猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

市の健康診査を受けて、「失いかけ⑤ 坂道の名前」の続きを考えながら、街の秋を眺めてました…

2020-11-18 07:00:03 | あんじゃあない毎日

聖マッテア教会の聖堂です。木々が黄葉しています。
若き日の山村暮鳥はこの教会のご英語夜学校へ通ってました。
当時の暮鳥は高崎市の堤ケ岡小で代用教員として働いていましたから、英語夜学校へは片道7㎞の道のりを歩いて通っていたんですね。15歳か16歳の頃です。

  教会の前に、竪町通りの山都園で玄米ほうじ茶を2袋分けてもらいました。ケヤキは見事に色づいて、大量の落ち葉を降らせていました。
「善いところにいらっしゃいました、今日から飴玉のプレゼントを始めるところで、ちょうど準備してました…」、ご主人から飴玉をいただいちゃいました。なんかすごく得した気分です。
この通りも、本町に向って上り坂です。でも坂の名前を聞いたことはないですね。昨日に続いて、「失いかけ⑤ 坂道の名前」の後編です。

 


前橋駅前通りから国道50号を越えて赤城県道へ入ると坂道です。この坂道の下にあるバス停は「坂下」という名前です。「○○坂下」ではありません、ただ「坂下」です。
私が子どもの頃には、ホテルがある場所に商工会議所がありました。それなので坂下のバス停は「商工会議所坂下」と呼んでいた記憶があります。商工会議所が引っ越したので、ただ「坂下」になったのかもしれません。いずれにせよ名前のない坂のようです。

 
馬場川沿いを西に向かって次の坂は東和銀行本店脇の坂道です。この坂の上からは、赤城山がとてもよく見えます。街中から見える赤城山の中でも大好きな風景です。この坂道は「縁切り坂」という名前なのだと、昔教えられました。でも、あまり多くの人に知られていないようです。忘れられた名前かもしれません。

 この坂道の下の馬場川沿いに「新生パーキング」という駐車場が見えます。ここには、以前、富士見町小暮へ移転した「明聞寺」という寺院がありました。この坂道は明聞寺の参道だったようです。そして、明聞寺は、江戸時代に前橋城下の「駆け込み寺」であったらしく、それで「縁切り坂」と呼ばれていたと教えられてきました。

 
次の坂道は千代田通の坂、元気21と群馬銀行前橋支店に挟まれた坂道です。坂の途中の元気21の脇に石碑が二つあります。一つは「明治天皇行在所跡」、もう一つは「前橋藩本陣跡」の石碑です。この場所は、前橋藩時代には本陣があったそうです。戦後、1952年に群馬大同銀行(後の群馬銀行)本店の建物が完成し、「ぐんぎんの坂」って、みんなが呼んでいました。今はそう呼ぶ人はいません。
千代田通の名前は、住居表示法施行に伴う町名変更以後に付けられた通りの名前です。

 
次の坂道は本町通の大気堂脇から下ってくる狭い坂道です。坂下にはジャズ喫茶の老舗「ダウンビート」があります。この坂道について、この界隈で遊び暮らした老人から聞いた話があります。
「さんざ遊んでさ、そろそろ時間だってんで家へ帰るときこの坂をいい機嫌でのぼったんさね。坂の途中で、女のこと思い出して、襟を引かれた気がして振り返るんだいね、未練たらたらなんさ…。そいで、見返り坂っていったんだいね、この坂のことを…」

  片町や夏逝く頃の撥の音

詩人の伊藤新吉さんも花街が盛んであった頃のこの街を詠んでいます。花街の面影がすっかり消えてしまった街で、この坂道を「見返り坂」と呼ぶ人はいなくなったみたいです。

 
そして、中央通り商店街の坂道です。この坂道は「ゑびす坂」です。珍しく、きちんとその名を刻んだ名板が近くにあります。馬場川通りのこの石、「船つなぎ石」の説明版に「ゑびす坂」の名前が使われています。
今は、本町通の向こう側の通りに「ゑびす通」という名称が使われていますが、以前は「連雀(れんじゃく)町」でゑびす通とは呼んでいませんでした。「連雀」とは、近在の農家の人たちが野菜や産物を背負って運んできて並んで座り込んで背負い荷物を降ろしている姿が雀が連なって止まっている様に似ていることから付けられたという話もあります。前橋城下への消費財の搬入口だったんですね。

 いずれにしても赤城県道の坂道からゑびす坂まで、とりあえず名前がちゃんとついているのは一つだけみたいです。あとは、話は残っていても、みんなが呼ぶ名前は失われています。人々のまちの記憶は薄れ、失われていくみたいです。


そんな馬場川通の片町に新しい坂道が生まれました。白井屋ホテルの坂道です。
土手の階段とスロープをたどって上って行くと、本町通に抜けられます。素敵な坂道、12月にホテルが開業するとそなたでも通れるようになるはずです。まだ名前はありません。名付け親は誰なのかな…

 私は、坂道に名前が欲しいです。坂道を登るとき、名前から想起するイメージが欲しいのです。「天狗坂」、「縁切り坂」、「見返り坂」、言い伝えとして残されている三つの坂道の名前いかがですか、なかなかな気もするのですが。
よくわかりませんが、みんなが呼んでいたらしい坂道の名前は、確実に失われかけています。そして、まちの記憶も失われかけています。新しい坂道の誕生を期に、若い人たちで楽しく考えてくれないものですかね…、まちの記憶もリノベーションが必要かもしれません。

「失いかけ⑤」は坂道の名前でした。

 

 お茶を買って、前橋公園を通り抜けて、岩神町の養田鮮魚店まで行ったのです。
午後3時半に「ソレイユ朝日クリニック」(ちょっと前までの加藤外科内科医院)で、市の健康診査を受ける予約をしてたので、昼食抜きだったんです。そいで、夕食はおいしいものをって、食べられない昼食時間の気晴らしに買い出しに行ったんです。

  
鮮魚ケースの中に珍しい魚が並んでいました。カスミアジギンガメアジ、宝石ハタ、どれも南の海の魚です。カスミアジを見たのは多分初めてです。

  思案投げ首、結局、左のマダラを半身、アオリイカ一杯、それと赤貝2個を買いました。どんな料理にしますかね。

 


帰り道、小菊の咲いた風呂川が素敵でした。自転車を止めてしばらく眺めていたら、頭の上をヒヨドリがかまびすしい鳴き声を残して飛んで行きました。

 
風呂川沿いの路地から柳原発電所の水槽のところへ出たら、水槽の傍にカワウが一羽、羽を休めていました。

ソレイユ朝日クリニックの健康診査、胸部エックス線撮影と内科検診はとりあえず問題なしの説明でしたが、最終的な結果は2ヶ月後になります。正月明けに、結果を教えてもらいに来ます。


料理は、検診に行く前に下ごしらえして、終わって戻ってから仕上げました。写真は、ユキ子さんの両親へ届けた分です。刺身はマダラの昆布締め、アオリイカ、赤貝です。黄色いのはいただき物の安納芋、上の左はマダラの人参葉ジェノベーゼ焼き、右はタラの白子のポン酢和えと野菜いろいろです。別に、豚汁をつけました。

  
マダラの白子のポン酢和え、柚子唐辛子を盛りしました。野菜の酢の物は、赤大根、カリフラワー、ブロッコリーです。そしていただき物の安納芋のレモン煮です。

  刺身盛り合わせは、マダラの昆布締め、アオリイカ、赤貝です。そして具沢山の豚汁です。大根、人参、里芋、キャベツ、椎茸、ネギ、ほうれん草が入りました。使った野菜は、14種類です。

今日は、手術後18ヶ月目の主治医の診察、先週受けた検査結果を教えてもらえます。Droitの「身体の通信簿」もって、前橋赤十字病院へ行ってきます。

 

11月17日の体温 7:40 36.0℃  14:30 36.6℃  22:00 36.8℃
     今朝の血圧 6:40 最高 120  最低 58
     今朝の体温 6:40 36.5 ℃

 若柳吉駒でございます。4月12日に開催を予定しておりました第77回美登利会につきましては、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期してまいりましたが、秋になりましても、お客様に足をお運びいただくうえでいろいろな心配が解消できませんことから、来年の春まで延期させていただくことといたしました。誠に申し訳なく存じますが、どうぞお許しの上、来春の開催までのお待ちをお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください