も澄んでいる、落ちていれば見える。

 でも、眼鏡は見つからなかった。父は、しばらくの間、眼鏡なしで仕事に出かけていた。まことに変だった。まだ5歳ごろの記憶、馬場川にまつわる一番古い思い出だ。

馬場川沿いにはいくつもの寺が並んでいる。まちに向かって最初は旧中川町の松竹院、次が正幸寺、その次が養行寺、そして隆興寺、赤城県道近くの東福寺、県道渡って明聞寺、六つの寺が並んでいた。
中川小学校のところから川沿いの道に入って最初の寺が正幸寺、その手前のおおきな紅葉した樹のある空き地には米屋があった。猫が飼われていた。

 
           前橋の路地 おしまい

 

 夕方近くまちで黒猫に出会いました。立川通りの蕎麦屋『大川屋』の脇の路地です。どこから来たのかは分からないのですが、どこかへ行こうとしています。ついていくことにしました。

   黒猫は立川通りの裏通りに向かいました。角でちょいと呼吸を整えて周りを窺って、左の歯科医院の建物に沿って歩いて行きます。まさか歯医者に用があるわけはないと思ってたら、道を横切って反対へ進みます。

  熊野神社の鳥居をくぐって拝殿前まで来ると、すっと背筋を伸ばして社をしばらく見上げていました。それから拝殿の脇へ回って姿を消しました。
黒猫の熊野詣でした。

 昼過ぎには晴れたのですけど、勢いよく雲が流れていた一日でした。
日が落ちるころ、上京していた糸駒が帰ってきました。

 

   夕食はアナゴ丼に野菜汁、ヤリイカのカルバッチョ、それとヤリイカのげそと金時草の柚子ポン酢和えでした。

 このアナゴ丼、いつものと少し違うんです。
テレビの『三宅裕司のふるさと探訪』って番組見てたら訪ねた先が千葉県の富津市、そこで「はかりめ丼」って食べ物探してたんです。「はかりめ丼」って何だろうなと思って見てたら、富津で獲れたアナゴを煮て丼飯に載せて炙ったものだったんです。アナゴ丼なんです。なんで「はかりめ」っていうかというと、生のアナゴの皮目の模様が竿秤(さおばかり)の竿に彫りこまれた「秤目」に似ているからなんだそうです。知りませんでした。

ただね、普通のアナゴ丼と違ってさすがは富津なんです。ご飯の上にたっぷりとモミ海苔を盛って、その上に煮アナゴ載せてバーナーで炙ったんです。海苔です、千葉海苔です。
それなんで、昨夜のアナゴ丼には、鳥山海苔店の千葉海苔をもんでたっぷり使わせてもらいました。うまかったです。江戸前の味になりました。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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冷え込んだ一日、三河町の街並み眺めて、あれこれ考えてました…

2017-11-23 07:36:13 | あんじゃあない毎日

我が家のヤマモミジです。しっかり色づいてくれました。
寒い一日でした。ほんとうは庭の手入れの予定なのですが昨日もパスしちゃいました。身体が寒さに慣れてません。
玄関先の水鉢は凍らなかったのですが、前橋は初氷が観測されたそうです。

 十六本橋の上から見た広瀬川です。曇り空から頼りない薄日が差し込んできています。カルガモが泳いでいます。

  この季節、十六本堰のところにはカルガモが集まって冬越しです。桃ノ木川や幸の池なんかを渡り鳥のカモたちに占拠されて人の暮らしに近いところに逃れてきているのかもしれません。それと川岸に暮らすSさんが餌をあげてるみたいなんです。広瀬川の冬は水量も少なく、流れも緩やかになります。のんびりと冬越しなんですね。

 三河町の正幸寺に立ち寄ったら、生け垣に茶の花が咲いてました。きれいです。

 

三河町一丁目は区画整理事業が進められています。私が子どもの頃、まだ芳町と呼ばれていたころの風景がどんどん失われて行きます。この写真の建物は隣接する建設会社の社長さんのお住まいだったと思います。もう使われていないみたいです。

 消防車も入れない、タクシーを玄関に着けられない、そんな不便な家もたくさんある地域です。建物の老朽化も進んでいます。だから、区画整理をして、安全で便利なまちにする必要があるのだということは理解しています。
でも、長く目にしてきた風景が失われるのは寂しいことです。分かっていても寂しいです。

 路地に入ると昔使われていたコンクリート製のごみ箱が横倒しになってました。
前橋の路地のシリーズをはじめてから、通りかかるとふと立ち止まるんです。そこにはたいてい子どもの頃やなんかの古い記憶を呼び覚ましてくれる何かがあります。

<ぐじゃぐじゃ言ってないでさ、さっさとやんなよ。やりたいんだろ、馬場川沿いの道の話、やりたいんならやりゃいいじゃない…>
三河町のまち猫です。塀の上に並んで丸くなってました。こういうまち猫の暮らしていく場所も変わります。
そうなんです、日に日に風景の変わって行く馬場川沿いの路地のことを書きはじめようと思っているんですけど、なかなかきっかけがなくて考えちゃってたんです。

 昼食は呑竜仲店の『ヤギカフェ』でした。ケールと豆の入ったドライカレー、おいしかったです。そうそう、ヤギカフェのネコフェス2017は今日(23日)で完全閉幕です。ポイントの溜まっている方は、豪華商品との交換をお急ぎください。詳しくはこちらです

 

 まちで用足ししてたら、「ボタンエビが入荷しました」ってメールです。それなんで、帰りは、岩神町の養田鮮魚店へ遠回り、広瀬川の遊歩道を抜けてたら、厩橋の上流のところで落ち葉を詰めたポリ袋がたくさん積み上げられてました。
これ見るとさ、るなぱあくで働いてたとき見送った熊のムーンのこと思い出します。ちょうど10年前の冬の終わりに見送ったんです。

 鮮魚ケースは賑やかでした。一番上のサワラいいね、大きくて、3.5㎏以上あるんじゃないかな。

家への帰り道、中央前橋駅の脇を通ったら、広瀬川越しに西桐生へ出発して行く電車を見送っている猫がいました。じっと電車を見てるんです。誰か顔見知りが乗っているのかな…

 声をかけても振り向きません。
やっぱ、馬場川沿いの路地のこと書くことにします。一度で書けないから、何回かに分かれると思いますけど、とにかく明日からでも始めようと思います。あんまし楽しい話にはならなそうですけど、お付き合いください。

 

  ボタンエビの刺身です。刺身を食べた後、頭はグリルでしっかり塩焼きにしていただきます。バリバリ食べちゃうんです。おいしいです。
今日、糸駒は大事なご用で上京します。いやな思いをさせられるんじゃないかと案じながらご馳走してあげることにしたんです。

 こっちはヤリイカを二品、左はヤリイカと柿の実の菊花和え、右はヤリイカと金時草の柚子酢味噌添えです。どっちもいいですね、季節の味になりました。

  それから、金時草とニンジンの葉と舞茸の天ぷらです。お椀は、なんと『牛汁』、トン汁でなくギュウ汁です。ゴボウ、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、コンニャク、舞茸なんかを牛肉入れて汁に仕立てたんです。味付けは、みりん、塩、しょうゆです。おいしいですよ、トン汁とは別もんのおいしさです。

今、糸駒はタクシーに乗って駅に向かって出かけて行きました。あんじゃあないことを祈ります。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
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5年前、キキが料理教室で紹介してくれた豚バラ大根を煮てました

2017-11-22 07:17:13 | あんじゃあない毎日

昨日は冷え込みました。三河町の旧大竹酒造の煉瓦蔵の向こうに冷たい赤城山が見えてました。
今朝はもっと冷え込んでいます。ちょっと前まで外の気温は1℃、氷が張る手前まで下がりました。寒いですね。

それにね、昨日はちょいと不都合なことがあって、夕方近くまでお出かけしなかったんです。
でもね、家にいるとさ、お花屋さんや宅配便のクロネコが届け物してくれたり、宗教団体の人が布教に来たり、「歳末たすけあい募金の集金に来てください」って電話が来たり…

 そうそう、この写真はね、リバティーの美喜江さんが彼女の携帯で撮り貯めてたキキの写真を編集して印刷してくれたんです。一番古いのは2008年7月、一番新しいのは今年の4月…

 配達に来たクロネコの人がこんなこと言うんです。「前にブログに載せてもらったことがあるんです。植木を配達した時なんですけど、そのことリバティーさんに教えてもらったんです。リバティーさん『面白いから毎日見てるのよ』って」、それで、この写真をいただいたのを思い出したんです。拡大したのはさ、今から10年前のキキと私、リバティーでお茶してるんです。「髪の毛ずいぶん黒いね…」とユキ子さん…

 

 

 それで、家で何してたかってえと、惣菜づくりしてました。これは昆布巻きを巻いてるところです。姉さんが南北海道産の柔らかな昆布を届けてくれたんです。
そうそう、清王寺町(今の日吉町三丁目)で暮らしていた小学生のころ、繭から糸を引く糸繰の内職がなくなって、近所のおばさんたちが始めた新しい手内職、ミシンを買って縫製の仕事をするか、炬燵で昆布巻くかだったいね。昆布巻きの遠い記憶です。

  こっちはさ、豚バラ大根だいね。大根を焼いてから煮る大胆な料理なんですよ。
そうだ、5年前、工大の理事長職に就くことになって、大学へ通い始めたころ、キキがさ、『キキの料理教室』で取り上げてくれた料理なんです。

 そん時のキキです。
<それがさ、結構いい匂いのする料理なの、それで、ベットから出て見に行くことにしたんだ。皆さんにも見せてあげるね…>って。
『豚バラ大根のつくり方 キキの料理教室(第17回) おまけはイタリアの猫』はこちらでご覧になれますよ。腎不全になる前、15歳で元気だったキキです。
 
 
   あとは蓮根のきんぴらでしょ、椎茸の含め煮でしょ、さっきの昆布巻きでしょ、それから五目豆、カボチャの甘煮も作ったんです。
で、出来上がったのを、ユキ子さんの両親のところや、患っているお友だちのところへ届けに行ったのは夕方近くになってからなんです。
 
 
 
空き地のエノコログサの穂が白く揺れてました。冷たい風が吹いていました。
 
 
   夕ご飯はさ、辛めのマーボ豆腐、向こうに見えてるのはトマトとレタスのサラダ、それと白菜のミルク煮、ゼンフーズさんんとこの肉しゅうまいでした。
なんかさ、ずっとキキのこと思い出しながら過ごしちゃった一日でした。
 
 
 
 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
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