猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

大蓮寺の弁財天の例大祭、健康に感謝してお参り、ワッセぶらぶら、「失いかけ その2」は物干し台…

2020-11-04 07:29:12 | あんじゃあない毎日

11月3日は大蓮寺弁財天の例大祭でした。
今年は、ご住職のはからいで、参拝者を集めての祈祷は1回だけ、それも人数を少なくして行われたようです。

 
私は山門からお参りさせていただいて、この一年がんの再発もなく過ごせたことをお礼申し上げてきました。吉駒は別に「芸道上達」のお札をいただきにお参りです。
お堂では、ご住職がご祈祷されていて、山門前では茂木画伯が静かな歌を唄っていました。

  
山猫館書房も店を出していました。研ぎ陣さんも素敵な桶の店を出していました。農家のおじさんの露店には奇妙なのが転がってました。これ、コールラビっていう地中海沿岸の野菜です。アブラナ科の葉野菜、芋みたいに見える部分が食材になる太った茎なんです。面白い野菜に出会いました。

 

 
朝です、COCOがユキ子さんの衣装カバンに座り込んでいました。「どいてちょうだい、着物入れるんだから…」、ゆきこさんの声がする方を見ていますが、どうやら気に入ったみたい、失いたくない顔をしています。でも、すぐに失ってしまうことは確実です。
私も、弁天ワッセに向いながら、失いかけているものを探そうって考えてたんです。


今日の「失いかけ その2」は、物干し台です。2日の見出し写真に使った住む人のいなくなった家、あの家には鉄製の物干し台が屋根の上にあって、庭から鉄梯子を登るようになっています。

  
物干し台というのがいつごろから屋根の上に載せられるようになったのか調べてみたのですが、よくわかりません。でも、私が子どものころ、屋根の上に物干し台がある家がとてもうらやましかったことはよく覚えています。普通の家は、軒下に竿を渡して干してたんです。
私が中学生のころになると、「バーゴラ」とか「テラス」とか呼ばれるのが登場しました。一階や2階の軒下から長めの庇を突き出したものでした。以来、物干し台の時代が終わった気がしています。二階以上に付けられる屋外のスペースは、「ベランダ」か「バルコニー」と呼ぶのが正しいのでしょうけれど、私の母もなぜか「バーゴラ」と言っていた気がします。

 そんなわけで、赤城山にかかっていた雲が僅かになったころ、上を向いて出かけたのです。別に涙がこぼれそうになっていたわけではありません。

 
最初に出会った物干し台、屋根に乗っている部分見たら、けっこうヤバそうでした。使ってないのかな…
実は千代田町の二代目吉駒の稽古場にもこういう物干し台が取り付けられていて、取り付け部から屋根が腐食して雨漏りを引き起こしました。それで、物干し台を撤去して、屋根の修理をしました。10年ほど前のことです。

 
左のは、なぜか中央部が下に曲がっています。子どもが鉄棒代わりにして遊んだのかな。右のは、鉄梯子だけ残っていて、物干し台は撤去されていました。梯子が立派ですから、物干し台も立派だったのでは…


これは、これぞ物干し台ですね。もう人の暮らしが消えてしまった建物、物干し台のためにだけ存在している感じですね。登ってみたい…、昔、花火大会の時、物干し場のある家がうらやましかったです。

 これ、最近塗装をし直したみたい、現役バリバリの物干し台です。
そうそう、弁天ワッセで山猫館書房の水野眞由美さんに「今日は何見てきたの?」って聞かれたんです。で、カメラの画像見せて「物干し台…」って言ったら、「浅田美代子のファンかよ!」だって。

 
そうか、浅田美代子の「赤い風船」は物干し台の上で歌われてたんだいね。風呂屋から「貫太郎一家」になったら、物干し台でなく屋根の上になっちまってた気がするけど…
   あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
   しっかり握りしめた 赤い風船よ ………
     もうじきあの あの人が来てくれる
     きっとまた 小さな夢もって
この歌は、調べたら1973年の楽曲でした。発売日は4月21日、私が18歳になった誕生日です。
物干し台も、60年代から70年代にかけての文化なのかもしれません。確実に失いかけています。

 

 
浅田美代子の話題はそれだけ、山猫館がワッセに持ち出すにしてはマジな古本を出していたので、2冊分けてもらいました。一冊は「萩原恭次郎詩集」(報国社 1940年刊)、1986年に思潮社から「萩原恭次郎全詩集」が刊行される前の、恭次郎の詩集です。
「変な奴に持ってかれたくねえな…」「すぐそういうこと言うんだから…」てなやり取りで私の手の中に来ました。

 
もう一冊は「暮鳥随想」(山村暮鳥著 春陽堂 1941年刊)、暮鳥は1924年に没しています。この本は、没後17年を経てから、小川芋錢(おがわうせん:日本画家)と花岡謙二(詩人)らの手で出版に至ったらしいです。表紙を開くと、「削除済」と押印されています。「キョウさん、検閲で削除されてるところあるからね…」、眞由美さんがそう言いながら渡してくれました。暮鳥も「危険思想」の持ち主として、官憲の検閲を免れなかったのですね。
失われた文字を探しましょう…

 

  帰り道、旧紺屋町通の「花村ビル」の前に、こてこてと看板が並んでました。みると、どうやら雨漏りして開店が遅れてる詫びのようです。花村ビルには物干し台はなかったですから、雨漏りの原因は別だと思います。

  家に戻って、JAファーマーズ朝日町店の直売所で買ったビタミン菜と、ワッセで買った菊の花を使ってパスタを作って食べました。

 

 2015年11月3日のキキは、日高敏隆さんの「猫はどうしてわがままか」を読んでいました。キキは物干し台って知ってたのかな…
2020年11月3日のCOCOは訪ねてきたレイ子さんに遊んでもらってご機嫌になっていました。物干し台のことは全く知らないようです。

 

  
夕食のサラダは和風、レタス、カブ、キュウリ、モロッコインゲン、トマトをカボスのポン酢とオリーブオイルで和えました。それと、ワッセで買った菊花の甘酢漬け、ワッセでもらったタケノコ芋の芋煮椀です。

  主菜は豚バラ大根にアスパラ菜の花を添えて、それと、白菜と豆腐の卵とじでした。秋らしいメニューになりました。
使った野菜は13種類でした。

 

11月3日の体温 7:30 36.5℃  12:30 36.7℃  22:00 36.5℃
     血圧  最高 109  最低 55 
     今朝の体温 7:30 36.6℃

 

 若柳吉駒でございます。4月12日に開催を予定しておりました第77回美登利会につきましては、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期してまいりましたが、秋になりましても、お客様に足をお運びいただくうえでいろいろな心配が解消できませんことから、来年の春まで延期させていただくことといたしました。誠に申し訳なく存じますが、どうぞお許しの上、来春の開催までのお待ちをお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください