鬘(かつら)屋さんが、かつらの地金を合わせています。
昨日、三代目吉駒が主宰する美登利会の舞踊会に出演する皆さんのカツラ合わせが行われました。
かつらの地金がたくさん並んでいます。頭の大きさに合わせて選んだ額側の地金から頭にあわせて行きます。頭の大きさって大人でも変化するんだそうで、毎回合わせる必要があるって言います。美登利会の舞踊会は毎年春に開いています。1937年(昭和12年)に小柳町(現住吉町2丁目)の芝居小屋「柳座」で第1回が開かれました。以来、戦時下に開催を禁じられたのを除いて今年が78回目です。良く続いているものです。
地金は、鋏を入れたり、木づちで叩いたりして成形して行きます。78回美登利会は4月10日に昌賢学園前橋ホール(市民文化会館)大ホールです。併せて、三代目若柳吉駒リサイタルも開催します。ゲストには、伝統芸能解説者の葛西聖司さん、歌舞伎俳優の中村鷹之資さんをお招きする予定となっています。
額側の地金が成形されると後頭部の地金を整えて、額側の地金とハトメでつなぎます。これで地金は出来上がり、仕上がり加減を後ろから見ているのはかつらの髪を結う床山さんです。あと、衣装屋さんも来ていて採寸等をしています。鬘合わせが開かれると、舞踊会への緊張感が高まります。
昨日の鬘合わせは、広瀬川の新貝橋の袂にある市の第2コミュニティーセンターの部屋を借りて行いました。川の対岸には須賀の園があります。
十六本堰下流の広瀬川あたり その4
第4回は『須賀の園と平井晩村の墓』です
イトウ牛乳から川沿いを下流に向って歩くと、川岸に年老いた桜の木が並んでいるところに出ます。道の内側には藤の須賀の園があります。
この桜は私がとぼとぼと歩いていた子どもの頃から立派に咲いていた桜です。広瀬川と須賀の園の間に道はなく、土手の桜の風情でした。美しく咲いていたのを覚えています。今はみすぼらしい老木となりました。私も一緒に年とって「後期高齢者」と呼ばれています。
須賀の園は明治の末に個人がつくった庭園です。池を配した回遊式の庭にフジがたくさん植えられていました。子どもの頃にはまだ池があって、ボート遊びもできました。今は、庭園の規模が狭められ、池もなくなりましたが、樹齢200年を超える9株の藤は素晴らしいものです。こちらの案内をご覧ください。
須賀の園の対岸に、前橋市の保健所と第2コミュニティーセンターがあります。その南の広場、広場がつくられる前は墓地でした。墓地の入り口に『平井晩村の墓』という掲示がありました。
平井晩村(1884~1919)は前橋市本町の生まれ、前橋中学を中退し早稲田大学高等師範部を卒業し、新聞記者を経て文筆業に入りました。小説、詩、民謡詩などたくさんの作品を残しています。ただ、その生涯は辛いものだったと思われます。
母無くも父はありけり父死なば
誰たよるらん撫子の花
やがて死ぬ父とも知らで日記つけて
褒められに来る兄よ弟よ
ここに来るのに通ってきたこども公園の文学の小径にある平井晩村の歌碑です。晩村は、30歳を過ぎたころ愛妻を失います。そして、幼子三人を抱えて結核を病み、前橋の生家に帰ってきます。結核と闘いながら原稿を書き続けますが、35歳で死にました。短い生涯は苦難の連続だったようです。悲しい歌を残してくれました。ここにあった墓地が移転した嶺霊園にも「平井晩村の墓」の案内板が建てられています。
「晩村は悲しい男だった」と教えてくれたのは、高校一年の時の担任教師、林大英先生でした。墓地を知ったのもその時でした。 前橋高校の校歌は晩村の作詞です。でも…
落葉
落葉掻くまで大人びし いたいけな子に母はなく
父は庄屋へ米搗きに 留守は隣へことつけて
連もなければ只ひとり 裏の林で日を暮らす
(1915年「野葡萄」より)
寂しい詩です。こちらは前橋公園の臨江閣下の詩碑に刻まれています。私には、前橋高校の校歌よりも「落葉」のほうが深く心に刻まれています。「悲しみを理解できるようになれ」と教えられたことを忘れずにいます。第4回はここまでです。
昨日は暖かな日差しは届いていましたけど、強い風が吹いていました。部屋の中の陽だまりのCOCOは、手足を伸ばして寝ていました。気持ちよさそうです。
私は常備菜づくり、カジキマグロの角煮。サツマイモのレモン煮、胡桃ちりめんを作りました。それと、黒紫小豆を煮て、茹で小豆にしました。年寄りの栄養源です。
それから、美登利会の鬘合わせを覗きに出かけました。こども公園の広場で、風なんか気にもせずに楽しそうに遊んでいる家族の姿がありました。
鬘合わせの写真を撮らせてもらった後、広瀬川を更に下流へ向かって歩きました。両毛線の高架をくぐり、天台橋まで行きました。水の無い川底を覗いていたら、隣のふぇんずにムクドリがやってきて一緒に覗いていました。ムクドリは餌探し、私はネタ探しです。
赤城山の後ろには厚い雲がありました。午後になっても風は収まることはありませんでした。帰りに西片貝町から見た赤城山、雲で陽の光を遮られていました。青い赤城山です。
わが家のツバキが咲き始めました。メジロが遊びに来てくれると嬉しいです。
夕食は、春野菜の天ぷら、ウドの芽、フキノトウ、ツミナの蕾、春菊です。自家製の目鯛の味噌漬け、油揚げとブロッコリー・アレッタのカレー炒めです。
汁はネギの根深汁、漬物かわりにトマトとブロッコリーでした。フキノトウ、ツミナの蕾、おいしいですね、春ですね。
ロシアのウクライナ侵略が続いています。世界中から「NO WAR」の声が上がっています。私も「NO WAR」です。
2月27日の体温 8:00 36.5℃ 12:00 36.5℃ 21:45 36.7℃
2月28日 7:30 体温 36.5℃ 血圧 最高129 最低70
ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。
第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます。
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます。
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。