猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

ボタンクサギを見ながら幸塚町へ行ったらイシミカワの藍色の実に出会いました。裏庭で去年まで伯母さんが摘んでいたミョウガが採れた彼岸です

2018-09-25 07:00:40 | あんじゃあない毎日

昨日は、イシミカワの藍色の実に出会いました。
この草痛いんです。茎も葉柄も鋭い棘だらけなんです。子どもの頃なんて呼んでたかな、イシミカワなんて呼んでなかったのは確かですけど、「〇〇〇〇があらぁ~、き〜つけろ!」なんて兄貴分が教えてくれたとき、なんて言ってたかな、思い出せません。
そこいらへんに普通にあったつる草なんです。

 昨日の朝は、夫婦のほかにもう一人朝ごはんを食べに来てくれた人がいました。それなんで、ちょいと豪華。亡くなった伯母さんが「旅館の朝ごはんより豪華なのよ」っていろんな人に自慢してくれていた朝食の形になりました。
金時草、モロヘイヤ、しば漬け、ショウガの梅酢漬け、鶏肝のワイン煮、ゴボウと牛肉の有馬煮、ずいきの煮物、それと鮎の一夜干しです。みそ汁はナスに小ネギ。

 家のことすませてから幸塚町へ出かけました。
途中、こないだようこさんが「ピンクの花はボタンクサギですよ」って教えてくれた花に出会いました。こんな具合にぼうぼうとしてました。

  よく見ると、つぼみも花も葉っぱもクサギそっくりです。色が異なるのと、花房がアジサイのような形をして、花が密生しています。匂いもクサギの匂いです。

  写真を撮っていたら、ハナバチがやってきました。クサギの花房の中に身体を半分突っ込んで、忙しく蜜を吸っています。忙しそうです。

 

 幸塚町で銀の鈴をつけた首輪の猫に会いました。
「ここの生まれ?」
<そう、ここで生まれて、ずっとここで暮らしてるよ>
「じゃあ、知ってるかな。江戸時代から幸塚村ってのがあったって聞いてるんだけど、名前の由来しってる」
<知らないな、母さんも教えてくれなかったから…>

 猫の話では、昔は静かな農村で、養蚕がすごく盛んだったんだそうです。それが、戦後、畑をつぶして貸家を立てる人が増えて、前橋で一二を争う貸家とアパートの多いところになったんだそうです。今も、古い養蚕農家の建物も残っていますけれど…

  <まだお百姓している人もいるけどさ、アパートや建売住宅がどんどんできてるよ。毎年、様子が変わらいね…>
ひょっとすると、もう農地の方が少なくなっているのかもしれません。

 午前中だというのに日差しが強いです。熱くなりそう。
猫は自動車の下で強い日差しを避けてました。猫の話を聞いて、このまちを一回りすることにしました。用事もすませましたから…

 

  サツマイモ畑です。葉っぱを一枚いただいて、子どもの頃の遊びをしました。葉柄が長いとペンダント、短いとハンドバックなんです。作ると女の子がままごと遊びで使ってくれたんです。

 そして、古くなって借り手がいなくなったみたいな数軒の貸家の隣りの空き地で、イシミカワの藍色の実を見っけました。

  左が花です。ほとんど花と思えない花です。仲間のミゾソバやママコノシリヌグイはピンクの可憐な花ですが、イシミカワは薄緑というか、黄色味がかった白というか、極めて地味な花なんです。そして、薄緑色の実を結んで、それが熟すと藍色になるんです。
それにしても、なんでイシミカワという名前がついているのかは分からないのだそうです。
近縁種のママコノシリヌグイってのはひどい名前ですよね。誰が付けたのかな…
「ママコ」は「継子」と書いて実子でない子どもを指す言葉だと知ったのはずいぶん後のことだった気がします。

すぐ脇のアメリカセンダングサの花にキタテハがとまって食事をしてました。

 美しいクモの姿もありました。幸塚町の秋です。

 

 シオンの花が咲いてました。
ずい分暑くなっていました。彼岸も間もなく明けるというのに…、です。

 

  夕食は、生姜飯を作りました。細く千切りにした新ショウガを太熱々のご飯に混ぜこむだけです。香りのよいご飯です。伯母さんも大好きでした。
椀は、豆腐に吉野餡です。天盛りしてあるのは、熱湯にくぐして、しっかり叩いたわさびの葉です。こちらも良い香りです。
おかずは、シイタケとピーマンの肉詰め、トマトとサヤインゲンのソテーを添えました。

伯母さんの居室の西側の裏庭でミョウガがたくさん採れました。よいミョウガです。
去年までは、「あたしはね、蚊に刺されないんだから…」って言って、伯母さんが摘んでくれていたミョウガです。今年はユキ子さんが摘みました。今夜、いただくことにします。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

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美しい水路のある集落で暮らすAさんを訪ねて楽しい時間を過ごしたのですが…

2018-09-24 07:26:29 | あんじゃあない毎日

高崎市下大島町、美しい水路のある集落で暮らすAさんを訪ねました。私よか少しだけ先輩なんです。
毎年、7月になると、自宅の果樹園で収穫した天津桃を送ってくれます。それなので、桃が届くとお礼を兼ねてお邪魔してるのです。
去年は7月25日、美登利会の浴衣ざらいをすませて一息ついたところだったんで、「あたしも行く」って伯母さんも言いだして、ユキ子さんの車で三人して出かけたんです。そん時の記事はコチラです。

  烏川を渡って、八幡霊園なんかがある丘陵にのぼるすぐ手前の集落です。集落道の脇にはきれいな水が勢いよく流れる水路があります。夏だとカワトンボが群れ飛んでいるのですが、さすがに彼岸、もう姿を見せてくれませんでした。

 Aさんと知り合ったのは、40年以上前のことです。初めて住まいを訪ねたとき、この美しい集落で暮らしていることがものすごくうらやましかったです。

Aさんは大病を患いました。難病に指定されている病気です。一時は車いすを使う生活になっていました。
でもね、頑張ってリハビリテーションをして、今は、病気と仲良くしながら、果樹園や畑の仕事ばかりか、軟式テニスができるようになっているんです。若い頃は、軟式テニスの選手として鳴らした人なんです。
挫けない、明るい振る舞いが大好きです。

  Aさんちの土蔵です。夏の初めだと、隙間なくぶる下がっているタマネギも、ずいぶん少なくなっています。
Aさんちには素敵な猫がいました。今はいません。もう飼わないみたいです。

とりとめのない話をしました。でも、とりとめもない話の中に、元気の種があるみたい、嬉しかったです。

 「スダチあげる、このへんで採れるのはめずらしいのだよ」
「きれい、大好きです。実がなっている姿が見たいな…」

 庭と菜園の境に植えられているスダチの木です。ずいぶん大きくなっています。
たくさんの青い実がついています。きれいです。

 これは、バナナです。去年か一昨年には実がなっていました。今年はなっていませんでした。

  果樹園です。ここで、白桃、天津桃、黄桃、プラム、柿、栗、金柑…、さまざまな果樹が育てられています。「孫やなんかに食わせたいと思うと、ついついいろんな種類になってしまって…」って笑ってます。
菜園も、冬野菜が育っていました。豊かな暮らしです。

日が傾き始めたころに、「また寄せてもらうね…」って。

 

 <ここまでは普通だったのよね。ここから、オヒゲの大チョンボが始まってしまったんです。いつものことです。困ったものです。
ユキ子さんの車は烏川の橋を渡る前に、いったんお別れしたAさんちへUターン、人騒がせなことです。
それから、前橋の自宅まで戻って、またすぐに高崎の下大島のAさんちへ…
何しているんだろうね、迷惑なことですよね、Aさん、もうお風呂に入っちゃってたんですよ…
どんなチョンボかって、恥ずかしくて言えません…>

 <でね、問題解決はは簡単だったんです。なにせ、ただのチョンボだったんですから。ご迷惑かけました。ごめんなさい、キキからもお詫び申し上げます、お許しくださいね…
そいでね、もう6時過ぎになってたんです。だから、引間の「天ひろ」で夕食することにしたんですけど、今度はカメラを忘れて行ってしまって、記録はありません。
「天ひろ」については、こちらをご覧ください。天ぷらもお酒もデザートも、みんなおいしかったみたいです。
そいでね、天ひろでは、今もブログ読んでくれている古いお知り合いに会ったみたいです。ごきげんで帰ってきました>

 <という訳で、中途半端な記事なんです。それに料理もなしってのは良くないので、おヒゲが作った昼食をご覧に入れておしまいにします。チョンボなおひげをお許しくださいね>

 <ナスとホウレンソウ入りのポロネーゼです。チーズは、東毛酪連のエダムタイプを使っています>

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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父25回目、母19回目、伯母さんとキキは初めての秋の彼岸、おはぎを作りました…

2018-09-23 06:40:09 | あんじゃあない毎日

おはぎを作りました。あんこ、きな粉、黒胡麻、三色のおはぎです。
ずい分久しぶり、前につくったのがいつ頃だったか思い出せません。昨秋逝った伯母さんがおはぎ大好きだったんですが、一緒に暮らしている間はお弟子さんが届けてくれるので作ることはなかったです。
で、今年は伯母さんのためにもつくることにしたんです。写真は、ユキ子さんの両親の定方家へお届けして、御仏前に進ぜてもらって、両親にも食べていただく分です。

 

 朝です。何日か前に糸駒の稽古場へ通う子供が水鉢に挿してくれた手折った萩の枝が新しい花を咲かせていました。水鉢には、薄雲を通して差し込む朝日がまぶしく光ってました。続いていた雨があがってました。

 朝食後直ぐに墓参に向かいました。手向ける花をもらいに「花こう」へ寄ったら、困難がありました。栗なんです。小さな緑色のイガが枝にいっぱい並んだ栗なんです。面白い栗です。
クリ見てたら、去年の秋のこと思い出していました。10月になったら吉田栗園へ栗ひろいに行こうねって予約も入れていたんです。でも、伯母さんは栗拾いに行く前に旅立ってしまったんです。

で、花をいただいて…

 亀泉町にある霊園へ向かっていたら、信号待ちの親子です。運動会へお出かけみたいです。昨日は、前橋の小学校のほぼ半分で運動会が開かれたんです。
お父さんは方からなにかさげてます。子どもは嬉しそうに高々と手をあげて…

  霊園に着いたら、「あれ、モクセイの薫…」ってユキ子さんが先にお気づきました。金木犀の木に花が咲き始めていました。

 私の両親が眠る墓です。生前に父は「葬式に坊主呼ぶな、戒名などいらない、墓石は利根川から拾ってきて立てればよい」と言っていたんです。
それで、父が亡くなるとすぐに、父が親しくお付き合いをさせていただいていた邑楽町のお坊さんに相談したんです、父に言われていた通りにしてよいかどうかを。そしたら…
「お父さんが戒名は要らないと言ったのであればつけなくてよろしい、葬儀もやめて、恭一君が『お別れ会』を主宰すればよいでしょう。ただ、墓に河原の石をを使うのはやめなさい。それでは畜生の墓です。霊園に立って、左右を眺め、前後を見て、恭一君がこれぐらいと思う墓を作りなさい、お父さんの意向は無視してかまいません」と言われたんです。1994年の冬のことでした。
それで、こんな墓が出来たんです。25年前のこと、月日の経つのは早いです。

墓参りを終えたら、青空が広がり始めていました。運動会日和になりました。良かったです。

 あとで、近所に用事があって出たとき、城東小学校をのぞいたら、騎馬戦やってました。男女混合です。昔と違います。でも、楽しそうな歓声は今も昔も一緒でした。

 

 それから、おはぎづくりです。少しだけ作ることにして、もち米1.5カップを炊いて、よく蒸らしてから、すりこ木で少し搗いて、21個に丸めました。わが家が9個、ユキ子さんの両親のところが9個、それと、ユキ子さんの両親の墓参のお手伝いに出てくれた息子の分3個です。
丸めたもち米は、冷めないように電気がまの中で保温しておきます。

  まずはあんこです。ラップの上にあんこを拡げてまん中に米を置いて、ラップくるんで形を整えると楽チンなんです。きれいに7個できました。
それから、きな粉を7個、黒胡麻を7個、これで21個です。

 定方の家へお届けする分はお重に詰めました。三食おはぎです。

さっき墓地のことで書いた通りで、わが家には仏壇がありません。私の本棚の一角に両親の写真とキキの写真が飾ってあります。そこへおはぎを進ぜました。キキもさ、あんこ好きだったんですよ。甘いものを欲しがる猫だったんです。
両親の写真は、二人がまだ元気だったころ、奈良の春日大社にお参りした時の写真です。父は、今の私と同じくらいの年齢だったと思います。

 

おはぎを作ってから、まちへ出ました。空はすっかり秋晴れになってました。

  帰りにJAファーマーズに寄ったら、葉物野菜が手に入りました。金時草、モロヘイヤ、大根葉です。小ネギもありました。嬉しいです。買い込んで、金時草とモロヘイヤはゆでて、大根葉はモミ漬けにしておきました。

 

  夕食は、小ネギとゆで豚のヌタ、豚肉の南蛮、両方とも少しずつです。

  それと、野菜の精進揚げです。小ネギ、金時草、モロヘイヤの茎、サヤインゲン、それとマイタケです。うどんは直売に出ていた、どこかのおじさんの手づくりの生うどんをゆでました。

 父が25回目、母が19回目の秋の彼岸でした。
伯母さんとキキは、初めての秋の彼岸でした。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。

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富岡市の黒川園芸組合の新ショウガに遊んでもらった雨の日…

2018-09-22 06:58:07 | あんじゃあない毎日

ショウガです。「新ショウガ」と呼ばれているショウガです。
富岡市の黒川園芸組合という生産団体が出荷している新生姜です。群馬でもショウガは生産されています。スーパーやなんかだと、新ショウガのほとんどが高知県産か和歌山県産で地場産の新ショウガを見ることはめったにないと思いますが、ちゃんと生産されているんです、地元でも、それに、薫り高いおいしい新ショウガです。

 昨日は朝から雨でした。というよか、前の日から降り続いてました。
「おはようございます、ご注文の新ショウガが入りました」、中央通商店街の八百徳支店のおかみさんから電話です。外に出て見たら霧雨、タイミング見計らえば自転車で受けとりに行けそうでした。

 9時半過ぎ、傘を差さないで歩いている人を確認して八百徳支店へ出向きました。

高知や和歌山の新ショウガは、春の4月ごろから出荷が始まり11月ぐらいまで、だらだらと出荷されてきます。それは、大規模に温室を使って、燃料を燃やして加温し、温室の中にミスト(霧)を人工的に大量発生させて生産しているからです。もともと、ショウガは春に芽吹いて秋に花を咲かせ、晩秋に枯れる多年生の植物です。そういうショウガ本来の生態を人工的に管理して、ほぼ通年出荷できるように生産しているのが高知や和歌山の生産地なんです。

今回注文したのは、富岡市の黒川園芸組合が生産出荷している新ショウガ、4㎏です。きれいでしょう。
群馬県内でショウガを生産している農家は、高知や和歌山のような大規模な施設園芸としてショウガ生産をしていません。ビニールハウスで生産管理しています。
そして、初秋、彼岸の頃に収穫して出荷されます。この時期にだけ手に入る野菜なので、私にとってショウガの旬は初秋なんです。

昨日は雨、「旬」の生姜に遊び相手になってもらうことにしました。

 

  左が、ショウガ一株です。中央の少し色が茶色がかっているのが最初に植え付けられた「種」の根っこなんです。それが、生産者が与えてくれるたくさんの水分と栄養でもって成長していくとたくさんの根塊が生み出され左右に拡がっています。
それをバラバラにしたのが右の写真です。下の一個が「種」の根塊です。上に、17個の増殖した根塊です。すごい増え方です。
私たちは、植物の強い繁殖力に支えられて生きているんだなって実感します。ありがたい恵です。

黒川園芸組合の新ショウガは、高知や和歌山のに比べると根塊が小さめですが、香り、味、食感、どれをとっても決して劣ってはいません。すごく素敵な新ショウガです。

 

 新ショウガは、汚れのある皮をこそげて(全部きれいに剥く必要はありません)、食べやすい大きさに、根塊を二つから四つぐらいに切り分けてきれいに洗います。
漬け液を用意します。普通、新ショウガの甘酢漬けを作るときの漬け液の基本量は、食酢、水(又は煮きり酒、あるいは昆布出汁)、砂糖、これを同量合せて甘酢を作ります。これはあくまで「基本」です。
私は梅漬けで得た梅酢を持っているので、梅酢と甘酢同量を合せた漬け液を使います。ですから、甘酢だけで漬けたのよりも甘さは抑えられます。「基本」の甘酢の「水」は、酒とみりん半々を煮きって使います。それなので、砂糖の量も減らします。

  ポリ袋に、切り分けた新ショウガを200gずつ計って入れます。19袋できました。
それに、甘酢と梅酢を合わせたのを100mlずつ入れて行きます。漬け液は、2リットル用意したんです。

袋の空気を抜いて、ゴムバンドで封をします。19袋の新ショウガの梅酢漬けの漬け込み完了です。きれいでしょう。
これを冷蔵庫で保存して、2〜3日で漬けあがります。待っている友人へのお届けは来週になります。

 

 ショウガを漬け終えて、小雨の中を散歩に出ました。
ご近所のAさんちの玄関先には、鉢植えのシロバナマンジュシャゲが満開になってました。

 Mさんちの塀際では、ニワナナカマドの葉っぱが色づき始めていました。

 色づき始めた柿の葉っぱ、その向こうにはコスモスです。秋ですね。

 クリの実にも会いました。
新ショウガを漬け込むと、私にも秋がやってきます。本当の秋です。

 

あおい食堂で一杯やって、お母さんとどうでもよいおしゃべりをして、ぶらぶら帰って来たんです。
傘を差さなくても濡れない程度の霧雨でした。

 

 夕食のサラダです。キュウリと茹でキャベツは、前日に手に入れたわさびの葉を細かく砕いたのを入れたドレッシングで和えました。ニンジン、ジャガイモ、レタスはレモンのドレッシングです。たっぷりとおいしく野菜をいただきました。

  ポークシチューです。ニンジンとマッシュルームいっぱいです。煮込んで、冷凍保存しておいたんです。
それと、シイタケとピーマンたっぷりの炒め飯です。

今日は、彼岸の墓参りに出かけます。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
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用事のついでに利根川眺めて、ヤギカフェでは前橋ミナミ眼科の話題、あとは、芝エビで遊びました

2018-09-21 06:34:14 | あんじゃあない毎日

雨の降り出す前にと、利根川を見に行きました。ちょうど大手町に用事もあったものですから。
ここのところ雨量も少ないですし、上流のダムも放水していないらしく、川の水位は下がってました。前橋公園の先の川筋は、流れがよどんで、南から吹いてくる風がつくり出す波が上流に向かって走っていました。

  淀んだ流れに向かって釣りをしている人がいました。鮒かなんかを狙っているようです。静かなとねがわでした。
河原の藪にはタデの花が咲いてました。

 

 15時間ほど脱水シートに包んでおいた鮎はちゃんと干物になっていました。
脱水シートから出してポリフィルムで包みます。都合で先輩を訪ねるのが日曜日になってしまったんで、大半は冷凍保存することにしました。昨日のうちに友人にお裾分けする分だけはそのまま冷蔵です。

 

  それから大手町へ、俳人の関口雨亭さんの旧宅脇を流れる馬場川です。川面にアメリカセンダングサが倒れ込んでいます。右の川岸に赤いのが見えます。
ツバキの実でした。色づいてます。

 関口雨亭産の旧宅には土蔵があります。私が子どもの時からあります。

  土蔵の壁にL字型の鉄製の鉤が付いています。これって「角折釘」というものです。切妻のところには釘の根元を漆喰を丸くふくらまして飾りみたいにしています。これは「つぶ」というんだそうです。
用途は、壁の漆喰を補修する時の手掛かり・足がかりにする、はしごなどをかけて置く、それと、火災が発生した時に水で濡らしたわら束をかけることで壁を保護する、いろいろ言われているのですが…
本当のところはよく分かりません。すんません。

用事をすませて利根川を見に行ったんです。通り抜けた前橋公園、どこかの子どもたちが芝生の坂で遊んでいました。楽しそう…

  昼食は、ヤギカフェで「秋ナスのドライカレー」です。おいしいです。
話題は、群馬経済新聞の記事でした。板倉宏高さんという眼科医が11月に「前橋ミナミ眼科」という眼科診療所を開設するってんです。眼科診療所の開院が呑竜仲店でなんで話題になっているのかというと…
その理由は、11月になればわかります。しばしお待ちを。

午後は、糸駒の依頼で進めてきた作業の仕上げをしました。
メールで送られてきた資料をチェックして、最終的な返事を送付して、一件落着、ほッでした。

 

 岩神町の養田鮮魚店へ魚を見に行きました。けっこう賑やかにいろんなのがいました。

  帰り道、すっかり草ぐさに覆われてしまった風呂川を眺めてたら、頭上で激しい鳴き声です。オナガの声です。
以前はわが家にも毎日のように遊びに来てくれていた鳥なのですが、朝日町の区画整理事業が進んで、広瀬川の川岸の雑木がきれいに取り除かれてしまって、声さえも聞こえなくなってしまいました。
右の写真の木立の中で鳴き叫んでいるのですが、写真には写っていませんでした。

 鳥の姿をお目にかけられなかったので、代わり、草ぐさに隠されているに風呂川の水をご覧ください。ちゃんと流れています。紅い小さなのは、萎んだオシロイバナです。

 

養田鮮魚店に佐賀から芝エビが入荷してました。生の芝エビにお目にかかれるのは年に数回のことです。
長いヒゲです。身体の長さの4倍近くあります。面白いので、きれいに並べてみました。

 調理するのには、このヒゲがすこぶる邪魔なんで、みんな引っこ抜いちゃいます。抜いたヒゲ、いつも思うのですが、何かに使えないかな…、それなりなんですけど…

 もう一つ珍しいもの、わさびです。養田さんの知り合いで栽培している人がいて持ち込んでくるんです。たまたま、昨日届いたんです。葉付きです。

 

  中央通の広場では、イベントカーが来て何かやっていました。弁天通では、映画かなんかの撮影をしていました。どちらも何なのかは、私には分かりません。でも、人がワサワサしてるのはいいことです。まちですから。

 

 夕食の前菜は、塩茹での芝エビです。殻剥いて、あるいは殻ごとむしゃむしゃです。手が汚れます。

   ヒメダイとトリガイの刺身。ヒメダイの柚庵焼き。それに椎茸とニラのお椀です。
ヒメダイは、タイと名前についてますけど、マダイの仲間ではないようです。大変においしい魚です。詳しくは、こちらをご覧ください
刺身に添えたわさびは、葉付きのわさびを下ろしました。

 〆は、迷いなく「わさび茶漬け」でした。良い香りです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
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お世話になっている先輩に届ける鮎の一夜干しづくり、楽しく鮎と遊びました…

2018-09-20 06:54:14 | あんじゃあない毎日

鮎です。前橋市朝日町の大島養魚場で分けてもらってきた活き鮎です。30尾ほどいます。
昨日は用事が全くない日だったので、鮎と遊ぶことにしたんです。明日、高崎まで、あれこれと世話になっている先輩を訪ねることにしているものですから、その手土産に「鮎の一夜干し」を作ることにしたんです。

 大島養魚場へ出向くと、友釣りのおとり鮎を買いに来ている釣り師のお客さんが来ていました。今年の利根川は天然の鮎がたくさん遡上して、鮎釣りが活況みたいです。25㎝を超える大型の天然遡上鮎が釣れているそうです。
天然遡上の鮎は、間もなく迎える繁殖期には、産卵のために川を下ります。川の水の水温が20℃を下回り始めるころに、河口近くの流れの緩やかなところで産卵するのだそうです。
孵化した幼魚はいったん海に出て、川水が冷たいうちは海で暮らして居るのだそうです。川の水温が上がり始める春になると、稚鮎は川を遡上して、河川の中流域から上流域で大きくなるという不思議な生態を持っている魚なんです。

 「今年はパトカーが来て交通整理してたんだって?」
「何言ってんのよ、そんなことないですよ」
「オトリを買いに来る車で交通渋滞が起きたって噂があるよ」
「冗談ですよ、大げさで困っちゃいます!」
警察出動は大げさですけど、例年になく囮を求めてくるお客さんが多い気がします。
大島養魚場には、大きな養殖水槽が二つありますが、片方はもう空になっていて、一つの水槽だけに鮎が泳いでいました。

  「30尾ほど分けてください」
「いつもすいません。ちょっと待っていていただけますか」
オトリを買うお客さんが続いて、少々忙しです。
「どうやって食うんだい?」、釣り師のおじさんです。
「今夜は家族で塩焼きとフライ食べて、残りは一夜干しにします」
「干物はうまいやね、焼いたのにちょっとバターなんかのせるとこたえられないやね…」

 囮を買うお客さんは、自分で鮎を選んで、エアポンプの付いた運搬用の水槽に入れています。
「俺なんかまだ始めたばかりで、下手くそだから、釣りに行くよかここんちで買って帰る方が経済的なんだけどな…」なんて言いながら笑ってましたが、尺鮎を釣り上げる喜びは格別なんだそうです。

という訳で、大島養魚場(027-243-2648)で鮎を分けてもらってきたんです。

 

城東町4丁目の路地です。子ども公園から帰るのかな、双子の女の子と歩くお母さんの姿がありました。秋晴れです。

 

  で、夕食に使う鮎を別にして、20尾ほどを背開きにして、内臓とエラを取り除き、腹腔を歯ブラシを使ってきれいに洗います。鮎は血の多い魚ですし、腹腔には黒い膜があります。背骨際のメフンも量が多いです。きれいにして、それから12%ほどの濃度の食塩水に2時間ほど漬けておきます。立て塩っていうのですが、鮎に塩味をつけるのと、更にしっかり血抜きするためです。

 こちらは取り除いた内臓の一部です。左のボールには白子です。昨日の鮎は雄ばかりでした。でも、私はオスの方が好みです。
右のボールには消化器、胃袋と腸が入ってます。血液のある内臓を取り除いて、腸の内容物を爪でしごいて搾り出し、胃袋は開いて洗ってあります。白子も消化器も食塩水でしっかり血抜きします。

血抜きに2時間ほどかかるので、あおい食堂へ昼食に出かけました。

 

桃井橋下流の広瀬川です。なんか、まだ夏の風景みたい、秋らしくなってません。日差しもまぶしいほど強かったです。

 

   立て塩しておいた鮎は、食塩水をしっかり切って、「ピチット」という商品名の脱水シートで包みます。一夜干しと言ってもその辺に拡げて乾かすのではなく、浸透圧を利用して水分を取り除く調理用具を使って冷蔵庫の中で作るんです。衛生第一なんです。
脱水シートに包んで、半日から1日ほど冷蔵保存しておくと一夜干しになります。水分の飛ばし加減は好みですんで、いろいろ試すしかありません。

  白子と消化器はざるに揚げて食塩水を切ったら、刻んで瓶に詰めて、食塩を加えます。鮎の内臓の塩辛、うるかにします。食塩の量は、内臓等の目方の80%ほどです。とんでもない塩分量ですので、減塩している方にはまったく不向きな食べ物です。
白子を入れてつくるうるかを「白うるか」と呼ぶのだそうです。鮎の本場で「鮎うるか」というと鮎の身と内臓を一緒に漬け込んだものをいうことが多いみたいです。
食塩を混ぜこんだら冷蔵庫です。時々取りだして撹拌してまた保存、最低でも3カ月かけてつくる変な食べ物です。おいしいのは一年以上漬け込んだのだとか。忘れてしまいそうです。アンチョビみたくに調味料として使う目的で仕込みました。

 という、鮎と遊んだ一日でした。大島さん、お世話になりました。
わが家でも、白萩が咲き始めてくれました。嬉しいです。

 

 夕方6時半、ユキ子さんの両親へお届けです。鮎の塩焼きと鮎のフライです。すぐ食べてもらえるように、配達時間を先に知らせしておきました。

 

   こっちはわが家、ユキ子さんの稽古の都合で、午後8時半過ぎになりました。アユの塩焼き、鮎のフライ、椀は揚げナスとミョウガです。
今年はこれが最後かな、もう一度くらいできるかな…、鮎は本当においしい魚です。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。

 

 

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稲穂の垂れる畔にコナギの花見っけて、ショウガの花に喜んだ、目の検査帰りでした

2018-09-19 06:38:55 | あんじゃあない毎日

昨日は前橋赤十字病院へ眼の検査に行ってきました。
視力は、レンズで矯正して、右が0.6、左が0.5でした。世の中も自然もほどほどに見えている状態です。自動車の運転免許を取得できない視力だったのは若い時からのことなのです。視力を改善することを求めて検査と診察に通っているのではないんです。変化が起きているのかいないのかを調べていただいています。ほどほどの視力でいたいのです。変わりなければいいのです。
昨日も、小さな変化も見つからなかったことを喜びとして、病院の東に拡がる朝倉田んぼをほどほどに眺めに行きました。

  田んぼの稲です。気候の変動と、米のブランド化の波を受けて、稲作もいろいろ大変みたいです。このあたりの田んぼでは、人が食べる米でなく、家畜の飼料とするイネの栽培も拡大しています。今の時期に見ただけでは素人の私にはわからないのですが、収穫が始まると私でもその違いが分かります。
実りの風景は、今も昔も変わりませんけど、風景の向こうにある「経営」は、昔と今では異次元です。

 畔には彼岸花です。畔の草が刈り払われた後に咲いています。

田んぼを覗くと、コナギが花を咲かせています。かわいい花ですが…
コナギは「最強の水田雑草」と呼ばれているなかなかのつわものみたいです。当然、除草の対象、それをかいくぐって花を咲かせているんです。

 

  畑では、冬野菜の苗の植え付けが始まっています。ブロッコリーかな、白菜かな…遠くに見えるのは、協立病院、その向こうは小野子山です。
帰りは端気川沿いの道です。川の中に茂るアシが花盛りです。

 川岸のフェンスに絡んだクズが花を咲かせています。でもね…

  年々こっちの方が勢力を拡大している気がします。アレチウリです。ここだけでなく、利根川でも、赤城白川でも、あちこちの川の河原や堤防で、このアレチウリが河原と川岸の秋を覆っています。
長野県では、「アレチウリ駆除大作戦」という大事業を県が先頭に立って進めているそうです。狭い範囲で駆除してもすぐに繁殖してしまうので、千曲川水系なら千曲川水系全体で駆除を進める必要があるのです。目下、最強の侵略的外来植物だと思います。
群馬県は何もしていないようです。群馬の環境行政はのんきのんびりみたいです…

口直しにショウガの花です。きれいですね。
園芸種のジンジャーリリーは黄色や橙色が多いですけれど、農作物のショウガの花はほとんどが純白のようです。

≪この記述に重大な錯誤がありました。訂正します。≫

よう子さんから次のコメントが入りました。
「白いショウガの花はジンジャーリリーで白蘭と呼ばれている品種です。黄色はたしか金閣という品種だったと記憶しています。あとオレンジ系のは品種名を忘れてしまいましたがこの3種のジンジャーが前橋では庭に住んでいる感じです。どれも古くからの品種ですが白蘭は大きく茂るので広くないと大変みたいです。野菜のショウガはつぼみは付いても花が咲くまでには至らないことが多いようです。運よく咲くと赤とクリーム色?のツートンカラーなエキゾティックな容姿のようです」
ということは、この白い花は、「白蘭」と呼ばれるジンジャーリリーです。 お詫びして、訂正します。
なぜ間違えて覚えていたかは、ようこさんのコメントへの私の返事を読んでください。言い訳にもなりませんが…

 

  家に戻ったら、ユキ子さんのところへ黄色い桃が届いていました。皮を剥いてカットしたのが右の写真、とてもおいしいです。ごちそうさまです。

 昼食してから、JAファーマーズへ行ったら、直売に芋がらが出ていました。それと、シイタケもずいぶん良くなっていました。嬉しいです。
次の用事まで少し時間が合ったので、皮を引いてゆでて、下ごしらえをしておきました。

 

それから、午後3時にアポイントが採れた北代田のKさんのところへ書類を届けに行きました。
ちょっと遠回りして、桃の木川を眺めながら…

 これはないかな、サンタンカの花かな、違うかな、通りかかりの家の塀の上に顔を出してたんです。

 こちらは、マユミの実です。きれいです。大好きな秋のみです。実がはじけたときも面白いです。また見に来ます。
用意した書類と資料、どうやらKさんに合格点がいただけたようです。あとは、よろしくお願いします。
で、帰りにスズランデパートのスコッチハウスでで寸法直しをお願いしていたジャケットを受け取って、それから青井食堂で一休みして帰ってきました。

 

 夕食は、シイタケが良くなったんで、焼椎茸の山かけです。おとろが少し緑がかっているのは、長芋のすりおろしにゆでたモロヘイヤの茎の部分を細かく叩いて加えたからです。秋らしいです。

  それと、鶏もも肉のクワ焼き、ナスとピーマンを添えました。
椀は、豆腐の吉野餡かけです。ミョウガとおろしショウガをもりしました。
秋っぽい晩御飯になりました。

なんか、慌ただしい4日間が過ぎてホッとした夜でした。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。

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城東町4丁目は敬老祝賀会、21人へ自治会からのお届けものをしてたら夕方になりました…

2018-09-18 06:52:13 | あんじゃあない毎日

昨日は敬老の日、城東町4丁目では敬老祝賀会が開かれました。
会場の設営と、祝賀会に出ない皆さんへのお配りものの配達が組長の仕事なのですが、自分の用事と重なってしまっていたので、祝賀会の方のお手伝いはほとんどしませんでした。

 これが、祝賀会に出ない皆さんへの配りもの、菓子と赤飯と金一封です。
私の担当する10組には54世帯の皆さんが暮らしていますが、75歳以上の方が25人、この皆さんが祝賀会への招待者です。そのうち、祝賀会へ出てくださった人は4人、それなので、21人へこの配りものをお届けしました。赤飯がありますから、何としてでも夕方までに配達しなくてはなりません。

 公民館から自宅へ配りものを運んで(一回では運べません、二回に分けました)、袋詰めして、最初の配達は10時過ぎです。
空は晴れ渡って、赤城山がくっきりと見えてました。25人のうち、1回目の配達でお届けに成功したのは19人、6人が不在でお届けできませんでした。

 75歳以上の年寄りといってもいろいろです。デーサービスや病院へ出かけている人(昨日は旗日ですから病院通いはいませんが…)、息子や娘のところへ行っている人、元気に好きな遊びをしに行っている人、それと働きに出ている人、いろいろなんです。
去年は1回目の配達で8人が不在でしたから、今年は好調な出足でした。
それとさ…、
「お母さんの具合どう、良くなってる?」
「はい、今月中には退院できることになりました」
入院してしまった独り暮らしの方の家に娘さんが掃除に来ていました。膝を痛めて手術したので心配してました。軽快してるみたい、うれしいですね。

 1回目が終わって戻ると、Sさんが訪ねてきました。「MTBライド東吾妻むかし道」という、マウンテンバイクで榛名山北麓の里山の山道や、畑道を走り回る自転車競技会の主催者グループに加わっている友人です。
「へぇ~、10年も役員やってるの、うちの方ではそんなことありえないよ」、彼は、目下、暮らしている地域の副区長(まちでは自治会副会長)をしているのだそうです。副会長1年やったら翌年は自治会長をやって、2年でお役御免にしてもらえるんだそうです。
「役場はさ、毎年、長がくるくる変わるのは良くないって言ってくるけどさ、同じヒトが長くやるのも弊害が出るしね…」ということでした。
そうそう、「MTBライド東吾妻むかし道」に関心のある方はこちらをご覧ください

自治会長の下の役員、私みたいの組長は、彼のところでは伍長って呼ぶんだそうですが、交代制で私みたいに10年以上続けているなんてことはありえないそうです。地域社会の運営は、みんなでするものと考えれば、彼の地域の方が健康的なのかもしれません。

 

 2回目の配達は、全て不発、一つもお届けできませんでした。ただ、おかみさんが祝賀会に出ている人がいるのに気づいて、祝賀会場へ。Yさんがカラオケで演歌を歌っていました。
「最近ちっとも見ないけど、元気なの?」
「何とか死にっぱぐれてらい!」
「あたしと同じじゃない、ガッ・ハァ・ハァ・ハァ ハァ!」、てな乱雑な話で…

 

  昼食は箱田町の蕎麦屋「わたなべ」でした。
昼食前に祝賀会場へまた出向くと、もう終わっていて、会場の片づけもすんでしまっていました。あんまし手伝えなくてすんません。
棒ニシンを肴に少しいただきました。同行者の車に乗ってきたものですから。棒ニシンは一切れ食べちゃってから撮りました。お許しください。おいしいです。

  ソバは二色せいろ、さらしなと、「青柚子切り」の盛り合わせです。青柚子切りは良い香りでした。
蕎麦屋わたなべは、小さな店ですし、ご夫婦二人で切り盛りしてますから、行列ができてしまうそば屋です。

 

 用事をすませて家にもどって、JAファーマーズへ夕食の買い出し、それから、惣菜二品(鶏肝のワイン煮とゴボウの有馬煮)を作って、4時になるのを待ってまた配達に出ました。
3度目は、3軒が帰宅してくれていてお渡し成功、残りは2軒になりました。

 そいでね、デーサービスから戻って来たばかりのUさん、まだ家の人は仕事に出ていて戻ってなくてお一人だったんですけど…
「すまないね、手間かけさせちゃって、ありがとうね…」
「どういたしまして、元気でいてくださいな…」
「ちょっと待って、これお駄賃…」、掌に飴を二個のせてくれました。嬉しいやいね…、こういうの。

で、まだ二つ残ってたけど、自治会長の家に回って、お願い事して…

 

 最後の配達は午後5時、電話して、家に戻られたことを確認してからの訪問です。
残る2軒にお届けものを配達したら、西の空に雲が出て、夕暮れの気配となりました。
毎年のことなんですけど、一日かかりの仕事です。敬老の日ですから。

それから、ちょいとまちへ、桃井橋の上から見た広瀬川です。雲行き怪しいけど、結局降ることはありませんでした。

 

   夕食です。疲れてたけどそれなりに作りました。スープはニラとたまごです。
それと。ローストビーフと野菜の盛り合わせです。ローストビーフはフライパン使って簡便に作ったものです。野菜は、トマト、ゆでたキャベツとサヤインゲンのレモン和え、赤と緑のピーマンのオイル炒め、ニンジンのグラッセ、それとうろ抜き人参の葉っぱです。スダチを添えました。
ご飯は、ニンジンの葉とマイタケの炒め飯です。ニンジンの葉っぱがおいしいです。

土曜日から連日忙しで、睡眠時間も少なかったものですから、食事したらものすごく眠くなって、ユキ子さんが後始末している間に寝込んでしまいました。
今日は、日赤病院へ眼の検査に行ってきます。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
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二代目若柳吉駒の一周忌の法要が営まれました。早いものです、もう一年が過ぎました…

2018-09-17 05:52:30 | あんじゃあない毎日

昨日は、糸駒の祖母の初代吉駒の二十三回忌と伯母の二代目吉駒の一周忌が営まれました。
早いものです、伯母さんが急逝したのは昨年の9月27日の夜のことでした。もう一年が過ぎてしまいました。

写真は、初代と二代目の舞姿です。演目は同じ『山姥』なのですが、初代は清元、二代目は常磐津、衣裳も振りもずい分と違います。二人は、ただ同じことをしていたんではないです。自分の舞を創る努力を重ねていました。
初代のは、「90歳のリサイタル」での舞姿です。二代目のは、平成23年4月の「美登利会」の舞台だと思います。

 

 法要は、前橋市朝日町にある、二人の菩提寺の高岑院(こうしんいん)で執り行われました。

二代目は、生涯独身で子どももいませんでした。それで、姪のユキ子さんが身の回りのお世話をしてきたんです。城東町の家を作るときには、いつかは一緒に暮らすのだからって、専用の浴室とトイレの付いた二間の居室を用意しました。

 住職が着ておられる法衣は、初代の供養にと二代目が寄進したものです。昨日の法要でも、住職は着用してくれていました。

二代目は、千代田町4丁目の住い兼稽古場で一人暮らしをしていましたけれど、何かにつけ、城東町の居室にも泊まりに来ていました。それが、平成22年のことでしたが脊椎を圧迫骨折して、城東町の家で療養しながら舞台復帰を目指すことになったんです。
「よくなったら千代田町に戻るからね…」と言い続けてたのですが、翌年、東日本大震災が起きて、そのときから「千代田町へ帰る」って言わなくなりました。以来、ずっと一緒に暮らしてきたんです。

   高岑院の庭には、紅白の萩が枝垂れて咲いていました。その下にはホトトギスです。古典的な花です。
ムラサキツユクサには、オオスカシバが蜜を求めて飛んできていました。

初代は99歳まで踊りました。二代目は享年93歳でした。圧迫骨折や心臓の冠動脈弁膜症を克服して舞台復帰を果たしました。
初代は、「松尾芸能大賞」を、二代目は東京新聞選定の「日本舞踊大賞」をいただいています。年齢を克服して舞い続けた二人でした。

 

二代目の舞姿です。新内「広重八景」です。平成15年の「若柳吉駒踊二題」(国立劇場)の舞台です。
先日、糸駒が東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」で踊ったのもこの演目、二代目形見のこの衣裳で舞いました。

  これは、平成元年の「吉啓 吉吾 舞踊リサイタルの夕べ」(前橋市民文化会館)です。糸駒が最初に舞踊の基本を教えてもらった二代目の姉の吉啓の常磐津「廓八景」と常磐津「芥太夫」です。二代目の姉も、妹二人も舞踊家でした。

 この舞台写真は、平成9年の「二代目若柳吉駒襲名リサイタル」(前橋市民文化会館)での、清元「雁金」です。
いろいろなことを思い出していた一日でした。

舞台写真は「ビデオフォトサイトウ」が撮影・制作したものです。

 

  本堂前の鈴に取り付けられている鈴緒が新しくなりました。
今回の法要に際して、ユキ子さんの父さんが寄進されました。

  法要の後は、嶺霊園にある墓所にお参りして…

 

 小さな花束を法要に参加した糸駒の従兄弟から頂きました。「キキさんにあげてください…」だって。ありがとうございます。お心にかけていただいて喜んでいると思います。

 

  お浄めをすませて家に戻って、しば漬けをあげました。今シーズン最後のしば漬けです。うまくできていました。乳酸菌に感謝です。

   「夕食は簡単でいいよ…」って糸駒が言うので、ソウメンにしました。ネギと干しサクラ海老のかき揚げ、野菜三首(赤ポーマン、キュウリ、ミョウガ)にスダチ、白菜キムチ、キンシウリとベーコンの醤油炒めを用意して、タレは黒酢と胡麻油を効かせた冷やし中華のタレ風にしました。取り皿にとって、好みの具で食べました。
ネギと干しサクラエビのかき揚げは、伯母さんの好物の一つだったんです。「ネギ嫌いだけど、これは大好き」って言いながら食べてたんです。

 

 二代目得意の演目です。新内「唐人お吉」です。
もう一度、舞台姿を見たいです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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一昨日(9月15日)、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演いたし、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。

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糸駒は推薦名流舞踊大会に出演、私は雨粒とカヌー眺めて秋雨散歩…

2018-09-16 06:21:38 | あんじゃあない毎日

昨日、国立劇場大劇場で開催された東京新聞主催の「第54回推薦名流舞踊大会」で、糸駒が新内「広重八景」を舞いました。舞台は無事務められたようで、夜中の11時頃、いつもと変わらない様子で帰ってきました。
写真は、舞踊会のプログラムに掲載された糸駒です。8月に敷島公園のボート池脇で私が撮ってあげたポートレートが使われています。エディターがちゃんと調整してくれたようで、きれいな仕上がりです。

いろいろとお世話頂いた皆さまにお礼申し上げます。

 

 私は、家で留守番です。朝は、市からの高齢者への祝い金を配って歩いたり、雑事をすませて、糸駒を東京へ送り出しました。

  小雨が降り続いていて、町内の空き地の草むらにも水溜りができていました。広瀬川の遊歩道のカエデの葉が急に色づきはじめました。秋の訪れです。

 

 昼近くなっても雨はやみません。家のこともすんだので、傘を差して出かけることにしました。東京から「忘れちゃった、届けられる!」なんてドジな電話も来なかったものですから。

朝咲いた萩の花が雨に打たれてたちまちに散っていました。

  実生のネムノキの葉には、雨粒がいっぱいです。
リュウキュウアサガオの花びらにも雨粒が光っています。

 空き地の彼岸花もあっという間に満開になりました。お彼岸までもたなげです。

ヒガンバナにたかった雨粒です。きれいです。雨の日の散歩…

 

   

ルコウソウの花、キンカンの青い実、色づき始めたリンゴ、そしてフウセンカズラ、みんな雨粒でおしゃれしてます。雨も良いものです。

 窓の中からブラインド越しに外を眺めている猫がいました。

 

 昼食は、呑竜仲店のヤギカフェでドライカレーです。
「広瀬川見ましたか?」
「うん、ゴムボートが浮いて、音楽が流れてた…」
「カヌーの競技会やっているみたいですよ、今はお昼休みのようですけど」
「帰りにのぞいて見ましょう…」

  交水堰を下ったカヤックが、前転で一回りしたり、横転したり、カヤックを垂直に立てたり、いろんなパフォーマンスを見せてくれました。早さを競うレースでなくて、パフォーマンスの技を競う競技会みたいでした。
競技のことはよく分かりませんでしたけど、パフォーマンスは見ごたえがありました。拍手です。

 まちの通りでは、まだ傘を差している人もいましたけれど、傘を差さずに行く親子連れもいました。秋雨があがって行きます。

いったん家に戻って、用事を一つこなしてから、糸駒の舞台が始まる頃にもう一度まちへ行きました。
あおい食堂で、少し飲ませてもらいたくなったんです。

 

 帰り道、顔見知り猫に会いました。
<早いもんですね…>
「そうだいね、時の経つのは早いもんだいね…」
<もう一年になるんですね…>
そうなんです、二代目吉駒が逝ったのは…。昨年、糸駒が推薦名流舞踊会に出演するのに伯母さんが付いて行ってくれたんです。そして、戻ってきたその晩のことでした。一年経ったんです。

 信号待ちしている女性も暖かそうなのを纏っています。
いろいろあった一年が過ぎて、また秋がきました。

 

今朝の5時半ごろです。東の空が赤く燃え上がって見えました。

今日は、伯母さんの一周忌の法要です。お彼岸にかかるとお寺さんが忙しくなってしまうので、すこし早めにやることになりました。
日が差してきています。お天気は大丈夫みたいです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

昨日(9月15日)、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演いたし、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。

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