猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

4月10日に開催される美登利会舞踊公演の鬘合わせが行われました。広瀬川の畔、須賀の園の対岸で…

2022-02-28 07:35:48 | あんじゃあない毎日

鬘(かつら)屋さんが、かつらの地金を合わせています。
昨日、三代目吉駒が主宰する美登利会の舞踊会に出演する皆さんのカツラ合わせが行われました。

 
かつらの地金がたくさん並んでいます。頭の大きさに合わせて選んだ額側の地金から頭にあわせて行きます。頭の大きさって大人でも変化するんだそうで、毎回合わせる必要があるって言います。美登利会の舞踊会は毎年春に開いています。1937年(昭和12年)に小柳町(現住吉町2丁目)の芝居小屋「柳座」で第1回が開かれました。以来、戦時下に開催を禁じられたのを除いて今年が78回目です。良く続いているものです。

 
地金は、鋏を入れたり、木づちで叩いたりして成形して行きます。78回美登利会は4月10日に昌賢学園前橋ホール(市民文化会館)大ホールです。併せて、三代目若柳吉駒リサイタルも開催します。ゲストには、伝統芸能解説者の葛西聖司さん、歌舞伎俳優の中村鷹之資さんをお招きする予定となっています。

 
額側の地金が成形されると後頭部の地金を整えて、額側の地金とハトメでつなぎます。これで地金は出来上がり、仕上がり加減を後ろから見ているのはかつらの髪を結う床山さんです。あと、衣装屋さんも来ていて採寸等をしています。鬘合わせが開かれると、舞踊会への緊張感が高まります。

 昨日の鬘合わせは、広瀬川の新貝橋の袂にある市の第2コミュニティーセンターの部屋を借りて行いました。川の対岸には須賀の園があります。

 

   十六本堰下流の広瀬川あたり その4
   第4回は『須賀の園と平井晩村の墓』です


イトウ牛乳から川沿いを下流に向って歩くと、川岸に年老いた桜の木が並んでいるところに出ます。道の内側には藤の須賀の園があります。

 
この桜は私がとぼとぼと歩いていた子どもの頃から立派に咲いていた桜です。広瀬川と須賀の園の間に道はなく、土手の桜の風情でした。美しく咲いていたのを覚えています。今はみすぼらしい老木となりました。私も一緒に年とって「後期高齢者」と呼ばれています。

 
須賀の園は明治の末に個人がつくった庭園です。池を配した回遊式の庭にフジがたくさん植えられていました。子どもの頃にはまだ池があって、ボート遊びもできました。今は、庭園の規模が狭められ、池もなくなりましたが、樹齢200年を超える9株の藤は素晴らしいものです。こちらの案内をご覧ください


須賀の園の対岸に、前橋市の保健所と第2コミュニティーセンターがあります。その南の広場、広場がつくられる前は墓地でした。墓地の入り口に『平井晩村の墓』という掲示がありました。
平井晩村(1884~1919)は前橋市本町の生まれ、前橋中学を中退し早稲田大学高等師範部を卒業し、新聞記者を経て文筆業に入りました。小説、詩、民謡詩などたくさんの作品を残しています。ただ、その生涯は辛いものだったと思われます。

 

  母無くも父はありけり父死なば
            誰たよるらん撫子の花

  やがて死ぬ父とも知らで日記つけて
            褒められに来る兄よ弟よ

ここに来るのに通ってきたこども公園の文学の小径にある平井晩村の歌碑です。晩村は、30歳を過ぎたころ愛妻を失います。そして、幼子三人を抱えて結核を病み、前橋の生家に帰ってきます。結核と闘いながら原稿を書き続けますが、35歳で死にました。短い生涯は苦難の連続だったようです。悲しい歌を残してくれました。ここにあった墓地が移転した嶺霊園にも「平井晩村の墓」の案内板が建てられています。

 「晩村は悲しい男だった」と教えてくれたのは、高校一年の時の担任教師、林大英先生でした。墓地を知ったのもその時でした。 前橋高校の校歌は晩村の作詞です。でも…

     落葉
  落葉掻くまで大人びし いたいけな子に母はなく
  父は庄屋へ米搗きに 留守は隣へことつけて
  連もなければ只ひとり 裏の林で日を暮らす
              (1915年「野葡萄」より)

寂しい詩です。こちらは前橋公園の臨江閣下の詩碑に刻まれています。私には、前橋高校の校歌よりも「落葉」のほうが深く心に刻まれています。「悲しみを理解できるようになれ」と教えられたことを忘れずにいます。第4回はここまでです。

 


昨日は暖かな日差しは届いていましたけど、強い風が吹いていました。部屋の中の陽だまりのCOCOは、手足を伸ばして寝ていました。気持ちよさそうです。

  
私は常備菜づくり、カジキマグロの角煮。サツマイモのレモン煮、胡桃ちりめんを作りました。それと、黒紫小豆を煮て、茹で小豆にしました。年寄りの栄養源です。

 

 それから、美登利会の鬘合わせを覗きに出かけました。こども公園の広場で、風なんか気にもせずに楽しそうに遊んでいる家族の姿がありました。

 鬘合わせの写真を撮らせてもらった後、広瀬川を更に下流へ向かって歩きました。両毛線の高架をくぐり、天台橋まで行きました。水の無い川底を覗いていたら、隣のふぇんずにムクドリがやってきて一緒に覗いていました。ムクドリは餌探し、私はネタ探しです。


赤城山の後ろには厚い雲がありました。午後になっても風は収まることはありませんでした。帰りに西片貝町から見た赤城山、雲で陽の光を遮られていました。青い赤城山です。

 

 わが家のツバキが咲き始めました。メジロが遊びに来てくれると嬉しいです。

  
夕食は、春野菜の天ぷら、ウドの芽、フキノトウ、ツミナの蕾、春菊です。自家製の目鯛の味噌漬け、油揚げとブロッコリー・アレッタのカレー炒めです。

  汁はネギの根深汁、漬物かわりにトマトとブロッコリーでした。フキノトウ、ツミナの蕾、おいしいですね、春ですね。

ロシアのウクライナ侵略が続いています。世界中から「NO WAR」の声が上がっています。私も「NO WAR」です。

 

2月27日の体温  8:00 36.5℃  12:00 36.5℃  21:45 36.7
 2月28日  7:30  体温 36.5℃  血圧 最高129 最低70

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。


河津桜が咲き始めました、急に温かな陽気になって慌てたみたい。『十六本堰下流…』は懐かしの瓶牛乳…

2022-02-27 08:02:43 | あんじゃあない毎日

河津桜の花です。桜の花が咲き始めました。

 
昨日は急に暖かくなりました。冷たい風も吹きません。ホカホカな日差しがいっぱいでした。それなんで、きっとと確信して県民会館東の日吉公園へ行って見ました。ここには20本ほどの河津桜が植えられています。東側の園路に沿って植えられている河津桜、咲いてます、咲き始めていました。


広瀬川では川の中に作業員の姿がありました。流路の障害物を取り除く作業が温かな日差しの中で進められていました。

  十六本堰下流の広瀬川あたり その3
  第3回は『瓶牛乳』です。

 十六本堰の下流の最初の橋は広東橋です。日吉町のみずき通りにつながる幹線市道の橋です。橋の向こうは城東町、手前は朝日町です。ここからは川沿いを歩くことができます。

 
川沿いを行くとこども公園の駐車場があります。ここには以前は市営の屠場がありました。前橋市になってからの旧一毛町は、屠場や避病院(伝染病院)がつくられました。街はずれの田畑の多い農村地帯でしたから、街中では嫌われる施設がこの地に集められたみたいです。戦後、前橋市立第二中学校が開校した時に伝染病院は移転して行きました。そしてその後、屠場もなくなり、こども公園と児童文化センターができました。お天気の良い土曜日、朝から家族連れが遊びに来ていました。


川の右岸は遊歩道になっています。左岸は車も通れます。私はこの川沿いの道を5歳の時から歩いていました。見栄っ張りだった母親は、天川の戦災住宅から4㎞以上離れている幼稚園に私を通わせました。一番近い経路は広瀬川の川筋を辿って、広東橋か十六本橋から北へ向かうコースでした。道はこんなに立派ではなかったです、川岸の狭い泥道した。いろんなことを思い出します。

 上の写真に「おかべの郷」の看板が見えています。我が国最大手の豆腐製造会社の相模屋食料の豆腐工房、手作り豆腐を製造販売しています。伝統的な豆腐だけでなく、相模屋の新製品ビヨンド豆腐ナチュラル、とうふにゅうめんなんかも並んでいます。詳しくは、前橋新聞のこちらをご覧ください。もちろん、私が子どもの時にはありませんでした。

  おかべの郷のちょいと下流に「イトウ牛乳」の看板があります。こども公園のある所からこのあたりまで、昔は何軒かの酪農家が並んでいました。木の柵の中に牛が放されていたのを記憶しています。そのほとんどが姿を消しましたが、残っていたのはこの伊藤牧場です。


裏手に回り込むと、かつて乳牛を飼育していた牧舎が残されています。いまはもう牛の姿はありません。人づての話では、赤城山の山麓に乳牛の飼育施設と牛乳加工場を移転させたらしいです。

 人の姿がなく、茶猫がいました。「どこで飲めるか知ってる?」、<お前さんがよく通う青井食堂にも配達してるよ、青井さんちで、酒でなく牛乳を飲ませてもらいなよ>だってさ。そうなんです、今も牛乳を加工して、お得意さんに配達しているらしいのです。それではと、青井食堂へ行って見ました。

 
ありました、イトウ牛乳の180mlの瓶詰牛乳です。浩美さんから1本いただいちゃいました。「甘くて、おいしいよ」、懐かしそうに試飲したユキ子さんの感想です。ユキ子さんもイトウ牛乳を覚えていました。

 学校給食のミルクが進駐軍払い下げの粉乳から瓶牛乳に変わったときはものすごく嬉しかったです。そして、この紙蓋を集めてメンコ代わりに遊んだものです。懐かしの瓶牛乳で第3回はおしまいです。

 

 温かな日差しで、COCOはしっかり眠ってしまっていました。そんなCOCOを置いて、広瀬川沿いを覗いてから、県民会館裏へ河津桜を見に行ったんです。それから用足しを一つ済ませて、岩神町の養田鮮魚店へ行きました。

 アジアパンの脇から雪の三国山脈が見えていましたけど、寒そうに見えないのが不思議ですね。ほんと、暖かでした。

 
珍しい魚がいました。イシナギの若魚です、成魚だと大きなのは体調が2mにもなる、日本の近海魚では最大の魚です。ヘダイとシロダイ、赤くないタイは安いです。でも味は良いのです、お買い得です。というわけで、刺身の材料を買いました。

 
屋込みの間に雪の浅間山です。風呂川も枯れています。でも、眩しいほどの日の光です。

 
毎年、早春にウグイスの声を聞いている風呂川沿いの道、昨日はまだ聞かれませんでした。柳原の制水門の上です。発電所の水槽を兼ねている広瀬川の深い水路は空っぽです。底に僅かな水たまりが残っていました。

 

 
それから、茶猫に言われた通り青井食堂に寄って、イトウ牛乳の瓶詰をいただいたんです。遅い昼食はカレーライスにフライドエッグを載せてもらいました。特注です。後はのんびり家に戻ってきました。赤城山もなんか優しい雰囲気になってました。

 

 養田鮮魚店で買って来た魚で、ユキ子さんの両親へ届けるおかずを作りました。刺身は、イシナギ、マグロ、帆立貝柱、赤貝です。煮物は、油揚げ、ウド、菜花、スナップエンドウ。それとウドのフキ味噌和えです。賑やかの彩になりました。

 家に戻って写真の整理を始めたら、COCOがすぐに膝の上に乗ってきました。夕食前の甘えです。

  
わが家の夕食も刺身の盛り合わせは一緒です。煮物も同じ、盛り付けが違うだけです。違うのは、芽キャベツとカキナと豚肉の唐辛子炒めが付きました。

 そして、前夜の残り物の吾作のひも川で煮込みうどんを作っていただきました。お店の一人前の半分ぐらいです。

大国ロシアのウクライナ侵略はどんな理由を並べようとも許されない大国のエゴです。ロシアは戦争を止めて、兵を引くべきです。戦争はゲームではないです。

 

2月26日の体温  7:45 36.6℃  14:00 36.6℃  22:30 36.7
 2月27日  8:00  体温 36.5℃  血圧 最高130 最低67

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。

 

 


冷たい風が吹きまくった日、十六本堰は前橋城下のはずれ、川向こうは一毛村、「九牛の一毛」の故事を想わせます。

2022-02-26 07:51:57 | あんじゃあない毎日

昨日の9時半、広東橋から見た十六本堰下流の広瀬かわです。朝から冷たい西寄りの風が強く吹いていました。風は昼前からは北風となり、さらに強く吹きました。

 川底の溜水には氷が張っていました。寒い一日となりました。

 

  十六本堰下流の広瀬川あたり その2 
第2回は、『一毛村』です。


諏訪橋から文学館やリバティー、Droitの広瀬川シルクスタジオなんかがある上流方向を眺めています。実はね、明治の初めまでは、この広瀬川の左側が「前橋」で、右側は「前橋」でなかったんです。前橋は広瀬川が境、それを越えると前橋城下でなく、田舎だったんです。昔々、江戸時代の広瀬川あたりを眺めてみます。


この絵図は1767年に松平守家が前橋城から川越城に移城になる以前、松平家支配下での前橋城下の絵図です。群馬県立文書館所蔵で国の重要文化財に指定されています。北から南を見ています。右を流れるのが利根川、手前の青線が広瀬川、その上の細い青線は風呂川です。前橋城下は、広瀬川を境に、南に作られたんです。2012/11/25の記事で紹介しています。もっと詳しくという方は、文書館の「前橋の城と城下町」を見てください。絵図をよく見ると、広瀬川には橋が三つしか架けられていません。今の国道17号の厩橋あたり、立川通りの諏訪橋あたり、そして中央前橋駅南の桃井橋あたりの三ヶ所です。川に橋を架けるのはとても大変なことだったみたいです。


絵図の写真に寺の名前やなんかを入れて見たのがこの写真、現在の三河町と城東町あたりです。明聞寺は国道50号と前橋駅前通りの交差点の坂下にある駐車場のところにあった寺です。他の五つの寺は現存しています。寺の上の青い線は馬場川、下の太い線が広瀬川です。十六本堰もきちんと存在し、現在と全く同じに端気川を分水しています。この文字を入れた絵図の写真で街巡りした記事は2019/04/30です。橋は桃井橋あたりの橋だけです。前橋城下は、広瀬川を防衛線としてその南に作られたんですね。それなので、十六本堰は前橋城下の一番はずれに位置していたのです。

 交水堰あたりから下流の左岸は前橋城下でなく「一毛村(いっけむら)」という独立村でした。城東町1丁目から5丁目までのほとんどが一毛村でした。江戸時代の後半に、諏訪町が町人町として前橋城下に編入され、明治維新後の1889年の前橋町誕生時に前橋市一毛町となりました。そして、住居表示が実施された1966年にその名が失われました。

 一毛町の名は上毛電鉄の駅名に使われていましたが、今は城東駅に改名されました。一毛村の地名は江戸時代の初めごろから使われたようですが、その名の由来は明らかでありません。不思議な響きの地名です。私は、荒れ地を開墾し、用水を整え、秣場から肥料を運び、豊かな農地をつくり出し、そして村を開いた人たちの中にすごい博学な人がいて、『史記』を書いた中国古代の司馬遷の「九牛の一毛」ことわざを知っていたのではないのかと思っています。自らをちっぽけな存在としながらも、大きな志を抱いていた人々がいた、一毛村という名にはそんな響きを感じます。

 今は更地になってしまった旧前橋二中跡地の北に「一毛町記念碑」があります。住居表示が実施されたとき、当時の旧一毛町の前橋27区の646世帯2493人の皆さんが旧町名の名残に建てたものです。「一毛」という名に強い愛着を持っていた住人が多かったのでしょう。江戸時代の絵図に残る十六本堰とそれがあった場所の話で、全然前に進みませんでした。明日は少し進むよう努力します。

 

 月曜の朝は買い出しです。めぼしいものは芽キャベツぐらいでした。あと、サバの水煮缶だの鶏肝だのを買い込みました。

  
それから総菜づくり、水で戻して茹でこぼした芽ヒジキと鯖の水煮缶を醤油と味醂で煮ています。それに加えるのは、乾煎りした削る節、粉末ピーナッツ、炒り胡麻、松の実です。水分がほぼなくなったら仕上げは鳥山海苔店のや金利を刻んで加えて出来上がり、錦松梅風鯖ふりかけです。あと、鶏着藻のワイン煮を作りました。年寄りの健康食の柱になる総菜です。

 
総菜づくりやなんかを済ませてからDroitのトレーニングです。目下休業中の鮨屋「いわまる」の前を歩いて行くで猫に会いました。「いわまるの大将、元気にしてんかな?」って尋ねたら、<知るもんか!>だって。薄情な猫です。いわまるの大将と相性が悪いのかな…

 弁天通は風だけが吹き抜けていました。昨日はBスタジオ、更衣室の洗面台が新しいものになっているのに気づきました。しっかりトレーニングして、どっかでお昼でもしてこうかなと思ったのですが、風が強くてくじけちゃいました。

  トレーニングはちゃんとやりました。でも、あとは街の路地を抜けてまっすぐに家に戻りました。この冬最後の冷たい風となってほしいです。<こんな日はさ、のんびり身体休めるといいよ…>、顔見知りの窓猫のアドバイスの通り、家に戻ってのんびり過ごしていました。

 PCで作業するときの椅子はCOCOが占拠していました。私をのんびりさせる手助けのつもりかもしれません。しばらく、うとうとしてしまった午後でした。

 COCOが煩くするので時計を見たら6時前、夕食の時間になってました。COCOの食餌風景です。キキに比べると、食べるのがすごく早いです。COCOに夕食をあげてから、人間の夕食を用意します。

 

 
夕食は寒い夜がおしまいになるように、温かな鍋にしました。チゲ風の煮込みうどんです。白菜、大根、人参、ネギ、シメジ、豚肉をキムチの素を加えたみそ汁で煮て、茹でた吾作のひもかわうどんを煮込んでいただきました。温まります。

 
それと、ニラのチヂミ、きゅうりとウド、スナップエンドウの胡麻ダレかけをいただきました。寒い夜は温かな鍋が一番です。

ロシアがウクライナで始めた戦争が気になって、ネットニュースを見ながら記事の原稿を書いています。大国ロシアの武力行使を阻止できない国際社会に限りない悲しさを感じます。なおのこと、「九牛の一毛」の故事を想います。

 

2月25日の体温  7:30 36.5℃  14:00 36.6℃  22:30 36.7
 2月26日  7:45  体温 36.6℃  血圧 最高122 最低72

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。

 

 


「十六本堰下流の広瀬川あたり」を始めました。蚕神猫の居場所はできたけど片付けできずに、白菜シュウマイ…、

2022-02-25 07:45:22 | あんじゃあない毎日

私が暮らしている前橋市城東町のはずれにある広瀬川の十六本堰です。今日からシリーズで、十六本堰から広瀬川沿いを下って、小屋原町で桃ノ木川と合流するところまでを辿ります。退屈な話が多いと思いますけどお付き合いください。

  十六本堰下流の広瀬川あたり その1 
第1回は、『十六本堰』です。

 広瀬川の始まりは室町時代にあります。1539年と1543年に利根川は大氾濫を起こし、それまで、現在の前橋市街地から伊勢崎市街地のへ向かって流れていた利根川の流路は大きく変わって、ほぼ現在の流路になったということです。これによって、前橋から伊勢崎にかけて現れた広大な旧利根川の河原に人が暮らし始めたのです。その、河原だった荒れ地を田畑に変えてゆくために、前橋と渋川の間の利根川から取水して、古い利根川の流路を利用した灌漑用水がつくられました。これが、広瀬川と桃ノ木川の始まりと言われています。そして、安土桃山時代から江戸時代にかけて前橋に城がつくられ、疎水の整備も進み、今の広瀬川の姿ができたんです。

 十六本堰のすぐ上流に十六本橋があります。私が小さかったころは、この橋のある道筋は結構賑わっていた通りでした。いろんな店が並んでいました。居酒屋もありましたし、川岸には『商談可』という看板を掛けた宿屋もありました。今はクリーニング屋が残っているぐらいで、店屋はすっかり姿を消しました。橋も間もなく架け替えになるのだそうです。

 昔の十六本堰です。広瀬桃木両用水土地改良区のホームページからお借りしました。この写真は1930年に造られた堰です。それ以前は松杭を直接打ち込んでそれに板を張って堰にしていたのだそうです。松杭を16本打ち込んだ堰ということで「十六本堰」と名付けられたといわれています。写真の堰は2000年に改修され、現在の堰となりました。私は50年以上の間、写真の古い堰を見ていたんです。いつも激しい水音が聞かれました。

 私も、ユキ子さんも、子どものときに古い堰の上を渡っていました。もちろんいけないこととされていたのですが、昔の子どもはへっちゃらだったんです。落ちれば川の中でした。新しい水門は入り込むことができないようになっています。代わりに、建屋の脇に「十六本堰竣工記念碑」があって、この堰の機能と改修の意義がていねいに記載されています。近くに来られたら読んでください。


水門の下流側です。この堰の傍で生まれ育ち、そして逝った友人の話です。「子どもの頃にはさ、初夏になると水門の下が黒くなるほど稚鮎がのぼってきてたんだいね。タモで掬い採るとさ、バケツにいっぱい獲れたいね。70年前の話です。広瀬川は伊勢崎市の南で利根川に合流していますから、天然の鮎が遡上してきていたのですね。

 堰の少し下流の左岸(下流に向かって左)に新しい住宅地があります。ここは、山岸さんの鯉池がありました。私が引っ越してきたときには、鯉の養殖はしていませんでしたが、雑魚や金魚の養魚を続けていましたので、池は残っていました。挨拶に行って、「鯉分けてくれますか」「売る鯉ならあらいね、何すんだい?」「味噌漬け作ります」「おろせるんかい?」「はい、下手くそですがなんとか…」「そこでやってきない」と作業場の流しを教えてくれました。隣人とすぐに親しくなれた幸せな日でした。


2007年に朝日新聞群馬県版に掲載された私のコラム「ヒゲ園長とキキ」です。池があったときは、わが家にもツチガエルが暮らし、イトトンボやハグロトンボが遊びに来ていました。なんか、まだ15年ほど前のことなのですが、ずいぶん昔のことのような気がしています。 (第1回 はここまでです)

 


三輪途道さんの蚕神猫さんの居場所が確定しました。本棚の一段下にしました。ついでなので4いろいろなものを片付けて並べ直していました。いただきものが多いのですが、いろいろあってなかなかはかどりません。

 これは「サウンドマーブル」というドイツ製の玩具です。耳元で振ると、不思議な音色が聞こえます。たぶん、黒田人形店で手に入れたんだと思います。

 オカリナです。ずいぶん昔に煥乎堂の楽器売り場で買ったような気がします。下手ですが、少しだけ吹けます。

 食道がんの手術後に口から食物を摂れない私に栄養を供給してくれていた「腸瘻」のチューブです。三か月間世話になったチューブ、引き抜いた時にお願いして記念品としていただいてきたのです。大事な大事な記念品です。

 1970年、25歳の時に買った本です。昔の本はほとんど処分したのですが残っていました。こんな本読んでいたのですね。なんて、あれこれ引っかかって、本棚の整理は遅々として進みませんでした。ダメだいね。

 

  こんなのまで出て来ました。ヤギカフェのマスターが描いてくれた私とキキの肖像です。いいでしょう、結局片づけを諦めて、ヤギカフェに昼食を食べに出かけてしまいました。冷たい風が吹いてましたけど、おいしいランチにありつけました。


交水堰の上の溜まりう水は、だいぶ水位が下がってきていました。間もなくこのあたりでも流路の手入れの作業が始まると思います。

 

 家に戻ると、COCOは台所の出入り口のガラスから差し込む陽だまりの中で座って居眠りをしていました。どうあれ、お天道さんと一緒にいたいのです。

 稽古場からちょいと戻ったユキ子さんに「今日は白菜の料理だよ」と言ったら、「ミルク煮がいいな」だって。先に言われると、絶対に作らないのが私の流儀です。

  茹でた葉っぱで、せっせと肉餡を丸く包んで、緑のボールを24個も作っちゃいました。サウンドマーブルのように耳元で振っても音は出ません。でも食べられます。

 

 下ごしらえを終えて、ユキ子さんの稽古が終わるのを待つ間写真の整理をしてたら、COCOが突然膝に飛び乗ってきました。ドスンと乗っかられたんで、ちょいとびっくりです。

 
緑の丸いボールは蒸し器で蒸しあげて、白菜の皮のシュウマイとなりました。フキノトウ入り、春のシュウマイです。サラダもにぎやか、中華風のソースをかけていただきました。

 白菜の葉の下半分は細切りにしてぐつぐつ煮込んで、春雨とニラを入れてスープになりました。ご飯は、椎茸と蕪の葉入りのチャーハンです。白菜のミルク煮はおいしいですけど、昨日は趣向を変えてみました。

ウクライナで戦争が始まりました。どのような理由があるにせよ武力行使は許しがたいです。人の命をなんだと思っているんだい!人の命よりも大切なものなどはこの世にあるはずないのです。

 

2月24日の体温  7:15 36.6℃  12:00 36.7℃  21:00 36.7
 2月25日  7:30  体温 36.5℃  血圧 最高127 最低71

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。


昼前は広瀬川沿いを散歩しながら子どもの頃の記憶をたどっていました。午後はユキ子さんの両親相手に料理の手ほどき…

2022-02-24 07:59:36 | あんじゃあない毎日

広瀬川の十六本堰です。右の方向が分水した端毛川、水門の方向が広瀬川の本流です。
昨日の午前、ここから国道50号まで広瀬川沿いを歩いてみました。何が書けるかなって考えながらなのです。

 広瀬川水系には大きな分水堰が二つあります。この十六本堰と天川大島町にある吉原分水です。十六本堰で分水された端気川は、天川町にある天川分水工という名の分水堰で宮川用水・端気川・橳島用水に分水され、前橋市南部から玉村町の農地に農業用水を供給しています。広瀬団地のがけ下にある吉原分水では韮川が分水されます。韮川は、ここから伊勢崎西部から南部を流れて田畑に水を供給しています。韮川を分水した広瀬川は駒形町を経て小屋原町で桃ノ木川と合流します。広瀬川は、水系全体で2100㌶の農地を灌漑する大きな疎水なんです。

 
浅い溜水となった水門の手前に、ハクセキレイとツグミの姿がありました。冷たい水の中に平気で入っています。十六本堰から小屋原の合流まで自転車で行ってくるだけなら3時間もあればよいのですが、何か書くとなると大変だなって気がしています。途中でおしまいになるかもしれませんけど、明日から書き始めてみます。タイトルは「十六本堰下流の広瀬川」です。

 ぶらぶらと川沿いを歩いていると、思いだすのは学校にあがる前の頃の記憶ばかりでした。曖昧で遠い記憶は、確かめる手立てもほとんどないです。4~5歳の頃の私は、この川筋を歩いて暮らしていました。どうなることやら…


家並みの向こうに雪の榛名山が見えていました。左の峰は榛名富士ですね。寒かったです。

 


家に戻ると本棚の一角を空けて、蚕神猫さんの居場所を作ってみました。ここならCOCOがジャンプして悪戯する心配もなさそうってんでやったのですが…。

 「高すぎて蚕神猫さんのお顔が見えないよ!」、両親の3回目ワクチン接種のお供をしてきたユキ子さんからダメ出しです。うん、もう少し考えて安全な居場所を作ってみます。

 広瀬川のことや蚕神猫さんの居場所のこと考えながらの昼食は、石倉町のゼンフーズのかかあの餃子を茹でていただきました。おいしかったです。

 

 <キキです。昨日の午後のおヒゲは、すごく珍しいお仕事をしたんです。それはね、3回目のワクチン接種を終えたユキ子さんのご両親から、「こないだの煮豚、柔らかくておいしかったから作り方を教えてくれないかな…」って依頼が届いたんです。それなんで、おヒゲは大急ぎでやり易いレシピつくって、豚の肩ロース肉530gの塊を持って出かけて行ったんです>

 
<ご両親の住いは広東橋で広瀬川を渡った朝日町1丁目、自転車で5分ほどです。橋の下ではカラスさんが餌探ししてました。オヒゲが選んだレシピは、肉の塊を1時間水で茹でて、それから味付けしてまた1時間煮る、とにかく弱火でのんびり煮る調理法を選んだみたいです。それなんで、超高齢者の料理教室は2時間かかりました…>


<2時に出かけて、帰ってきたのは4時過ぎ、日が傾いて広東橋下の溜水に夕日が照り返していました。でね、夜電話があって、「柔らかく煮えて、おいしく食べられたよ」ですって。それに、3回目のワクチン接種の副反応もとりあえず大丈夫みたい、良かった良かったなんです。おヒゲがご両親に料理を教えに行ったのはこれが初めて、96歳になっても自分で作ってみたいって、すごいお父さんですよね>

 

 
料理教室を終えて家に戻ってくると、COCOがブラシで床掃除をしていました。やる気満々、少し心配です。

 
わが家の夕食はキーマカレーと焼き野菜でした。キーマカレーは、酒の中骨缶詰と、野菜は小松菜、玉ネギ、ニンジン、椎茸、ご飯は十六穀米、それと茹でじゃが芋です。チェダーチーズとピクルスをそえました。焼き野菜は、アレッタ、スティックセニョール、春キャベツ、トマトです。野菜いっぱいのカレーでした。

 まん延防止重点措置延長に関する政府方針を検討した1月25日の基本的対処方針分科会で明確に政府方針に反対した委員が少なくとも4名いたことが明らかになりました。その中には感染症の専門家の大竹文雄委員(大阪大学特任教授)もいます。このニュースはこちらで読めます。大竹委員は2月5日の分科会でも、政府方針に反対の意見を表明しています。大竹委員の考えはこちらに掲載されています。私も、まん延防止措置の効果については大きな疑問を感じています。

 

2月23日の体温  7:15 36.5℃  12:30 36.6℃  21:45 36.7
 2月24日  7:45 体温 36.6℃  血圧 最高115 最低71

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。


2月22日のねこの日に、三輪途道さんの蚕神猫MINIが届きました。蚕神猫とCOCOと一緒の暮らしが始まります、うれしいな。

2022-02-23 07:25:58 | あんじゃあない毎日

猫の日に、三浦途道さんから猫が届きました。
COCOにお仲間が二匹できました。出会ったばかり、猫の日の記念写真です。

 

 
猫の日の朝、荷物が届きました。二つの箱の梱包を解いていると、ヒモの片付けは任せろとばかりにCOCOがやってきました。荷物は、下仁田町の三輪途道(みわみちよ)さんからでした。


青い箱から出てきたのは三輪途道さんの作品『蚕神猫MINI』です。COCOもすぐに近づいてご挨拶、大丈夫、そっと顔を近づけてました。


もう一つの段ボール箱からは『蚕神猫だるま』、COCOはこちらにもご挨拶、しっかり鼻を押し付けて親愛の情を示していました。COCOは快く迎え入れてくれたようです。

 挨拶を済ませたCOCOは、蚕神猫が入っていた青い箱を覗くと、ひょいっと飛び入ってしまいました。気にいったみたいです。


そいで、こんな具合になっちまいました。猫の日の素敵な記念写真です。蚕神猫MINIと蚕神猫ダルマがわが家にやってきたのは、去年の10月5日に三輪途道さんの猫たちに会いに富岡の美術館へ出かけた時にきっかけがありました。「三浦途道さんの猫に会いに…」の記事はこちらです。


その時に、三輪さんが視覚障がい者が読める機能を持った本(LOW VISION BOOK)として『祈りのかたち』という群馬県内にある仏像彫刻を紹介する書籍の出版費用をクラウドファンディングしていることを知りました。詳しくはこちらをご覧ください。そいで、ユキ子さんと相談して、ユキ子さんが協力させてもらうことにしました。


このクラウドファンディングは成功したみたいです。それで、協力したユキ子さんあてに返礼品の蚕神猫MINIと蚕神猫ダルマが送られてきたのです。それも、猫の日に。2022年2月22日は蚕神猫と一緒の暮らしが始まった記念すべき猫の日となりました。COCOもすこぶる満足げです。

 


私は、10時半から虫歯の治療のため石原総合歯科に予約を入れてありました。それなので、素敵なスリーショットをいつまでも続けているわけに行かず、いったん片付けて出かけることになりました。箱から出されたCOCOは少し残念そうにしてました。

 石原総合歯科の鉢植えの梅が咲き始めていました。私の歯はもうボロボロなのですが、院長は二度の手術のときもマウスピースを作って何とか守ってくれました。「もう少し持たせましょう…」毎回聞く言葉です。虫歯に充填して、「また一月後に見せてください…」。ありがたい言葉です。

 


歯の治療を済ませてから、街へ出ました。空は雪雲の切れっ端が次々と通り過ぎて行きます。薄い雲の向こうから頼りない日の光が届いていました。冷たい風が街の中を吹きにけていました。寒いので、青井食堂に寄って味噌ラーメンでお昼にしました。それから用足し一件。

 
スズランデパートは「春の全国うまいもの展」という企画の最中、お客さんが出入りしてました。馬場川通を通ったら白井屋ホテルの前に、金属製のキノコみたいなのが立っていました。これはアート作品ではありません、パラソルヒーターという屋外用の暖房器です。暖かいです。見物ついでに、タルト屋さんで焼き菓子を買いました。

 それから飲み処「ひろ子」を覗いたら、夕食の仕込みをしてました。「今日は○○さんが寄ってくれるって…」、居酒屋が食事だけでやって行くっての経営的には悲しい仕事です。でもね、頑張ってます、まん防早く解けないものですかね。ちっとも効果ないみたいだけど…。そいで、水の枯れた十六本堰あたりを見て帰ってきました。

 


蚕神猫だるまは、吉駒の稽古場で暮らしてもらうことにしました。張り子ですから、ここなら大丈夫です。なんか、すごく居心地よさそうな顔をしていました。蚕神猫MINIは石膏でつくられていますので、置くところを慎重に考えています。まだ決まりません。

 夕方夕食の支度を始めてもここはユキ子さんとテレビを見ています。猫の日でないとあり得ない番組を放送しているテレビ局もあるのですね…。

  
私は池波正太郎の「鬼平犯科帖」に出てくる汁を作っていました。中村吉右衛門が「うめぇな~」と言いながら啜っていた味噌汁、「根深汁」です。たっぷりのぶつ切りにしたネギを水から火にかけます。ネギが柔らかく茹ったら味噌を溶いて出来上がりです。出汁の要らない汁、唐辛子を少し振っていただきます。

 
おかずは、メダイの味噌漬け、それと野菜の蕾の天ぷらです。アレッタ、スティックセニョール、それとツミナの蕾、人参とウドの皮にも参加してもらいました。

  それと、きゅうりとラディッシュと柑橘の酢の物、ウドの胡麻味噌添えです。ちょいと古典的な夕食を作ってみました。おいしかったです。根深汁、大事なことはネギをたっぷり使うことと、柔らかくなるまで茹でること、出汁の要らない素敵な味噌汁、おいしいですよ。

 

2月22日の体温  7:30 36.5℃  12:30 36.5℃  21:00 37.0
 2月23日  7:15 体温 36.5℃  血圧 最高117 最低73

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
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広瀬川の溜水に氷が張って冷たい北風が吹き続けた日は、外出はDroitのトレーニングだけ、あとは猫の寝顔見て…

2022-02-22 07:42:36 | あんじゃあない毎日

昨日は午前11時からDroitのトレーニングでした。弁天通のスタジオに入る前に比刀根橋の上流の広瀬川を見たら、厩橋寄りの溜水には薄氷が張っていました。寒かったんです、昨日は。強い北西の風も吹いていました。

 
中央前橋駅脇の広瀬川には氷は張ってなくて、溜まり水が浅くなった川底でムクドリやスズメやセキレイが餌を探していました。昨日のDroitは鈴木トレーナー、上半身の筋力強化と体幹バランスの改善のための運動でした。枕を変えた効果が少し出ているみたい、首と肩の張りが楽になってきています。

 
帰りに見た十六本堰です。乾いたコンクリートの川底では、セキレイとムクドリが餌さがしです。「十六本堰から下流の広瀬川は何処を流れているのですか?」、ちょっと前のことですが、堰を眺めていたら通りかかった人に問われました。口で説明するのは結構難しいですね。ここから小屋原町の桃ノ木川との合流点まで、あんまし知られていない川筋です。


わが家の近くの踏切から赤城山を見上げたら、鍋割の後ろまで雪雲が来ていました。強い風で電線が音を立てていました。ダウンのコートを着ていたのですが、寒かったです。午後は風がもっと強くなりそうでした。

 

 どこかへ、昼食を食べに出かけようかなとも思ったのですが、風が強いので止めました。春キャベツいっぱいのスパゲティーを作って食べて、のんびり休むことにしました。

 
朝のうちに、氷の張っている広瀬川を見ながら、JAファーマーズ朝日町店で買い物も済ませてありますし、なんの約束も入っていませんから、あんじゃあないんです。


COCOも、お天道さんが隠れちまったんで暇みたい、キキの雛飾りを見物してました。なぜか、COCOはこの雛飾りに手を出しません。見るだけで、触らずにいます。なんか意識してるのかなって…

 
2回目のワクチン接種が少し遅かった私は、3月に三回目接種を予定してたので、そろそろ予約をとおもって予約サイトへアクセスしてみたら、2月24日にならないとネットによる予約受付をしてくれないとのことです。電話やFAXではできるようですが、まあ、24日過ぎまで待つことにしました。第6波もピークアウトしたみたいですし、どのみち、自分で自分の身を護る感染防止策しかないのですから。

 

 COCOは寒がりです。お天道さんがいなくなると、ペットヒーターの上でまん丸くなって寝ています。ここまで丸くならなくてもと思うほどまん丸くなって寝ます。

 
猫の寝顔はいいですね。見ていて見飽きることがないです。COCOの寝顔を見ていたら、キキの寝顔を思い出していました。

 

 
夕食は、前夜の残りの煮込みおでんに、牛筋肉と芽キャベツ、練り物やがんもどきの残り物を加えていただきました。右の写真が、牛筋と芽キャベツ、それと件のいただき物の昆布です。牛筋肉を入れたので味も少し変わりました。おいしくいただけました。

  
それと、生あおさをたくさん入れた玉子焼き、黄緑で春の色、磯の香りがいっぱいです。ウドの生あおさ和えとミニトマト、あおさでミネラル補給です。それから、ブロッコリーとスナップエンドウとトマトの胡麻ドレッシングのサラダです。夕食しながら、広瀬川下って行くと何があるかなって、昔の屠場のこと、一毛町の名前の由来、下村晩村のこと、関東製酪のこと、線路に耳当てて遠い蒸気機関車の音を聞いていた頃のこと、前橋藩の刑場跡のこと、両毛線の鉄橋のこと、朝倉の河岸段丘のこと、八幡山古墳…、結構書けそうなことがあるなって…

 

2月21日の体温  7:20 36.5℃  13:00 36.6℃  21:00 37.0
 2月22日  7:30 体温 36.5℃  血圧 最高124 最低67

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
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大室公園を散歩、強い北風が吹いてましたか木立の中は良い気分、五料沼の風景と陸に上がったオオバンが嬉しかったです。

2022-02-21 07:24:22 | あんじゃあない毎日

大室公園の五料沼、素敵な赤城山が眺められます。今朝まで雪が降っていたようです。雪の赤城山です。北風に沼の水面は波立っていました。


前橋の街中からは見えない峰がはっきりと見えます。左が地蔵岳です。山頂の電波塔が良く見えていました。右の峰は長七郎山、いずれも雪が積もっていて、冷たい風を吹き下ろしてきていました。

 

 
五料沼にはいろいろな水鳥が集まっていました。風に吹かれながら浮いているのはマガモの群れみたいです。岸に集まっているカモたちに混ざってカワウの姿も見られます。

 
風当たりが弱い沼の北の岸にはたくさんのカモが風を避けて休んでいました。左の写真は逆光なのでカモの種類はよく分かりません。右のは、ハシビロガモの群れみたいです。カモたちは間もなく北の方へ移動して行ってしまいます。旅立ちが近づいてます。

 


梅園の梅がきれいに咲いていました。寒風にめげることなく咲き競っていました。

 
写真だと、温かな陽光の中で花を楽しんでいるみたいに思われますけど、冷たい北風の中での花見となりました。でもね、春が近づいていることを感じることができて、嬉しいものです。

 

 
大室公園は国指定史跡の前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳・小二子古墳などの史跡が保存されている史跡公園でもあります。詳しくはこちらを。樹木も昔からこの地で暮らしてきた大きな樹がたくさんあります。写真の木はケヤキのようですが、真冬だというのに緑の葉がいっぱいです。これは、たくさんのヤドリギが寄生しているのです。


3月になると、ヤドリギの実が大好きなヒレンジャクが集まってきます。写真は2020年3月15日にここで出会ったヒレンジャクです。美しい鳥です。今年も、ヒレンジャクに出会いたいなと思っています。3月にまた来ます。

 


五料沼の岸に近い広場を歩いていたら、犬と散歩をしている人たちのすぐ近くで、野芝をつついて餌を採っている黒い鳥がいました。なんだろう…

 
オオバンですね。水かきの付いている足をもつ水鳥です。潜水はうまいですけど、歩くのはあんましうまくないですね。水草や水生昆虫が餌だって聞いていましたけど、陸にあがって採餌することもあるのですね。始めて見ました、犬がそばを通ってもへいっちゃらなんでびっくりしました。

 北風が木々の枝を揺すって賑やかに音を立てていました。でも、木立の中は風当たりも弱く、楽しく散歩ができました。すぐそばまでやって来てくれたオオバンに感謝です。

 

 昨日の朝は雨が降っていたのです。COCOはお天道さんが来ないので、内玄関の猫窓から濡れた地面を眺めてたのです。でも、9時前に陽が差してくると、すっと姿が見えなくなりました。二階へ上がったみたいです。


私は煮込みおでんを仕込んでいました。大根を茹でて晒し、こんにゃくのあく抜きをして、出汁をとってはいつものことなのですが、昨日は昆布巻きを作りました。北海道産の上等な昆布をいただいたので、前夜から水でもどしておいたのです。

 
干瓢で結わえて良い昆布ですからすごくきれいにできました。袋は、銀杏と舞茸とウズラ卵を詰めました。下ごしらえした大根とこんにゃくを加えて、昼まで沸騰させない火力で2時間半煮込みました。わが家と、ユキ子さんの両親ちの分です。

 

 昼食を済ませたところへCOCOが2階から降りてきました。勉強する気になっていたのかもしれないのですが、昨日はお休み、留守番を頼んでユキ子さんの車で出かけました。

 
行った先は粕川町の上毛電鉄新屋駅の近くです。田んぼの中の道からは赤城山がきれいに見えていました。目的は不発、でも、気を取り直して大室公園で散歩することにしました。それで、陸に上がったオオバンに出会ったんです。

 

 COCOはちゃんと留守番してくれていたみたいです。ユキ子さんからご褒美のおやつをもらってご機嫌でした。

 
夕食は煮込みおでんとホウボウとウドの膾でした。おでんは、こんにゃく、昆布巻き、袋、大根、キャベツ巻き、里芋、それに既製品のがんもどき、焼き竹輪、海老ボール、牛蒡巻、はんぺんでした。ホウボウは昆布締めしておいたのを使っています。おいしくできました。

 
キャベツ巻きと昆布巻きです。いただいた昆布は北海道最南端の渡島半島の南かやべ漁協産の「白口浜まこんぶ」という最上等の真昆布です。京都の高級佃煮に「色紙昆布」というのがありますが、そういうのや塩昆布に使われている昆布です。実にきれいに煮あがりました。柔らかくておいしいです。ごちそうさまでした。右は袋と大根です、夜にはしっかり味がしみこんでいました。

 

 <キキです。このブログはさ、一日の訪問者(UU)は500~700件、閲覧数(PV)は1200~1600件ぐらいできてたんですけど、今月に入って、お客さんが増えてきています。ここ3日のアクセスの状況は、18日は訪問者数(UU)が924件で閲覧数(PV)が2625件でした。19日には訪問者数(UU)が1202件で閲覧数(PV)が4444件、20日には訪問者数(UU)が1082件で閲覧数(PV)が3454件です。理由は全く分かりません。変なことがないといいなって、のんびりやってこうねって、おヒゲと話しています>

 

2月20日の体温  7:20 36.6℃  13:00 36.5℃  22:00 36.5
 2月21日  7:20 体温 36.5℃  血圧 最高130 最低71

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
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流れの止まった広瀬川でコサギの群れに出会いました。COCO相手に読み聞かせ、ここしばらくは『猫の紳士の物語』

2022-02-20 07:27:18 | あんじゃあない毎日

水の流れが止められた広瀬川でコサギの小さな群れに出会いました。
優美な白鷺です。しばらく一緒にいました、

 

 
朝、JAファーマーズ朝日町店の開店と同時に、野菜を少し買いに行きました。土曜日はお客が多いので、急いで買って急いで出てきました。冷たい風が吹いていて、こども公園の広場には子どもの姿はありませんでした。JAの自転車置き場からは雪化粧した榛名山が見えていました。寒い一日になりそうでした。

 あとは昼近くまで、家でCOCOと過ごしていました。お天道さんが顔を出すと、私のそばから離れて二階へ行ってしまいます。勉強の途中でもお構いなしです。とにかくお天道さんと仲良しなんです。

 


昼近くに用足しに出ました。太陽は薄雲の中に隠れてしまっていました。桃井橋まで来て中央前橋駅脇の流れが止められた広瀬川を覗いたら、コサギの姿が2羽ありました。身体が小さいだけでなく、黒いクチバシをしていますから見分けられます。

 
コサギは黒いクチバシで見分けられますが、足先が黄色いのも特徴です。それと、繁殖期の夏には、頭に二本の冠羽(飾り羽)が伸びます。背にもふわっとした飾り羽、夏になると上向きに巻き上がります。右のにふわっとした羽毛が見えていますよね、ああいうのが背中で巻き上がって見えるんです。美しい姿の鷺です。

 

 <シラサギさんなら橋の下にもいたよ>って、川岸の柵に止まったスズメが教えてくれました。


橋の下流を見ると、3羽のコサギがいました。餌を探しているみたいです。餌は小魚や蛙、ザリガニなんかなのだそうです。


そこへ、橋の上流にいたコサギが一羽、桃井橋の下を潜って飛んできました。

 
広瀬川の水の流れが止められた時の楽しみは、普段見ることができない鳥たちの姿に出会えることです。橋の高欄に肘をついて、のんびりと眺めていました。

 

 
交水堰の堤体は濃い緑の水草で覆われていました。でも、断水期の間に、この草たちは枯れて行きます。比刀根橋の下はまだ溜水、岸辺はカルガモたちのお休み処になっていました。


石川橋からの上流の風景です。山は榛名の二ッ岳、柳原制水門の水門も見えています。岸辺には紅梅の花です。私が子どもの頃の広瀬川の風景をどこよりも残してくれているところです。俳句作家の水野眞由美さんの話では、詩人の伊藤信吉さんが、生前このまちへ戻ってくると必ず石川橋に立ち寄って広瀬川を眺めていたそうです。詩人が愛した広瀬川の風景です。


柳原の上流、相生橋からの眺めです。ここの広瀬川は県営柳原発電所の水力発電のための水槽も兼ねた水路ですので、深く掘り下げられ大量の水を流すことが出l切るコンクリート水路になっています。昭和40年代につくられた広瀬川の風景です。

 

 養田鮮魚店にも寄りました。豚肉料理を5日続けましたので、魚が食べたくなりました。身勝手な贅沢です。写真はメダイです。

 
古木の梅にも花が咲いていました。風呂川は太陽の鐘の話の通り水が止まっていました。川底にはまだ雪がほんの少しだけ残っていました。更にどこか回ろうかとも考えたのですが、曇り空に意欲をそがれて、家に戻ってしまいました。

 

 
  下手な顔などふんだって 時間つぶしというもんよ
  いくらもったいつけては見ても 世にもイカさぬ腰折ればかり
  それにお前のジェラシーは 知らぬものない天下の秘密

「これはね、トム・ジョーンズが無礼きわまりない名無し猫に返した歌の出だしだよ」。最近、暇だとCOCOに読み聞かせをしてやっています。昨日はメイ・サートンの『猫の紳士の物語』(武田尚子訳 みすず書房刊)でした。少し賢げな顔になってきたような気がしています。

 

 昨日はきちんとお重に拵えた夕食のおかずを、ユキ子さんの両親へ届けました。刺身がお好きなので、マグロ、本マスの昆布締め、ホウボウの盛り合わせ、それと生あおさのりとウドの芽の天ぷら、ウドとスナップエンドウの酢味噌和えです。

 
わが家は鯛ちりならぬホウボウちり、ホウボウでちり鍋をしました。刺身は本マスとホウボウです。ホウボウはしっかりした味の魚ですから、ちり鍋にしてもタイに負けないはずと、実は初めての試みでした。

 
そしてあおさのりとウドの芽の天ぷら、パリっと揚げたあおさのり、すごくおいしいです。酢の物にもしました。生で食べるときには念入りに洗います。稀によく洗わずに食中毒になる人がいるということです。

 
ホウボウのちり鍋、実においしいです。中骨と頭で採ったスープで炊きました。「いい香り!」、ユキ子さんも絶賛していました。カマからは、ホウボウのホウボウが取れました。かわいいです。

昨夜から降り出した雨は朝になっても降り続いています。天気予報では昼間は晴れることになっているのですが、当たるかな…

 

2月19日の体温  7:20 36.5℃  13:30 36.6℃  22:00 36.8
 2月20日  7:20 体温 36.6℃  血圧 最高116 最低65

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。


朝の雪は間もなく止んで、広瀬川の川底にはわずかに積もっただけ、カワウを眺めてたらカワセミが通り過ぎて…、そんな日は母の命日でした。

2022-02-19 07:21:56 | あんじゃあない毎日

雪の赤城山です。昨日の11時半ごろ、旧前橋二中跡地から眺めました。前橋の街の雪はすっかりやんで、街の上に上に青空が広がっていました。自転車で、Drioitへトレーニングに出たんです。

 

 
昨日の9時前、2階の猫窓に座っているCOCOに日は当たっていませんでした。窓の外は雪、駐車場も道路も樹木も雪が積もりました。大粒の湿雪、写真にも雪の粒がはっきりと写っていました。天気予報では朝には止むはずだったのですが…

 
お天道さんと仲良しできないCOCOと少し遊んであげました。昨日は私の母の命日、朝食後すぐに墓参りの予定だったんですが、それを先送りしてCOCOと遊んでたんです。そしたら、なんか明るくなってきたので外へ出てみたら、雪はやんでいないのですが、雪雲を通して薄日が差してきていました。不思議な風景です。

 
木の枝にも、湿った雪がいっぱい貼り付いていたんです。でも、10時前には青空が拡がって、日差しが届いてきました。COCOはすぐに二階へ上がって行きました。木の枝に貼り付いていた雪はバタバタと落ち、5センチほど積もった雪は、どんどん溶けて行きます。

 
COCOは猫窓でお天道さんと遊び始めていました。外の道を、しっかり支度した母さんと子どもずいぶん溶けてしまった雪道を歩いて行きました。もう心配なさげです。Droitは自転車で行って、トレーニングの後で墓参りへ行くことにしました。

 


11時半、家を出ると家々の屋根の雪はもうなくなってました。赤城山の鍋割が雪に覆われた姿を現していました。荒山や鈴ヶ岳はまだ雲の中、山から空っ風が吹き下ろし始めていました。


水の流れが止められた広瀬川、川底に雪が積もったみたい、溶けずに残っているところがありました。

 
雪の残る道をまち猫が通ります。私のことなんかには目もくれずに、すたすたとどこかへ急いでいました。雪で予定変更になって忙しいのかも知れません。


溜水が残る交水堰に集まる鳥を見に行きました。カワウが一羽やってきました。カワウは水に潜っては浮いてを繰り返していました。魚をくわえた写真が撮れるかもって狙ってたら、カワウの向こうに青い鳥が飛んできました。カワセミですね。見えるでしょう、青い鳥。


慌てて数回シャッターを押したのですが、撮れたのはこんなのだけでした。すぐに飛んでっちまいました。広瀬川の流れが止まってできた溜水にはいろんな鳥がやってきます。見ているだけで嬉しくなります。

 
トレーニングへ行く前の僅か10分足らずの間にカワウはいろんなポーズを見せてくれました。堰の堤体には雪が残っていました。遅刻しないようにDroitへ行って、昨日は新井トレーナーの指導を受けました。肩甲骨が上手く動かせなくてすみません、練習しておきます。

 

 
Droitの帰りに中央イベント広場前の『弁当屋バルМ(エンメ)』で弁当を買いました。1月31日以来でしたが、私のこと憶えてくれていました、ありがとうございます。それから、三河町の『花こう』で墓参用の花をこしらえてもらいました。店には、コブシ、ミモザ、ネコヤナギ…、嬉しくなる春の花が並んでいました。

 
『弁当屋バルМ(エンメ)』で買ったスぺシャアルハンバーグ弁当(600円)を温め直して、わが家の食器に盛り直していただきました。さすが、イタリア料理店『The Test Kitchen M(エンメ)』の2号店です。おいしいハンバーグです。豪華な持ち帰り昼食になりました。『弁当屋バルМ(エンメ)』について詳しくは、こちらをご覧ください。昼食というものが存在しないCOCOは、<何喰ってんだ!>ってな顔で私のランチを見つめていました。

 

 
母が逝ったのは2000年のこと、キキが転がり込んできた翌月でした。母の介護にキキを連れて通っていたのですが、「猫連れて来てるの」って尋ねられました。「はい、向こうの部屋で檻に入れてあります」、「ちょっと見たい、連れてこれる…」。枕元に連れて行くと、母は手を伸ばしてキキの前脚に触れました。「もういい、連れてって…」。母は大の猫嫌い、生涯で手を触れた猫はキキが最初だったのではと思っています。


亀泉霊園の雪はほとんどなくなっていました。赤城山の鍋割が直ぐ近くみたいに見えていました。もう22年経ったんだな、早いもんだなと思いました。いろんなことがあった22年です。

 

 
夕食は5夜続けての豚肉料理、昨日はポークシチューでした。アレッタと舞茸のソテーを添えました。サラダは、二十日大根、レタス、ブロッコリー、芽キャベツ、ミニトマト、マッシュポテト、それに自家製のセロリと人参のピクルスを刻み込んだタルタルソースです。柔らかく煮込んだ豚肉をたくさんの野菜と一緒にいただきました。おいしかったです。

 ご飯は十六穀米を使ったガーリックライスです。長いこと、父や母のために、伯母さんのためにと、人のために食事を作ってきました。今は、自分のために作っています。ようやく食べたいものがつくれるようになりました。

 

2月18日の体温  7:40 36.7℃  14:00 36.6℃  21:00 36.7
 2月19日  7:20 体温 36.5℃  血圧 最高115 最低73

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。